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影に沈む者
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膨大な魔力だけは確かに感じる。だが、その“存在”はどこにも見えない。
純白の床が、まるで神殿そのものが鼓動しているように微かに震えた。
「ははは」
乾いた笑い声だけが広場に反響し、私たちの鼓膜を刺す。
「お前は何者だ!」
ドノバンが叫んでも――。
「はははははは」
返ってきたのは空虚な笑いだけ。
ガンツの盾の後ろで、私たちは固まって戦闘態勢を取っていたが、嫌な違和感が胸にじわじわと広がっていく。
「いや……違う」
私は笑い声のわずかな乱れに気づいた。
同じ言葉を繰り返しているだけじゃない。その奥で、小声で呪文を演唱している。
「みんな、音を立てないで」
純白の床と壁が音を反射し、その出所が乱れる。
その混濁の中……ある一点の影だけが異質に浮いていた。
「見つけた!」
光輝く床に落ちる、微かな“浮遊する影”。
私は色付きのポーションを抜き取り、セバスチャンへ合図した。
瓶を投げる。
彼の矢がそれを射抜き、緑色のジェルが細かい霧となって空中に散った。
「わあぁ!」
悲鳴とともに、空中にぶら下がるカーテン……いや、汚れたマントの輪郭が浮かび上がる。
緑の液体は吸い込むように馴染み、透明化の魔術を汚しながら染み込んでいった。
「ポーションといっても塗布用スライム製のジェルだから。簡単には色落ちしないわよ」
「くそっ……くそっ……!」
怒りの声は完全に女のものだった。
「あなたが変な呪文を唱えるからよ。魅了魔術なんて効かないわ」
レクセルたちが混乱したのも、あるいは術にかかって同士討ちになったのかもしれない。
そう思うと胸が締め付けられた。
女はジェルを振り払うが、染みついた緑が消えずますます苛立つ。
「もう許さない。見逃してやろうと思ったのに」
明らかな嘘だ。
本当に見逃すつもりなら、最初から姿を隠して魔力だけ晒す真似なんてしない。
「何者? どうしてここにいるの?」
「名を尋ねるときは、自分から名乗るものよ。知らないのかしら、小娘」
「俺はドノバン。シシルナ島の領主の息子だ。ここにいるのは仲間だ」
「ふうん。シシルナ……懐かしいわね。私はフーガ。ここの主よ。それでそこの娘は?」
「リリカ・ノクスフォードよ! 聖女じゃないわ」
胸を張って名乗ると、フーガはつまらなそうに目を細めた。
「なんだ……」
なんだ、とはなんだ。悪かったわね、と心の中で思い切り毒づく。
「お前たちは?」
「セバスチャン。リリカ様の執事だ」
「ガンツ。リリカ様の騎士だ!」
私は吹き出してしまった。騎士、ね……でも、まあ、認める。
「ふうん。その娘より、私に仕えてみない?」
「断る」
「それは出来ません」
即答。少し嬉しい。
「そろそろ出来上がっている頃ね。お前たちの“死んだ後の姿”を見せてあげる」
純白の床が脈動し、白光がゆらぎ、そこから兵たちが次々に立ち上がった。
レクセルたち。死んだはずの彼らだ。
中には複数の肢体を強引に合成された異形もいる。
傷跡は塞がり、血の汚れも消されていた。かえって不気味だ。
「うまく合成できてないのもあるわね。まあいいか。我にひれ伏せ!」
広間上空に黒い玉座が現れ、フーガがゆっくり座り込む。
その瞬間に“ようやく”顔が見えた。
黒い長髪が白いマントからこぼれ落ち、鋭い猫の瞳が私たちを睨み付ける。
レクセルたちは一斉に跪き、合唱のように声を上げた。
しかも、一度だけでない。反響が返ってきては、また彼らが同じ言葉を繰り返す。
「偉大なるフーガ様の御心のままに」
「偉大なるフーガ様の御心のままに」
「偉大なるフーガ様の御心のままに」
耳が痛いほどだ。
「死者への冒涜だ!」
セバスチャンが叫ぶ。
「冒涜? 彼らは永遠を手に入れたのよ。私のおかげで」
「ふざけるな!」
「お前たちも、じきにそうしてやるわ」
レクセルたちは跪いた姿勢から、揃ってまるで操り人形のように立ち上がった。
「フーガ様。無礼なこやつら、殺してもよろしいですか?」
「ふふ……元気ね」
「無礼者に死を!」
私は息を呑んだ。死者が会話をするなんて。
「飢えも病も欲もない。ここには悩みすら存在しない。最高の幸福じゃない」
「無礼者に死を!」
「死の牢獄だ、そんなもの!」
ドノバンの怒号が反響した。
「魔女なのかしら……」
私はぼそっと呟く。
途端に、フーガの顔が怒りで染まる。
「魔女……? 私を、魔女と呼んだ……? 許さない。許さない。許さない!」
魔力が爆ぜ、床石が微かにひびが入る。
「フーガ様のお手を煩わせません。我らにお任せ下さい」
「わかったわ。好きにしなさい!」
「御意! かかれ!」
レクセルは剣を高く掲げ、兵たちが一斉に走りだす。
私は風の魔術で彼らを押さえつけた。
この広間では魔術が使える。だが床や壁に触れた瞬間、魔力は吸い取られて消える。
だから空中に“浮かせ続ける形”でしか発動できない。
作ったばかりの土の槍も、防壁も、触れるだけで一瞬で崩れる。触れなくとも、魔力が吸い取られて減衰していく。
「致命傷まで与えられない……!」
そして最も恐ろしいのは――レクセル自身。
光の剣先に宿る“本物の光”。
あれがかすれば、一撃で私たちは死ぬ。
「セバス……動き、見張ってて」
「わかりました」
セバスチャンが弓を構え、レクセルを狙う。
だがレクセルは動かない。
ただ、笑う。ゆっくりと、私と目を合わせて。
「ゆっくり殺してやる。地獄を見せてやるよ」
あの王子の声とは思えない、不気味な、勝利を確信を宿した声で。
純白の床が、まるで神殿そのものが鼓動しているように微かに震えた。
「ははは」
乾いた笑い声だけが広場に反響し、私たちの鼓膜を刺す。
「お前は何者だ!」
ドノバンが叫んでも――。
「はははははは」
返ってきたのは空虚な笑いだけ。
ガンツの盾の後ろで、私たちは固まって戦闘態勢を取っていたが、嫌な違和感が胸にじわじわと広がっていく。
「いや……違う」
私は笑い声のわずかな乱れに気づいた。
同じ言葉を繰り返しているだけじゃない。その奥で、小声で呪文を演唱している。
「みんな、音を立てないで」
純白の床と壁が音を反射し、その出所が乱れる。
その混濁の中……ある一点の影だけが異質に浮いていた。
「見つけた!」
光輝く床に落ちる、微かな“浮遊する影”。
私は色付きのポーションを抜き取り、セバスチャンへ合図した。
瓶を投げる。
彼の矢がそれを射抜き、緑色のジェルが細かい霧となって空中に散った。
「わあぁ!」
悲鳴とともに、空中にぶら下がるカーテン……いや、汚れたマントの輪郭が浮かび上がる。
緑の液体は吸い込むように馴染み、透明化の魔術を汚しながら染み込んでいった。
「ポーションといっても塗布用スライム製のジェルだから。簡単には色落ちしないわよ」
「くそっ……くそっ……!」
怒りの声は完全に女のものだった。
「あなたが変な呪文を唱えるからよ。魅了魔術なんて効かないわ」
レクセルたちが混乱したのも、あるいは術にかかって同士討ちになったのかもしれない。
そう思うと胸が締め付けられた。
女はジェルを振り払うが、染みついた緑が消えずますます苛立つ。
「もう許さない。見逃してやろうと思ったのに」
明らかな嘘だ。
本当に見逃すつもりなら、最初から姿を隠して魔力だけ晒す真似なんてしない。
「何者? どうしてここにいるの?」
「名を尋ねるときは、自分から名乗るものよ。知らないのかしら、小娘」
「俺はドノバン。シシルナ島の領主の息子だ。ここにいるのは仲間だ」
「ふうん。シシルナ……懐かしいわね。私はフーガ。ここの主よ。それでそこの娘は?」
「リリカ・ノクスフォードよ! 聖女じゃないわ」
胸を張って名乗ると、フーガはつまらなそうに目を細めた。
「なんだ……」
なんだ、とはなんだ。悪かったわね、と心の中で思い切り毒づく。
「お前たちは?」
「セバスチャン。リリカ様の執事だ」
「ガンツ。リリカ様の騎士だ!」
私は吹き出してしまった。騎士、ね……でも、まあ、認める。
「ふうん。その娘より、私に仕えてみない?」
「断る」
「それは出来ません」
即答。少し嬉しい。
「そろそろ出来上がっている頃ね。お前たちの“死んだ後の姿”を見せてあげる」
純白の床が脈動し、白光がゆらぎ、そこから兵たちが次々に立ち上がった。
レクセルたち。死んだはずの彼らだ。
中には複数の肢体を強引に合成された異形もいる。
傷跡は塞がり、血の汚れも消されていた。かえって不気味だ。
「うまく合成できてないのもあるわね。まあいいか。我にひれ伏せ!」
広間上空に黒い玉座が現れ、フーガがゆっくり座り込む。
その瞬間に“ようやく”顔が見えた。
黒い長髪が白いマントからこぼれ落ち、鋭い猫の瞳が私たちを睨み付ける。
レクセルたちは一斉に跪き、合唱のように声を上げた。
しかも、一度だけでない。反響が返ってきては、また彼らが同じ言葉を繰り返す。
「偉大なるフーガ様の御心のままに」
「偉大なるフーガ様の御心のままに」
「偉大なるフーガ様の御心のままに」
耳が痛いほどだ。
「死者への冒涜だ!」
セバスチャンが叫ぶ。
「冒涜? 彼らは永遠を手に入れたのよ。私のおかげで」
「ふざけるな!」
「お前たちも、じきにそうしてやるわ」
レクセルたちは跪いた姿勢から、揃ってまるで操り人形のように立ち上がった。
「フーガ様。無礼なこやつら、殺してもよろしいですか?」
「ふふ……元気ね」
「無礼者に死を!」
私は息を呑んだ。死者が会話をするなんて。
「飢えも病も欲もない。ここには悩みすら存在しない。最高の幸福じゃない」
「無礼者に死を!」
「死の牢獄だ、そんなもの!」
ドノバンの怒号が反響した。
「魔女なのかしら……」
私はぼそっと呟く。
途端に、フーガの顔が怒りで染まる。
「魔女……? 私を、魔女と呼んだ……? 許さない。許さない。許さない!」
魔力が爆ぜ、床石が微かにひびが入る。
「フーガ様のお手を煩わせません。我らにお任せ下さい」
「わかったわ。好きにしなさい!」
「御意! かかれ!」
レクセルは剣を高く掲げ、兵たちが一斉に走りだす。
私は風の魔術で彼らを押さえつけた。
この広間では魔術が使える。だが床や壁に触れた瞬間、魔力は吸い取られて消える。
だから空中に“浮かせ続ける形”でしか発動できない。
作ったばかりの土の槍も、防壁も、触れるだけで一瞬で崩れる。触れなくとも、魔力が吸い取られて減衰していく。
「致命傷まで与えられない……!」
そして最も恐ろしいのは――レクセル自身。
光の剣先に宿る“本物の光”。
あれがかすれば、一撃で私たちは死ぬ。
「セバス……動き、見張ってて」
「わかりました」
セバスチャンが弓を構え、レクセルを狙う。
だがレクセルは動かない。
ただ、笑う。ゆっくりと、私と目を合わせて。
「ゆっくり殺してやる。地獄を見せてやるよ」
あの王子の声とは思えない、不気味な、勝利を確信を宿した声で。
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