つきにむらくも

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つきにむらくも 第二部

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くらむきづ

 寛文十年初秋、二条城を右に堀川通を南へ行く女の姿があった。行く先もなくさまようような足取りで歩みを進める。まだ夏の日差しは遮るものがなく女の体に照り付けていた。伏見の船宿に着く頃にはかなり疲れて次の船を待つほどであった。未の刻を過ぎ申の刻になる頃、川舟に乗る。しかし、すぐに方向が違うことに気づく。上流へ向かっているのだ。女は乗る舟を間違えたことが分かったものの行くあてもない旅とはこのようなものかと納得し気の向いたところまで乗ることにした。
 大池から木津川をさかのぼってゆくと大きな川湊に着く。木津湊だ。女はここで下りて船宿に泊まることにした。というのも八妻の本拠が近くにあることを思い出したからである。
 八妻とは平嶋が抱える鷹匠のことで鳴滝もこの者らを借りていた。そこから都合してもらおうというのだ。翌朝、船宿を出ると日差しを背に受け西の山手へ向かう。集落にある砦のような寺が八妻の根城だ。
 寺に入ろうとすると上空を鷹が旋回している。門前にいる人間に話しかけても返答がなく、ただ僧房へ案内されるのみだった。
「こちらに話せる者はいるか」
 女が尋ねる。すると僧房の障子戸がゆっくりとわずかに開いた。女は恐る恐る障子戸に近づき残りを開ける。そこにいたのは老齢の首魁と見える一介の陰豹だった。
「宰相中将さまの…」
「やはり知っているか。ところでなぜここの者は誰も話せないのだ」
「人間は陰豹と話すことを禁じておりますので」
「それはどのような訳があって」
「人間の内には売国奴が紛れ込む余地がありましてな。放っておくとこの世を攪乱致しかねませぬ。ゆえに火刑に処して二度と出て来れぬようにするわけで」
「生きたまま火にかけて廻らせぬと」
「ええ。人間は時を輪のように廻るだけなのでまたこの時に戻って来ますからな。それを果てに自害する前にもう止めてしまうという話で」
「輪廻の果てまで行かせぬということか」
「これは上古の時より行われていると聞きます。もしこれが途絶えたらこの国そのものがなくなるでしょう」
「いかにも暗殺を請け負う者らしき言だな」
「さすがによくご存知で」
 八妻が藩家老を暗殺した件は土倉と神宮寺に近い大名家では知れ渡っていた。そもそも八幡を保護する大名家で抜け荷を幕府に訴えるなどあってはならないことである。鳴滝からの根回しもあり江戸から国許に送り返す途中のことであった。
「それで頼みがあるのだが。三河守さまにお会いできぬかと」
「ああ、そうでしたな。やはり下総守家には帰りにくいですな。それでしたら先に使いを出しますので」
「そうしてくれるか。ありがたい」
「途中、統寺には寄らないので」
「お婆さまには…」
「分かりました。では左中将殿とお呼びすればよろしいかな」

皇女

 上野に寛永寺が建立されてからというもの江戸での金貸し寺の地位はこの宮門跡の内にある土倉が他を寄せ付けず商家への高利貸しを独占していた。それもそのはずでこの寛永寺だけでなく日光山、さらには山門をも傘下に置く体制が敷かれていたのである。これに大きく関わっていたのが化野で江戸での地位を揺るぎないものにしていたのだ。
 上方では化野、鳴滝、神宮寺と三つ巴の勝負だが那古屋では統寺が独占、鳴滝としては江戸でとなると芝の寺で武家に対しての高利貸しを続けていくほかなかったのである。

 八妻で三河守への取次ぎを頼んだ左中将が江戸の牛込に着いたのは木津を発ち二十日経った中秋の月の日であった。屋敷に入るとさっそく朱楼へと案内される。待っていたのは僧体の尼であった。
「三河守さま。左中将にございます」
「尾張守の孫とか」
「はい、父は刑部大輔にて」
「江戸ならば池上の寺もあろうに」
 池上の寺とは統寺と結んでいる寺のことだ。寺家と社家に高利貸しをしている。
「はい。たしかに。しかし、わたくしは鳴滝のために尽力したいと思いこうして参りました所存にて」
「京でのことは聞いている。そうだな。冰宮に会ってみるか」
「冰宮御方ですか」
 冰宮とは三河守の孫になる皇女である。左中将より一回りほど年上で輿入れもなく独り身であった。
「鳴滝の跡目だ。そちのことは冰宮に決めさせよう」

 朱楼の前にある池に橋が架けてありそこを渡ると冰宮が住まいとする御殿だ。左中将が橋を渡り終えたその時、不意に目の前に高貴さが感じられる女人が現れた。一見物静かに見えるがその内面からは非常に強い精神が宿っているような気配を察する。
「辻番へ」
 そう言うとついて来るように振り返り指先を外に向けた。あまりのことに驚いた左中将だが後を追って屋敷を出る。唐輪髷の冰宮は隣の浄泉寺を過ぎたところにある辻番へと入っていった。辻番の狭い建物の中では越後守家に仕える藩士が二人いたがそこであろうことか博打を始めたのである。
「公家に輿入れしていたそうだが」
 冰宮が煙管から煙をくゆらせながら話しかける。
「ゆえあって夫に先立たれまして」
「斬ったのではないのか」
 左中将の下げ髪の毛先がゆらりと下に垂れる。
「いえ、そのようなことは…」

 その夜、朱楼の一階で観月の宴が開かれた。朱楼の前にある池に中秋の月が映り月夜を楽しむ。
「それで左中将はどうすることにしたのだ」
「かなり腕が立つとみましたので側に置くことに」
「そうか。では左中将、しかと頼むぞ」
「はい、鳴滝のため、務めさせていただきます」
「腰の物だが今は村正しかないのでな。それを持ってゆけ」
 三河守が刀掛けにある太刀を指さす。天正拵の朱鞘とかなり古くからある太刀だ。
「拵えに朱や金は…」
「幕臣や藩士ではないのだから気にすることはない。これは比休院が使っていたものでな」
「左中将。比休院は鳴滝に仕えていた強者だ。六尺もある大男でな。そちも大女ゆえこの太刀を受け継ぐに相応しいと」
 冰宮が左中将を召し抱えることにした理由を明かす。
「そういえば結城武蔵守もかなりの大女だったな。あれは暗殺剣の使い手だったが。比休院の話では村雲という名刀で斬っていたらしい」
「村雲ですか。初めて聞きました。どのような刀で」
「鎺から刀身にかけて蜘蛛の足が見えるとか。茎には女郎蜘蛛が彫ってあるらしい」
「それは珍しい。今はどちらにあるので」
「それが分からぬ。化野の毘門に聞いても受け継いでおらぬということであった」

一音

 寛文十一年初夏、浄泉寺外れの辻番で博打を打つ冰宮と左中将の姿があった。畳の上に置かれた黒楽茶碗に賽子三つを投げ入れる。この黒楽茶碗は冰宮が鷹峯から買ってきた茶器だがすっかり博打用の小道具となっていた。釉薬を掛け外して雲のように見せている逸品だが行灯の明かりではあまり良い色でなく、やはり水を入れた茶碗に月影を映すものなのだろう。
「揃った。嵐だ」
「三のぞろ目ですか。これはまた」
 ここで三河守の屋敷から一音が来たので戻るようにという知らせが入る。
「ここからというときであったが。そうか。一音殿が来たか」
「一音殿とはどなたで」
「よく知らぬが大和守家に仕える者らしい。お婆さまの相談役だ」

 朱楼では三河守と一音が二人を待っていた。さっそく一音が話を切り出す。
「越前家で藩主の奥方が斬られました。斬ったのは妾腹の子らしいのですが分家にて匿われているとか」
 一音は身の丈も大きくよく声の通る男だ。冰宮に通り名しか明かさないのは何か理由があるのだろう。
「一音殿。やはり越前家が追い出したとみるか。藩の跡目に藩主の兄弟のほうを」
「三河守さま。やはりその思惑ありと。幕府がどう動くかも気になりますが」
「冰宮はどう見る」
「幕府も越前家を取り潰しにすることはないでしょうから。もしこちらに刃を向ければ将軍家をすげ替えれば良いだけのこと」
「たしかにどちらのほうが力を得ているか。そのとき次第か」
「一音殿。越前家はもちろんだが今後の越後守家のことも頼めぬだろうか」
「それは大和守家の務めでもありますのでお任せを。必ずや家は残してみせますゆえ」

「どうであった。冰宮は」
「越前に冰宮殿と左中将殿が来たのは間違いありませぬ。それは隠の者が。ただそこから先のことは」
「八妻の者もそれ以上のことは知らぬと。まさか孫娘がこのようなことに」
「三河守さまの孫にあたる女人の方々は五人いらっしゃいますがやはり越前家が鳴滝の跡目を狙ったのではないかと」
「つまり先に仕掛けたのは越前家で冰宮に刺客を送ったか」
「そのように考えられるかと。辻番のほうには何か」
「いや、あってももうすでに隣の浄泉寺で灰になっておろう。一体今まで何人眠っているのやら」

 延宝元年晩冬、冰宮と左中将は尾張へ船で向かっていた。統寺の尾張守からの呼び出しによるものでこの頃、清国では乱が起こり福建、広東、雲南の三藩と東寧の鄭氏の動きが交易に影響してくるとの判断からであった。熱田湊に降り立った冰宮の背には野太刀が右肩から斜めにあり左中将と変わらぬ身の丈にやや大きなものが背負われていた。そして朱鞘の村正を腰に差す左中将が先導して統寺へと入っていったのである。
「冰宮殿。早速だが丹上のほうへ話をつけてくれぬか」
「船を丹上に入れたいと」
「養父上と木曾川口での戦を共にした日根野家が改易となってからというものしばらく丹上に出入りできぬのでな。亡き三河守さまにもお願いしてはいたのだが」
「話はしてみますが…。尾張守さま。清国の遷界令で澳門から独占して生糸を仕入れているのは統寺だけですゆえ。今の白糸の値を考えても二十年元号が買えるほど儲けがあるのでは」
「鳴滝も相当ではないのか。藍布を東寧に出しておろう。東寧はそれを馬尼刺に持っていっておる。そして壺を日本に持って来るというわけだ」
「いえ、それより今は湖糸が入りにくい状況ですので」
「浙江のほうは清国の海禁が厳しいからな。福建に流れぬゆえ澎湖にも来ぬ」
「今は広東からしか生糸は…。それもこの乱でどうなるかと」
「東寧の王は厦門に拠点を移すらしい。しかし、この戦は清国が勝つとみておる。それで統寺の八幡はあの海域を避けて航海することにした」
「それは澳門での闇取引があってのこと。鳴滝はそうもいきませぬし。化野のように東寧で孟買と交易ができれば」
 このころ、東寧はEICと通商を始めていた。EICはさらに日本へも通商再開に向けて船を瓊の浦に来航させたが幕府はこれを拒否し、改めて来航禁止としたのである。
「お婆さま。やはり海禁の後が大事であると。清国が港を開くとみておりますか」
「そうだ。そのときの備えを今からしておかねばならぬ」

 統寺を後にした冰宮と左中将は海路で堺へ向かう。堺からは大坂から京へ。出雲寺の毘門に会うためだ。寛永寺で住職を継いだのち、この山科の地で化野の跡目となっていたのだ。
 本殿は唐破風の門に周りを囲む塀は朱が目を引く。京ではあまり見ない建築様式だ。
「ようこそいらっしゃいました。冰宮殿。左中将殿も」
「毘門殿。今の化野の状況だがかなり厳しいのでは」
「銀での取引ができなくなりましたからな。ただ清国では銀が採れませぬゆえ変わらずに」
「ではむしろ金での取引が増えたと」
「小判のほうは。しかしやはり棹銅でしょう。鳴滝は幕府の仕入れ値と同じですから」
「たしかに銅山からの引き取りは。といっても大坂銅座で精錬しますし」
「いやいや。問題は国内での銅の値です。幕府は銅山から銅を安く仕入れて交易で銅をさらに安く売っている。その分、銅山は他への銅の値を高くせざるを得ない。これでは物の値が上がり続けるだけでは」
「たしかにそうですが幕府はそれで交易において安く品を仕入れております。いってしまえば自ら制限をかけて総額を抑えるためであれば」
「元はといえば銅銭の取引禁止から始まっているわけで。銅地金は銭貨としてそれらの国で使われますゆえ」
「それも寛永通宝のことがあれば。これは鳴滝の寛永ですから日本でまず流通させねば話になりませぬ。今では銅銭といえば寛永通宝のことになりましたから」

 化野との話は平行線となった。それもそのはずで統寺は澳門での取引を独占して生糸で儲けを出しているが、化野は清国との繋がりはなく東寧さらに孟買のEICに頼らざるを得ない。鳴滝も広東が頼みの綱だ。華南の情勢がはっきりしない今、尾張守の言うように清国の勝利となればこれまでの交易とは全く違う形での取引を模索しなければならない。延宝二年、三つの金貸し寺は今後の存続を左右しかねない岐路に立っていた。

三毛離亭

 延宝二年晩春、牛込の屋敷では東寧から幕府へ使者が来たという知らせが入っていた。東寧からはこれまでも何度となく明国復興のための援軍要請があったが幕府はこれを断り続けていたのである。
「化野から貂寺が来るらしい」
 冰宮が八妻からの報せに目を通して左中将のほうを見る。
「貂寺とは…。たしか年を取らぬ白猗とか」
「太白の翳らしい。相当長く生きていると聞いた」
「しかし御方様。どのような用向きでしょう」
「おそらく東寧のことだと思うが。毘門殿がわざわざ寄越すとなると何かあるのかも知れぬ」

 それから三日の後、一人の寺侍が屋敷へとやって来た。
「貂寺と申します。どうぞお見知りおきを」
「それでいかなる用件か」
「実は今、三毛に東寧からの客人が来ておりまして。今後のこともあり鳴滝のほうにも伝えておくべきかと」
「それはつまり…」
「お会いになられてはと。通事はわたくしめが」
「鳴滝は広東の藩王と密にしておるが」
「そちらの情勢とも関わりがあることで」
「御方様。雲南に福建も加担して乱に乗じておりますが広東もいずれはと」
「では聞けるものがあるならば」

 船は大坂から三毛へと向かっていた。鳴滝は土佐から九州の南へと向かう航路を常としているため瀬戸内から九州の東へ行く船は化野のものだ。
「貂寺殿。三毛とは信濃守家の宗家になるのかな」
「ええ、小倉のほうは豊前家になります。武蔵守さまのときに化野が九州で得ました湊で」
「ああ、あの暗殺剣の。そういえば村雲という太刀の行方が分からぬと聞いているが」
「村雲は化野のほうでわたくしが。あれは人斬りの異名がある刀ですので」

 三毛の湊は河口から川に入り城の堀へと抜ける。岸は荷揚げ場となっており、船頭や水主が住む町となっていた。
「この先に豊後町がありますのでそちらに寄ってから。そのあとで渡し船にて離亭に向かいますので」
 貂寺はそう言うと船を降りて町へ消えていった。
「左中将。行ってみるか」
「はい。三毛のほうは初めて来ましたから」
 冰宮と左中将は貂寺の後を追って町家の間を抜けて行く。六十間ほど歩くと豊後町と思わしき場所に出た。八幡が住んでいるところかと思いきや、町行く人には明らかに唐人がいる。どうやら唐人八幡の本拠らしい。
「御方様。平戸からこの三毛に移ったようで」
「化野は平戸を失ってからここに唐人を住まわせていたのか」
 二人は一通りの散策を済ませると渡し船のある船着き場へと向かう。一刻後、戻ってきた貂寺とともに離亭へ渡し船は漕ぎ出した。

 離亭は川沿いの楼閣で船で河岸に着けて出入りができるもので本門の蒼楼と同じ三層三階となっていた。庭には南方の国のものと思われる木が植えられ、草花も今まで見たことがない花が咲いている。まるで異国に来たかのような趣だ。
「信濃守さま。こちらが鳴滝の冰宮殿と左中将殿になります」
 貂寺が紹介した先に見えたのが歳もまだ若い当主であった。化野が援助しているだけあって気品のある男だ。ただその下座にいるのが辮髪の男だったのである。
「貂寺殿。これは…」
 交渉はただ一点のみであった。要は鳴滝に広東への武器送出停止を求めるものでそれは清国からの強い提示となっていた。さらに東寧との取引がある化野へもこれは伝えられていたのである。清国は見返りとして海禁を廃し港を開くというもので広東もその候補に入っていた。
「今は広東も乱には乗じておらぬがこれでは動かざるを得なくなるのでは」
「冰宮殿。それも見越しての話。澳門独占から華南へ移そうというのが目的になりますので」
「しかしこの乱を収めるには」
「日本から止めれば長くは続かないものと。東寧には鄭氏の配下だった者を使い海戦に持ち込む形となれば」

 その日の夜は離亭での宴となった。貂寺は清国からの使者を送るため小倉へ共に乗船して事の次第を豊前家にも報告するとのことで先に帰っていった。残された冰宮と左中将は信濃守の歓待を受けることになる。
 三味線の響きとともに舞子が歌舞伎踊りを始める。京や大坂から集められたという女たちはみな見目麗しく音色が激しさを増すごとに踊りも水の上を流れるようであった。
「冰宮殿は独り身とか」
 信濃守が朱塗りの杯の酒を飲み干す。
「ええ、やはり独りが良いですね。煩わしいこともないので。この左中将など輿入れしてすぐに夫を…」
「御方様。その話は…」
「何ですか。それは。まさかお斬りになったとか」
「違います。断じて」
「はははは…。左中将。困ったのう。ところで信濃守殿は御当主なれど」
「兄の子がいますので。わたくしは妾はおりますが妻は迎えておりませぬ」
「では我等三人、似た者同士ということですか」
「信濃守殿。あの置物は」
 左中将が白磁の陶器が置かれた棚にある置物を指さす。
「あれは貔貅です。金銀を食すとか。瑞獣といわれるものです」
「たしか元はつわものの意だったかと。その名で呼ばれた者もおりましたが」

 翌日、信濃守の屋形船で川沿いを遊覧することになり河岸の船着き場に行ってみるとそこには川舟に筏をつなげた船が停まっている。
「信濃守殿。この船は」
「まあ、いろいろとありましてこの形に」
 船は河岸を離れると川を上って行く。
「どちらへ行かれるので」
「羅漢寺です。耶馬渓にあるのですが」
「初めて聞きます。どのようなところで」
「まあ、行ってみれば分かります。さぞ驚くかと」

 羅漢寺は山というより岩壁に近い、そんな場所に石仏がいくつも、それこそ千体以上が安置されていた。石段を上り門前から川下を眺めるとそこには今まで見たこともないような絶景が広がっていた。一刻ほどかけて岩窟を散策すると三人は帰路につく。
「信濃守殿。これは見事としか」
「客人は必ずここへお連れしますので。帰りは岩壁を見ながら川下りと参りましょう」

 三人が乗船して川を下り岩山を抜けたあたりだった。川を上ってくる舟がある。乗っているのは船頭を含め五人だがみな腰に太刀を差す者たちだ。
「御方様。野太刀を」
 左中将はそう言うと朱鞘が当たらないように川舟から筏へと乗り移る。そして舟がすれ違う、そのときに川舟に寄せてきたのだ。舟から三人、筏に飛び乗り左中将に斬りかかる。左中将が刀を抜くと瞬く間に一人が川に流される。残りの二人は左中将の逆手に驚きを見せたが遅れをとらずに襲い掛かる。一方、冰宮は背負いの野太刀を抜き左太刀に持つと筏から舟に飛び移る。そして残った一人を二の太刀で仕留めると船頭に切っ先を向ける。すると船頭は川に飛び込み姿をくらました。
「御方様。早くこちらへ」
 残りの二人を難なく倒した左中将が冰宮に川舟に戻るよう促す。
「まだどこぞにいるやもしれませぬからな」
 信濃守がすぐこの場を離れるよう指示を出す。
「信濃守殿。そなたが襲われるのはよくあることなのか」
「いえ、とんでもない。冰宮殿。このようなことは初めてで」

 離亭へ戻ると化野の船が河岸に停められていた。翌日に出航である。
「信濃守殿。今後のことを考えると藩から何人か必要かと」
「いや、まったく申し訳ない限りで。さっそく腕の立つ者を」
「それで心当たりのほうは」
「この三毛は東寧との取引でここまできましたから。もしやとは…」
「それは鳴滝も同じですから。こちらも考えないといけませぬ」













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蔵屋
歴史・時代
前老中田沼意次から引き継いで老中となった松平定信は、厳しい倹約令として|寛政の改革《かんせいのかいかく》を実施した。 第8代将軍徳川吉宗によって実施された|享保の改革《きょうほうのかいかく》、|天保の改革《てんぽうのかいかく》と合わせて幕政改革の三大改革という。 松平定信は厳しい倹約令を実施したのだった。江戸幕府は町人たちを中心とした貨幣経済の発達に伴い|逼迫《ひっぱく》した幕府の財政で苦しんでいた。 幕府の財政再建を目的とした改革を実施する事は江戸幕府にとって緊急の課題であった。 この時期、各地方の諸藩に於いても藩政改革が行われていたのであった。 そんな中、徳川家直参旗本であった緒方清左衛門は、己の出世の事しか考えない同僚に嫌気がさしていた。 清左衛門は無欲の徳川家直参旗本であった。 俸禄も入らず、出世欲もなく、ただひたすら、女房の千歳と娘の弥生と、三人仲睦まじく暮らす平穏な日々であればよかったのである。 清左衛門は『あらゆる欲を捨て去り、何もこだわらぬ無の境地になって千歳と弥生の幸せだけを願い、最後は無欲で死にたい』と思っていたのだ。 ある日、清左衛門に理不尽な言いがかりが同僚立花右近からあったのだ。 清左衛門は右近の言いがかりを相手にせず、 無視したのであった。 そして、松平定信に対して、隠居願いを提出したのであった。 「おぬし、本当にそれで良いのだな」 「拙者、一向に構いません」 「分かった。好きにするがよい」 こうして、清左衛門は隠居生活に入ったのである。

【戦国時代小説】 甲斐の虎•武田信玄と軍師•山本勘助

蔵屋
歴史・時代
 わたしは、以前、甲斐国を観光旅行したことがある。  何故、甲斐国なのか?  それは、日本を象徴する富士山があるからだ。     さて、今回のわたしが小説の題材にした『甲斐の虎•武田信玄と軍師•山本勘助』はこの甲斐国で殆どの戦国乱世の時代を生き抜いた。そして越後の雄•上杉謙信との死闘は武田信玄、山本勘助にとっては人生そのものであったことだろう。  そんな彼らにわたしはスポットライトを当て読者の皆さんに彼らの素顔を知って頂く為に物語として執筆したものである。  なお、この小説の執筆に当たり『甲陽軍鑑』を参考にしていることを申し述べておく。  それでは、わたしが執筆した小説を最後までお楽しみ下さい。  読者の皆さんの人生において、お役に立てれば幸いです。  

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