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頼朝

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身体が熱い。
息が苦しい。
身体が怠い。

もしかしたら死ぬのかもしれないと布団の中で情けなく、天井を見た。

体調管理を怠るとは情けない。

ゴホゴホッと苦しい咳を吐きながら自身を責めているとふと、何だか呪詛のような呪文のような声が聞こえてきた。

ー 何だ?

ふと、横を見ると印を結びながら祈祷師が呪文を唱えて、神仏に祈りを捧げている。

ー 何事!?

この時、いきなり入ってきた祈祷師に(実際は部屋に入る時に声を掛けてから入ったらしい)大いに驚いた。


後に聞いた所、この祈祷師は兄、頼朝が呼んだらしい。
寝込む私を心配して早く治るようにと祈祷を頼んだらしい。

ー そこまで私の事を心配して……。

兄が私を心配してくれている。
そう思うとああ、やはりこの人は私の兄なのだなと思った。

例え、ともに過ごした時間が短くてもそれでもこの人が私の兄なのだなと心の底から思った。


だからだろうか。
私が貴方を恨めないのは。

私を弟として部下として大切にしてくれた頃もあったから。

だから私は貴方を憎めないのだろうか。


………。
…………。



ふわりと冷たい夜風が頰を撫でる。
久々に頼朝に会うからか何だか懐かしい記憶が蘇った。


バサリッと白い翼をはためかせて夜空を飛んでいく。空には満天の星々が輝き、一筋、星が流れた。

久々に見た鎌倉はきちんと整備された綺麗な町並みで、私は個人の気持ちとしてはそれこそ京にだって負けない美しい町並みだと思った。

この町並みは私達が築いた町並みだから。



人の寝静まった夜更。
すんなりと私達は頼朝の屋敷に忍び込む事が出来た。

随分と呆気なく、誰にも気付かれずに入れたので、これまでの中々長い鎌倉への道のり(道に迷った所為)を考えるとここまですんなり事が進んでいる事が何だか怖い。

「征夷大将軍の屋敷にこんな簡単に入れていいものですかね? 」

「……お前は捕まりたかったのか? 」

「いえ、元部下として何となく一抹の不安が。」

「……お前は本当に面倒な人間だ。」

苦虫噛み潰したかのような表情を天狗が浮かべた。

別に、ただふと、思っただけだ。
いち武士として警備面に心配を感じただけなのだが……。



……本当に何もかもがすんなりと進んでいく。
誰にも見つからずに頼朝の部屋まで来れてしまった。


「お前が先に頼朝か確認しろ。儂は頼朝の顔を知らぬ。」

天狗はそう言って部屋の入り口で止まり、私に布団の中に寝ている男が本当に頼朝か確認を命じた。

「さて、どう転ぶか見ものだ。」

天狗は頼朝の顔を確認しに行った私に何かを期待している様子で私の姿を観察する。どうやら本当にあの賭けは続いているらしい。

ー 顔を見たら私は頼朝に恨みの感情を抱くのだろうか?


ずっと、何故、どうして、という私を信じてくれなかった事、勘当された事への悲しみと苦しみ、絶望はあった。
しかし今まで不思議と恨みの感情はなかった。


寝ている男の前に腰を下ろし、顔を見る。
男は少し眉間に皺を寄せながら少し息苦しそうに寝ている。

ー 頼朝。

久々に見た頼朝の顔。
何時も悠然と物事を対処して、時には弟すらも平然と手をかける。

「何故、信じてくれなかったのですか…。兄上。」

思わず、そう口から言葉が漏れる。
寝ている相手に問うても無意味だと言うのに。

「私は貴方に謀反? 私が貴方に勝てるとお思いですか? 流刑人から征夷大将軍まで上り詰める程の才を持つ貴方に私が……。」

頼朝の表情に苦悶の色が浮かぶ。
寝ていて言葉が届かない筈なのにこの人は今、どんな夢を見ているのか。

胸の辺りが苦しくなり、掴むと天狗に渡された小刀に手が触れた。

ー 何故信じてくれなかったのですか? 

家族の一員としてすらいてはならない程、私は何かをしてしまったのか。

口からポタリッと赤い雫が落ちた。
唇が痛いが身体に力が入り、唇を噛む事がやめられない。
これが恨みの感情なのだろうか?


「来るな……。義経…。あぁ…、私は貴方を保護するように…命じたのです。安徳天皇……。」

ふと、寝ている筈の頼朝が叫ぶ。
一瞬、起きたのかと思ったが、頼朝の目蓋はしっかりと閉じており、時折、寝息が聞こえた。……寝言?

身体に入っていた力が抜け、ポカンと口を開けて、寝ながら何かに苦しむ頼朝を呆然と眺めた。

「範頼……。私は、…違う。……待ってくれ。私はただ……鎌倉の安寧を……、源の存続を……。」

頼朝が私の名を呼ぶ。
まるで命乞いをするように言い訳を続ける。
怯えるように身体を震わせて。


「……貴方は私や義経が怖かったのですか? 」

夢でも今もうなされる程、私の何が怖かったのか。

「それは謀反を起こすと思う程、私が怖かったのですか? 」

鎌倉幕府を立ち上げ、武士を纏める征夷大将軍の貴方が?
私を?


何度も義経や安徳天皇、私の名を呻き声とともに苦しげに吐き出す。

「貴方は阿呆だ。兄上。」

小刀に触れた手を胸から離し、思わず溜息を零す。

「兄上は阿呆だ。」

私や義経が貴方をもし討てたとして武士達を纏めて、貴方のようにこの鎌倉を栄えさせていけると思っているのだろうか。

義経はチャランポランな所があった。
軍才があり、平家との戦いに勝利出来たのは義経が居たからこそかもしれない。しかし、頼朝の許可なく後白河法皇から官位をもらったり、将として下がらなければいけない場面で譲れず武士と対立する事もあった。自身の思うままに自身が正しいと思うがままに生きている所があった。

そして貴方に義経のように切り捨てられるのを恐れていた私にはそもそも謀反も貴方の地位を乗っ取るのも無理な話だ。


「兄上の中の私は、兄上を恨んで夢の中で現れるのですか? それではまるで亡霊ですね。」

呻き声のような寝言がまた、聞こえる。
見えない何かに恐怖し、脂汗を額に浮かべる。

「…何だかそれは寂しいですね。兄上の夢の中の私はともに父を討ち、源氏を追い落とした平家を打倒しようと戦った事も、病に伏せる私の為に祈祷師を呼んだ記憶も恨みの中に消えて、なくなってしまっているのですかね…。」

そう思うと何とも言えない感情が目の前で苦しむ兄に向けて湧き上がってくる。


きっと頼朝の中に作られた亡霊は消えない。
それは頼朝が心の奥底の不安や後悔などの負の感情が作り出した亡霊に過ぎない。例え、祈祷し、払おうと頼朝の中でその負の感情が消えない限り、その亡霊達は巣食い続けるのだろう。

ー 哀れな。

そう思うと同時に何となく、兄上が私をどう思っていたか私なりに分かった気がした。
まぁ、何となくだが…。

兄上を理解した訳でも、完全に兄上が私に感じていた思いを理解した訳ではない。が、兄上のこの表情を見ていると何だか少し馬鹿らしく感じ、肩から力が抜ける。



轟々と燃える炎の中、消えた筈の命だった。

失意の中で。
誰にも看取られず。
ついに送った釈明と謝罪の書簡の返事もなく、人伝てに兄上が、私が書簡で『源』を名乗った事に激怒したという話を聞いて。
兄上の家族としてすら死ぬ事を許されないあの炎の中ではきっと知る事は叶わなかっただろう。


「兄上。…巡り合わせとは不思議ですね。」

最後にもう一度だけ兄だった人を顔を一瞥する。
やはり、その顔には苦悶が浮かんでいた。
きっとこの人は最後までこうやって苛まれながらも生きて行くのだろう。
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