縁切りの神様

やすほ

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リアルわたしエクスプレス

其ノ八

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 光太郎から聞いた話によると、江野沢はその日、学校を休んでいるらしかった。
 下駄箱の中に見慣れない紙切れを見つけた。それは江野沢からの置手紙だった。
 手紙には、自分のせいで蘇芳を傷つけてしまったこととその謝罪、それからそのせいで人からの期待が怖くなってしまったこと、だから一旦人と距離を置きたいということ、そのためにしばらく休むという趣旨のことが書かれていた。
 人助けのつもりで一緒にいたはずなのに、それが逆に事態を悪化させてしまったという事実に、胸がズキズキと痛んだ。

 帰宅してからも、胸の痛みは未だに蘇芳を攻撃していた。早退したはずなのに、陽はもうかなり赤い。
 江野沢は一体いつから、圧し掛かる期待に悩んでいたのだろう。幼いころから親に言われるがままに振る舞ってきたと言った彼女。いつ、それが期待であることに気がついたのだろう。いつ、自分の行動が期待の下にあるという認識に切り替わったのだろう。子供にも考える能力はある。特に女の子は男の子よりも二年は大人びているという。江野沢は人前ではしっかりしているやつだから、彼女の場合はもっと早い段階から深い所で物事を見ていたのかもしれない。なら、どれだけ前から彼女は。
 優秀な江野沢が打開策を長年考え続けて、未だに結果が出てないのだとしたら、それはもう彼女一人ではどうしようもない難問なのかもしれない。

「なにこれぇ。めっちゃかわいいんだけど」

 知らぬ間に隣にいたヨスガが、部屋の真ん中に置かれたいやらしい目つきが特徴的なイルカのぬいぐるみを抱きしめていた。

「おい、勝手に触るなよ」
「えぇ、なになにぃ、僕のイルカさんがヨスガちゃんに取られてジェラシーだって?」
「誰もそんなこと言ってねぇよ。っていうか人の部屋、勝手に入んなよ」
「だってぇ、気がついたらたまたまここだったっていうか、別に入りたくて入ったわけじゃないっていうかぁ」

 ヨスガはイルカを握ったまま、部屋の中でくるくると回っていた。緻密に編まれた着物の袖がはためいている。数百年の生きてきた経験深き者とは思えない立ち居振る舞いに呆れてしまう。ただ、彼女も愚者ではないらしい。こちらの事情をある程度察しているようで、イルカを揺らしながら近づいてきた。

「ところで、何か悩み事?」

 へたくそな腹話術。その後、執拗に事情を尋ねてきたから、仕方なく事の顛末を洗いざらい話した。

「それなら、縁切りで解決できるよ」

 全てを聞いたヨスガの解答はあまりにも呆気なかった。でも期待を持てるものだったから、思わず前のめりになって問い返してしまう。

「本当か?」
「うん。わたしが言ってるんだから安心してくれていいけど」

 自信に満ち溢れたどや顔を見せるのは、最初の縁切りの時と同様だ。

「そうか。それはよかった」

 そのとき、蘇芳は縁切りに対して好意的な感情を抱いている自分がいることに驚いた。最初は忌避していたはずの縁切り。それをこんなにも容易く受け入れてしまっている。確かに、縁切りに対する抵抗が完全になくなったかといえば答えはnoだけれど、でも身近に苦しんでいる人間を見て見ぬふりしてやり過ごすことよりは、まだ受け入れられる。
 今回だけだ。今回だけ。前回もそんなことを言ったような気もするけれど、今回は本当の本当に今回だけだ。そう自分に言い聞かせて、ヨスガの話に乗ることに決めた。

「でも正直まだ、今回に関しては、どんな縁を切れば解決できるのか、いまいちピンときてねぇんだけど」
「ふーん。まあまだ二回目だしね。仕方ないから教えてあげる」

 ヨスガはその場にイルカを寝かせると、立ち上がった。

「前にも話したと思うけど、縁っていうのはありとあらゆるものと繋がっているの。それは人とか物とか実態のあるものもそうだけど、概念みたいな実体の伴わないものにも繋がり得るの。イメージしにくいかもしれないけどね。憶測になっちゃうけど千絵ちゃんの場合だと、多分、『理想』と縁が繋がっちゃってるような気がする」
「『理想』? その『理想』ってのと縁が繋がったら、何がどうなるんだよ」
「理想って言葉の意味って、考えうる中で最も完全に近いもののことだよね」

 蘇芳は首肯する。

「基本的に、概念と縁が繋がってしまうと、その意味を体現するようになってしまうの。体現の仕方はまちまちだから、同じ概念と繋がっていても、必ずしも同じようなことが起こるとは限らないんだけどね。千絵ちゃんは『理想』って概念と繋がっちゃったから、周囲が思う理想を体現してしまっている状態にあるんだと思う。今回の場合は、『集団の中にいる人たちの理想を詰め込んだ完璧な人物として、周りから過度に期待をされてしまう』っていう体現の仕方をしちゃったみたいだね」

 小難しい言い回しをされてしまったが、要は今の江野沢の悩みもまた縁に起因するということは確か。

「まあ、よくあることだよ。大抵の場合は、それが縁の仕業だなんて思いもしないから誰も気がつかないんだけどね」

 ――それで、どうする? と、切れを促すような表情で問いかけてくる。

「その『理想』ってのと江野沢の間にある縁を切れば、江野沢は楽になるんだな」
「楽になるかは分からないけど、少なくとも周りから期待されることは少なくなるんじゃないかな」

 江野沢が蘇芳の助けを必要としているかは分からない。ただ、自分にはやっぱり、この状況を無視することは難しいらしい。これは身勝手なエゴかもしれない。でも、できることがあるなら、やらずにはいられない。

 ――わりぃな、江野沢。手、出すぞ。

 エゴを押し付ける気満々で、蘇芳は再びヨスガの手を取った。

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