縁切りの神様

やすほ

文字の大きさ
34 / 50
再会は死んでから

其ノ八

しおりを挟む
 帰宅したのは午後八時を回ってからだった。加奈が倒れたことは予期せぬ事態だったため、何も準備せずに飛び出してきてしまった。当然、晩飯も作ってないから、ばあちゃんも腹を空かせているだろうかとか、勝手に出前でも取って食っただろうかとか、あと、今日は家の掃除してねぇなとか、急に日常の習慣が気になっていた。
 彼女が語った友達とは姑獲鳥のことだったのだろうか? 聞いてみたいと思う気持ちもあったが、仮に聞き出せたとして、蘇芳にできることが何かあるのだろうか。蘇芳の知的好奇心を満たすためだけに過去を抉るようなことはしたくない。だから、早まった行動は取れなかった。
 家の門をくぐると加奈の自転車が寂し気にポツンと止まっていた。その奥にはヨスガの姿がある。

「お兄さん、ターカナは、ターカナは大丈夫なの?」

 待ち構えていたかのように姑獲鳥が猛烈な勢いで駆け寄ってきた。心境は表情を見れば一目瞭然で、その心労は伺い知れない。

「心配すんな。今はもう、容体も安定してる」

 教えてやると、姑獲鳥は安堵の表情を見せた。

「はー、よかった。一時はどうなるかと思ったよ」

 いちいち体を大きく動かすから、反応がはっきりとしていて分かりやすい。

「でも、ターカナのさっきの反応。あんなに話しかけてたのに、わたしに一切見向きもしなかった。いつもなら、すぐに何かしら返してくれてたのに、いったい、どうしてしちゃったんだろう」

 姑獲鳥の言葉に、神社でのことを思い出す。加奈に再会でき大喜びではしゃいでいた姑獲鳥だったが、一方の加奈はというと、姑獲鳥のことが全く見えていないかのように振る舞っていた。おそらく彼女は、姑獲鳥の存在を認識出来てはいなかっただろう。そうなれば怪しくなってくるのは事実関係だ。姑獲鳥は加奈のことをターカナだと断じたが、本当にそうなのだろうか?

「そもそも、ターカナは加奈のことで間違いないのか?」
「もちろんだよ。そこは間違うはずない。なのに、どうしてなの……」

 断言する姑獲鳥。彼女は心音を持って、ターカナの存在を確認していた。それがどれほどの精度なのか知る由もないけれど、迷うことなきまっすぐな眼差しは、生半可な自信ではないのだろう。
 もし、姑獲鳥が言うように加奈がターカナだったとして、どうして加奈には姑獲鳥が見えていなかったのだろうか。ターカナはその昔、姑獲鳥のことを認識できていたはずなのに。

「見えなくなったんじゃないかな」

 蘇芳の疑問に答えたのは、ヨスガだった。
 彼女は奥からゆっくりこちらへと歩いてくる。

「きっと、もう見えてなかったんだよ。人間にはよくあること」
「それって、どういう意味だ?」
「本来、わたしたちみたいな霊的な存在を人間が見ることなんて不可能なんだよ。でも、例外的に見えてしまう人もいるの。精神的な問題とか、地理的な要素とか、理由はいろいろなんだけど。中でも多いのは幼い子供。基本的に魂は転生を繰り返していて、死んでもまたこの世で生まれ変わるんだけどね、幼いうちはあの世から魂がこちらに転生してきて間もないわけ。だから、まだこの世に馴染めていない魂とかも多くいるんだ。そういう子たちって、霊的な感覚を引きずってたりするから、たまに見える子もいたりするんだよ。でも、大抵の場合は大人になるにつれて次第に見えなくなっていくものなんだけどね。加奈ちゃんがどのパターンに当てはまるかは分からないけど、十年前よりは歳を取って魂も馴染んでいるはずだし、当時二人が会っていた場所と同じ環境がここにあるわけでもない。あらゆる状況が違っちゃってるから、普通の人間の加奈ちゃんが姑獲鳥ちゃんの存在を認識できなくなっていても、なんら不思議はないと思うの。少なくともあの時の反応を見る限りは、見えてなかったんじゃないかな」

 姑獲鳥が遠路遥々赴いてやっとの思いで出会うことができたというのに、十年越しの再会だというのに、それが報われないのはやるせない。

「加奈がもう一度姑獲鳥を見る方法はないのか?」
「正直言って難しいと思うよ。やっぱり、人がこちら側を覗くためには、それ相応の力を持ってる必要があるの。それこそ、蘇芳くんみたいにね。でも、わたしが見た限り、あの子に大した力は感じられなかった。よっぽどのことがないと厳しいかな」

 ヨスガの言葉に、蘇芳は軽い絶望を覚えた。
 頭上の月は流れてきた雲にちょうど隠れて、影を落とす。

「なら、わたしはもう二度と、ターカナと言葉を交わすことはできないっていうの?」
「そうだね」

 姑獲鳥が僅かにうつむいた。胸の内がきりきりと絞られているような気がする。
 加えて、ヨスガが後に続けた言葉が、さらなるモヤモヤを連れてきた。

「でも、もしそうでなかったとしても、姑獲鳥ちゃんはもう二度と、加奈ちゃんにかかわるべきではないと思うけど」

 意味が分からなかった。
 それに、ヨスガの言い方には少し棘があるように思えた。だから、ついつい声を荒らげてしまう。

「それってどういうことだよ。どうして、姑獲鳥と加奈がかかわっちゃいけねぇんだよ。姑獲鳥は十年間ずっと加奈に会いたくて探し続けてたんだぞ。そんな言い方ねぇだろ」

 蘇芳は厳しく睨みつけるが、ヨスガは微動だにしない。

「わたしは何も適当なことを言ってるわけじゃないよ。それに、強制するつもりもない。これは二人の問題だからね。でも、これからも姑獲鳥ちゃんがあの子にかかわり続けたいってことなら、人殺しになる覚悟はしておいた方がいいと思うよ」

 ますます混乱して聞き返す。

「何言ってんだよ。人殺しって。かかわるだけだろ。それがどうして人殺しになるんだよ」
「姑獲鳥っていうのはね、病を運ぶ妖怪なんだよ。身近な人間を煩わせて死に至らしめてしまう。そういう妖怪。その子に自覚はないみたいだけど。だから、人間とかかわる以上、そこは理解しておいたほうがいい」

 加奈が吐血し倒れた原因は姑獲鳥にある。ヨスガが云わんとしていることは、そういうことなのだろう。そんなこと、あってたまるものか。そんな理不尽、認められるはずないだろ。
 そう思いたいのに、嫌な連想ばかりが浮かんでくる。加奈と姑獲鳥が出会った時期は? 加奈が病気を発症した年齢は? 加奈は最近咳き込むことが多かったけれど、姑獲鳥がこの街に来たのはいつだったっけ? 加奈が吐血し意識を失った時、姑獲鳥は彼女に何をした? 

 ――ふざけんな。

 嫌な懸念を掻き消そうと、蘇芳は自分の顔を一発ぶん殴った。

「待てよ。そんなことって、あまりに姑獲鳥が不憫すぎるだろ」
「でも、事実だよ」

 うまく口が回らなかった。吐き出したい気持ちは山のように溢れてくるのに、今すぐにでも、このじめじめと胸に溜まってくる暗澹たる感情を叫んでしまいたいのに、全部喉に引っかかって出てきやがらない。

「わたしのせいなの? わたしがターカナを苦しめてるってこと?」
「悪い言い方をすればね」
「じゃあわたしは……わたしは……わたしはどうしたら……」

 小さな両手で顔を覆い、悲痛に嘆く姑獲鳥。加奈との再会に喜んだ時とは声色が正反対で、彼女の憂いが際立って聞こえる。その心情を察するだけで、胸がズキズキと痛んで見ていられない。

「解決策は一つだけ。加奈ちゃんとの縁を全て切って、もう二度と顔を合わせないこと。わたしが知る限り、それ以外に加奈ちゃんを救う方法はないと思う。姑獲鳥ちゃんが望むなら、わたしたちが二人の縁を切ってあげることも可能だよ」

 あまりに残酷過ぎやしないだろうか。もし神様がいるのなら、いますぐ張り倒して蹴り飛ばしてやりたい。

「……そんなこと、聞いてないよ。初耳だよ。……信じられるはずないよ」

 姑獲鳥は今にも泣きだしそうだった。わなわなと声が、か細く震えている。

「わたしは何もしてないのに。わたしは何も悪くないのに。だって、わたしはターカナとただ仲良くしたかっただけなんだよ。それなのにわたしが病気を運んでいて、ターカナを苦しめてるって? どういう冗談? わたしは、縁なんて切りたくない。ターカナとはずっと繋がっていたいの」

 姑獲鳥は言い残すと、そのまま逃げだしてしまった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

秘書と社長の秘密

廣瀬純七
大衆娯楽
社内の調査のため、社長・高橋健一はこっそり秘書・木村由紀と不思議なアプリで入れ替わることに。 突然“社長役”を任された由紀と、自由に動ける立場を手に入れた高橋。 ふたりの秘密の入れ替わり作戦は、どの様な結末になるのか?

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

不倫妻への鎮魂歌 ―サレ夫が選んだ、最も残酷で静かな復讐―

MisakiNonagase
大衆娯楽
「サレ夫、再生。不倫妻、転落。──その代償は、あまりに重い。」 「嘘で塗り固めた20年より、真実で歩む明日がいい。」 失って初めて気づく、守られていた日々の輝き。 46歳の美香にとって、誠実な夫と二人の息子に囲まれた生活は、退屈で窮屈な「檻」だった。若い男からの甘い誘惑に、彼女は20年の歳月を投げ打って飛び込んだ。 しかし、彼女が捨てたのは「檻」ではなく「聖域」だったのだ。 不倫、発覚、離婚、そして孤独。 かつての「美しい奥様」が、厚化粧で場末のスナックのカウンターに立つまでの足取りと、傷つきながらも真実の幸福を掴み取っていく夫・徹の再生を描く。 家族とは何か、誠実さとは何か。一通の離婚届が、二人の人生を光と影に分かつ。

処理中です...