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二月二十九日
しおりを挟む二月二十九日
バレンタインも去った、二月の二十九日。日めくりカレンダーを捲った彼女は、ぱちくりと目を瞬かせて「あー」と意味のない声を漏らした。
「そっか、今年って閏年だったんだ」
四年に一度の閏年。特に休日でもないその日だが、なんだか特別な気もして日めくりカレンダーをまじまじと見つめる。
「……今日って何の日なんだろう」
ただいま、と声を上げると、ぱたぱたと足音を立てて彼女が出迎えてくれた。同居を始めてから数ヶ月、仕事から帰ると彼女はいつも玄関先まで出迎えに来てくれる。そうして自分の顔を見た時の彼女の、なんと可愛らしいことか。ぱあっと太陽のような笑顔を咲かせるその様を見ると、仕事の疲れなど空の彼方へと飛んでいってしまう。
「おかえりなさい、蒼ちゃん!」
「待った?」
「うん、待ってたよ」
その言葉に心が擽られて、思わず微笑む。靴を脱いで廊下に上がると、彼女——麗奈は手を引いてリビングへと歩く。
「今日ね、友達とコーヒーショップに行ったんだよ。そしたら店員さんが試飲させてくれたんだー」
「へえ、よかったな。美味しかった?」
「うん! 蒼ちゃんにも買ってきてあるよ、ほら」
そう言って、麗奈は机に置いてある袋を指差した。
「何を買ってきたんだ?」
「ドリップコーヒーだよ。店員さんがおすすめしてくれたの」
店員さん、店員さんと言う麗奈の表情はふにゃふにゃに綻んでいた。その店員さんとやらが余程気に入っているのだろうか。正直どんな人物だったのか気になるところではあるが、あまり気にしないでおこうと思う。
「そうだ、ご飯できてるけどどうする? 先にお風呂にする?」
「うーん、できてるなら先にご飯にしようかな」
「はーい」
ご機嫌に笑って、麗奈はキッチンへ向かう。歩く度に揺れるセミロングの茶髪は、彼女が目の前を通った時にシャンプーの甘い香りがした。
しばらく待っていると次々料理が並べられて、食卓の上は一気に華やいだ。一つの大皿にはマカロニサラダにコロッケと唐揚げ、キャベツの千切りが添えられていて、見た目にも豪華だ。小鉢には豆腐の炒め物がちんまりと収まっていて、黒いお椀の中はもずくの味噌汁で満たされている。
「すごいな、こんなに作ったのか?」
「うん、頑張って作ったよ!」
そこで考えた。はて、今日は何かの記念日だっただろうか。どれだけ考えても答えは出てこない。
「今日って何かあったっけ」
「ううん? 強いて言うなら、二月二十九日だってことかな?」
「二月二十九日……? あ、そうか」
——閏年。
二人して口を揃え声を上げた。なるほど、そう言うことだったのか。四年に一度の——まあ、これといって何かあるわけではないが——二月二十九日。一年の日数は正確には三百六十五日ではないらしく、そのズレを調整するために設けられた日だったはずだ。
「だからってこんな豪華な料理を?」
「うーん、まあ気分かな?」
そう言う麗奈は終始にこにこと嬉しそうに笑っている。自分の反応が嬉しいのだろうか。こんなに豪華な料理を作ってもらえるのはこちらとしても嬉しいし、彼女のそんな顔を見られるのならいくらでも喜んであげたいものだ。
「蒼ちゃん、あのね」
「うん?」
そこで一拍間を取った麗奈は、目を細めてふにゃりと笑った。
「二月二十九日は四年に一度しかないけど、こういう日もたまにはあってもいいよね」
「ん……? そうだな」
「だからね、これからもずうっと一緒にいてね。約束だよ?」
「う、うん……?」
ふとそんなことを言われて、思考が止まった。今度は何かと思えば、ぽふんと抱き着かれる。——一体全体どういうことだろう。普段からスキンシップは取る方だが、こんなに突拍子もないと少しばかりどぎまぎしてしまう。
「ふふふ」
「……れ、麗奈? 何かあったのか?」
「ふふ、ううん。なーんにも?」
「そう、か……?」
「ほら、ご飯食べよ! お風呂上がったらコーヒー一緒に飲もうね」
「うん」
——この時は知らなかった。ある国では四年間のうちにこの日だけ、女性から男性へのプロポーズが伝統的に容認されていたのだということを。
今も彼女は自分の横にいて、太陽のよう爛漫な笑顔で笑う。——二人の薬指には、あの日の約束を形にした指輪が輝いていた。
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