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Love in a mist 〜霧の中の恋〜
しおりを挟むLove in a mist ~霧の中の恋~
魔者と呼ばれる化け物が蔓延る世界。時として武器を取り、化け物と対峙すべく戦いの場へと足を踏み入れる彼女達の、なんでもない日常のお話。
目覚まし時計がけたたましく鳴り響く。サイドテーブルの上にあるであろうそれを黙らせるべく、のろのろと布団の中から腕を伸ばして力なくベルを押さえつけた。
「……うるさい……」
予定の時刻に目が覚めるよう目覚まし時計をセットしたのは自分だというのに、この時ばかりはそんな言葉も口をついて出てしまう。寝起きがよろしくないのは自分でも分かっている。分かっているが、今日は大事な日なのだ。少女——ネラは起き抜けのだるい体を無理やりベッドから起こして、朝の支度をするべく洗面所へと向かった。
支度も早々に終わらせて、リビングに足を踏み入れた。居住区での暮らしは思ったよりも穏やかなものだ。高くそびえ立つ壁に囲まれた居住区と呼ばれるこの場所は、簡単には魔者の侵入を許さない。
レースカーテン越しに部屋に届く光のナイフが、フローリングを淡く照らしている。朝早くに起きた時のこの光景が好きだった。朝食にはシリアルとミルクをいただこう。こんな朝にはさっぱりとしたものがいいだろう。冷蔵庫の中身を探って目当ての物を取り出し、朝食の準備に取り掛かった。
シリアルを口の中に放り込みながら、手持ち無沙汰にテレビの電源を付ける。見る気のないニュース番組は、ちょうど天気予報を伝えているところだ。天気予報によると、ここ数日間は穏やかな天気が続くらしい。今日が雨でなくてよかった。シリアルを食べ終わり、ミルクもぐいっと一飲みにしてしまって、手の甲で口を拭う。リビングは差し込む太陽の光でほんのりと暖かくなっている。これから着替えて、花を買いに行こう。あの人に——彼に会うのだから、少しくらいこういうことをしてやってもいいだろう。驚くだろうか。それとも、心底嬉しそうに笑って受け取ってくれるだろうか。そんなことを考えながら、着替えをするべく寝室へ戻った。さて、今日はどんな服装にしようか。
お気に入りのロングTシャツとサロペットを着込んで部屋を出た。まずは花を調達しに行かなければ。花といえば、訪ねればいい人がいる。足早に目的の場所へと向かう道中、青い小さな花を見つけて足を止めた。花束にするには小さすぎるそれが何故か気になって、花のそばにしゃがみ込む。
「……これ、なんて花だろ」
彼女に聞いてみれば分かるかもしれない。ついでに自分からの気持ちとして摘んでいこうか。青い花を一輪ぷつりと摘んで、再び歩みを進める。そうして目的地へ着くと、花々の匂いが鼻腔をくすぐって、思わず目を細めた。目の前の建物は軒先まで花が並べられていて、なんとも華やかだ。扉を開くと、可愛らしいベルの音が鳴って、来客が来たことを告げた。部屋は軒先以上に生けられた花達でいっぱいだった。
「ヤエ、いる?」
部屋の奥に声を掛けると、しばらくして花の間を掻い潜り、一人の少女が姿を現した。ヤエと呼んだその少女は、自分の姿を見てへにゃりと表情を綻ばせる。
「ネラちゃんー」
「花束が欲しいんだけど。適当に繕ってよ」
「いいよー」
間延びした独特の口調で、ヤエは早速作業に取り掛かった。
「どういうのー?」
「……志郎に送ろうと思って」
「分かったー」
ヤエは物分かりがいい。一言告げるだけで全てを理解してくれる。深く言及されないことにほっと息をついて、花束が出来上がるのを待っていた。——そういえば。
「あのさ、こんな花見つけたんだけど。これなんて花?」
「んー?」
こちらへ目を向けたヤエは、差し出した青い花を見てにこにこと笑う。
「これはねー、ニゲラ」
「ふうん」
「花言葉はねー……」
ヤエの言葉を頭の中で反芻しながら、ネラは最終目的地へ向かっていた。そこは緑の少ないこの土地には珍しい、草花が生い茂る小高い丘だ。ここで、彼が待っている。会うのは久しぶりだ。少しばかり緊張しているのは、きっと気のせいだろう。
そうして——墓標の前で足を止めた。
「……来たよ、志郎」
物言わぬ彼のいたことを示す墓標に触れる。ひんやりと冷たい感触だけが、肌に伝わる。彼がこの世からいなくなって、数ヶ月が経つ。元々重い病を抱え病弱だった彼は、自分を守るために命を失ったのだ。魔者と呼ばれる化け物が蔓延るこの世界で、自分達はそれに対抗すべく武器を取り時に戦っていた。彼、志郎もその一人だった。病弱ながら戦うことを選んだ彼は、危険を顧みず魔者と戦った。そんな中、共に戦っていたあの時。
「……あたしのせいだったよね」
身動きが取れなくなった自分を庇うため、志郎は魔者の凶刃の犠牲となった。あの時、自分がしっかりしていれば。いくら後悔しても悔やみきれなかった。そして、度々彼が今も生きているのではないかと思うことさえあった。
「……ごめん」
今一度、戒めのために呟く。しかし、しんみりするのは彼も気にくわないだろうと思い、話題を変えることにした。
「……この花束、ヤエが繕ってくれたんだ。きれいにできてる」
そう言って、花束を墓前に手向ける。
「あと、これ。道端で見つけたんだけど……よかったらあげる」
返事はないが、声を掛け続ける。彼がここにいないことを知って。青い一輪の花を、花束の横に置く。
「ニゲラって言うんだって。花言葉は……」
そこまで口にしたが、続きは出てこなかった。口にしてしまえば、彼の前で自分の気持ちを認めてしまうことになるからだ。それだけはどうしても躊躇われて、口を噤む。
「いい、やっぱ言わない」
——彼なら、彼が生きていたのなら、「どうして聞かせてくれないのだ」と笑いそうだ。いや、心配そうな顔をするだろうか。こういうことには彼はとても鈍感だった。自分の頭の中でしか繰り広げられないやりとりに、目の辺りが熱くなるのを感じる。
「……志郎」
言葉が出てこない。なのに、言いたいことはたくさんある。彼が生きている間に伝えられなかったことも、今でも伝えられない想いも。この気持ちが飲み干せるのなら、どんなことでもやれる自信が自分にはあるのに、言葉にするということだけが、酷く難しく感じられて。
「……今日はもう帰る。また会いにくるから」
素っ気なく答えて踵を返す。らしくない。らしくないのだ。友人の前ではいつでも素っ気なく振る舞ってきた。自分の気持ちを悟られるのが、恥ずかしいから。でも、それにここまで後悔する日がやってくるとは思ってもいなかった。今はもういない相手。なにかを伝えたくても、伝えられない相手。
「……花言葉、知りたかったら自分で調べなよ」
そんなことはできないけれど、いつも通りに振る舞わなければ、自分の心がひしゃげて粉々になりそうだった。ひとりよがりな考えかもしれないが、普段通りの方が志郎だって気を遣わないだろう。きっとそうだ。さくさくと草を踏みしめる音だけが緑の丘に響く。
——また、夢で逢えたら。
そんな浅はかな願いも、彼には悟られないまま、時は過ぎていく。
青い一輪のニゲラが、風に吹かれて空に溶けていった。
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