右手と魔法!

茶竹 葵斗

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逃亡

第三十六話 その頬に伝う涙を拭うのは自分だけ

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 キイイィィィン——。

 突然鳴り響いた甲高い音に、日和は自由な方の手で耳を塞いだ。これには狷も驚いたようで、日和の腕から手を離す。その時だ。日和の周りをまたあの結界が覆って、その身を守らんとした。おかしい。これは自分の意思ではない。そう思った矢先、結界から同色のつるがしゅるりと音を立てて何本も伸びた。これは、以前少年に襲われた時に見たものと同じものだ。

「なんで……?」

 呟いたと同時、事態は一変した。蔓がぎゅるりと狷の体を絡め取って宙へ持ち上げたのだ。銀の刃がからん、と音を立てて地面に落ちる。日和は息を飲み結界へ張りついた。

「狷ちゃん!!」
「……ッ」

 狷は蔓に縛り上げられ、苦悶くもんの表情を浮かべている。今のこれは日和の意思とは関係なく動く。いくら止まれと願っても、蔓は狷を離すことはない。どうすればいいのか分からず、日和は必死になって結界に拳を何度も叩きつける。しかし蔓はゆっくりとうごめくと、狷を地面へしたたかに打ちつけた。

「っぐ……」
「やめて! 狷ちゃんが死んじゃう!!」

 何度も何度も。ぐしゃりぐしゃりと小気味の悪い音が響く。蔓はそのまま狷を放り投げる。地面を転がった狷は、苦しげに咳き込みながらもゆらりとその場に立ち上がる。……見ていられない。日和はあふれる涙をこらえられないままぎゅっと目を瞑った。どうしてこんなことになったのか。先程まで二人でただ話をしていただけだったのに。狷の冷たい目、優しい声。走馬灯のように記憶がよみがえる。それでも、彼を傷付けたくなかった。だから三珠みたまを彼へ渡そうと思ったのに。
 蔓はうねりながら狷へと飛ぶ。新たに生み出した銀の刃で応戦する狷だったが、蔓の猛攻になす術がないようだった。徐々に押される狷は木に背を預ける形になる。身動きが取りにくくなった狷に、先端の鋭く尖った蔓が走る。
——ドスッ。耳を塞ぎたくなる音が耳に届く。蔓は狷の脇腹を貫き、木に縫いつけていた。

「……ッが」
「狷ちゃん!!」

 日和の悲鳴にぎりりと歯を食いしばった狷は、蔓を掴んでそれを抜き去ろうと力を込めた。しかし蔓は深く木に突き刺さっていてぴくりとも動かない。

「お願い、もう……もうやめて……」

 泣きじゃくりながら日和は誰にともなく懇願こんがんする。狷を傷付けているのは間違いなく自分だ。だって、三珠は自分なのだ。意思とは関係なく動くのは己の力。それすら自分の思うように操れないなんて。これまでは守った気になっていただけだったのだ。三珠の力を操った気になっていた。思い上がっていた。それは間違いだった。

「ごめ……、ごめんなさい……っ」

 言葉が溢れる。その言葉を聞いた狷が眉をしかめたまま目を細めた。

「……謝るくらいなら、お前で何とかしてみろ……っ」
「っでも、どうしたら」
「考えろ! お前は自分の意思もないのか!」

 叫ぶ狷に日和ははっと目をみはった。この結界と蔓は自分を守るものだ。ならどうして狷を襲うのか。それは、一度でも彼をだと思ってしまったから。刃物を向けられた時、彼を自分を傷付ける対象と捉えてしまった。だから三珠は狷から身を守ろうとしている、のかもしれない。

「お願い、もうやめて!」

——彼は私の友達、仲間だ。そう願いを込めて、日和は今一度声を張り上げた。すると、それまで蠢いていた蔓がぴたりと止まった。しん、と辺りが静まり返る。少しして、結界が薄れたかと思うと、蔓も結界と共に消えていった。木に縫いつけられていた狷は拘束から解放され、ずるりとその場に座り込んだ。結界から出られた日和は一目散に狷の元へ駆ける。

「狷ちゃ……っ」
「……」

 狷の脇腹は血で赤く染まっている。早く手当てをしないと。焦る日和は血を止めようと狷の傷に手を当てた。頭の上からくぐもった声が降ってきて、日和は慌てて手を離した。

「ご、ごめんなさい」
「……自分で治す」

 痛みを耐えているのか、狷は苦しげに呟いて脇腹に手をやった。魔法を使うのだろう。しかし、こんな傷付いた状態で傷を癒せるのだろうか。日和はぐっと唇を噛みしめると狷の手に自分の手を重ねた。狷は驚いたように目を丸くする。

「……何のつもりだ」
「私には傷を癒す魔法は使えないけど……こうしてると私も狷ちゃんの傷、治せる気がして」

 これはただの気休めにしかならないだろう。いや、気休めにもならないかもしれない。それでもいい。彼の傷に触れて、痛みを感じたい。そうしないといけないような気がしたのだ。日和は目を閉じる。その時、狷はまた目を見開いた。

「……そのまま続けろ」
「え……」
「……傷の治癒が早くなっている」
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