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最終話 遺手

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 病室に入ってきた爽やかな風に顔を撫でられて目を開ける。

「起きたか、父さん」

 どうやら、入ってきたのは風だけではなかった。
 最愛の息子、凛太郎がいた。

「りん、たろう・・・」

 椅子に座っていた凛太郎は俺の声に反応して、少し前のめりになって顔を見せてくれる。

「今日は・・・タイトル戦だったろう」

 俺の言葉が意外だったのか、凛太郎は一瞬びっくりした顔をしたが心外だ。
 
「こんなところで油を売っていちゃいかんだろうが」

 俺はぶっきらぼうに伝える。
 俺はどんなに具合が悪くたって、凛太郎の大事な日を忘れるはずがない。
 凛太郎は俺の唯一の生きがいなんだから。

「あぁ、そうだよ。だから、僕を負かした男にリベンジしてから行こうと思って。勝ち逃げは許さないよ」

 微笑みながら凛太郎が俺に話しかける。

「はっはっはっ。面白い冗談だ、凛太郎」

 凛太郎は机の上に安っぽい将棋盤を置き、駒を並べ始める。

「全く、育児から逃げるわ、息子に勝ったと思ったら、竜王戦からは体調不良を理由に逃げるわ、ほっておくとすぐ逃げるんだから」

「あぁ・・・そうだな」

 あの対局、あのインタビューで 凛太郎は一人でももう大丈夫だとわかった。

 それに、あの対局は俺の集大成。あんな将棋をもう一度やれと言われても二度とできる気がしなかったし、俺は満足してしまったのだ。

 そして、あとは凛太郎に任せようと心の底から思ってしまった俺は、そこから身体も心も頑張り過ぎた反動のように悪化してしまったのだ。

「さぁ、並べたよ、父さんからどうぞ」

 目を閉じる。まだ、見ていたい。
 この子の棋士としての勇ましい姿を。

「凛太郎」

「何?」

「お前は一手を指せば、勝敗がわかるって言っていたな」

「う~ん、だいたいね」

 俺はベットから体を起こす。

「どうしたんだよ」

「負けました」

「は?」

 困惑する凛太郎。

「俺は・・・打つ前に見えた。勝敗までの手筋が見えた」

 凛太郎はじーっと、俺を見る。

「それとな、お前が七冠・・・達成して笑っているのが見えたよ」

「それ、父さんの願望だろ?」

「そうかもな」

 俺は満面の笑みで笑った。

 目を閉じて、体をベットに預ける。

 だんだんと、足や手の指先が自分の指示の及ばないものへとなっていく、そして、暗い、暗い闇の中へ意識が沈んでいく。

 遠くから声がした。
「父さん、叶えてくるから」

 重い瞼を開けると、俺が答えるよりも先に凛太郎は歩き出していた。

「あぁ、お前ならできる。凛太郎・・・行ってこい」

 頼りになる背中の凛太郎が一歩、また一歩と、朧げだが、確かに明るい方へと歩き出す姿が見えた。

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みんなの感想(1件)

研田千響
2022.09.17 研田千響

将棋は打つでなく、指す、ですよ。

西東友一
2022.09.17 西東友一

西山輝音様
お読みいただきありがとうございます。
嬉しいです。

御指摘のとおりです。
書いていて、他の文言との兼ね合いを考えた時にわかりづらくなるので打つにした気がします。

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