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我々を引き裂くナイフがあろうか  ヤンデレ×あの子 (注 死ネタとなります)

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「君の好きにして?」

そう言って優しく羽根を扱うように丁寧に渡してきたのは、とても羽根とはかけ離れた冷たくてずしりと重い刃物だった。

目の前の男はにこやかに笑っている。
この男はいつもそうだった。
私が閉じ込められてからもずっと。
嫌がろうと暴れようと男はどこまでもにこにこと笑う。


震える手で私はその刃物を構える。
刃渡りの大きい刃物なんて、包丁くらいしか触ったことがないのに、手の中でギラリと銀色に光を放つ刃物ははるかに大きい。

ごくりと生唾を飲んで、私は勢いよく刃物を振りかざした。



お腹が燃えるように熱く、激しく脈打っている。

さようなら、お父さんお母さん。
笑った家族や友人の顔が浮かび上がってくる。
贅沢な人生ではなかった。
けれど、幸せであったとは思う。

腹部からどくどくと流れる真っ赤な血を他人事のようにぼうっと眺める。
この血の量なら、死ぬことができる。
安堵にも似た気持ちだ。

きっと、こうして自分で自分に手を掛けた私は天国なんかには行けないんだろうな、とぼんやり考えた。
それでも、このままこうして目の前の男と生涯一緒にいることなんて、地獄に逝くよりも苦痛だと思った。

掠れていく目が男を捉える。
大きな声を上げて、私の名前を呼んで縋りついてくる。
男は泣きながら、必死に何かを叫んでいるように見えたが、何を叫んでいるかはわからない。

何を泣いているの。
泣きたいのは私の方だというのに。

「君の好きにして?」と言ったのはそっちじゃない。

だから、私は男に渡された刃物で自分のお腹を刺した。

音という音が消え失せて、もう何も聞こえない。
けれど、もうこれで良い。

死に際に思ったのは、生への願望でも、家族への再開でも、友人との惜別でもない。

二度とこの男と会いませんように。


たったそのひとつだった。


   *


「いやだ、いやだっ!置いていかないでっ!!」

必死になって叫んだけれど、彼女は目を覚まさない。
名前を呼ぼうと、泣いて縋ろうと、二度と起きない。

彼女の白い肌がもっと白くなった。

彼女にナイフを持たせたのは、ほんの出来心だった。

試したのだ、彼女を。

殺すなら殺してほしかった。
俺が傷つけられても、最愛の人につけられた傷なら嬉しいと思えた。
もし、俺を傷つけるのを嫌がったとしても、俺に少しでも同情してくれてると思いたかった。

なのに、なのに。
彼女は自分自身を刺した。

そんなこと思いもしなかった。

彼女が握っていたナイフは床に落ちている。
真っ赤な血糊がついて、刃の銀色など見えない。ふらふらと歩いてそのナイフを手に取る。

苦しかったろうに…
痛かったろうに…


動かない最愛の人を見る。
ボタボタと涙が溢れてきた。

「ごめんね、本当にごめんなさい…」

まるで母親に赦しを乞う子供のように、ただただ彼女の名前を呼んで号泣した。

謝ったって赦してもらえるわけがないのに。
でも、それでも絶対に離してあげられない。

「ねぇ、独りにしないで…俺も連れて逝ってよ…」

彼女がしたように、俺も何度も腹部にナイフ突き立てた。

腹部からは夥しい量の血が出る。
床には彼女の血と俺の血が溶け合うように混じっていく。

思わず笑いが込み上げた。

「すぐに俺も…傍にいくか…ら」

彼女が堕ちるなら俺も一緒に。
俺だけが堕ちるなら彼女も道連れに。

崩れるように倒れていく俺の身体は、彼女を求めた。
手繰り寄せるように彼女の手を握り混む。

あぁ、そういえば君と手を繋げたことは一度もなかったな。

もう叶わないことを思いながら、目を瞑る。

握った彼女の手は、少しだけ温もりが残っていた。



 
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