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昇降機と妊婦と魔術士。

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 ギィは「帰ってきたら蛙の唐揚げを作ってくれ」と言って旅立った。そう言えば、なんだかんだでお城に来てからは料理をしていない。ギィにご飯を作ってあげる約束で居候させてもらってたのに、厨房の場所すら知らない。

 シュウさんに聞いたら、仕事として厨房に入るのはダメだけど、貴人が趣味や家族に振る舞うために料理をすることはあるんだって。どちらかと言うと特技の部類に入るので、お菓子作りの上手な令嬢などは求婚者が群がるらしい。

「お茶会などで料理人が作った菓子に紛れされて、焼き菓子を一品入れておくだけで株が上がります」
「それって、自分で作ったことにしちゃうご令嬢もいるんじゃない?」
「ふふふ、まぁバレますけれどね」

 シュウさんが意味深に笑った。

「そろそろ治癒士殿がお見えですよ」
「じゃあ、昇降機まで迎えにいこう」

 サーヤさんは慣れているから平気だと笑うけど、俺の心臓が保たない。足元が見えにくいお腹の大きい人が、腰高の柵しかない昇降機にひとりで乗るだなんて、考えるだけで背筋が凍る。

 昇降機で一階のホールまで降りると、ちょうどサーヤさんが勝手口みたいなところから入ってくるところだった。大きな正面玄関の扉のよこに、ちょこんと小さな扉があるんだ。観音開きの大きすぎる扉は大袈裟なお客様を招くときや、大公様が公式な外出で典礼に則らないといけないときしか開かないんだって。理由を聞いたら大きくて重たいから面倒臭いって言われた。もちろん、ギィだ。

「こんにちは、サーヤさん」
「お招きありがとう。本当にご厄介になってもいいの?」

 サーヤさんはお泊まりセットが入っているだろう荷物を示して、申し訳なさそうにした。

「俺だって居候です。ギィがそうしてもらえって言ったんだから、俺がサーヤさんを追い出したら叱られちゃう」
「いや、ギィは絶対ルンちゃんのことは叱らないと思う」
「あはは、まさか!⋯⋯むっ」

 笑いながらサーヤさんの荷物を持ち上げようとして失敗した。妊婦さんに重いものを持たせちゃダメだと思って手を出したけど、見た目よりずっと重かった。すぐにシュウさんが手を挙げてどこかに合図をすると、女中さんが三人出てきて荷物を持ち上げた。⋯⋯女の人の腕力に敵わない。俺より背も高いけど。なんなら肩もしっかりしている。家具のサイズから考えて、彼女たちは標準だと思うけど。

「荷物はお部屋に運ばせますから、月の間でご歓談を」

 シュウさんがにっこり笑った。

 この城砦、内部は十七層になっていて、地上部分は十五層あるんだって。正面の玄関ホールから九層階まで行き来する昇降機が一台。これは使用人は使わない。奥向きに一階ごとしか行き来出来ない昇降機が各階ごとにあるらしい。階段も一気には登れなくなっている。攻められたときには直通の昇降機から魔石を抜いてしまう。そうすると敵は上層に登り難くなるらしい。

「敵の侵入は阻んでくれるけど、避難経路はどうなってるんだろう?」

 非常口とか教えてもらわないとな。昇降機に乗って内側にサーヤさんに立ってもらって、ぎゅっと柵を握る。ギィが帰ってきたら、ハーネスを提案してみよう。それか、柵をもっと高くするとか。

 なんて思っていたら、昇降機がガクンと揺れて止まった。非常ベル⋯⋯なんて、ないよね!

「サーヤさん、しゃがんで!」
 
 様子を見ようと柵から身を乗り出そうとしたサーヤさんを引っ張ってしゃがませると、上から覆い被さる。

「お腹苦しいかもしれないけど、ちょっとだけ我慢してね。シュウさん、一番近い階層にはどのくらいかな」
「わたしひとりなら飛び移れる程度ですが、下が騒がしいですね。玄関ホールに敵襲です」
「えええぇ⁈ 仕掛けてくるならギィが引き返せないくらい進んだ8日後以降だって言ってなかった⁈」

 柵の隙間から下を見ていたシュウさんが眉を顰めた。階下からガツンとかバリンとか、工事現場みたいな音がする。古家の解体作業を思い出させるその音は、敵襲の音のようだ。

「⋯⋯魔術士同士がやりあってますね。片方はアロンのようです。おや、ジャンがヤンと一緒に駆けつけましたよ」

 シュウさんが淡々と実況中継してくれる。アロンさんとやらは知り合いなのかな?

「アロンはジャンの兄だよ」

 俺の下でサーヤさんが教えてくれた。

「今やりあってるのは、アロンの追手ってことだね。最悪だ、アロンの誘拐が塔にバレたら色々面倒くさいことになるじゃないか」

 ブツブツ文句を言うサーヤさんは、眉をちょっと寄せてお腹をさすり始めた。

「ちょっと張ってきたか?」

 なんて呟くから、ドキドキが止まらない。

「大丈夫だよ、赤ちゃん。下にいるお兄ちゃんたちが、怖い人をやっつけてくれるからね」
「ルンちゃんはいい子だね。僕を励ますんじゃなくて赤ちゃんを励ますなんて、可愛いなぁ。ヤンとジャンが来たなら大丈夫だよ。彼らは対魔術士戦も得意だから」

 そうだった。サーヤさんは普段は治癒士として傭兵団に偽装した私兵団と一緒に戦場にも出てるんだっけ。俺より全然荒事に免疫がある。

「あぁ、終わりました。アロンが少し汚れてますが怪我はしてないみたいですね」

 シュウさんの声から緊張が消えた。安心してサーヤさんの上から退けると、今更ながら恐怖で膝がガクガクした。ふらついて危なかったからそのまま床に座り込んだ。下の騒動は終わったみたいだけど、昇降機は変な位置で止まったままだ。

「降りて現場の確認をしますか?」
「ううん、部屋に帰ろう。サーヤさん、お腹が張ってるなら早く温かいところで休まなきゃ」
「なるほどねぇ、こんな感じでなんにも考えずにコニー様を助けたんだ。こんなに小さな身体で、僕と赤ちゃんを守ろうとしてくれてありがとう」
「本当に、ビン様は当然としてルン様も素晴らしい聖者でいらっしゃる。お側に仕えさせていただけて光栄でございます」

 は? え? ちょっと待って! なんか凄い恭しく頭を下げられてるんだけど⁈ 

 言葉が出てこなくてあわあわと口を開けて閉めてを繰り返していたら、ガクンと揺れて昇降機が再び上昇を始めた。俺とサーヤさんは床に座っているしシュウさんは跪いているから転んだりする人はいなかったけど、唐突すぎて驚いた。

 しばらくして目的の階層に到着すると、昇降機の外から引き戸が開けられて、無事に廊下に出ることが出来た。

 まずは月の間の居間でサーヤさんに座ってもらって、ようやくひと心地ついた。なんならソファーの上に脚を投げ出して、寝そべってくれてもいい。

 程なくして家宰のキノさんから遣いが来て、アロンさんの枷を外すのにミヤビンの力を貸して欲しいと言ってきた。一応俺が保護者だから、ミヤビンになにかさせたいときは俺に知らせてくれる。無茶なことは言われないから断ったことはないけど。ここのお城の人たちのことは信用してるからね。

「枷?」
「魔術士の塔で飼い殺されてたんですよ。まぁ、ろくな目にはあってないでしょう」
「おおかた、魔力を封じられたりしてるんじゃない?」

 アロンさん、大丈夫かな。

「ビンちゃんにはすぐ知らせるけど、お風呂とかご飯とか、足りてるかな。先に一眠りしたほうがよければそれに合わせるよ」
「出来れば今すぐに」
「わかりました」

 座ったばかりだけど出かけるために立ち上がる。

「サーヤさんは、休んでて」
「治癒士が必要かもしれない。力はあんまり使えないけど、知識はいくらでも出すよ」

 もっともな意見だったので、サーヤさんには後からゆっくり来るようにお願いしてミヤビンを呼びに花の間に行く。今日は算術の勉強って言ってた。九九の暗記が出来てるから楽勝らしい。

 花の間にはコニー君も居て、結局かなりの大人数でアロンさんに会いに行くことになった。また昇降機に乗って一階の玄関ホールまで降りる。柵越しに下を見たコニー君とミヤビンは、ひどい有様のホールを見て驚いた。降りるにつれて燻った焦げの臭いがして、火の出る武器でも使ったのかと背中に冷たい汗が伝った。

「うるさい~」
「この音はなに?」

 ちびっ子ふたりが眉を顰めて耳を塞いだ。フィーさんは首を傾げていて、リリーさんは怪訝な表情カオをしている。

 ホールにはジャンが長いローブを着たおじさんをロープで後ろ手に縛っていて、口には猿轡が噛ませられていた。

「自死の防止と呪文を唱えさせないためです」

 シュウさんが耳打ちしてくれた。魔術士は捕縛したらまずは口を封じるのが定石セオリーなんだって。

「ルン兄ちゃん、あの人からうるさい音がする」

 ミヤビンがホールの真ん中で頭を抱えて座り込んでいる人を指した。手のひらで耳を覆って、いやいやと首を振っている。

「モスキート音?」

 蚊が飛んでいるような音が、かすかに聞こえる気がする。特殊な周波数の音が流れているのかもしれない。モスキート音って大人より子どものほうが聞こえるって言うよね。フィーさんが聞こえなくて、リリーさんがなんとなく感じていて、俺がかすかに聞いてるって、当てはまってる気がする。

「ルン様、ビン様。お越しいただいてありがとうございます」

 上品な小父様っていう雰囲気のキノさんが寄って来て、頭を下げた。様をやめてくれって言っても聞いてくれない。

「ビン様の巨大な魔力をお借りして、集中阻害と魔力循環阻害、魔力封じの枷を破壊したいと」

 なんか色々つけられてるんだね。

「ビン。あの人はアロンさんって言ってね、ビンの魔法の先生なんだ。助けてあげよう」

 ミヤビンがこっくり頷いたので、キノさんの先導でアロンさんに近づく。コニー君はごく自然にミヤビンをエスコートしている。ギィがいたら俺もエスコートされていたんだろう。ナチュラルにスマートな王子様だ。

 アロンさんはヤンに支えられて、辛うじて座っていた。指輪や耳飾り、チョーカーみたいなの、とにかくたくさんアクセサリーをつけている。⋯⋯全部無骨で品のないデザインで原色でペイントされている。藪睨みしてくる目つきの悪さはともかく、せっかくのイケメンさんなのに似合ってない。好みに文句言うのもアレだけど。

「悪りぃ、うるさすぎて頭がおかしくなりそうなんだ。目つきが、怖いのは勘弁してくれ」

 アロンさんは脂汗を流しながら、ふっと意識を失った。
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