52 / 58
蛇の足的な。
遠い空。
しおりを挟む
夢の中でカリスマ主婦が微笑んでいる。美味しいものを食べてニコニコしている、ちょっとぽっちゃりした可愛い人だ。
『うふふ、美味しいは正義よね。美味しいものはみんなを幸せにしてくれるのよ。お料理は出来ないより出来たほうが楽しいわ。だからあなたも自分で困らない程度には、包丁を握っておきなさいな』
母さん。あなたは正しかった。俺は今、料理が出来ることがとても楽しくて嬉しい。
小学生のころから一緒にキッチンに立っていたように思う。最初に作ったのはカレーライスだったな。市販のルゥに中濃ソースとケチャップとチューブのニンニクを足したカレーは育ち盛りの俺の大好物で、嬉しくていっぱいおかわりをしてお腹を壊したんだ。
『カレーライスは逃げないわよ』
困ったように笑って、お白湯を飲ませてくれた母さん。俺はこの人を残してどうなったんだろう。高校卒業間近の雪のちらつく曇天の空をぼんやりと見上げながら、あぁ、コレは夢だなぁと思った。視界が滲んで前が見えなくなって、自分が泣いているんだなってどこか冷静に考えた。
「フィン、どうしたの?」
そっと揺り起こされて、目を開ける。リューイを真ん中に川の字で寝ていたリュシー様が、優しい声で囁いて俺の肩をそっと揺すっている。リューイを起こさないように小さな声だ。パチパチと瞬きすると、眦に溜まっていた涙が顳顬に向かって流れ落ちるのがわかった。
「ん⋯⋯母さんの、夢を見た」
「母御⋯⋯亡くなってまだ、半年も経たぬな」
リュシー様の親指の腹が、そっと涙を拭う。彼が思うのはパン屋の女将だろうな。カリスマ主婦は俺の胸の中だけにいる。
「料理が好きで、洗濯が好きで⋯⋯」
それから百円ショップ巡りも大好きで。ママ友たちと楽しそうに動画を撮っていたなぁ。
「生活するのに必死すぎて、夢も見る暇なかったのに。ここでは良くしてもらいすぎていて、気が抜けちゃったのかなぁ」
「気が抜けるほどに安心して暮らしてくれているのなら、これほど嬉しいことはない。でもそれが、辛いことを思い出す心の隙間になるのは困るな」
リュシー様は俺を促して、リューイが起きないようそっと寝台から起き上がった。居間のソファーに並んで座る。なんだかいつもより距離が近い。
「⋯⋯リュシー様だって、お父さんを亡くしたばかりじゃないですか」
パン屋の主人夫婦が事故で亡くなるちょっと前、前の王様⋯⋯つまり、リュシー様のお父さんが亡くなってるんだ。寂しいのはリュシー様も一緒じゃないか。俺の姉さんに酷いことをした前の王様は好きじゃないけど、リュシー様にとってはお父さんだ。そう思ったけど、リュシー様は曖昧な微苦笑を浮かべて首を振った。
「父とは疎遠だったし、母上の苦労を思えば安堵こそすれあまり悲しい気持ちは湧かないな。薄情な男だと、軽蔑するか?」
「⋯⋯ううん」
王様のリュシー様は柵が多すぎて、悲しみに浸っている暇なんかないんだろう。今日だって、朝から仕事がいっぱいある。
カーテンの向こうはまだほんのり明るくなった程度だけれど、目はすっかり覚めちゃった。せっかく時間があるんだから、仕事に励むリュシー様のために張り切って朝食を作ろうか。美味しいものはみんなを幸せにしてくれるから。
「朝ごはん、なにが食べたいですか?」
せっかくなのでリクエストを聞いてみた。保冷庫の中身と相談だけど、大抵なんでも作れるように常に食材はいっぱいだ。最初は使うかどうかわからないものを勿体無いと思ってたけど、お城の厨房と入れ替えたりしてるから廃棄はないと言われて安心した。
「卵が食べたいな」
「ふわふわのオムレツでも作ろうかな」
「それはいい。フィンのオムレツは絶品だからな」
「本当?」
「このオムレツは母御に教わったの?」
「うん」
リュシー様が嬉しそうに目を細めるのが嬉しい。
ねぇ、母さん。
あなたの教えは俺の人生を彩ってくれているだけじゃなく、リュシー様とリューイも喜ばせてくれているよ。ときどきあなたを思って泣くけれど、大抵は元気にやっているから、心配しないでほしいな⋯⋯。
男子高校生だったころは恥ずかしくて言えなかったけれど。
大好きだよ、母さん。
心の中でつぶやいて、バターを溶かしたフライパンに卵を流し込む。
ジュッ
カリスマ主婦のキッチンと同じ匂いがして、俺はますます嬉しくなった。
⁂ ⁂ ⁂ ⁂ ⁂
婚約するちょっと前くらいの時系列です。
⁂ ⁂ ⁂ ⁂ ⁂
拙作『カリスマ主婦の息子、王様を餌付けする。』は書籍化が進んでおります。決定いたしましたら12月11日(土)中に該当部分(本編の前半部分)を取り下げます。後半部分と番外編は残りますので、引き続きお楽しみいただけます。
皆様の応援の賜物でございます。本当にありがとうございます。
『うふふ、美味しいは正義よね。美味しいものはみんなを幸せにしてくれるのよ。お料理は出来ないより出来たほうが楽しいわ。だからあなたも自分で困らない程度には、包丁を握っておきなさいな』
母さん。あなたは正しかった。俺は今、料理が出来ることがとても楽しくて嬉しい。
小学生のころから一緒にキッチンに立っていたように思う。最初に作ったのはカレーライスだったな。市販のルゥに中濃ソースとケチャップとチューブのニンニクを足したカレーは育ち盛りの俺の大好物で、嬉しくていっぱいおかわりをしてお腹を壊したんだ。
『カレーライスは逃げないわよ』
困ったように笑って、お白湯を飲ませてくれた母さん。俺はこの人を残してどうなったんだろう。高校卒業間近の雪のちらつく曇天の空をぼんやりと見上げながら、あぁ、コレは夢だなぁと思った。視界が滲んで前が見えなくなって、自分が泣いているんだなってどこか冷静に考えた。
「フィン、どうしたの?」
そっと揺り起こされて、目を開ける。リューイを真ん中に川の字で寝ていたリュシー様が、優しい声で囁いて俺の肩をそっと揺すっている。リューイを起こさないように小さな声だ。パチパチと瞬きすると、眦に溜まっていた涙が顳顬に向かって流れ落ちるのがわかった。
「ん⋯⋯母さんの、夢を見た」
「母御⋯⋯亡くなってまだ、半年も経たぬな」
リュシー様の親指の腹が、そっと涙を拭う。彼が思うのはパン屋の女将だろうな。カリスマ主婦は俺の胸の中だけにいる。
「料理が好きで、洗濯が好きで⋯⋯」
それから百円ショップ巡りも大好きで。ママ友たちと楽しそうに動画を撮っていたなぁ。
「生活するのに必死すぎて、夢も見る暇なかったのに。ここでは良くしてもらいすぎていて、気が抜けちゃったのかなぁ」
「気が抜けるほどに安心して暮らしてくれているのなら、これほど嬉しいことはない。でもそれが、辛いことを思い出す心の隙間になるのは困るな」
リュシー様は俺を促して、リューイが起きないようそっと寝台から起き上がった。居間のソファーに並んで座る。なんだかいつもより距離が近い。
「⋯⋯リュシー様だって、お父さんを亡くしたばかりじゃないですか」
パン屋の主人夫婦が事故で亡くなるちょっと前、前の王様⋯⋯つまり、リュシー様のお父さんが亡くなってるんだ。寂しいのはリュシー様も一緒じゃないか。俺の姉さんに酷いことをした前の王様は好きじゃないけど、リュシー様にとってはお父さんだ。そう思ったけど、リュシー様は曖昧な微苦笑を浮かべて首を振った。
「父とは疎遠だったし、母上の苦労を思えば安堵こそすれあまり悲しい気持ちは湧かないな。薄情な男だと、軽蔑するか?」
「⋯⋯ううん」
王様のリュシー様は柵が多すぎて、悲しみに浸っている暇なんかないんだろう。今日だって、朝から仕事がいっぱいある。
カーテンの向こうはまだほんのり明るくなった程度だけれど、目はすっかり覚めちゃった。せっかく時間があるんだから、仕事に励むリュシー様のために張り切って朝食を作ろうか。美味しいものはみんなを幸せにしてくれるから。
「朝ごはん、なにが食べたいですか?」
せっかくなのでリクエストを聞いてみた。保冷庫の中身と相談だけど、大抵なんでも作れるように常に食材はいっぱいだ。最初は使うかどうかわからないものを勿体無いと思ってたけど、お城の厨房と入れ替えたりしてるから廃棄はないと言われて安心した。
「卵が食べたいな」
「ふわふわのオムレツでも作ろうかな」
「それはいい。フィンのオムレツは絶品だからな」
「本当?」
「このオムレツは母御に教わったの?」
「うん」
リュシー様が嬉しそうに目を細めるのが嬉しい。
ねぇ、母さん。
あなたの教えは俺の人生を彩ってくれているだけじゃなく、リュシー様とリューイも喜ばせてくれているよ。ときどきあなたを思って泣くけれど、大抵は元気にやっているから、心配しないでほしいな⋯⋯。
男子高校生だったころは恥ずかしくて言えなかったけれど。
大好きだよ、母さん。
心の中でつぶやいて、バターを溶かしたフライパンに卵を流し込む。
ジュッ
カリスマ主婦のキッチンと同じ匂いがして、俺はますます嬉しくなった。
⁂ ⁂ ⁂ ⁂ ⁂
婚約するちょっと前くらいの時系列です。
⁂ ⁂ ⁂ ⁂ ⁂
拙作『カリスマ主婦の息子、王様を餌付けする。』は書籍化が進んでおります。決定いたしましたら12月11日(土)中に該当部分(本編の前半部分)を取り下げます。後半部分と番外編は残りますので、引き続きお楽しみいただけます。
皆様の応援の賜物でございます。本当にありがとうございます。
189
あなたにおすすめの小説
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
【本編完結】処刑台の元婚約者は無実でした~聖女に騙された元王太子が幸せになるまで~
TOY
BL
【本編完結・後日譚更新中】
公開処刑のその日、王太子メルドは元婚約者で“稀代の悪女”とされたレイチェルの最期を見届けようとしていた。
しかし「最後のお別れの挨拶」で現婚約者候補の“聖女”アリアの裏の顔を、偶然にも暴いてしまい……!?
王位継承権、婚約、信頼、すべてを失った王子のもとに残ったのは、幼馴染であり護衛騎士のケイ。
これは、聖女に騙され全てを失った王子と、その護衛騎士のちょっとズレた恋の物語。
※別で投稿している作品、
『物語によくいる「ざまぁされる王子」に転生したら』の全年齢版です。
設定と後半の展開が少し変わっています。
※後日譚を追加しました。
後日譚① レイチェル視点→メルド視点
後日譚② 王弟→王→ケイ視点
後日譚③ メルド視点
〈完結〉【書籍化・取り下げ予定】「他に愛するひとがいる」と言った旦那様が溺愛してくるのですが、そういうのは不要です
ごろごろみかん。
恋愛
「私には、他に愛するひとがいます」
「では、契約結婚といたしましょう」
そうして今の夫と結婚したシドローネ。
夫は、シドローネより四つも年下の若き騎士だ。
彼には愛するひとがいる。
それを理解した上で政略結婚を結んだはずだったのだが、だんだん夫の様子が変わり始めて……?
愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない
了承
BL
卒業パーティー。
皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。
青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。
皇子が目を向けた、その瞬間——。
「この瞬間だと思った。」
すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。
IFストーリーあり
誤字あれば報告お願いします!
公爵家の末っ子に転生しました〜出来損ないなので潔く退場しようとしたらうっかり溺愛されてしまった件について〜
上総啓
BL
公爵家の末っ子に転生したシルビオ。
体が弱く生まれて早々ぶっ倒れ、家族は見事に過保護ルートへと突き進んでしまった。
両親はめちゃくちゃ溺愛してくるし、超強い兄様はブラコンに育ち弟絶対守るマンに……。
せっかくファンタジーの世界に転生したんだから魔法も使えたり?と思ったら、我が家に代々伝わる上位氷魔法が俺にだけ使えない?
しかも俺に使える魔法は氷魔法じゃなく『神聖魔法』?というか『神聖魔法』を操れるのは神に選ばれた愛し子だけ……?
どうせ余命幾ばくもない出来損ないなら仕方ない、お荷物の僕はさっさと今世からも退場しよう……と思ってたのに?
偶然騎士たちを神聖魔法で救って、何故か天使と呼ばれて崇められたり。終いには帝国最強の狂血皇子に溺愛されて囲われちゃったり……いやいやちょっと待て。魔王様、主神様、まさかアンタらも?
……ってあれ、なんかめちゃくちゃ囲われてない??
―――
病弱ならどうせすぐ死ぬかー。ならちょっとばかし遊んでもいいよね?と自由にやってたら無駄に最強な奴らに溺愛されちゃってた受けの話。
※別名義で連載していた作品になります。
(名義を統合しこちらに移動することになりました)
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
希少なΩだと隠して生きてきた薬師は、視察に来た冷徹なα騎士団長に一瞬で見抜かれ「お前は俺の番だ」と帝都に連れ去られてしまう
水凪しおん
BL
「君は、今日から俺のものだ」
辺境の村で薬師として静かに暮らす青年カイリ。彼には誰にも言えない秘密があった。それは希少なΩ(オメガ)でありながら、その性を偽りβ(ベータ)として生きていること。
ある日、村を訪れたのは『帝国の氷盾』と畏れられる冷徹な騎士団総長、リアム。彼は最上級のα(アルファ)であり、カイリが必死に隠してきたΩの資質をいとも簡単に見抜いてしまう。
「お前のその特異な力を、帝国のために使え」
強引に帝都へ連れ去られ、リアムの屋敷で“偽りの主従関係”を結ぶことになったカイリ。冷たい命令とは裏腹に、リアムが時折見せる不器用な優しさと孤独を秘めた瞳に、カイリの心は次第に揺らいでいく。
しかし、カイリの持つ特別なフェロモンは帝国の覇権を揺るがす甘美な毒。やがて二人は、宮廷を渦巻く巨大な陰謀に巻き込まれていく――。
運命の番(つがい)に抗う不遇のΩと、愛を知らない最強α騎士。
偽りの関係から始まる、甘く切ない身分差ファンタジー・ラブ!
冷遇王妃はときめかない
あんど もあ
ファンタジー
幼いころから婚約していた彼と結婚して王妃になった私。
だが、陛下は側妃だけを溺愛し、私は白い結婚のまま離宮へ追いやられる…って何てラッキー! 国の事は陛下と側妃様に任せて、私はこのまま離宮で何の責任も無い楽な生活を!…と思っていたのに…。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。