ヤマトナデシコはじめました。

織緒こん

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 魔力を取り込む行為は、はっきり言って地獄だった。おれは魔力がない。だから外から魔力を受け入れると酔っぱらうのである。

 ブライトさまとしている時も酔っぱらうけど、あれ、媚薬効果じゃなかったみたい。お酒に酔っ払った状態で、気が大きくなったと言うか、何かの箍が外れてたんだなぁ、と分析する。

 ブライトさまの魔力が漏れるとき、その色は黄金色らしい。今じんわり漏れている魔硝石の魔力は虹の輝きなんだって。ぽかぽかとした心地よさはない。大きくて、内側から押し広げられる膨満感がひどい。やっぱり好きな人の魔力は特別なんだな。

 なんてぼーっと思うのは、絶賛酔っ払い中だからだ。おれはお酒は飲んだことないけど、お菓子のアルコールでふんわり酔ったことがある。それのひどい版。

 ロベルトさんと侍女さんトリオは魔女さまが消えてすぐ、岩城に蝶を飛ばして騎士さまを呼んできた。騎士さまはガゼボの側に天幕を張り、夜になって気温が下がる前に、動けないおれたちのために火を熾す準備をしてくれた。

 石畳に分厚いカーペットが敷かれて魔女さまの館からクッションが運ばれた。おれはカーペットに座って魔硝石を背もたれにし、洗面器を抱えている。げぇげぇ吐き戻すのが一段落すると、るぅ姉が口元を拭ってくれた。

 熱くて頭が痛い。胃がムカムカする。ダメだ、目まで回って来た。

『はーちゃん、ちょっと眠ろう』

 るぅ姉が洗面器をモーリンさんに渡しながら言った。モーリンさん、汚いもの片付けさせてごめんねぇ。心の中で謝って、うとうとする。いや、朦朧か? 最初に嘔吐した後で、すぐに医師の手配がされて、天幕で待機している。半刻(一時間)ごとに様子を見にきてくれるのが心強い。

 ガビーノ伯爵領に向かったヴァーリ団長から、ご領主さま宛に制圧の知らせを持った蝶が来た。伯爵と北の密使の身柄は王都に送られるんだって。細かいことは結界を張り直してからだ。

 西と南からは何度も蝶が来る。ブライトさまとステッラ副団長からだ。ふたりは状況も知らせてくるけど殆どが、おれとアルノルドさんへの励ましの言葉だ。アルノルドさんは森での戦闘を一時的に終えて、館に帰って来ている。

「ハリーさま、ユーリャと来たよ。モフってくれる?」

 アルノルドさんの声がしたので薄く目を開けると、魔狼のユーリャちゃんが黒い鼻を押しつけて来た。おれの左腕にはるぅ姉がくっついているので、右手を伸ばして喉をくすぐってやる。ユーリャちゃんがキュウンと鳴いた。

 侵入者は魔女さまが森から離れたのに気づいたのか、一旦退却したらしい。彼らはアルノルドさんが森の警邏に入ってから、何度かやりあったみたいだ。魔狼と魔熊に率いられた野生動物は、相手に恐怖を与えただろう。ただ昨日から動物が嫌がる臭いの煙を焚かれたので、退却はアルノルドさんにとっても助かったらしい。

「王都に戻ったら、いっぱいモフろうね。その前にジーンスワークで獣魔ちゃん連れてピクニックに行こうか」

「ジョエルは放っておいて、奥さま会で行こう。ルーリィさまももうすぐ奥さまだから良いよね」

「まだ決まってません!」

「最近のミカエレ殿、押せ押せだからすぐでしょ」

「押されてません!」

 焦ったるぅ姉、可愛いなぁ。

 ううっ、また吐きそう。

「洗面器⋯⋯」

 ユーリャちゃんがさっと避けてくれて、カナリーさんが新しい洗面器を顎の下に当ててくれた。吐きすぎて胃が空っぽだから、胃液しか出ない。喉が焼けてイガイガした。冷たい水で口を濯いで、口を拭いてもらう。

「ありがとう」

 お礼を言ったら、自分でもびっくりするほど弱々しい声だった。ヤバイ、まだ初日の昼過ぎだ。三日保つのか?

「ゼリーとかなら食べられる?」

「食べてみないと分かんない⋯⋯」

 何か口にしないと、脱水とかも怖い。

「ぼくは食べられるものを食べるから、るぅ姉たちはちゃんと食べて」

 おれから離れられないるぅ姉は、遠慮して昼食を摂っていない。でもそれじゃあ、いざと言う時動けない。アルノルドさんだって、またユーリャちゃんたちと出撃るんでしょ?

「腹が減っては戦はできぬ、だよ」

 侍女さんトリオが館から運んできてくれた食事は、一応おれの分もあった。やっぱり食べられなかったけど何種類かのフルーツのゼリーを試してみて、さっぱりしたレモン味だけ受け付けた。一口食べて残してしまった他のゼリーは、多分捨てられる。ばあちゃん、ごめん。食べ物を粗末にするなんてとってもよくないけど、今日だけは勘弁してください。

 天幕を張ってくれた騎士さま方は、ご領主さまの命で岩城に帰らずに見張りに立ってくれた。アルノルドさんと組んでいた騎士さまと魔術師さまもいるから、ロベルトさんと侍女さんトリオの負担が減った。

 騎士さまと見回りを交代したロベルトさんが、コンソメスープを魔法で凍らせて欠片を口に入れてくれた。

塩味えんみも少し、摂りましょうね」

 柔らかく微笑まれて、安心する。ロベルトさんには、落ちて来てからお世話になりっぱなしだ。言葉も教えてもらったし、熊からは助けてもらったし、命の恩人だねぇ。コンソメスープも冷たくて美味しい。

 頭がグラグラするし、相変わらずえづきは治らないけど、吐き気に慣れて来たころ、ユーリャちゃんがピクリと耳をたてた。ロベルトさんもふと表情を引き締めている。

「少し離れます。マーサを残しますよ」

 腰に下げたサーベルの柄を、チャリッと鳴らして立ち上がるのを見て、敵が近くまで来たことを知った。

「気をつけて」

「ご武運を」

 るぅ姉とふたり、カーペットに座り込んだままで見送る。

 モーリンさんは匕首あいくちのような短い刃物を逆手に両手持ちしていて、カナリーさんの手首には金属の輪っかが数個引っかかっていた。それ、外側に刃がついてない?

「小刀の二刀流に円月刀チャクラムか⋯⋯。完全に暗器ねぇ」

「お恥ずかしゅうございます。城の中では佩刀できませぬので、どうしても品のない仕込み武器になりますのよ」

 残ったマーサさんが照れ照れしながら言った。マシュマロ系の可愛い侍女さんなので、とても魅力的な仕草なんだけど、ふたりが暗器使いなら、マーサさんもきっとそうだよね⋯⋯。

「魔法は使わないのかしら?」

 るぅ姉の疑問はもっともだ。

「打撃系の魔法は手元が狂ったり跳ね返されたりすると、ガゼボに衝撃を与えかねないので使いません。ロベルト殿もカナリーたちも、強力な魔力持ちです。流れ弾が魔硝石に吸い込まれたらこと・・ですもの。向こうが撃ってきたらシールドくらいは張りますわ」

 マーサさんの解説はわかりやすい。魔導砲を打ち込まれるのと変わらないもんね。

 さわさわと緩やかな風が森の樹々を揺らす。なんの訓練も受けていないおれは殺気なども感じない。ただ、魔力飽和の膨満感と酩酊感、吐き気に頭痛、そんなものに翻弄されている。

 おれが三度水分を摂って、二度嘔吐したくらいの時間が過ぎて、ロベルトさんたちが帰ってきた。なんだろう、ロベルトさんが昼間に会っちゃいけないレベルでセクシーなんだけど。モーリンさんのキュロットの裾に点々と赤黒いシミも見える。

 陽が落ちて肌寒くなってくると、火が焚かれて毛布も増やされた。その頃にはもう座っていられなくて、寝そべって背中や足を行儀悪く真硝石に接触させている。眠っているうちに寝返りで魔硝石から離れないように、絶えず誰かがおれを見ていた。

 るぅ姉は小さな子供を寝かしつけるように、手を握ってトントンしてくれている。

 寝たまま吐くのが至難の技だった。起き上がれないから首を横に捻って、頬を伝うように洗面器に吐瀉物を流し込む。酸っぱ苦い胃液が気持ち悪いのに、口を濯ぐのもままならない。胃酸で頬がかぶれて口の端が切れた。意味もなく涙が出る。

「『点滴』があれば、脱水を避けられるのに⋯⋯」

 るぅ姉、無い物ねだりだよ。医師はいるけど点滴はない。現代医療ならこれだけ嘔吐を繰り返す患者に経口での栄養摂取はしないだろう。嘔吐が止まるまで完全絶食が妥当だけど、点滴がない状態でそんなことをすれば、脱水症状に陥って、痙攣を起こした挙句にあの世行きだ。

「もどきだけどスポドリ舐めて」

 柑橘系果汁に砂糖と塩を混ぜて水で薄くした物を、ガーゼに含ませて口に運んでくれる。たまに凍らせてくれるのも嬉しい。

 向こうから狼の遠吠えが聞こえる。煙の臭い⋯⋯うぇっ、吐き気を誘発する臭いだ。樹々がこすれる音、金属の弾く音。

 とろとろ微睡んで意識を取り戻すたびに、景色が変わる。オレンジ色の篝火と薄紫の夜明け。午前中の輝く日差しに午後の陽だまり。そして、降りてくる夜の帳。

 目まぐるしく時間が過ぎていく。

 失神してるのか、おれ。

 今は目が覚めているのか、るぅ姉の瞳が不安げに揺れているのが見える。それとも夢か? いつも清潔なロベルトさんの服が、なんかよれてる。髪も乱れてちょっと漢らしいかも。⋯⋯やっぱ夢だな。ロベルトさんは漢らしいより女王さまだもんね。

 あ⋯⋯また、目の前が真っ暗になる。

 ハッと目が覚めた。寝てた、完全に。なんだ、なんだ? るぅ姉、なんでおれの上に覆いかぶさってんの⁈

 びょうびょうと音を立てて風が吹き荒び、クッションと衝立が飛んだ。おれが寝そべっているカーペットも風を孕んで巻き上がろうとしている。

「マーサッ、魔法使って!」

「かしこまりましたッ」

 るぅ姉の懇願にマーサさんの声が重なって直後、ロープに絡められて魔硝石に括り付けられた。束の間るぅ姉と引き剥がされて膨満感が増した上、ロープに胃を圧迫されてえづきに苦しむ。もう吐けなくて、ただ苦しいだけだった。

「ごめん、はーちゃん!」

 すぐにるぅ姉がおれの体に触れてくれた。

 気付くと巻きついているロープは植物の蔦だった。木の魔法使いのマーサさんが、風に吹き飛ばされないようにしてくれたんだ。

「ハリーさま、しばらくのご辛抱です」

 何が起こっているのか霞む目を凝らすと、ロベルトさんたちとシュザネットの騎士さまたちが、剣を手にして敵と打ち合っていた。後ろの方からエネルギー弾が撃ち込まれていて、水の壁や氷の壁が相殺しては消えている。

 あのエネルギー弾、火の魔法なのかなぁ。

「ガゼボの四方結界が弛んでいます。支柱に亀裂が⋯⋯。魔力は通しませんが、風や雨は排除の対象ではないので通してしまうんです」

「相手も必死ね! 親玉捕まったんでしょ! いい加減諦めなさいよ!」

「⋯⋯密使は親玉ではありませんわ。本国に本物の大親玉がいて、逆らえないのでしょう」

「どちくしょう!」

 るぅ姉、ちくしょうなんてロベルトさんが聞いたら怒るよ。

 あぁ、ほらロベルトさんが舞ってる。モーリンさん、すごいスピード。カナリーさんのは忍者が使う武器みたい。ユーリャちゃんとエリシャちゃん、さすがに頭齧るのは相手がかわいそうかも。

 ⋯⋯ブライトさまは、どんなふうに剣を振るうんだろう。

「はーちゃんの呼吸が浅いわ。マーサ、蔦を弛められる?」

「ではルーリィさま、しっかり支えてくださいませ」

 すぐ近くにいるのに、るぅ姉の声が遠い。

 あぁ、今。無性にブライトさまの声が聞きたい。寝て起きたら、ブライトさまに会えるかなぁ⋯⋯。

「玻璃!」

 ドオオーーーンッ!

 くっつきかけた目蓋が、パチンと紫電を弾いた。目の前に、輝く黄金の髪と深い藍色の瞳。ブライトさまだ。

 夢?

「ぼくの輝ける黄金の獅子⋯⋯」

 胃酸で灼けた喉は、かすれた声しか出せなかった。顔は涙と汗、涎でドロドロで百年の恋も冷める有様なのに。

「よく頑張ったね。もう大丈夫。魔力を少し抜くよ」

 ブライトさまが安堵の笑みを浮かべて、涙を唇で拭ってくれた。

 それから、おれの口を大きく覆って、舌を絡める深い口づけが落とされた。ベタベタに汚れた口内をかき混ぜられて、申し訳なさと羞恥が溢れた。濡れた粘膜を通じて、体内で燻っている熱いうねりが引き出されているのが分かる。

 最後にクチュリと音を立てて舌が引き抜かれると、膨満感が和らいで、呼吸が随分楽になっていた。吐き気は抜けないけど、息ができるだけで充分だ。

 夢じゃない、本物のブライトさまだ。西の結界石、出来たんだ。

 体が楽になると、森の喧騒も耳に入ってくる。死に物狂いで戦う人々の怒号も、剣を打ち付け合う音も生々しい。

「大丈夫、すぐに終わるよ。行ってくる。ルーリィ嬢、もうしばらく玻璃を頼むよ」

 最後に一度、顳顬こめかみにキスを落として、ブライトさまは風のように去っていった。すぐに高々と氷の壁がそびえ立ち、その向こうで紫の紫電がはじけた。ブライトさまが加わったことでロベルトさんがシールドに専念できるようになったんだ。と言うことは、ガゼボのことは気にせずに、魔法がぶっぱなせるってことだ。

『おねーちゃんは、悲しい⋯⋯。可愛い弟が、エロ王子の餌食になっている』

 ぎゃあ! そうだよ、るぅ姉がいたんだよ! おれの魔力の器を拡張するために、ずっと体の一部を接触させてたんだよ! 至近距離で見られた! あれ、マーサさんもいるんじゃね?

 ⋯⋯マーサさん、サムズアップは行儀悪いと思う。

 なんて気が抜けたら、また吐き気が復活した。さっきまで最悪に具合が悪すぎて、吐き気ごとき大したことない気になっていたのに、少し楽になったら酩酊感が揺り戻ってきた。

 ガゼボごと氷の壁で覆われたので、風が止んでいる。マーサさんに蔦を外してもらって、魔硝石を背もたれがわりに座り込んだ。

 それと時をほぼ同じくして、ドーーンと雷が落ちる音がした。

 そして静寂。

「⋯⋯終わりはあっけないのね」

 るぅ姉が呟いたのを聞いたあと、おれの意識は再び闇に呑まれた。ブライトさまが連れてきてくれた闇は、眠りに誘う優しい闇だった。
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