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第25話 せっかくだからBルートを選んでみる。

Chapter-40

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「アルヴィン様、緊急の伝書が届いておりますが」
「緊急の伝書?」

 晩夏に入ったある日。
 それは唐突にやってきた。

「内容は?」
「ええ、それが領主の判断でなければ開いてはならない、というものでして」

 俺が問い返すと、アイザックは困惑したようにそう言った。

「領主の判断でなければ開いてはならない……」

 それは、皇帝陛下からの勅書か、それに匹敵するほどの重要文書ということだ。

 この時点で嫌な予感はした。
 そして、その予感は正しかった。

 革の伝書袋から取り出した書簡には、俺の予感した通りの内容が書かれていた。

「来たか……」

 俺は執務机の椅子から立ち上がり、窓の外を眺める。

 ここ2ヶ月の間も、領地運営は順調だったと思う。
 灌漑設備の充実、農地の拡大と生理、塩田の拡大とアル・ソルの生産拡充の準備、移住してきたデミ・ドワーフのアクアビット醸造の定着化、まだ結果が出るのは先だが、期待できるものばかりだ。

 だから、それはせめて、もう1年、いや半年先であれば、と思わずにいられなかった。
 そうすれば、俺がいなくてもこの領地は少なくともやっていける。

「すまないが、少し考えたい。いや、結論はもう出ているんだがな」
「結論は出ている、ですか」
「ああ、拒否する、だ」
「よろしいのですか?」

 俺の答えに、アイザックは軽く驚いたように訊き返す。

「その点は大丈夫だろう。元々、新興のうちの領地そのものには期待してはいないだろう。準備などできているわけがないからな。形式上のものと、ローチ伯爵への牽制も含まれてるだろうな」
「なるほど」

 アイザックはしかし、重い口調でそう言った。

「すまない……しばらく、1人に……してくれないか、考えたいんだ」
「…………それほど、重要なことなんですか?」

 俺の重々しい口調に、アイザックも詰まるような重い声で訊き返してくる。

「今はまだ小競り合いだ。当事者は誰も彼もそう思い込んでる。それで済めばそれに越したことはない。だが、……俺みたいな新参領主にこんな書簡が飛んでくる時点で、大事になり得る事は予想できるだろ」

「そう、ですね」

 アイザックが全てを理解できているわけではないだろう。
 だが、俺の言葉の重みはなんとなく理解しているはずだ。

「1人で……いや、そうだな……エミを呼んでくれるか」
「わかりました。それ以外は、人払いということですね」

 アイザックの言葉に、俺はわずかに振り返って、頷いた。

「ああ、それから」

 俺は、出ていきかけたアイザックに、一言、付け加えた。

「アイリスのそばにいてやってくれ」
「アルヴィン様、しかし」
「力のない彼女には、庇護が必要だ」

 少し後ろめたさを感じているのか、戸惑いの様子を見せたアイザックだったが、俺は少し強い調子でそう言った。

 アイザックが出ていって、しばらくすると、エミが、執務室に入ってきた。

「アルヴィン、どうしたの?」

 俺は、執務机の椅子に座って、肘をついて組んだ手で額を支えるようにしていた。

「こんな勅令書が届いた」

 俺は、机の上で差し出し、エミにそれを見るように促した。
 エミは、それを見た。

「!」

 エミも、それに目を通して、驚愕する。
 沈黙しながらも、表情を凍らせる、彼女らしい驚き方だ。

「こんなもの……私に見せて、良かったの?」
「見せられるのは、お前と姉弟子ぐらいだ」

 エミの問いかけに、俺はそう答えた。

 姉弟子を呼ばなかった理由は、姉弟子も同じ決断を迫られているだろうということ、それに俺が干渉するべきではないと感じたこと、そして、姉弟子だと甘えすぎてしまうということ。

 もっとも、エミを呼んだ時点で俺が甘ったれていることは解っている。
 いつも冷静な彼女の声を聞きたかった。
 キャロを呼んで取り乱してもらってもしょうがない。
 ミーラなら俺の判断に異議を唱えるかもしれない、それも怖い。

「この内容、ローチ伯爵はどう動くと思う?」
「出兵の準備はする。でも帝都に乗り込むのはまだ」

 エミはそう言った。

「理由は?」
「アルヴィンなら、説明しなくても解るはず」
「そうか……そうだよな」

 確かに、陛下の勅令書だ。
 だが、陛下が本心からこれを望んで書いたとは思えない。

 兵団を挙げ、帝都の治安維持に協力せよ。

 領地から帝都に兵団を送れだと!?
 しかも治安維持の為に!?

 いかに軍事統帥権の中央集権化と、警察権と軍事の分離が、なされていないとは言え、皇帝のもとにも直轄の近衛兵団がある。それなりの規模だ。

 想定される理由は3つ。
 ひとつ、近衛兵団を動かす、つまり陛下の手を穢すわけにはいかない状況である。
 ひとつ、近衛兵団だけでは対処不可能な状況に陥りかけている。
 ひとつ、地方の領主が、帝国中央と対立している陣営と協調しないための予防策をとる必要がある。

「帝都でなにが起きているの」

 エミが訊いてきた。
 当然の疑問だろう。

「俺もまだ推測でしかない。だが確信に近い」

 俺は、そう予防線を張ってから、言う。

「食料と日用品の、価格の高騰に対して民衆の不満が高まっている」

 数ヶ月前、エズラが言っていた。
 食料と日用品の価格が上がっていると。

「それで不満が高まるのは解る……でもあの陛下がそれを暴力で押さえつけるとは考えにくい」
「エミ……お前は」

 俺は一瞬、パラドックスを感じた。
 陛下との茶会に参加したのはキャロだ。エミじゃない。

 いや……一度は会っているのか。
 竜騎勲章を受勲したときだ。

 あの時、姉弟子から陛下の性格を説明もされていたはず。

「それで、アルヴィンはどうするの?」
「それは」
「待って!」

 訊ねてきたエミだったが、俺が答えようとすると、逆に制してきた。

「その答えは多分、私だけが聞いて良いものではないと思う」

 まったく、エミは本当に、直感的に鋭いところをついてくる。

「そうだな」



 俺は、キャロとミーラも執務室に呼んだ。それと、アイザックとアイリスも。

 姉弟子がいない。おそらく自分も領主の1人として、判断を迫られる事態になっているのだろう。
 と言っても、姉弟子の領地では兵団と言ってもせいぜい自警団レベルだ。兵団の招聘までかかっているとは思えないが。

 なんのかんのと普段精神的支柱にしているものだから、姉弟子がいないことに少し不安を感じつつも、話を始める。

 まず、先程エミに行った、俺が推測する帝都の現状を説明する。

「ですが」

 異論を唱えたのは、やはりミーラだった。

「そうであれば、陛下が帝都民の不満を和らげる策を講じるはずです」
「食料に関しては備蓄の放出で一時的に市場価格を下げることは可能だろう。だが日用品に関しては近衛兵団のものを転用するにしても限界はかなり近いはずだ」

「どうして、この暑い時期にやるのかしら」
「この時期だからだ」

 キャロが少しうんざりしたように言うが、俺は即答する。

 これまでにも何度か説明してきたが、アドラーシールム帝国の主要生産穀物は主として小麦、補助として米だ。
 そして時期は米の収穫期が始まろうとしているところ。

 前世の日本であれば、直ちに米を流通に乗せることで食料を調達する事ができる。
 だが、それは可能な話だ。

 田んぼでの収穫から脱穀、精米、そして運送、全てが完了して帝都に届くまで、どんなに急いだとしてもあとひと月は必要だ。その量も限られる。
 全てを機械が瞬時に、かつ大規模にやってくれる、その体制インフラが整っている前世日本とは違うのだ。

 麦の次の収穫期までは4ヶ月ほどある。
 それが帝都に流通するようになるのは半年弱後のこと。
 つまり、

「今年生産された米の流通が始まる直前、小麦の収穫まではもうしばらくある。この時期が帝都でもっとも食料の価格が上がる時期なんだ」

「でもちょっとまって」

 俺の説明に、全員が息を呑むようにしたが、キャロがハッと気づいたように言う。

「そもそも食料の価格が上昇するにしても、それは今年に限ったことじゃないはずだわ」
「この世界にその理論がまだあるかどうか知らないが、所謂悪性インフレというやつだ」
「悪性インフレ?」
「俺も専門的な知識があるわけじゃないから具体的に説明するのは難しいんだが、原因なら解っている。法衣貴族を増やしすぎたんだ」

 陪臣レベルでいい役職にまで爵位を発行しすぎた。

「帝国は、直接生産に寄与しない法衣貴族の俸給を、保証しなければならない。その法衣貴族が増えすぎたことで、その俸給のために大量の通貨を発行して補っていたんだ」

 つまり、通貨供給量マネーサプライ過大なのだ。
 生産力が上がっているわけじゃないから、分けても第三次産業と小規模な第二次産業で成り立っている帝都では、物価に対する平民の所得がだんだん不足していくわけだ。

 一方で地方では、現に食糧や物資の生産をしている現場だから物不足になることはない。だが、技術の導入は遅れており、生活水準が帝都民より劣っていることに対する不満が出始めているはずだ。

「今年なのは、たまたまとしか言いようがない。けど、俺は、実を言うと、師匠のところにいた頃に、いずれこういう事態になりうることは想定していた」
「そんな以前から……?」

 ミーラが驚いたように言うが、俺は頷く。

「もともとシルム大金貨って、ゴルト金貨50枚って半端な額だろ? それっていうのも、あれは元々、先々代の皇帝の時に、記念貨幣としてつくられたものだったからなんだ。だが、物の価値が上昇して、それを日常的に使わざるを得なくなっているのが現状なんだ」

 師事する以前にそのことを知った時に変だなと思って、後々調べてみたらそう言う事実に行き着いたわけだ。

「それで、結果、どうなるの?」

 エミが訊いてきた。

 俺ですら楽観視していたフシがあるのかもしれない。
 それが起こりうる状況に、この国が踏み込んでいることを。
 陛下とのお茶会でも改革が必要なことは語った。
 だからなんとかなると思ってもいた。軟着陸できると。
 いや、今ですら、俺の推測が外れていてくれればとすら思う。
 何らかの怪奇が帝都で発生していて、そのために兵団が必要なのだと。
 それならばどれだけの……命が…………救われることか…………

だ」
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