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第1話 左文字朱鷺光の華麗なる日常

Chapter-06

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 ジュウジュウと音を立てながら、肉やら野菜やらが、脂落としの凸凹のついた鉄板の上で炙られていた。

「あー、それ、俺があっためてたやつ!」
「んなの通用するか! 早いもの勝ち」

 爽風が、焼色の充分についた牛カルビを自らの取皿に運んでしまうと、澄光が抗議するように声を上げた。

「ああもう、まだまだあるんだからどんどん食え、お前ら」

 朱鷺光が、しょうがないなと言ったような様子で言う。

 グリルスタンドの上に鉄板が置かれており、その下にマッチ点火のガスコンロが置かれて、鉄板を炙っている。カセットガスではなく、ガスホースが床のガスコンセントに伸びていた。
 長方形の鉄板に対してガスコンロは少し寄せて置かれており、温度の低い部分に焼き上がりが溜めておけるようにしている。
 ファイが立ったまま、次々と肉を鉄板の上に置いていくのだが、高校生3人は先を争って肉を取り合い、ご飯と一緒に口へと運んでいる。

「もう、爽風も澄光も、もう少し落ち着きなさいな。颯華ちゃんも」

 どこか穏やかな様子の女性、爽風と澄光の実母である雪子が、やはりしょうがないなといった感じでそう言った。

「そう言う雪子さんも、食べてます?」
「ええ、大丈夫よ?」

 朱鷺光が、気遣ってそう言うと、雪子は苦笑してそう答えた。

 朱鷺光にとっては、継母にあたる人物だが、歳がほとんど離れていないため、朱鷺光は“母親”とは呼べずにいる。
 とは言え、仲が悪いというわけでもなかった。

「ファイ、牛肉もいいけど豚カルビも行け豚カルビも」

 翌日が休日というのをいいことに、1日左文字家にいた弘介も、この焼肉の夕食に紛れ込んでいた。

 手製のチューハイを時折口に運びながら、焼肉を堪能している。

「いいねぇ、タン塩もいけよタン塩」

 朱鷺光も酒のコップをちびちびやりつつ、肉をとっては口に運んでいた。

 テーブルの上には、サントリー・レッドの2.7lボトルや紙パックのワイン専科の白、それにキリンレモンやらフルーツ系のソーダやらも並んでいる。

 朱鷺光曰く、
「酒を味わって飲むなら、ウィスキーなら白州か響、ワインなら甲州。酔っ払いたいならトリスかレッド、パックワイン」
 とのことで、国産にこだわりがあるものの、決してブランド志向がないというわけではないのだが、高級品はゆったりしながら飲むもの、騒ぎながら盛り上がるときの為の酒とは分けていた。

「はいはい」

 ファイは、忙しそうに、盛り皿からまだ生の肉を菜箸で取っては、鉄板の上に敷いていった。

「ワシの心配はせんの?」

 やはり焼肉鉄板のテーブルを囲んでいる光之進が、少し拗ねたような口調で、朱鷺光に言った。

「祖父さんは黙っててもきっちり食べるだろ」

 朱鷺光は、呆れたようにジトッとした視線を光之進に向けて、そう言った。

「お義父さんは、あまり飲みすぎないように注意してくださいね」

 雪子が、穏やかな笑みで、心配しているようにしつつも、追撃を入れる。

「おかわり!」

 爽風が、ご飯茶碗を掲げるようにしながらそう言った。
 オムリンがそれを受け取り、保温専用の電子ジャーを開けて、ご飯をよそる。

 ちなみにシータは、朱鷺光の作業部屋の片付けをしているところだった。
 というのも、シータが料理をすると大概が壊滅的なことになるため、台所には洗い物以外で立つことを禁止されている。
 準備されている肉を取り出すだけでも、そもそも冷蔵庫を開けるなと言われているのだ。

 R.Seriesの頭脳の主演算は、基本は据え置き型のコンピューターと同じノイマン型と言われるプログラム内蔵型コンピューターで、CPUのPrimergy/Mも既存のメインフレーム用のものをベースに設計されている。これでソフトウェア的に擬似ニューラルネットワークを形成している。

 ……のだが、この疑似ニューラルネットワークの生成はまず、パーソナリティーが構成されるまでメインフレームでデータベースをひたすら折り返すのだが、その段階で想定外の個性が付加されることがある。
 つまり、朱鷺光は“だいたいこういう性格”という方向性は決められるものの、出来上がったA.I.は変なクセを持つことがあるのだ。
 しかも、それを後から矯正するのは難しい。

 ともあれ、そんなわけでシータは台所出禁扱いになっているのだった。

「オムリン、俺にも飯」
「了解」

 朱鷺光が言うと、オムリンは少し大きめのご飯茶碗を取り出し、ご飯をよそりはじめた。

「にしても波田町教授にも困ったもんだなー、やられに来んのはいいけど、そのうち庭の塀だの植木だの傷つけたりしないだろうか」

 朱鷺光は、ご飯茶碗をオムリンから受け取りつつ、愚痴るようにそう言った。

「え、波田町のおっさん来てたの?」

 颯華が、朱鷺光の言葉に反応した。一瞬箸を動かす手を止めて、朱鷺光に訊ねる。

「ああ、例によって格闘用のロボット持ってオムリンに挑んできた」
「まぁ、結果はいつものとおりだけど」

 朱鷺光が少しうんざりしたように言い、弘介が苦笑しながらそれに続けた。

「なんだー、私も見たかったなー。オムリンのアクション、いつもかっこいいもんね」

 颯華が、少し残念そうにそう言った。
 それを聞いて、朱鷺光が、

「なんだかな」

 と、ため息を付いてから、肉と一緒に御飯を口に運び始めた。


 夕食の後、入浴。

「ふぁーあ、風呂は疲れが取れるなぁ」

 充分手足が伸ばせる大きさのステンレスバスに肩まで浸かりながら、朱鷺光はそう言って肩を伸ばす。

 複数人での入浴にも対応できるよう、洗い場にはカラン蛇口のついた普通のシャワー付き水栓の他に、シャワーのみの水栓が、丁度背中合わせになるようについている。
 浴槽は2ハンドル式の壁付水栓と、太陽熱温水器専用のシンプルな、樹脂ハンドルの水栓がついている。

 一応は客人になる弘介は一番風呂に入っている。家長の光之進と言えば、オムリンとセガ・マークXで、今度は落ちものパズルの対戦を始めてしまった。
 オムリンがゲームでの対人戦をするのは、何もただ遊んでいるわけではなく、先に上げた疑似ニューラルネットワークの拡張、早い話が“経験値”を積むことが目的である。

 もっとも、実際に相手をしている光之進にとっては、ただの遊びなのだが。

「あがったぞー」

 朱鷺光が、浴室の方からリビングに出てきて、そう言った。

「おい祖父さん、風呂入らないのかよ」

 朱鷺光は、少し呆れたようにしつつ、光之進とオムリンの背後から、そう声をかけるのだが、

「今、手が離せんのじゃ」

 と、朱鷺光が入浴する前にも言ったセリフを、繰り返した。

「しょーがねーなー」

 朱鷺光はそう言いながら、

「誰か先、入っちゃえよ。冷めてもガス代もったいねーし」

 と、リビングにいた人間に促した。
 ガス代を気にするならボロい湯沸器を代えろと言う話にもなるが、だからといって時間を開けてわざわざ湯沸器を余計に燃やすことはない。

「じゃあ、私入ろうかな」

 爽風と颯華は、ニンテンドーGDSで通信対戦をしていたが、爽風が画面から顔を上げて、そう言った。

「ん、爽風ちゃん、先入るの?」

 颯華が、やはり画面から視線を離すと、爽風の方を向いて、そう訊ねるように言った。

「んー、じゃあ颯華ちゃん、一緒に入る?」
「あ、たまにはそうしようかな」

 爽風の言葉に、颯華が同意の声を出した。

 シータは、焼肉の結果、脂がついた換気扇のファンを、濡れ雑巾で拭いている。
 リビングは掃き出し窓の上に高窓がある構造をしているが、その一部をアクリル張りにして、パイプファンが取り付けられていた。

「お前さんも意外と律儀だねぇ」

 弘介が苦笑しながら言うと、

「さっさと拭いちゃわないと、脂は後からだと落ちなくなるでしょ」

 と、シータは答えた。

 ファイは台所で、食洗機を動かしながら、鉄板を磨いていた。

「はぁ……今日はまだ疲れとれきれねーや。さっさと寝ちまお」
「賛成ー」

 パジャマ姿の朱鷺光が、生欠伸をしながらそう言うと、弘介が賛同の声を出した。

 朱鷺光が歯を磨きに洗面所に立つと、

「え? 爽風ちゃん、また大きくなった?」
「別に、気のせいだよ」
「そうかなぁ、でも、爽風ちゃんスタイルいいし、羨ましいよ」
「颯華ちゃんだって充分良いと思うけど。それに、身長あるし、私は逆に、そっちが羨ましいかな」

 と、擦りガラスの向こうの浴室から、そう聞こえてきた。


「ファイー、悪いけど今日は、もう寝ちまうぞ」
「はい、ご苦労さまでした」

 朱鷺光がそう言って、弘介と共にベッドのある部屋へと移動しようとすると、ファイが苦笑しながら、労うようにそう言った。

 人間の家族の入浴が終わった後は、ロボットの3人も汚れを落とすためにシャワーを浴びている。
 普段は、朱鷺光はそれが終わり、ファイかシータが湯沸器を止めて洗濯機を仕掛けるのを見届けてから、寝るのだが、徹夜からの波田町襲撃で疲れていた朱鷺光は、今日はさっさと寝ることにした。

 畳敷きの8畳間には、スリムケースのAMD製CPU搭載の自作パソコンが、お座敷パソコンとして置かれていた。そして、二組の布団が敷いてある。
 弘介は先に布団に入っていたが、上半身は起こした状態で、スマートフォンを操作していた。

「んー、先に寝ちゃうぞ?」
「あ、別にいいぞ。俺もすぐ寝るから」

 朱鷺光が言うと、弘介は、朱鷺光に視線は向けず、仕事関係のメールをチェックしながら、そう答えた。

「んじゃ、おやすみ」

 朱鷺光は、直管形の蛍光灯は点けたまま、布団を被ると、そのまま眠りについた。
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