今世は絶対、彼に恋しない

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本編

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 ふいに足を止めたのは、何か力が働いていたためだろうか。俺は生徒会室から出て少し休憩するために廊下を歩いているとき、突然前に踏み出そうとする足を止めた。何となくすぐ近くにある窓の外を見なければいけない気がして、そこを覗く。その窓から見える景色は下にある中央庭園と東側にあるグラウンドを繋ぐ通路と、それを挟んだ向かいにある旧校舎。俺の窓からはちょうどそれの一階と二階の間にある階段の踊り場に取り付けられた窓が見える。
 何かあるのだろうか、とじっと目を凝らしてその中を見ていると、人影が見えた。銀色の髪の少女の後ろ姿。俺はその人物を良く知っていた。
 あんなところで何をしているのだろう、という考えより先に出てきた感情は、焦りだった。そこにいてはいけないのだと思った。理由なんてない、むしろ知りたいくらいだ。でも、そこから早く離れないとと言ってやりたかった。
 俺は走りだそうとしていた、彼女のいる場所へ。それなのに動かないのは、この立っている場所に縫いとめられたように動くことができないから。瞬きさえも許されていないように感じた。
 彼女は、階段の下を見つめていた。ゆっくりと、その大きな窓の中に見える、彼女の視線の先を追う。桃色の髪の少女の姿が、胸元あたりまで見えていた。
 やっぱりな、と心のどこかで思った。何となく予想できていたのだと思う。最近婚約者を見つけたときは、彼女と一緒にいる場面が多かったからだろう。その場合、婚約者が彼女に何かしていることが多かった。彼女と一緒にいてはいけない、と彼女に向かって心の中で叫んだ。どちらに向かって言ったのだろうか。そんなこと、疑問に思うまでもないのに。
 今助けなくてはならないのは、シェーヌだ。今まで危害を加えていた側は彼女だけど、それでもずっと苦しんでいたのは、シェーヌだった。理由はわからなかった。思い出せない、というのが正しいだろうか。記憶がないわけではないはずなのに、モヤがかかってうまく頭の中に思い浮かばないのだ。
 少し前まで俺の想い人は、シュゼットだと思っていた。辛いときや疲れているときには側にいてくれた彼女がそうなのだと、思い込んでいた。
 でもそれは間違いだったと今なら確信できる。違う、その感情は俺自身のものではないと。によって作り上げられた、偽物だと。

 シェーヌが一段、階段を降りた。まずいと頭の中で警報が鳴る。動かない足に力を入れ、彼女のいる旧校舎と繋がっている渡り廊下の方へ足を向ける。
 それ以上、何もできない。足りなかった、あと何か一つ。それさえあれば、全力で走り出せるというのに。
 何か、あと一つだけ。

「王太子殿下」

 俺以外いないはずの廊下に、一人の少女の声が響き渡る。後ろから声をかけられて振り返ろうとするが、体が後ろを向くことはできず、視線さえも彼女の後ろ姿から動かすことができない。
 しかし、自分に向かって声をかけた人物の正体は声でわかっていた。返事ができず黙り込んでいたが、彼女はそのまま話し始めた。

「行かなくて、良いのですか」

 彼女の問いかけに対する答えは、決まっている。

 ──行くよ。今すぐ駆けつけて、シェーヌを助ける。

 でもそれができないんだ。という声は口から出ず、代わりに出てくるのは、焦りから少し荒くなった呼吸。
 俺の体は動かない。手も足も口も、一瞬を逃すまいと、瞬きさえも自分の意思では動かせない。

「本当はもう、わかっているのでしょう」

 そうだよ。わかってる。わかっているから動きたいんだ。
 が起こる前に。
 を変えるために。

 それをわかっていて、何も変えられていない自分に腹を立てても、悔しいという言葉も、怒りの表情も何も表面には出てこない。
 せめて、指先一本でも動かせたなら。という考えを頭の中に巡らせていると、背後に立つ彼女の口からため息が出た。

「自分の体何もかも、動かせないのでしょう?それが、悔しくてたまらないとでも思われているのでしょう。……本当はあなたを助けたくなどありませんが、私の大切な方のために、力をかしましょう」

 その言葉に驚きながら何が起こるのか。と、じっと待っていると背後からまた大きなため息が聞こえた。

「王太子殿下。今から大変無礼なことをいたしますが、どうぞ広い心でお許しください」

 その言葉が終わると同時に、背中にかなり強い衝撃が走り、俺の体は傾いて足が一歩前へ動く。
 ──あ、動いた。
 そう思うよりも先に、俺の身体はシェーヌのいる方へ走り出していた。
 ありがとう。と言おうとしたけれど、口の自由はまだとけていなくて、次に彼女に会ったときに必ずお礼を言おうと決めると、すぐにシェーヌのことへと思考を変えた。
 渡り廊下を走って、向こう側にあった旧校舎に辿り着いても足は止めず、先程まで瞬きもせず見つめていた彼女たちのいるところへ走り続ける。

 間に合わせる。絶対。今度こそ、シェーヌに幸せになってもらうために。

 記憶が戻ったわけではなかったが、その思いだけは、の心に強く強く染み付いていたようだった。

「シェーヌ、待って!」

 目的の階段に辿り着いたとき、彼女たちの姿が見えるよりも先に口は動いていた。先ほど、"ありがとう"というたった一言さえも出ないほど自由の効かなかったはずの口が、自然と動いていた。
 そう叫んだ方が先だったか。それとも、彼女が、シュゼットがシェーヌの手首を掴み、引っ張った方が先だったか。
 それがすぐに目に入った俺は足を止めず、そのまま走り続けた。先ほどよりも身体が軽い。ずっと自分を縛っていた縄が解けたみたいに、自由に動く。俺が声を出したときに、きっとチカラが解けたのだろう。
 シェーヌの体が宙に浮かぶ。腕を伸ばすが、彼女の伸ばした腕には届かなかった。
 ──間に合わない。
 そうすぐに悟った俺は、でも絶対に間に合わせる。とグッと足に力を入れて地面蹴ると、彼女の腕を掴んで引き寄せてると、空中で振り返った。すぐにくるであろう衝撃に耐えるようにぎゅっと目を瞑り彼女を抱え込んでいる腕に力を入れた。落ちる直前、彼女のライラックの香りが微かに鼻を掠め、そういえばでシェーヌを抱きしめたのは、これで二度目だな。と思った。
 背中に、先ほどネオラに力強く叩かれたときよりもさらに強い衝撃がはしり、「かはっ……!」と声が出たが、すぐに痛みはなくなった。痛みがなくなった。というよりは、全身から体の感覚がなくなってしまった。という方が正しいだろう。意識は起きているけれど、体は眠っているような状態。
 息ができているのかもわからなくて、それでも閉じかけている目に俺を覗き込んでいるシェーヌの姿が見えたとき、安心した。

「レヴォン、様……」

 体の働きは全てなくなったかと思っていたが、そういうわけではなかったようだ。自分は多分死なないようだ。微かではあったが、彼女の声が聞こえた。

「シェーヌ……」

 本当は、大丈夫か。頭は打っていないか。どこも怪我はしていないか。と聞きたかった。手を伸ばしてそのいつも以上に白くなってしまっている頬に手を伸ばそうとした。けれど、体もどこも動かすことができなかった。先ほどようやく力が解けたというのに、すぐに逆戻りか。と心の中で笑う。
 目に映る彼女が、泣きそうな目で俺を見つめている。心配してくれているのかもしれないと思えば嬉しくなって、俺は少しだけ口角をあげると、糸がプツリと切れたように意識を手放した。
 目覚めたときには全て終わって、シェーヌが昔のような無邪気な笑顔を浮かべられる幸せになれる世界になっていますように。と願いながら。
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