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木村重成の覚悟

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 みつおは本物の秀頼の亡骸が安置されている御小書院とは別の寝所で寝ることとなった。寝所まで、みつおは手燭を持った重成に案内してもらった。秀頼の…、本物の秀頼の側に仕えていたのがこの重成という男で、これからは秀頼に扮した自分に仕えるということらしい。それにしてもみつおは重成と並ぶと、どうしても劣等感を覚えずにはいられなかった。最初に対面した時から思っていたことだが、重成は美男子であった。とても美男子であった。それ故、自他共に認めるブ男な自分が重成と並んで歩くと、嫌でも自分のブ男ぶりが目立つというもので、それでみつおは劣等感を覚えずにはいられなかったのであった。

「本物の秀頼はどうだったんだろう…」

 ブ男な自分が秀頼と見目形が瓜二つということは、それはつまりは秀頼も、

「ブ男…」

 それに他ならないからだ。なら秀頼も自分と同じように劣等感を抱いていたのだろうかと、みつおはふとそんな疑問が頭に思い浮かんだものの、すぐにその疑問を消し去った。何故ならその疑問は成り立たなかったからだ。もし秀頼が自分と同じように劣等感を抱いていたとしたら、最初から重成を…、劣等感の元となる重成を側に置く筈がなかったからだ。なら秀頼は劣等感を抱いてはいなかった、ということに他ならない。いや、そもそも本物の秀頼は劣等感とは無縁の男だったのかも知れない。

「自分とは器が違いすぎるな…」

 みつおは自分という男の小ささを反省したものである。それにしても蛍光灯などが発達している現代とは違い、戦国時代は夜ともなると辺りは真っ暗闇であった。

 その寝所には蒲団が…、それも素人目にも本物の秀頼が眠らされていたのと同じぐらいの価値がありそうな、つまりは高価な蒲団が敷かれてあった。みつおがその蒲団の中へと潜るや、みつおが潜ったその蒲団のすぐ傍で、重成は正座すると、右手で持っていた手燭を手元においた。どうやら朝までそれこそ、

「寝ずの番」

 を務めるつもりらしい。

「なぁ…」

 みつおは薄明かりの中に浮かぶ重成の背中に声をかけた。

「何か…」

「まさか…、朝までずっとその姿勢でいるつもりか?」

「御意」

「ぎょい、って…、俺は影武者だぜ?知ってんだろ?」

「なれど今は秀頼ぎみにあらせられまする」

「だけどさ…、あんたを前にしてこんなこと、言いにくいけど…、秀頼はもう死んだんだぜ?」

「秀頼ぎみは御健在にあらせられまする」

「ごけんざいって…、今、ここであんたと喋ってるのは…」

 ただの影武者…、みつおはそう言おうとしたが、重成の背中を目の当たりにして、その言葉を飲み込んだ。今の重成はきっと心の中では主君の死を…、秀頼の死を嘆き悲しんでいるに違いない、にもかかわらず、重成は淀殿に命じられてか、或いは豊臣家の行末を思えばこそか、ともかく、この自分を秀頼に見立てて、

「秀頼ぎみは御健在…」

 そう言わねばならない重成の気持ちを考えた時、あえて秀頼の死をゴリゴリと主張して、重成のその心の傷、それも深い傷に塩を塗りこめるような真似をするのは、

「やってはいけないこと…」

 みつおはそう思って、口を噤んだのであった。

 その代わり、みつおは重成に謝った。

「済まないな…」

「えっ…」

 重成はまさか、みつおから詫びの言葉が聞かれるとは思ってもみなかったらしく、思わずそう反応した。

「こんな駄目な男が、秀頼の…、いや、秀頼ぎみの身代わりで…」

 みつおが重成の背中にそう詫びると、重成は背中を震わせた。薄明かりでもそれぐらいは分かる。

 だがそれも束の間に過ぎなかった。重成は再び背筋をシャンと伸ばすと、

「秀頼ぎみは決して駄目な男では御座りませぬ」

 凛とした声でそう答えた。

「ありがとう…」

 みつおが礼を口にすると、

「恐れながら…、臣下に軽々しく、御礼のお言葉をお口になされませぬように…」

 重成はみつおにそう諫言した。どうやら重成は今や完全にみつおのことを秀頼本人と見立てているらしい。いや、心の中までは分からない。今もまだ、亡き秀頼を…、本物の秀頼を追慕しているのかも知れない…、みつおはそう思うと、

「覚えておく」

 と一応、重成の諫言を受け入れた上で、

「だがな、俺は秀頼ぎみじゃないんだ…、とりわけ、あんたが追慕してやまない秀頼ぎみとは正反対の駄目男さ…、いや、これは決して韜晦のポーズ…、フリしているわけじゃなく事実なんだ…、何しろ、いじめを苦にして自殺を図るような人間なんだから…」

 みつおは重成に対して苦い現実を突きつけたのであった。これだけは言っておかねばなるまいと、そう思ったからだ。

「例え、その通りだとしても、駄目な男ではござりませぬ」

 重成はそれでもなお、敢然とそう言い切ってみせた。みつおのことをあくまで秀頼と見立て、そして秀頼に扮したみつおに仕える…、重成のその覚悟が背中からも感じ取られた。そんな重成だけに、どんなことがあろうとも決してみつおのことを、「駄目男」だとは認めないのであろう。だとしたら、みつおとしてはこれ以上、何も言うことはなかった。
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