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クズニート・吉良尊氏とエリート特捜検事・志貴孝謙

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『お前みたいなエリートには分からないだろうな』

 俺のその言葉がまだ如何にも劣等感に満ち満ちており、自分で自分が嫌になった。

『エリート、って…』

『俺は最底辺の私大しか受からなかった。しかもそんな最底辺の大学で留年までした。だがお前は東大に現役合格し、そして年限通りに卒業した。つまりお前と俺とでは天と地ほどの、いや、天と地下ほどの開きがある。勿論、天に位置するのがお前で地下深くに棲息しているのがこの俺、って話だ。つまりお前はエリートで、俺はお前のようなエリートとは程遠いところに漂流する正に最底辺に位置する人間、って話だ。そんなエリートのお前と話をしていると俺が惨めになる。つまり劣等感、ってヤツだ。お前は俺の事を心底で馬鹿にしているんじゃないか、って被害妄想を抱いている』

『そんな…、俺はお前の事を馬鹿になんか…』

『分かっている。お前が人を馬鹿にする様な人間でない事ぐらい知っている。だから言ったろう?俺の被害妄想だ、って…。恐らく、いや、絶対、だろうが、東大に現役合格を果たしたお前に嫉妬しているからこんな被害妄想を抱くんだろうな』

『繰り返すが、俺はお前を馬鹿になんかしていない』

『そうだろうな』

『それに良い大学を出たから、ってそれだけで人生が決まるわけじゃ…』

 志貴が言いかけたその言葉を俺は、『おい』と強い口調で遮った。

『そんな事、言うもんじゃない』

『えっ?』

『良い大学を出たから、ってそれだけで人生が決まるわけじゃ、ない…、そんな言い訳を口にして良いのは良い大学に合格出来なかった俺のような負け犬にだけ許された言い訳だ。少なくとも東大に現役合格を果たし、その上、国家公務員総合職の試験と司法試験をパスしたエリートが口にして良い言葉じゃない』

『エリート、って俺は別にエリートなんかじゃ…』

『エリートじゃない、とは言わせない。東大卒、司法試験に合格したお前がエリートじゃなかったら、一体、どんな野郎をエリート、って呼べば良いんだ?』

『それは…』

『それは何だ?』

 俺は答えを促したが、志貴が答える事はなかった。

『答えられない、って事はつまり、お前がエリート、って事だ』

『…確かに俺はエリートなのかもしれない。だが、だからと言って俺は決してお前の事を…』

『見下したりはしない。そう言いたいんだろう?』

『そうだ』

『別に構わないさ』

『えっ?』

『だから見下してくれて一向に構わない』

『なっ、何でそんな事を言うんだよっ!?』

『お前がエリートだからだ』

『エリートは人を見下しても良い、って言いたいのか?』

『そうだ』

『そうだ、って…』

『お前のようなエリートは俺のような最底辺に生息するクズを見下す権利がある。だから見下したりはしない、だなんて心にもない、おぞましい綺麗事を無理して口にする必要性はどこにもない』

『クズ、って何だよっ!?どうして自分をそんな風に卑下するんだよっ!』

『卑下じゃない。事実だ』

『事実って…。お前はクズなんかじゃ…』

『いや、クズだ』

 俺はそれだけ言うと一方的に電話を切り、そして電源を落とした。

 それ以来、携帯電話の電源を入れる時と言ったら精々が時刻を確認する時ぐらいのもので、後は常に電源を切っていた。これで二度と志貴からの電話に心を惑わされる事がない、と思っての行為であった。

 それでも志貴は自宅にまで電話を架けてくる有様だったので、俺が電話を取ってしまった時には即座に受話器を置き、間違って父親が電話を取ってしまった際には、

『いません』

 そう伝えてくれるように頼んでおいた。

 いつしか志貴は電話という手段を諦めて、年賀状、という手段でもって俺にコンタクトを試みたのだから驚いた。年賀状には志貴の近況と共に、

『お前はクズじゃない』

 という一文を添えるのも忘れない、という念の入れようだった。俺は一度も志貴に返礼を寄越さなかったが、それでも志貴は毎年欠かさず俺に賀状を寄越して来た。俺は志貴からの年賀状を破ってしまおうと何度も試みたものの、出来なかった。いつしか正月になると志貴からの賀状を楽しみにする自分がいる事に気付いてしまい、愕然としたものだ。

 やはり俺は志貴という友人を切り捨てる事が出来ないのかもしれない。志貴に対して劣等感、嫉妬といった負の感情を抱く俺に対して志貴という男は俺の事を心底から友人と思ってくれている。志貴から毎年届く賀状を見るにつけ、俺という男が如何に小さな、下らない男か、という事を思い知らされる。

 今年の賀状には、

『特捜部に異動になりました』

 とも記されてあった。東京地検特捜部…、検事に任官した者ならば誰もが憧れる部署に違いない。志貴は検事に任官してから僅か五年目にして特捜部入りを果たしたのだ。志貴が如何に優秀な検事であるのかを物語っていた。
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