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おとり捜査の進捗状況 2

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「ああ、そう言えば…」

 俺は思い出したように声を上げた。実際、あることを忘れていたのを今になって思い出したのだ。

「何だ?」

「俺…、和気の野郎から報酬をもらっちまったんだよ…」

 俺はそう言うと、ズボンのポケットに無造作に押し込んだ4人の福澤諭吉大先生を取り出し、それを座卓の上に置いた。

「これ、どうしようかね…」

 俺は志貴に相談を持ちかけたが、しかしこれにはさしもの志貴も、「俺に聞かれても…」と困惑げな表情を浮かべた。無理からぬことであった。

「そうだよな…、村上に聞いてみるか…」

「ああ、それなら…、村上にまた連絡を取るなら、被害者についても聞き出してくれないか?」

 志貴はそう言ってしまったばかりのスマホを俺にもう一度、差し出したのであった。俺もそれを聞いて、被害者である吉岡なにがしのことをすっかり失念していたことに気付かされた。

「ああ。そうだな…、そうだよな…」

 志貴は俺のために通話が録音できるよう設定を整えて俺にスマホを渡してくれた。俺はそのスマホで再び、村上に連絡を入れた。村上はさっきの今だったので、「何だ、また…」とあからさまに迷惑そうな声を上げた。

「俺、和気の野郎から報酬をもらっちまったんだよ。それも福澤諭吉大先生を4人も…、こりゃどうしたら良いもんかね…」

 俺が村上にそう相談を持ちかけると、村上は「ああ…」と納得したような声を上げた。どうやら俺が和気から4万円の報酬を受け取ったことは既に、監視役の別の刑事…、特殊犯の刑事から連絡済みだったのかも知れない。

「とりあえず、使うな…」

 暫しの間を置いた後、それが村上から返ってきた答えであった。

「大事に保管しておけってことだな?」

「そうだ」

「分かった。和気から頂戴した4万円の報酬は大事に保管しておくとして、最後にもう一つ、聞きたいことがある」

「最後にもう一つって、刑事コロンボかよ…、まぁ良い。それで何だ?」

「被害者の吉岡なにがしについて聞きたい。俺の見立てでは中小企業の社長さんではないかと思うんだが…」

 俺が当て推量をぶつけてみたところ村上から、「ほう…」と感嘆した声が返ってきた。

「良い勘してるぜ…」

「ってことは…」

「ああ。ビンゴだ」

「で、どこの中小企業の社長さんなんだ?」

「大田区池上にある中小企業の社長だ」

「尾行したのか?」

「まぁな…」

 それもやはり特殊犯か…、俺はそう思ったが、しかし口に出して尋ねることはしなかった。村上が答えてくれるとも思えなかったからだ。

「それで具体的には?大田区っつうと、さしずめ製造業の社長さんか?」

「その通り。段ボール製造会社の社長だ」

「それじゃあ…、吉岡段ボール製造株式会社、とか?」

 俺は適当に社名を並べたが、それもどうやらビンゴのようで、「ああ、正しくその通りだ」との村上の声が返ってきた。

「それで一体、吉岡は…、ああ、吉岡のフルネームは…」

「よしおかつぐお…、吉岡はまぁ、普通の…、宮本武蔵に出て来る吉岡なんとかの吉岡で、つぐおだが、次…、次点に泣くの次点の次に男で次男…、ああ、ちなみに住所は大田区池上7丁目の…」

 村上は気を利かせて吉岡次男の住所についても教えてくれた。俺はそれを復唱すると、志貴は職業柄か、それを咄嗟にメモした。

「さしずめ…、住居兼工場ってところか?」

「そうだ」

「そうか…、で、その吉岡次男社長はどうして騙されたんだ…、いや、すんでのところで金を騙し取られるのを回避したわけだから、騙されそうになったと言うべきか…、やっぱり融資保証金詐欺の類か?」

「どうしてそう思う?」

 村上は俺を試すように言った。

「いや、俺と吉岡社長が対面した折、吉岡社長から確か…、そう、約束のものは用意してくれるのか…、って正確な表現は覚えていないが、確かそう言われたから…、それで中小企業の社長ではって俺のファーストインプレッションを掛け合わせてみて、融資保証金詐欺じゃねぇかって…」

 俺がそう答えると、村上はしのび笑いを漏らした。

「何か…、おかしかったかな?」

「いや…、そんな御大層なもんじゃねぇよ…」

「と言うと?」

「吉岡が求めていたのは金じゃない」

「それじゃあ一体…」

「女さ…」

「女?」

「ああ。吉岡の手元に一週間ほど前だったそうだが、一通の手紙が届いたそうだ」

「吉岡社長宛に一通の手紙…、どんな内容の手紙だ?」

「それが女子高生を斡旋しますって…、つまりは女を、それも女子高生を買いませんかって内容の手紙さ…」

「女子高生を買いませんかって…、それじゃあ買春の斡旋?」

「そうだ」

「勿論、封書だよな?」

「当たり前だ。こんな内容の手紙、葉書で出せるかよ…」

「それで吉岡社長は…」

「その内容の手紙に従い…、文面に印字されていた電話番号に電話を入れて、どうしたら女子高生を買えるのか、詳しく聞いたそうだ」

「その電話番号だが…、豊田ファイナンスの?それとも銀河人材派遣の?」

 振り込め詐欺のアジとの可能性のあるこの2社の名前を俺は挙げたわけだが、しかし違った。

「いや、そのどちらでもない」

「それじゃあ…」

「恐らくは電話転送サービスを利用してるんだと思う…」

「電話転送サービスって…、つまりあれか?一見、別の番号だが…、例えばこの場合だと、相手には豊田ファイナンス、あるいは銀河人材派遣だとは分からない電話番号でも、その番号にかければ豊田ファイナンス、あるいは銀河人材派遣に転送してもらえるって…」

「ざっくり言っちまえばそういうことだな」

「で、どっちなんだ?」

「それはまだ…、令状が必要だからな…」

「令状…」

「傍受令状って言うんだが…」

「通信傍受法の、あの傍受か?」

「そうだ」

「なるほど…、でこの場合はどこに請求するんだ?」

「NTTだ」

「NTTと契約されている番号なのか?その番号は…」

「ああ。うち…、警視庁のサイバーに解析させたところ、それが分かったんで…」

「それじゃあ…、さしずめ明日の朝一で裁判所に令状請求、そんでNTTに契約者の情報を開示させるって寸法か?」

「惜しいな…」

「惜しい?」

「令状請求は今夜にでも行うつもりだ」

「良いのか?」

「何が?」

「もう遅い時刻だろうが…」

 時刻は既に午後10時を回ろうとしていた。

「令状請求は24時間オーケーだ。令状当番の裁判官を叩き起こしてでも発付させることができるからな」

「まるでコンビニだな」

 俺の言葉に村上は失笑し、「確かに」と首肯した。

「で…、その文面に従って…、その番号にかけた吉岡社長さんだが、それでどうなったんだ?」

「400万円の入会金を払えば1年間、ただで好きな女子高生と遊べます、ってそう言われたそうだ…」

「受話器ごしに、か?」

「そうだ」

「なるほど…、それで吉岡社長さんは金を払う気になったわけか…」

「その通りだ」

「でもそれなら、普通は銀行振り込みが普通なんじゃないか?何しろ額が額だしな…」

「それは吉岡も疑問に思ったそうで、やはり電話越しの相手に尋ねたそうだ。どうして振り込みにしないのか、ってな…」

「それで電話越しの相手は何と?」

「下手に銀行振り込みにでもしたら、そこから足がつくって…、そう言われたそうだ」

「なるほど…、それに関しては嘘ではなさそうだな。もっとも売買春の足ではなく、振り込め詐欺の足だが…」

「ああ。その通りだ」

「それで吉岡社長はまさかそれが振り込め詐欺だとは気付かず、信用した…、まんまと騙されたってわけか?」

「そうだ。振り込みでなければ現金は手渡しかと、吉岡は尋ね、すると電話越しの相手は内心、拍手喝采したに違いねぇだろうが…、それでもその感情は押し殺して、はいと事務的に答え、詳しい現金の受け渡しについて説明したそうだ」

「それがあの、下赤塚駅の喫茶店、ルアーでの受け渡しだったと…」

「そうだ」

「なるほどなぁ…、いや、吉岡社長、俺が例の、振り込め詐欺ですよ、捜査に協力してくださいって手紙を見せたにもかかわらず逡巡した様子を浮かべたんだが、そういうことだったのか…」

 女子高生を買おうとしていた金だったとは、吉岡が捜査協力を渋るのも当然と言えた。

「それで吉岡社長は?無罪放免?」

「捜査に全面協力させる代わりにこれまでの買春には目をつぶることにした。勿論、その後…、これからまた買春しようだなんて、悪心を起こすようなら見逃すわけにはいかないが…」

「そうか…」

 俺が納得したような声を出すと、志貴が俺の腕を叩いて、メモ書きを見せた。

「転送電話番号は?」

 どうやら番号を教えろという意味らしい。俺は村上に尋ねた。

「ところでその封書にあった転送電話番号だが、番号は?教えてくれないか?」

「どうして?」

「個人的な興味。駄目か?」

「まぁ、良いだろう…」

 俺はそれから村上が告げた番号を復唱し、志貴にメモらせた。

「他に何か聞きたいことはあるか?」

 村上からそう問われた俺は志貴に対して小声で、「他に何か聞きたいことある?」と村上の質問をやはり復唱し、それに対して志貴が頭を振ったので、俺は最後の質問をした。

「それでその封書はどうした?」

「幸いにも取ってあった」

「破棄しなかったのか?吉岡社長は…」

「万が一のことを想定して、大事に取っておいたそうだ…」

 村上はそう告げると、クックッ、と笑い声を上げた。

「万が一?」

「仮に、大枚を叩いたのに女子高生を斡旋してもらえなかった時のことを想定して大事に取っておいたそうだ」

 村上が笑い声を上げたのも無理もない。俺は「呆れた話だな…」と正直な胸のうちをぶちまけた。

「まったくだ」

 村上も俺のその胸のうちに同意した。

「勿論、その封書は押収したんだよな?」

 俺は確かめるように尋ねた。

「勿論だ。もっとも一応、任意提出の建前だが…」

「なるほど…、脛に傷持つ身としちゃ、任意で提出するしかないよな…」

「その通りだ…、それで他には?何か聞きたいことは?」

 村上から改めてそう問われた俺はもう、それ以上の質問は特になかったので、

「いや、もうない」

 そう答えると、電話が切れた。

 俺は志貴にスマホを返すと、「ところで例の紙って何だ?」と志貴が尋ねたので、俺はやはりズボンのポケットにしまっておいた、

「私はおとり捜査に従事する者です。あなたは振り込め詐欺グループに騙されています。今から警察が用意した現金を手渡しますので、それを受け取り、騙されたフリをして私に渡して下さい」

 その紙を志貴に手渡したのであった。

「この紙、どうしたんだ?」

 志貴はその紙に目を通すなりそう尋ねた。もっともな質問である。

「ああ。それは佐藤から渡されたんだ…、振り込め詐欺の被害者にそれを見せて、警察で用意した、誘拐捜査とかで使われるらしい現金と交換しろって…、用意してくれたのは400万…、振り込め詐欺の被害額の平均がそれだからって、その勘が見事に的中したわけだが…」

「なるほど…、それにしても確かに、女子高生を買春しようとしていたんなら、吉岡が逡巡したのも当然だな…」

 志貴は納得した様子でそう言った。

「ああ…、この紙もお前に預かってもらおうか…」

「お前がおとり捜査に協力しました、って確かな証拠になるからな…」

 志貴は俺の胸のうちを見透かした。

「その通りだ。その紙には佐藤警視の指掌紋が付着しているはずだ。何しろ佐藤から手渡されたんだからな…」

「なるほど…」

「ああ。それにこの4万もお前が預かっていてくれ。和気の指紋が付着してるから…」

「分かった…」

 志貴はそれからその紙と4万円も俺が渡した、念書や名刺が入ったビニール袋の中に一緒に入れた。
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