大正貴族の階段 ~侯爵令嬢の恋~

ご隠居

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義意は越山から豊島区高田豊川町12番地にある田丸邸に誘われ、渋々、行くことに

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 勅語(ちょくご)を朗読し終えた裕仁(ひろひと)が貴族院本会議場をあとにすると、これで開院式は終了であり、衆議院議員も本会議場をあとにし、衆議院本会議場へと戻った。衆議院の本会議場ではこの後、今日の開院式における摂政(せっしょう)裕仁(ひろひと)が読み上げた勅語(ちょくご)に対する奉答(ほうとう)文を起草(きそう)するための会議が開かれる。そのためにはまず、衆議院議長の指名により18名の起草委員を決め、さらに18名の起草委員による互選(ごせん)で委員長と理事を決め、そして慎重審議の末、奉答(ほうとう)文を決めるわけだが、しかし、実際には既に、「シナリオ」はできていた。

 即(すなわ)ち、衆議院議長の粕谷(かすや)義三(ぎぞう)は既に、一週間以上前に18名の起草委員を決め、彼ら18名の衆議院議員に対してその旨(むね)、内示(ないじ)していた。

 それに対して内示(ないじ)を受けた18名の衆議院議員はその時点でやはり非公式に事実上の互選(ごせん)を行い、その結果、委員長には箕浦(みのうら)勝人(かつんど)を、理事には小久保(こくぼ)喜七(きしち)をそれぞれ選出することで話がついており、さらに奉答(ほうとう)文の内容についてもやはり既にその段階で草案を練っていたので、今日の会議は形式的なものに過ぎなかった。

 一方、貴族院も衆議院と同様、勅語(ちょくご)奉答(ほうとう)文を作らねばならず、そのための会議を開く必要があったが、それは明日の27日であるので、貴族院議員は皆、出口へと向かった。

 吉良(きら)義意(よしおき)も出口へと向かう一人であったが、その義意(よしおき)に声をかけるものがあった。誰あろう、田丸(たまる)越山(えつざん)であった。

「やぁやぁ、吉良先生っ!」

 越山(えつざん)から背後から声をかけられた義意(よしおき)はその独特のだみ声からすぐに田丸(たまる)越山(えつざん)だと気付き、無視して出口へと急ごうかとも思ったが、生憎(あいにく)、義意(よしおき)はそこまで神経が図太(ずぶと)くできてはおらず、嫌々(いやいや)立ち止まると、さらに嫌々(いやいや)、声の主へと振り返った。

「田丸(たまる)先生…」

 義意(よしおき)が越山(えつざん)に会釈(えしゃく)すると、越山(えつざん)はそれに対して深々(ふかぶか)と頭を下げた。それこそ先ほどの裕仁(ひろひと)に対するのと同様の叩頭(こうとう)ぶりであり、どうやら一視同仁(いっしどうじん)、ということらしかった。

「吉良先生、この後、何かご予定でもありますかな?」

 越山(えつざん)からそう問われた義意(よしおき)は不覚(ふかく)にも正直に答えてしまった。

「いえ、特には…」

「それは重畳(ちょうじょう)っ!」

「はっ?」

「是非(ぜひ)とも当家にお運びのほどを…」

 越山(えつざん)はそう切り出すと、またしても深々(ふかぶか)と頭を下げたのであった。どうやら義意(よしおき)がうんと言わない限り、頭を下げないつもりらしい。無論、越山(えつざん)に頭を下げさせたまま立ち去るという選択肢もあったが、しかしやはりと言うべきか、繊細(せんさい)な義意(よしおき)にはそのような真似はできなかった。一方、越山(えつざん)にしてもそんな義意(よしおき)の性質を見抜いて、このようなパフォーマンスに出ているのであろう。

「分かりました…、喜んでうかがいますので、どうぞ頭を…」

 これ以上、越山(えつざん)に頭を下げられたままでは義意(よしおき)としても何とも居心地(いごこち)が悪かった。それと言うのも義意(よしおき)と越山(えつざん)…、それも越山(えつざん)に頭を下げさせている格好の義意(よしおき)に対して、一体何事かと、周囲の者の注意をひき始めていたからだ。

 さて、越山(えつざん)は義意(よしおき)が承知してみせると、すぐに頭を上げたものである。

「それでは私の車に…」

 越山(えつざん)はそう誘ったが、しかし、義意(よしおき)はそれは謝絶し、自分の車で行くと言った。すると越山(えつざん)もこれについては義意(よしおき)の思い通りにさせることとした。あまり自分の都合(つごう)ばかり押し付けて、結果、義意(よしおき)が、

「それではお宅にうかがうのは御免(ごめん)蒙(こうむ)る…」

 などと言い出しては元も子もないからだ。そこで越山(えつざん)は、「それでは私の車について来て下さい」と義意(よしおき)にそう告げたのであった。

 そうして義意(よしおき)を乗せた車は越山(えつざん)を乗せた車のあとについて行く格好で、越山(えつざん)の屋敷のある豊島区高田豊川町12番地へと向かった。

 豊島区高田豊川町12番地にある田丸邸は正に、邸と呼ぶに相応(ふさわ)しい門構えであった。門前には警備用のボックスがあり、ボックスの前では制服警官が立番(りゅうばん)していた。あとで越山(えつざん)から聞いたところによると、巣鴨警察署の高田分署から派された警官とのことであった。閣僚でもない、一介(いっかい)の貴族院議員の邸に制服警官が派されるなど、本来ならばあり得ない。にもかかわらず実際にこうして制服警官が派されているところを見ると、警察、ひいては内務省からは田丸(たまる)越山(えつざん)という男は余程に重要人物と目(もく)されているらしい。

 その田丸邸の門前にまず越山(えつざん)を乗せた車が到着すると、門前でいったん車を停車させ、中から運転手が出て来て、その立番(りゅうばん)している制服警官と何やら会話をする様子が義意(よしおき)の目に飛び込んできた。義意(よしおき)を乗せた車は越山(えつざん)を乗せた車の真後(まうし)ろに停車しており、義意(よしおき)は車の後部座席からその様子を目にし、やがて運転手は制服警官と話し終えたのか、再び、車の運転席に乗り込み、一方、制服警官は大門の脇にある小門を開け、そして中から大門を開けた。恐らく運転手は制服警官に対して己という連れがいることを告げたのであろと、義意(よしおき)はそう察した。それが証拠に、越山(えつざん)を乗せた車が難なく大門から邸内へと入り込み、その真後(まうし)ろからついて行く義意(よしおき)を乗せた車も同様に難なく、それこそ立番(しゅうばん)している制服警官に誰何(すいか)されることなく、邸内へと入ることができたのであった。

 そうして邸内へと入ると、義意(よしおき)は再び、その壮観(そうかん)さに驚かされたものである。邸内から玄関までは車でゆっくりとしたスピードでだが、2分ほどの距離であり、その間、邸内の広大な庭を楽しむことができた。庭には大きな池もあった。

 そして玄関に到着すると車庫には車が5台も入庫しており、今、越山(えつざん)を乗せてきた車を含めれば計6台という計算になる。その中には国産車の他に外車も含まれており、維持費だけでも馬鹿にならないだろうと、義意(よしおき)はふとそんなことを思ったりもした。

 玄関の前で越山(えつざん)を乗せた車と義意(よしおき)を乗せた車の2台の車が並んで駐車すると、そこで越山(えつざん)と義意(よしおき)は降車し、さらに義意(よしおき)の運転手役も務める家令も降車した。いや、家令としては主・義意(よしおき)が戻って来るまで車の運転席で待機するつもりであったが、しかし、越山(えつざん)が家令に対しても、

「是非(ぜひ)とも家に上がって欲しい。車ならうちの者が預かるから…」

 そう頼み込み、家令としても越山(えつざん)からそう頼まれれば嫌とは言えず、そこで家令は越山(えつざん)が口にした「うちの者」こと、執事の早坂なる男に運転席を明け渡したのであった。
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