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特高課員、大石(おおいし)良次(よしつぐ)
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麹町区にある府立商工奨励館、この建物の地下に警視庁総監官房が入居していた。警視庁の総監官房が何ゆえにそのような建物の中にあるのか、事情を知らない者には奇異に感じるであろうが、それもこれも去年の関東大震災のせいであった。
即(すなわ)ち、大正12(1923)年の9月1日に発生した関東大震災の影響で、麹町区は有楽町にあった警視庁本庁舎も焼け落ちてしまった。そこで警視庁は同日にはいったん、同区内にある府立第一中学校を仮庁舎と定め、それからさらに5日後の9月6日には警視庁本部の中でも総監官房とそれに警務部、刑事部、衛生部が府立第一中学校からこの府立商工奨励館へと引き移り、残る保安部と消防部は丸の内の有楽館へと引き移っり、それぞれ仮庁舎とした。
その間、有楽町の焼け跡ではバラック庁舎が建てられていた。無論、バラック小屋であるためにこれとて、本格的な本庁舎ができるまでの仮庁舎に過ぎなかった。いつまでも奨励館や有楽館を曲がりしているわけにもゆかないからだ。
だが出来上がったバラック小屋では仮庁舎とするには狭すぎ、そうこうしている間に府立商工奨励館に間借りしていた総監官房らは東京府よりその返還を求められた。この奨励館は東京府の「持ち物」であったからだ。そこで1階に間借りしていた警務部と刑事部、衛生部は東京府からのその返還要求に従い、1階を明け渡して、やはり同区内にある、それも警視庁のすぐお隣の帝國劇場の事務所を新たな「下宿先」とした。
だがそんな中、総監官房のみは東京府からの返還要求に従わず、それに対して東京府も総監官房に強く出られず、総監官房が地下に居座ることを黙認、それが大正13(1924)年12月26日の現在に至(いた)る。
東京府は何ゆえに警視庁の総監官房には強く出られなかったのかと言うと、それはとりもなおさず、
「総監官房が泣く子も黙る特高課を抱えていたから…」
そのためであった。泣く子も黙る、鬼より恐ろしい特高課…、特別高等警察課が相手では東京府も引き下がるより他にない。下手に刺激すれば、見せしめに東京府から「縄付き」が出るやも知れなかったからだ。例え、無実であっても罪をでっち上げることぐらい、「天下」の特高課には「朝飯前」であった、
それにしても総監官房は何ゆえにこの府立商工奨励館に間借りするのにこだわるのかと言うと、それは特高課の強い要求によるものであった。
総監官房は特高課の他にも外事課と調停課があったが、その中でも特高課の「発言権」が特に強く、その特高課がこの府立商工奨励館の地下に間借りすることにこだわったのであった。その理由だが、ひとえに、
「秘密保持のため…」
それであった。特高課のみならず、外事課にしても調停課にしても特に秘密保持が要求され、しかし、地上では秘密保持が難しく、ましてバラック小屋など秘密保持の観点から論外であった。
そこで特高課は秘密保持に比較的、適しているこの奨励館の地下に間借りすることにこだわったというわけで、外事課にしても調停課にしても秘密保持が要求される以上、特高課のその意見に敢(あ)えて異論を差し挟(はさ)む必要もなく、特高課にひきずられた格好であった。
この特高課では34人の課員が働いており、大石(おおいし)良次(よしつぐ)もその一人であった。
良次(よしつぐ)がデスクで日報を書いていると、課長席に座っている大野から、「大石」との声がかかり、それで良次(よしつぐ)も日報を書く手を休め、椅子から立ち上がると、課長席へと歩み寄った。
良次(よしつぐ)が課長席の前に立つなり、「あれはどうなった?」と大野課長より問われた。あれが何を指すのか、それが分からぬようでは特高課員は務まらない。
大野課長の言う「あれ」とは、昨日、発生した代議士・尾崎行雄暴行事件のことであり、さらに言えば尾崎行雄を襲った、雑誌社の鐵血社の社員たちのことである。暴行現場には刑事部より土屋警部が臨場し、さらにこの特高課よりも良次(よしつぐ)が臨場し、取調べを行った。一応、現在でも所轄警察署である品川署で取調べ中ということになっているが、実際には既に、良次(よしつぐ)が被疑者である社員たちの身柄を掻っ攫(さら)っていた。
その社員たちのことを大野課長は尋ねていたのだ。
「始末しました…」
良次(よしつぐ)は何ら気負(きお)うことなくそう答えた。すると大野課長もそれで良いとばかり頷(うなず)いた。
実は鐵血社なる雑誌社の社員たちに代議士の尾崎行雄を襲うよう嗾(けし)けたのは他ならぬ良次(よしつぐ)であった。尾崎行雄は「軍縮」「反戦」を唱える、「危険分子」であった。これで尾崎行雄が単なる平民ならば適当な容疑をでっち上げて、拷問死させれば済む話であったが、しかし、相手が代議士ともなるとそうもゆかぬ。まして尾崎行雄は全国的な知名度のある代議士である。でっち上げ逮捕、そして拷問死という特高課の「十八番(おはこ)」も尾崎行雄が相手では使えない。
そこで特高課では尾崎行雄に対して警告の意味から鐵血社の社員たちに襲わせたのであった。その時、特高課と鐵血社との間で「窓口」に立ったのがこの大石(おおいし)良次(よしつぐ)であった。社員たちは律儀(りちぎ)にも取調べにおいて一切、黙秘(もくひ)した。それが彼らと良次(よしつぐ)との間で取り決められていた約束であったからだ。良次(よしつぐ)の名は一切、出さないという約束である。
しかし、良次(よしつぐ)にしてみれば…、それは特高課にとってもそうであるが、彼らはもう用済みであり、そこで良次(よしつぐ)は彼らの身柄を品川署から掻っ攫(さら)うと、自らが運転するトラックでもって特高課が秘かに要する「アジト」に彼らを運び、そして、良次(よしつぐ)は彼らに毒入りの夜食を与えて皆を毒殺、その後、遺体を埋めたのであった。流石(さすが)に一人で遺体を埋めねばならなかったのには一苦労であったが、その程度で音(ね)を上げるようではやはり特高課員は務まらない。
「ところで、あれはどうなった?」
今度の「あれ」は貴族院を指していた。もっと言えば、貴族院でも審議される予定である、
「衆議院議員選挙法案」
通称、普通選挙法案と、それと表裏(ひょうり)一体の関係にある、
「治安維持法案」
の行方であり、特高課としては勿論、「治安維持法案」の行方に関心があった、いや、はっきり言ってその成立を強く望んでいた。無政府主義者や共産主義者、社会主義者を取り締まる治安維持法案が法律となれば、特高課としても堂々と彼ら、無政府主義者や共産主義者、社会主義者をしょっ引けるからだ。
実は今から2年前の大正11(1922)年にも治安維持法案の前身とも言うべき、
「過激社会主義運動取締法案」
が帝國議会で審議されたことがあった。無論、特高課が強く望んだものであり、特高課は警視庁を所管する内務省を通じて、内務省より当時の高橋(たかはし)是清(これきよ)内閣に強く働きかけてもらい、結果、高橋内閣から第45議会に出させた法案であった。
貴族院では一部修正の上、可決したものの、しかし、衆議院では憲政会と国民党が適用範囲の不明確や刑の過酷さを理由に強く反対し、結果、審議未了で廃案となっていた。
当時…、大正11(1922)年時の第45回帝國議会における衆議院の定数は今と同じく463議席であり、うち立憲政友会が283議席と圧倒的な過半数を得ており、それに比してやはり当時は野党の立場であった憲政会は101議席、同じく野党の立場であった革新倶楽部に至っては今よりも多いとは言え、46議席に過ぎず、その他に庚申倶楽部25議席、無所属8議席という構成であった。
時の政府与党は立憲政友会の高橋総理が内閣を組織しており、その高橋内閣より提出された、
「過激社会主義運動取締法案」
であるゆえに、本来ならばその立憲政友会が圧倒的多数を占めている衆議院においては難なく通過するものと思われたものの、しかし、実際には野党、それも憲政会と革新倶楽部の抵抗により、数の力で押し切ろうとした立憲政友会を断念させたのであった。
そして今、政府与党は憲政会と立憲政友会と革新倶楽部の護憲三派内閣であり、頭とも言うべき総理こそ、一応、憲政会の加藤(かとう)高明(たかあき)であるものの、しかし、実際には連立パートナーの立憲政友会の発言力が大きく、その立憲政友会は今でも内務省、ひいては特高課が望む「過激社会主義運動取締」については賛成の立場であり、そうであればこそ、納税用件を撤廃した完全なる普通選挙、いわゆる普選の実現に心魂を傾ける総理の加藤高明に対して立憲政友会では「過激社会主義運動取締法案」から名を改めた「治安維持法案」を普選とのひきかえに、つまりは、
「普選の成立に手を貸してやるかわりに、治安維持法案も通せ…」
立憲政友会ではそう、加藤高明に迫り、加藤高明も渋々、これを受け入れたのであった。
こうして衆議院においては「社会主義運動取締法案」改め「治安維持法案」の成立の目鼻がついたものの、しかし問題は貴族院であった。
当時…、大正11(1922)年時の第45回帝國議会における貴族院の構成だが、こちらは定数が393であり、うち、最大会派は立憲政友会と結ぶ研究会であり、139議席であった。とは言え、比較第一会派に過ぎず、過半数には届かない研究会単独では「社会主義運動取締法案」は通らない。
そこで研究会は主に勅撰議員や多額納税者議員で組織される交友倶楽部とさらに無所属を引き入れて、「社会主義運動取締法案」を貴族院で可決させたのであった。
いや、研究会とは立場を異にする、つまりは当時の政府与党であった立憲政友会とは逆に、野党であった憲政会と結んでいた公正会と茶話会、同成会のいわゆる「幸三派」にしても、社会主義といった革新的なものには本当的な嫌悪感があり、それゆえ政府与党である立憲政友会サイドより提出された「社会主義運動取締法案」ではあるが、賛成する者も多く、結果として貴族院では過半数以上の賛成を得てその「社会主義運動取締法案」が通ったのであるが、衆議院で否決されてしまい、廃案となってしまったのは前述の通りである。
そして今、第50回帝國議会における貴族院の定数は若干減り、390議席であり、それに比して比較第一会派は前と変わらず研究会であり、研究会はさらに議席を171に増やしていた。
一方、「幸三派」とも称される、憲政会と結ぶ公正会、茶話会、同成会の三派は逆に軒並み微減であった。いや、その三派にしても前と変わらず、社会主義といったものに本能的な嫌悪感を抱いていることから、貴族院でも再び、「治安維持法案」と名を改めた法案が可決されるのは間違いないと思われた。唯一、吉良(きら)義意(よしおき)の存在がなければ。
即(すなわ)ち、大正12(1923)年の9月1日に発生した関東大震災の影響で、麹町区は有楽町にあった警視庁本庁舎も焼け落ちてしまった。そこで警視庁は同日にはいったん、同区内にある府立第一中学校を仮庁舎と定め、それからさらに5日後の9月6日には警視庁本部の中でも総監官房とそれに警務部、刑事部、衛生部が府立第一中学校からこの府立商工奨励館へと引き移り、残る保安部と消防部は丸の内の有楽館へと引き移っり、それぞれ仮庁舎とした。
その間、有楽町の焼け跡ではバラック庁舎が建てられていた。無論、バラック小屋であるためにこれとて、本格的な本庁舎ができるまでの仮庁舎に過ぎなかった。いつまでも奨励館や有楽館を曲がりしているわけにもゆかないからだ。
だが出来上がったバラック小屋では仮庁舎とするには狭すぎ、そうこうしている間に府立商工奨励館に間借りしていた総監官房らは東京府よりその返還を求められた。この奨励館は東京府の「持ち物」であったからだ。そこで1階に間借りしていた警務部と刑事部、衛生部は東京府からのその返還要求に従い、1階を明け渡して、やはり同区内にある、それも警視庁のすぐお隣の帝國劇場の事務所を新たな「下宿先」とした。
だがそんな中、総監官房のみは東京府からの返還要求に従わず、それに対して東京府も総監官房に強く出られず、総監官房が地下に居座ることを黙認、それが大正13(1924)年12月26日の現在に至(いた)る。
東京府は何ゆえに警視庁の総監官房には強く出られなかったのかと言うと、それはとりもなおさず、
「総監官房が泣く子も黙る特高課を抱えていたから…」
そのためであった。泣く子も黙る、鬼より恐ろしい特高課…、特別高等警察課が相手では東京府も引き下がるより他にない。下手に刺激すれば、見せしめに東京府から「縄付き」が出るやも知れなかったからだ。例え、無実であっても罪をでっち上げることぐらい、「天下」の特高課には「朝飯前」であった、
それにしても総監官房は何ゆえにこの府立商工奨励館に間借りするのにこだわるのかと言うと、それは特高課の強い要求によるものであった。
総監官房は特高課の他にも外事課と調停課があったが、その中でも特高課の「発言権」が特に強く、その特高課がこの府立商工奨励館の地下に間借りすることにこだわったのであった。その理由だが、ひとえに、
「秘密保持のため…」
それであった。特高課のみならず、外事課にしても調停課にしても特に秘密保持が要求され、しかし、地上では秘密保持が難しく、ましてバラック小屋など秘密保持の観点から論外であった。
そこで特高課は秘密保持に比較的、適しているこの奨励館の地下に間借りすることにこだわったというわけで、外事課にしても調停課にしても秘密保持が要求される以上、特高課のその意見に敢(あ)えて異論を差し挟(はさ)む必要もなく、特高課にひきずられた格好であった。
この特高課では34人の課員が働いており、大石(おおいし)良次(よしつぐ)もその一人であった。
良次(よしつぐ)がデスクで日報を書いていると、課長席に座っている大野から、「大石」との声がかかり、それで良次(よしつぐ)も日報を書く手を休め、椅子から立ち上がると、課長席へと歩み寄った。
良次(よしつぐ)が課長席の前に立つなり、「あれはどうなった?」と大野課長より問われた。あれが何を指すのか、それが分からぬようでは特高課員は務まらない。
大野課長の言う「あれ」とは、昨日、発生した代議士・尾崎行雄暴行事件のことであり、さらに言えば尾崎行雄を襲った、雑誌社の鐵血社の社員たちのことである。暴行現場には刑事部より土屋警部が臨場し、さらにこの特高課よりも良次(よしつぐ)が臨場し、取調べを行った。一応、現在でも所轄警察署である品川署で取調べ中ということになっているが、実際には既に、良次(よしつぐ)が被疑者である社員たちの身柄を掻っ攫(さら)っていた。
その社員たちのことを大野課長は尋ねていたのだ。
「始末しました…」
良次(よしつぐ)は何ら気負(きお)うことなくそう答えた。すると大野課長もそれで良いとばかり頷(うなず)いた。
実は鐵血社なる雑誌社の社員たちに代議士の尾崎行雄を襲うよう嗾(けし)けたのは他ならぬ良次(よしつぐ)であった。尾崎行雄は「軍縮」「反戦」を唱える、「危険分子」であった。これで尾崎行雄が単なる平民ならば適当な容疑をでっち上げて、拷問死させれば済む話であったが、しかし、相手が代議士ともなるとそうもゆかぬ。まして尾崎行雄は全国的な知名度のある代議士である。でっち上げ逮捕、そして拷問死という特高課の「十八番(おはこ)」も尾崎行雄が相手では使えない。
そこで特高課では尾崎行雄に対して警告の意味から鐵血社の社員たちに襲わせたのであった。その時、特高課と鐵血社との間で「窓口」に立ったのがこの大石(おおいし)良次(よしつぐ)であった。社員たちは律儀(りちぎ)にも取調べにおいて一切、黙秘(もくひ)した。それが彼らと良次(よしつぐ)との間で取り決められていた約束であったからだ。良次(よしつぐ)の名は一切、出さないという約束である。
しかし、良次(よしつぐ)にしてみれば…、それは特高課にとってもそうであるが、彼らはもう用済みであり、そこで良次(よしつぐ)は彼らの身柄を品川署から掻っ攫(さら)うと、自らが運転するトラックでもって特高課が秘かに要する「アジト」に彼らを運び、そして、良次(よしつぐ)は彼らに毒入りの夜食を与えて皆を毒殺、その後、遺体を埋めたのであった。流石(さすが)に一人で遺体を埋めねばならなかったのには一苦労であったが、その程度で音(ね)を上げるようではやはり特高課員は務まらない。
「ところで、あれはどうなった?」
今度の「あれ」は貴族院を指していた。もっと言えば、貴族院でも審議される予定である、
「衆議院議員選挙法案」
通称、普通選挙法案と、それと表裏(ひょうり)一体の関係にある、
「治安維持法案」
の行方であり、特高課としては勿論、「治安維持法案」の行方に関心があった、いや、はっきり言ってその成立を強く望んでいた。無政府主義者や共産主義者、社会主義者を取り締まる治安維持法案が法律となれば、特高課としても堂々と彼ら、無政府主義者や共産主義者、社会主義者をしょっ引けるからだ。
実は今から2年前の大正11(1922)年にも治安維持法案の前身とも言うべき、
「過激社会主義運動取締法案」
が帝國議会で審議されたことがあった。無論、特高課が強く望んだものであり、特高課は警視庁を所管する内務省を通じて、内務省より当時の高橋(たかはし)是清(これきよ)内閣に強く働きかけてもらい、結果、高橋内閣から第45議会に出させた法案であった。
貴族院では一部修正の上、可決したものの、しかし、衆議院では憲政会と国民党が適用範囲の不明確や刑の過酷さを理由に強く反対し、結果、審議未了で廃案となっていた。
当時…、大正11(1922)年時の第45回帝國議会における衆議院の定数は今と同じく463議席であり、うち立憲政友会が283議席と圧倒的な過半数を得ており、それに比してやはり当時は野党の立場であった憲政会は101議席、同じく野党の立場であった革新倶楽部に至っては今よりも多いとは言え、46議席に過ぎず、その他に庚申倶楽部25議席、無所属8議席という構成であった。
時の政府与党は立憲政友会の高橋総理が内閣を組織しており、その高橋内閣より提出された、
「過激社会主義運動取締法案」
であるゆえに、本来ならばその立憲政友会が圧倒的多数を占めている衆議院においては難なく通過するものと思われたものの、しかし、実際には野党、それも憲政会と革新倶楽部の抵抗により、数の力で押し切ろうとした立憲政友会を断念させたのであった。
そして今、政府与党は憲政会と立憲政友会と革新倶楽部の護憲三派内閣であり、頭とも言うべき総理こそ、一応、憲政会の加藤(かとう)高明(たかあき)であるものの、しかし、実際には連立パートナーの立憲政友会の発言力が大きく、その立憲政友会は今でも内務省、ひいては特高課が望む「過激社会主義運動取締」については賛成の立場であり、そうであればこそ、納税用件を撤廃した完全なる普通選挙、いわゆる普選の実現に心魂を傾ける総理の加藤高明に対して立憲政友会では「過激社会主義運動取締法案」から名を改めた「治安維持法案」を普選とのひきかえに、つまりは、
「普選の成立に手を貸してやるかわりに、治安維持法案も通せ…」
立憲政友会ではそう、加藤高明に迫り、加藤高明も渋々、これを受け入れたのであった。
こうして衆議院においては「社会主義運動取締法案」改め「治安維持法案」の成立の目鼻がついたものの、しかし問題は貴族院であった。
当時…、大正11(1922)年時の第45回帝國議会における貴族院の構成だが、こちらは定数が393であり、うち、最大会派は立憲政友会と結ぶ研究会であり、139議席であった。とは言え、比較第一会派に過ぎず、過半数には届かない研究会単独では「社会主義運動取締法案」は通らない。
そこで研究会は主に勅撰議員や多額納税者議員で組織される交友倶楽部とさらに無所属を引き入れて、「社会主義運動取締法案」を貴族院で可決させたのであった。
いや、研究会とは立場を異にする、つまりは当時の政府与党であった立憲政友会とは逆に、野党であった憲政会と結んでいた公正会と茶話会、同成会のいわゆる「幸三派」にしても、社会主義といった革新的なものには本当的な嫌悪感があり、それゆえ政府与党である立憲政友会サイドより提出された「社会主義運動取締法案」ではあるが、賛成する者も多く、結果として貴族院では過半数以上の賛成を得てその「社会主義運動取締法案」が通ったのであるが、衆議院で否決されてしまい、廃案となってしまったのは前述の通りである。
そして今、第50回帝國議会における貴族院の定数は若干減り、390議席であり、それに比して比較第一会派は前と変わらず研究会であり、研究会はさらに議席を171に増やしていた。
一方、「幸三派」とも称される、憲政会と結ぶ公正会、茶話会、同成会の三派は逆に軒並み微減であった。いや、その三派にしても前と変わらず、社会主義といったものに本能的な嫌悪感を抱いていることから、貴族院でも再び、「治安維持法案」と名を改めた法案が可決されるのは間違いないと思われた。唯一、吉良(きら)義意(よしおき)の存在がなければ。
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