野獣 横田源太郎

ご隠居

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同族の佐野善左衛門が意知を斬ったと知り気に病む佐野茂承を小笠原信喜が励まし、あまつさえ、善左衛門を大明神と称揚する理由 4

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 一方、本堂ほんどう親房ちかふさの場合は田沼たぬま意次おきつぐとの関係かんけいが「ネック」となった。すなわち、親房ちかふさ意次おきつぐのその、

ちかぎる…」

 その関係かんけい治済はるさだにはうとましくかんじられたのであった。

 親房ちかふさじつはかつて老中であった板倉いたくら佐渡守さどのかみ勝清かつきよ四男よんなんであり、それが8千石もの大身たいしん旗本はたもとにして交代こうたい寄合よりあいである本堂ほんどう源之助げんのすけ豊親とよちか養嗣子ようししとしてむかえられたのであった。

 その親房ちかふさは明和元(1764)年にはいきなり大番頭おおばんがしらてられ、いで5年後の明和6(1769)年には西之丸にしのまる御側おそばしゅうへと累進るいしんかさねたのであった。

 親房ちかふさのその異例いれいとも言える累進るいしん背景はいけいとしてまず、父・板倉いたくら勝清かつきよ存在そんざいげられよう。

 すなわち、親房ちかふさがいきなり大番頭おおばんがしらへとてられた明和元(1764)年には勝清かつきよ御側おそば御用人ごようにん通称つうしょう側用人そばようにんつとめており、そして親房ちかふさ西之丸にしのまる御側おそばしゅうへと累進るいしんかさねた明和6(1769)年には勝清かつきよもまた、すで西之丸にしのまるの老中へと累進るいしんかさねており、親房ちかふさ累進るいしんまさしく、実父じっぷたる板倉いたくら勝清かつきよのそれと「リンク」していた。

 だが、親房ちかふさ累進るいしん、いや、勝清かつきよ親房ちかふさ父子ふしと言った方がただしいであろう、勝清かつきよ親房ちかふさ父子ふし累進るいしん最大さいだい背景はいけい理由りゆうとしてげられるのは田沼たぬま意次おきつぐ存在そんざいであろう。

 成程なるほど板倉いたくら勝清かつきよそく親房ちかふさ大番頭おおばんがしらへとてられた明和元(1764)年にはすで側用人そばようにん重職じゅうしょくにあった。

 側用人そばようにんは将軍の最近臣さいきんしんとして、将軍の居所きょしょである中奥なかおく差配さはいする。

 勝清かつきよはその側用人そばようにん要職ようしょくにあったわけだが、しかし、実際じっさいには勝清かつきよは、

「おかざり…」

 それにぎず、実際じっさいにはその直属ちょくぞく配下はいかたる御側御用取次おそばごようとりつぎ田沼たぬま意次おきつぐ中奥なかおく差配さはい実務じつむ仕切しきっていた。それもひとえに、将軍たる家治が勝清かつきよよりも意次おきつぐ寵愛ちょうあいしていたからだ。

 それゆえ勝清かつきよ一人の力では到底とうていそく親房ちかふさにその異例いれいとも言える累進るいしんかさねさせることは出来できなかったであろう。

 にもかかわらずそれを可能かのうたらしめたのは意次おきつぐの力によるものであった。

 意次おきつぐ直属ちょくぞく上司じょうしたる勝清かつきよしの格好かっこうで将軍・家治の寵愛ちょうあいけていたわけだが、意次おきつぐはそのことで勝清かつきよおのれ嫉妬心しっとしんくのではあるまいかと、それをおそれ、そこで意次おきつぐ勝清かつきよ徹底的てっていてきくすことでそれを回避かいひすることにつとめたのだ。

 親房ちかふさのその異例いれいとも言える累進るいしんもその一環いっかんであり、意次おきつぐ勝清かつきよおんるべく、その豪腕ごうわんをもってして、親房ちかふさをいきなり大番頭おおばんがしらへとてさせたのであった。

 それに対して勝清かつきよ馬鹿ばかではないので意次おきつぐのその心中しんちゅうると、意次おきつぐおおいに感謝かんしゃしたものである。

 そして勝清かつきよは明和4(1767)年には側用人そばようにんから西之丸にしのまるの老中へと累進るいしんかさねたのだが、その際もやはり意次おきつぐがその豪腕ごうわん発揮はっきしたものである。

 やはり勝清かつきよおんるためであったが、無論むろん、そこには打算ださんふくまれており、すなわち、

板倉いたくら勝清かつきよ側用人そばようにんから西之丸にしのまるの老中へと昇進しょうしんさせてやることで、御側御用取次おそばごようとりつぎたるおのれ側用人そばようにん昇格しょうかくたす…」

 つまりは、

勝清かつきよってわる…」

 そのような打算ださんがあった。それも勝清かつきよのような「おかざり」の側用人そばようにんではなく、

名実めいじつともに…」

 実力じつりょくそなえた側用人そばようにんとしてであり、事実じじつ意次おきつぐ側用人そばようにんてられると、2万石に加増かぞうされ、のみならず相良さがらの地に築城ちくじょうゆるされたのであった。

 一方、勝清かつきよにしてもやはり意次おきつぐにそのような打算ださんがあることには勿論もちろん気づいていたものの、しかし、動機どうきはともあれ意次おきつぐ御蔭おかげ西之丸にしのまるの老中へと昇進しょうしん出来できたのにはちがいなく、その点、意次おきつぐに大いに感謝かんしゃしたものである。

 何しろ西之丸にしのまるの老中とはすなわち、次期じき将軍であった家基いえもとつかえる老中というわけで、れて家基いえもと征夷大将軍せいいたいしょうぐんとして本丸ほんまるへとうつさいには西之丸にしのまるにて家基いえもとつかえていた老中も本丸ほんまるへとうつることになる。つまりは次期じき将軍ならぬ、次期じき本丸ほんまる老中が約束やくそくされたも同然どうぜんであり、勝清かつきよにとってわるはなしではない、それどころかおおいに歓迎かんげいすべきところであった。

 こうして意次おきつぐ勝清かつきよ側用人そばようにんから西之丸にしのまるの老中へと昇格しょうかくさせると、それから2年後の明和6(1769)年には今度はそく親房ちかふさをも大番頭おおばんがしらから、実父じっぷ勝清かつきよのいる西之丸にしのまるへと、それも御側おそばしゅうとして異動いどう栄転えいてんたさせたのだ。

 西之丸にしのまるにて次期じき将軍につかえる御側おそばしゅうにしてもまた、西之丸にしのまるの老中とおなじことが言え、次期じき将軍が征夷大将軍せいいたいしょうぐんとして本丸ほんまるへとうつるにさいしては西之丸にしのまるにて次期じき将軍につかえていた御側おそばしゅうもまた、本丸ほんまるへとうつり、本丸ほんまるにて御側おそばしゅうつとめることが出来できるのだ。やはり親房ちかふさにとってもわるはなしではない、それどころか歓迎かんげいすべきところであろう。

 このような次第しだいで、親房ちかふさ実父じっぷ勝清かつきよ共々ともども意次おきつぐふかえにしむすばれており、治済はるさだもそのことは把握はあくしており、それゆえそのような親房ちかふさうとましくかんじられたのであった。
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