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本当のこと
②
しおりを挟む講義室にたどり着いたのは、授業が始まる二分前だった。もやもやとした気分を抱えながらも、重いドアを開けて講義室へと滑り込む。
ほとんど埋まっている席を見回して嶋田と菅田の姿を探していると、後方で菅田がひらひらと手を振っているのを見つけた。康介は急いで彼らの元へと向かった。
その後すぐに教授がやってきて授業が開始された。けれど教授の話はするすると頭の上を通り過ぎるばかりで、ただあの「いいよ」という涼の声なき言葉だけがぐるぐると心の中に渦巻いていた。
「で、何だったの?」
授業が終わった途端、案の定菅田が好奇心に目を輝かせながら尋ねてきた。
「何が」
リュックに教科書やらファイルやらをしまいながら、ちらっと菅田を見やる。その奥の席にいる嶋田も思い切り聞き耳を立てているのが伝わってくる。康介はため息を吐き出した後、重い口を開いた。
「……飲み会誘われて困ってたみたい」
「ほうほう、それを芝崎が華麗に助けてきたと」
「べつにそんなんじゃねーよ」
康介は唇を尖らせた。
「つーか菅田、もう今日は授業終わりだろ? 帰んなくていいの」
目を細めながら尋ねるも、にやりと人の悪い笑みを返される。
「いいよそんなの。それに芝崎たち、次の授業休講になったんだろ? もうちょい話そーよ」
「お前、ただ興味津々なだけだろ……」
康介は呆れたように肩をすくめた。とは言え、友人たちと話している方がもやもやした気が紛れるのも事実だ。菅田の言葉に従い、そのままラウンジへと移動する。
「でもさ、高倉ってそういう誘いって慣れてるだろ。簡単な断り方くらい心得てんじゃねぇの?」
ラウンジの隅の古ぼけた小さなソファに腰掛けながら、嶋田が訝しげに首を傾げる。スプリングがギィ、と苦しげな音を立てた。
「うーん、べつにそんなこともないと思うけど。それに今回はちょっと相手が悪かったって言うか」
「え、誰だったの?」
「吉村」
名前を告げると、菅田たちは二人して「あー……」と頷きながら苦笑した。彼のノリの軽さや距離の近さは学科内でも有名なのだ。
「そりゃ不幸だったな。アイツ飲み会に命懸けてるもんな」
「この前、夏までにどうしても彼女作りたいって息巻いてたもんねぇ」
「ああ、先週の英語の授業でも言ってたな」
「誰でも良いってのが透けて見えてるから彼女できないんだろーね」
さっき自販機で買ってきたばかりのコーヒー缶を開けながら、菅田が笑う。真っ黒い缶がカシッと小気味よく鳴った。
「えーっ!」
不意に、ラウンジのそばから女子の叫び声が響いてくる。三人は声のした方向を振り返った。声の主である女子学生は隣を歩く友達に向けて、手に持ったスマホの画面を見せているようだ。
「今日の飲み会、高倉くん結局来ないんだって」
「うそ、まじで?」
「うん、ほら、今来たメッセージに書いてる」
「ほんとだ、もう今日行く意味ないじゃん」
「言えてる~」
話しながら去って行く彼女たちの背中を見送ってから、三人は顔を見合わせる。
「……やっぱりすごいな、涼」
何となく苦い気持ちで康介がぽつりと呟く。他の二人もうんうんと大きく頷いた。
「さすがイケメン、羨ましいな」
「吉村のやつ、オトリにするには釣り餌がデカすぎるだろうに」
菅田がニヤリと口の端を上げる。やっぱり菅田も、涼を客寄せに利用しようとした吉村の企みを看破しているようだ。マイペースな割に頭の回転が速い彼らしい。康介は苦笑いをこぼす。
「ま、でも確かに高倉って飲み会とか行きそうにないもんなぁ」
頭の後ろで手を組みながら、嶋田がしみじみと呟いた。
「なんか、人と一緒に飯食うのとか好きじゃなさそうな感じするし」
思わず康介はパッと顔を上げ、嶋田の顔を見る。気づいた嶋田が怪訝そうに片眉を上げた。
「ん? どうかした?」
「……いや、なんでもない」
慌てて首を振りつつ、康介は軽い声音を作る。けれど胸の中には、水中に垂らした墨のような疑問がじわりと広がっていた。
もしかして、本当に、迷惑だったのだろうか。部屋に呼んで一緒にご飯を食べるのも。この前の金曜日のように外食に誘うのも。手のひらにじわりと汗が滲む。
だとしたら、あの吉村と変わらないではないか。
康介は汗ばむ手をきつく握りしめた。
助けようだなんて思い上がって、涼を利用しようとしたことに怒っていたけれど、そんな資格なんて無かったのかもしれない。だって、涼の意思を蔑ろにして自分の都合を押し付けていた点は同じかもしれないのだ。
心臓の拍動が、嫌に大きな音で体の中に響く。康介はぎゅっと奥歯を噛みしめた。
嶋田たちと別れて帰宅してから、チャットアプリにニ件の通知が届いていたことに気づいた。アプリを開いてみると、送り主は二つとも涼だった。
『ごめん、今日は俺のぶんの夕食作ってくれなくていい。今の状況のまま康介の料理ごちそうになる権利ない』
『ちゃんと話したいから、今日は少し早めに部屋に行っていいか?』
胸の奥がきゅうっと締めつけられる。スマホを握りしめながら、康介は深く息を吐き出した。
いつもより長めの、誠実な文章。
そうだ。俺は、涼のこういうところが好きなんだ。噛みしめるように、そう思う。
ちょっと素っ気なくてぶっきらぼうなところもあったけど、でもさりげなく皿洗いを手伝ってくれたりちょっとした手土産を欠かさなかったり、そして参考書を拾い上げてくれたり。
そういうさらりとした確かな優しさにこそ、つよく惹かれているのだ。康介はふっと目を伏せる。
今日の晩ご飯の付け合わせはついぞ思いつかなかったが、もうそれに悩む必要なんてなくなった。けれど、それを幸運だとは、どうしても思えなかった。
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