握るのはおにぎりだけじゃない

箱月 透

文字の大きさ
21 / 43
本当のこと

しおりを挟む

「べつに、たいした理由なんてないよ。ただ、康介は人気者だから、あんまり俺ばっかりに構わせちゃ悪いよなって思っただけ」
 涼は、何でもないことのようにさらりと告げた。その声はもう掠れてはいない。淀みなく、軽い調子で語った後、涼はふっと口の端を持ち上げた。
 そのぎこちない笑顔も、わざとらしく流暢な言葉も。まるで虚勢を張るかのようなそれらは、おそらくもっと奥にある本心を覆い隠すための建前だろう。躱されたのだ。
 なのに、瞳だけはまだわずかに揺れている。まるで隠した本心が滲み出ているかのように。それが返って痛々しい。康介はぎゅっと唇を噛みしめた。
「そっか。話してくれてありがとう」
 康介は小さく笑ってみせる。一瞬、涼の黒い瞳が康介を捉え、けれどすぐに伏せられた。
「でも俺、べつに人気者でも何でもないよ」
「そんなことないだろ」
「そんなことあるよ。だからさ、変な遠慮とかしなくていいんだって」
 康介は俯いた涼の顔を覗き込んだ。しっかり、目を合わせて告げる。
「俺、涼と一緒にご飯食べるのすげぇ楽しいんだ。だから、もし涼の迷惑じゃなければこれからも水曜日の約束を続けていきたいんだけど、どうかな」
 涼の目が微かに見開かれた。それから、きゅっと細められる。小さくふるえるまつげが無性に儚くみえてしまい、まだ返事も聞いていないのに胸が詰まる。
涼は、こくりと頷いてくれた。
「迷惑なんかじゃない。俺も、楽しいと思ってるから」
 まっすぐなこの声音は、きっと作られたものではないはずだ。康介はほっと息をついた。
「よかった……」
 思わず体中の力が抜けてしまった。康介はカシカシと頭をかきながら、吐息のような言葉をこぼす。すると、涼がそっと体を寄せてきた。猫が甘えるような──悪戯の後で何かを償おうとするような、そんな仕草だった。
 もしかしたら、本音を話さないこと、話せないことに、涼自身が後ろめたさを感じているのかもしれない。チャットアプリでは『ちゃんと話したい』と言ってくれた彼だから、最初は心の奥の本音まで全部話すつもりだったのだろう。
 でも、そんな簡単に話せるもんじゃないよな。
 そばにある、伏し目がちな横顔を見つめながら、康介はそっと思う。
 心の奥底に隠しているからこそ、簡単にはさらけ出せないからこそ、それは「本音」と呼ばれるのだ。それに、さらけ出すことに慣れていない部分を、無理に暴くような真似はしたくない。康介は胡座をかいた足の上で、固く両手を握りしめた。
 すぐ隣に座る涼は、抱えた膝の上にこてんと頭を乗せた。それはひどく幼くて、頼りない仕草のように思えた。重力のままに顔を覆うように流れる黒髪のせいで、彼の表情は窺えない。
「……康介はつよいな」
 俯いたまま、涼がぽつりと呟く。
 何が──と尋ねようとしたとき、ふと涼が顔を上げた。
「ごめん、俺のせいで嫌な気分にさせて。それと話聞いてくれてありがとう」
 そう告げる涼は、幼さなど感じさせない、完璧なほどに整った笑みを浮かべていた。その微笑みはやっぱり綺麗で、だけど同時にどうしようもなく胸のあたりが苦しくなる。康介はぎこちなく首を横に振った。
「いや、全然大丈夫だよ。俺の方こそ、悪かった」
「ううん、俺が……って、これじゃキリがないな」
 涼がふっと口元を緩める。康介もついつい噴き出してしまった。
 張り詰めていた空気が、ゆっくりと解けてゆく。
「な、もしよかったら今日も晩ご飯食べていかない?」
 胡座の上で両手をもてあそびながら、康介はできるだけさりげなく提案する。
「えっ、でも」
 涼がちらりとドアの向こうのキッチンへと視線を向けた。そこにはいつもと違って鍋もフライパンも並んではいない。
「うん、まだ作ってないんだけど、でも親子丼ならすぐに作れるからさ」
「……じゃあ、俺も手伝う」
「えっ!」
 康介は勢いよく涼へと向き直る。涼は小さく苦笑した。
「あんまり役には立てないかもだけど」
「いやいや、すげぇ嬉しい!」
 思わず康介は立ち上がった。さっそくキッチンへと行きたくなるほど逸る気持ちを隠しもせずに言うと、涼は呆れたみたいに笑ってくれた。
 腰を上げた涼とともにキッチンへと向かう。狭いキッチンは男二人が立つとすぐにぎゅうぎゅうになったけれど、その距離がかえって嬉しい。
「じゃあ俺は味噌汁の準備するから、涼はお米研いでくれる?」
「わかった」
 鍋やまな板を取り出しながら指示を出す。炊飯器の内釜に米を一合半入れて手渡すと、涼はてきぱきと米を研ぎ始めた。前にカレーくらいなら作れると言っていた彼は、確かに思っていたより手慣れた様子である。シャッシャッと響く音が小気味よい。そこに、康介が玉ねぎを切るトントンという音が入り混じる。
 やがて、あたたかな湯気が白く立ちのぼり出汁の優しい匂いが香りはじめる。付け合わせに悩んでいたのが嘘のように、食卓に並んだおかずはいつもより一品多く、鮮やかなものになっていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

イケメンモデルと新人マネージャーが結ばれるまでの話

タタミ
BL
新坂真澄…27歳。トップモデル。端正な顔立ちと抜群のスタイルでブレイク中。瀬戸のことが好きだが、隠している。 瀬戸幸人…24歳。マネージャー。最近新坂の担当になった社会人2年目。新坂に仲良くしてもらって懐いているが、好意には気付いていない。 笹川尚也…27歳。チーフマネージャー。新坂とは学生時代からの友人関係。新坂のことは大抵なんでも分かる。

【完結】毎日きみに恋してる

藤吉めぐみ
BL
青春BLカップ1次選考通過しておりました! 応援ありがとうございました! ******************* その日、澤下壱月は王子様に恋をした―― 高校の頃、王子と異名をとっていた楽(がく)に恋した壱月(いづき)。 見ているだけでいいと思っていたのに、ちょっとしたきっかけから友人になり、大学進学と同時にルームメイトになる。 けれど、恋愛模様が派手な楽の傍で暮らすのは、あまりにも辛い。 けれど離れられない。傍にいたい。特別でありたい。たくさんの行きずりの一人にはなりたくない。けれど―― このまま親友でいるか、勇気を持つかで揺れる壱月の切ない同居ライフ。

人気アイドルグループのリーダーは、気苦労が絶えない

タタミ
BL
大人気5人組アイドルグループ・JETのリーダーである矢代頼は、気苦労が絶えない。 対メンバー、対事務所、対仕事の全てにおいて潤滑剤役を果たす日々を送る最中、矢代は人気2トップの御厨と立花が『仲が良い』では片付けられない距離感になっていることが気にかかり──

【完結】口遊むのはいつもブルージー 〜双子の兄に惚れている後輩から、弟の俺が迫られています〜

星寝むぎ
BL
お気に入りやハートを押してくださって本当にありがとうございます! 心から嬉しいです( ; ; ) ――ただ幸せを願うことが美しい愛なら、これはみっともない恋だ―― “隠しごとありの年下イケメン攻め×双子の兄に劣等感を持つ年上受け” 音楽が好きで、SNSにひっそりと歌ってみた動画を投稿している桃輔。ある日、新入生から唐突な告白を受ける。学校説明会の時に一目惚れされたらしいが、出席した覚えはない。なるほど双子の兄のことか。人違いだと一蹴したが、その新入生・瀬名はめげずに毎日桃輔の元へやってくる。 イタズラ心で兄のことを隠した桃輔は、次第に瀬名と過ごす時間が楽しくなっていく――

僕の恋人は、超イケメン!!

BL
僕は、普通の高校2年生。そんな僕にある日恋人ができた!それは超イケメンのモテモテ男子、あまりにもモテるため女の子に嫌気をさして、偽者の恋人同士になってほしいとお願いされる。最初は、嘘から始まった恋人ごっこがだんだん本気になっていく。お互いに本気になっていくが・・・二人とも、どうすれば良いのかわからない。この後、僕たちはどうなって行くのかな?

【完結】アイドルは親友への片思いを卒業し、イケメン俳優に溺愛され本当の笑顔になる <TOMARIGIシリーズ>

はなたろう
BL
TOMARIGIシリーズ② 人気アイドル、片倉理久は、同じグループの伊勢に片思いしている。高校生の頃に事務所に入所してからずっと、2人で切磋琢磨し念願のデビュー。苦楽を共にしたが、いつしか友情以上になっていった。 そんな伊勢は、マネージャーの湊とラブラブで、幸せを喜んであげたいが複雑で苦しい毎日。 そんなとき、俳優の桐生が現れる。飄々とした桐生の存在に戸惑いながらも、片倉は次第に彼の魅力に引き寄せられていく。 友情と恋心の狭間で揺れる心――片倉は新しい関係に踏み出せるのか。 人気アイドル<TOMARIGI>シリーズ新章、開幕!

フローブルー

とぎクロム
BL
——好きだなんて、一生、言えないままだと思ってたから…。 高二の夏。ある出来事をきっかけに、フェロモン発達障害と診断された雨笠 紺(あまがさ こん)は、自分には一生、パートナーも、子供も望めないのだと絶望するも、その後も前向きであろうと、日々を重ね、無事大学を出て、就職を果たす。ところが、そんな新社会人になった紺の前に、高校の同級生、日浦 竜慈(ひうら りゅうじ)が現れ、紺に自分の息子、青磁(せいじ)を預け(押し付け)ていく。——これは、始まり。ひとりと、ひとりの人間が、ゆっくりと、激しく、家族になっていくための…。

処理中です...