22 / 43
【番外編】楽しい時を
①
しおりを挟む五月の終わりの、ある金曜日の夜。康介は手に持ったスマートフォンの画面とにらめっこしながら、うんうんと唸っていた。
「日曜日って空いてる? もしよかったら映画見に行かない?」
画面に表示されているありきたりな文章は、まだ未送信のまま。これを送信する勇気があと一歩足りないのだ。
一昨日の水曜日。涼と喧嘩をして仲直りをして、二人で親子丼を作った。隣に並んでいつもより話をして一緒に料理をしたあの夜、もっと涼のことを知りたいと思った。知らなければいけないと思ったのだ。彼の、心の奥底にしまい込んだ核心をきちんと見つけられるようになるために。
とは言え、大学のキャンパスでも家でもない場所で会うのはやっぱりまだ少し緊張してしまう。前に成り行きで一緒にハンバーグを食べたことはあるけれど、約束をして待ち合わせて出かけたことはまだ一度もないのだ。もし断られたら……と尻込みする気持ちと、それでも一緒に出かけてみたい気持ちがゆらゆらとせめぎ合う。康介はぎゅっとスマホを握りしめる。
ええい、ままよ。心の中で叫びながら、なかば勢いで送信ボタンを押す。あんなに悩んでいたのが嘘のように、指先ひとつでいとも簡単に言葉は涼のもとへと飛んでいった。涼はまだバイト中だろうから返事がくるのはもう少し先になるだろう。早く既読になってほしいような、まだ読まないでほしいような。複雑な気持ちで康介は緑色の吹き出しを見つめた。
それから一時間と少し経った頃、スマホが軽快な音を鳴らした。康介は慌てて読みかけの本を閉じてスマホのチャットアプリを開いた。通知一件、涼から。ドキドキと胸を騒がせながらトークルームをタップする。
「いいよ。何みる?」
「よっしゃあ!」
康介は勢いよくガッツポーズをした。しゅわしゅわと泡立つような高揚感が胸の中で弾ける。安堵と歓喜が混じりあって、どうしたって口元がふにゃりと緩んでしまう。
「やった、ありがとう! 気になってたやつがあるんだけど──……」
返信を入力する指先は、まるで弾むように画面の上を滑ってゆく。
そうして迎えた日曜日。太陽が眩しく光る空は雲ひとつない晴天で、絶好のお出かけ日和だ。
窓から射し込む朗らかな陽光を感じつつ、康介はバタバタと慌ただしく準備をしていた。待ち合わせ(というか隣の部屋まで迎えに行くだけだけれど)の時間は十時だから、あと十分足らずだ。持ち物も服も昨日準備しておいたけれど、約束の時間が迫るごとにこれで本当にいいだろうかという不安がもこもこと膨らんでくる。ハンカチとティッシュはもちろん、もしかしたら天気が崩れてくるかもしれないから折り畳み傘も入れておこう。上着はカーディガンにしたけれど、映画館の中は寒いかもしれないから薄手のジャケットにした方がいいだろうか。
リュックの中身をひっくり返して持ち物点検をして鏡の前で服装と身だしなみチェックをして、気づいたときには時計の針が十時二分を示していた。康介は慌てて部屋を飛び出した。
インターホンを押すとすぐに涼が出てきた。私服姿なんて大学でも見慣れているのに、なぜか今日はいつもより特別に見えてしまう。どぎまぎしながら康介は片手を上げた。
「ご、ごめん待った?」
微妙に上擦った声で言うと、涼がクスクスと笑った。
「ううん今来たとこ……って言った方がいい?」
いたずらっ子のようにニヤッと笑う顔に、思わず頬が熱くなる。康介は目を泳がせながらぽりぽりと頭をかいた。
映画館のある大型ショッピングモールは、最寄り駅から三駅先にある。少し混んだ電車の中、かすかに肩が触れ合う距離に立っていると、「涼と一緒に出かけている」ことをまざまざと実感する。なんだか夢のようだ。同じリズムで左右に揺れる小さめの頭を眺めながら、康介はほわりと浮き立つような気分を噛みしめていた。
駅に着き構内から出ると、途端に喧騒が体を取り巻いた。にぎやかに騒ぐ若者たちの笑い声やらキャッチの声やらを、暑さを含んだ五月の風がかき混ぜる。雑多に行き交う人たちに紛れるように、ショッピングモールまでの道のりを二人並んで歩く。
「映画館で映画見るの結構久しぶりだわ。すげぇ楽しみ」
康介が言うと、涼もこくりと頷いた。
「うん、俺も」
「やっぱり映画館の大迫力で映画見るのってワクワクするよな」
「ポップコーンとか食べながら?」
「いいな、買おう買おう!」
康介は弾むように大きく頷いた。足取り軽く歩く二人のそばを、穏やかな風が通り過ぎてゆく。二人のジャケットの裾が同じようにひらりとたなびく。黒髪をかすかになびかせながら、涼が小さく笑った。
「どうかした?」
康介はすぐ隣にある顔を覗き込む。
「なんか、……すでに楽しい」
呟いた涼は、照れたように少し目を伏せた。長いまつげの上に白い光の粒が小さく輝いている。
同じときに、同じことを考えてくれていることが、どうしようもなく嬉しい。胸の中にほわりとあたたかいものが溢れていく。康介はニッと口元を緩めた。
「俺も、すげぇ楽しい」
0
あなたにおすすめの小説
【完結】愛されたかった僕の人生
Kanade
BL
✯オメガバース
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。
今日も《夫》は帰らない。
《夫》には僕以外の『番』がいる。
ねぇ、どうしてなの?
一目惚れだって言ったじゃない。
愛してるって言ってくれたじゃないか。
ねぇ、僕はもう要らないの…?
独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。
イケメンモデルと新人マネージャーが結ばれるまでの話
タタミ
BL
新坂真澄…27歳。トップモデル。端正な顔立ちと抜群のスタイルでブレイク中。瀬戸のことが好きだが、隠している。
瀬戸幸人…24歳。マネージャー。最近新坂の担当になった社会人2年目。新坂に仲良くしてもらって懐いているが、好意には気付いていない。
笹川尚也…27歳。チーフマネージャー。新坂とは学生時代からの友人関係。新坂のことは大抵なんでも分かる。
【完結】毎日きみに恋してる
藤吉めぐみ
BL
青春BLカップ1次選考通過しておりました!
応援ありがとうございました!
*******************
その日、澤下壱月は王子様に恋をした――
高校の頃、王子と異名をとっていた楽(がく)に恋した壱月(いづき)。
見ているだけでいいと思っていたのに、ちょっとしたきっかけから友人になり、大学進学と同時にルームメイトになる。
けれど、恋愛模様が派手な楽の傍で暮らすのは、あまりにも辛い。
けれど離れられない。傍にいたい。特別でありたい。たくさんの行きずりの一人にはなりたくない。けれど――
このまま親友でいるか、勇気を持つかで揺れる壱月の切ない同居ライフ。
人気アイドルグループのリーダーは、気苦労が絶えない
タタミ
BL
大人気5人組アイドルグループ・JETのリーダーである矢代頼は、気苦労が絶えない。
対メンバー、対事務所、対仕事の全てにおいて潤滑剤役を果たす日々を送る最中、矢代は人気2トップの御厨と立花が『仲が良い』では片付けられない距離感になっていることが気にかかり──
【完結】口遊むのはいつもブルージー 〜双子の兄に惚れている後輩から、弟の俺が迫られています〜
星寝むぎ
BL
お気に入りやハートを押してくださって本当にありがとうございます! 心から嬉しいです( ; ; )
――ただ幸せを願うことが美しい愛なら、これはみっともない恋だ――
“隠しごとありの年下イケメン攻め×双子の兄に劣等感を持つ年上受け”
音楽が好きで、SNSにひっそりと歌ってみた動画を投稿している桃輔。ある日、新入生から唐突な告白を受ける。学校説明会の時に一目惚れされたらしいが、出席した覚えはない。なるほど双子の兄のことか。人違いだと一蹴したが、その新入生・瀬名はめげずに毎日桃輔の元へやってくる。
イタズラ心で兄のことを隠した桃輔は、次第に瀬名と過ごす時間が楽しくなっていく――
僕の恋人は、超イケメン!!
刃
BL
僕は、普通の高校2年生。そんな僕にある日恋人ができた!それは超イケメンのモテモテ男子、あまりにもモテるため女の子に嫌気をさして、偽者の恋人同士になってほしいとお願いされる。最初は、嘘から始まった恋人ごっこがだんだん本気になっていく。お互いに本気になっていくが・・・二人とも、どうすれば良いのかわからない。この後、僕たちはどうなって行くのかな?
【完結】アイドルは親友への片思いを卒業し、イケメン俳優に溺愛され本当の笑顔になる <TOMARIGIシリーズ>
はなたろう
BL
TOMARIGIシリーズ②
人気アイドル、片倉理久は、同じグループの伊勢に片思いしている。高校生の頃に事務所に入所してからずっと、2人で切磋琢磨し念願のデビュー。苦楽を共にしたが、いつしか友情以上になっていった。
そんな伊勢は、マネージャーの湊とラブラブで、幸せを喜んであげたいが複雑で苦しい毎日。
そんなとき、俳優の桐生が現れる。飄々とした桐生の存在に戸惑いながらも、片倉は次第に彼の魅力に引き寄せられていく。
友情と恋心の狭間で揺れる心――片倉は新しい関係に踏み出せるのか。
人気アイドル<TOMARIGI>シリーズ新章、開幕!
フローブルー
とぎクロム
BL
——好きだなんて、一生、言えないままだと思ってたから…。
高二の夏。ある出来事をきっかけに、フェロモン発達障害と診断された雨笠 紺(あまがさ こん)は、自分には一生、パートナーも、子供も望めないのだと絶望するも、その後も前向きであろうと、日々を重ね、無事大学を出て、就職を果たす。ところが、そんな新社会人になった紺の前に、高校の同級生、日浦 竜慈(ひうら りゅうじ)が現れ、紺に自分の息子、青磁(せいじ)を預け(押し付け)ていく。——これは、始まり。ひとりと、ひとりの人間が、ゆっくりと、激しく、家族になっていくための…。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる