Make A Joyful Noise!

外鯨征市

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第8話

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 あの日から一週間後の土曜日。
 合同練習の日というわけではなかったけども東郷は練習のために中学校の音楽室に来ていた。本番に参加するかどうか答えが出ていないけども、出演することになったときに備えて少しでもブランクを埋めておきたかった。
 それだけじゃない。
 今日は合同練習の日ではないけども宗太郎が練習に参加するということを苅田から教えられていたのだ。東郷はただコントラバスを練習するだけでなく彼に用事があって音楽室に来ていたのだ。
「よし、今日の練習はここまでとしよう。今回指示した部分のパート練習をしておくんだ。合同練習ができる機会は残り少ないから自分たちやれるだけのことをやっておくんだぞ」
 指揮者台に立つ宗太郎の指示に部員たちが勢いよく返事をする。
「あとは顧問に譲るとして」
 彼はタクトを高そうな革張りのケースに収めるとパチンと軽快な音を立てて閉じた。以前雑談で聞いたがあれは代理指揮者に就任したときに柘植から貸与されたようだ。そのケースを譜面台に置くと広げていた総譜を片付けた。
 閉じられたその表紙を見て何かを思い出したようだ。
「おっと聞かないといけないことがあった。東郷、楽器を片付けたら俺のところに来てくれ。職員室で遊んで待っている」
 東郷は何を聞かれるかは気づいていた。
 今度の演奏会に参加するかどうか。
 彼はいまだにその答えを保留にしている。
練習に出ているからその答えを出せていないんだろう。先日の練習で宗太郎にそう言われた。彼の口ぶりは東郷を責めるようなものでなければ急かすようなものでもなかった。きっと東郷が自分なりの答えを見つけるのを待ってくれているのだろう。
しかしいつまでもずるずると悩んでいるわけにはいかない。宗太郎が待っていてくれるからといって彼の厚意に甘えているわけにはいかない。
 クラスマッチの応援参加の件を依頼しなければならなかったが、それよりも前に以前からの問題が目の前に迫っていた。
 参加するべきか辞退するべきか。
 東郷は数分後に控えた返事を考えながらコントラバスの弦を緩めた。

「東郷、俺に何か言いたいことがあるんじゃないか?」
 苅田専用の椅子を軋ませて遊ぶ宗太郎は優しく東郷に質問した。
「……すみません、まだ答えが出せていません」
 職員室に来るように言われたときから東郷は必死で返事を考えた。しかしこれまでに長い時間をかけて悩んでいた問題がたった数分で決断できるわけがなかった。どちらの答えも出せなかった東郷は素直に謝ろうと速やかに職員室へと出頭した。
「その話じゃねぇよ」
 てっきり本番に参加するかどうかを聞かれると思って職員室に来たものの、宗太郎が聞きたかったことはそれではなかったようだ。まだ答えが出ていないことをどのように説明しようかと考えていたが今回は返事を出さなくても良いらしい。
 かといっていつまでも結論を先延ばしにするわけにはいかないけども。
「何か困っているように見えるぞ」
「たしかに困っていることはありますけど、これを宗太郎さんに話してもいいものかどうか……」
「おいおい、俺が柘植先生に与えられた仕事は棒を振ることだけじゃないぞ」
 彼が柘植から与えられたのは今回の合同演奏に関する全ての権限。
 いわば合同演奏に限っては彼が音楽監督を務めることになる。
 前回宗太郎と会話したときに彼はその事を口酸っぱく語っていた。
「遠慮せずに言ってみろ。演奏者の悩みを聞くのも音楽監督の仕事だ」
「実は……」
 遠慮はしなくていいと言われても東郷は申し訳なさそうに事情を話した。
 ずっと昔から軽音楽同好会が部活動昇格を求めて学校や吹奏楽部と言い争っていること。今回のクラスマッチで反対勢力の空手部と異種格闘技の特別試合が実施されること。そしてその特別試合に勝利することができたら部活動へと昇格できること。
 しかし軽音楽同好会には格闘技経験者がほとんどいない。少しだけ経験している生徒はいるらしいが、その生徒たちだけでは到底勝てそうにない。そのため東郷の幼馴染であり、二年生ながら軽音楽同好会の幹部を務めている鶴見から宗太郎を紹介してくれと頼まれている。
 東郷は先日のファミレスで部長と副部長に教えられた情報を宗太郎に伝えた。
 しかしその話を聞いている彼は困っていた。
「と言われてもなぁ」
「やっぱり無理ですよね?」
「手伝ってやりたいが、相手は全国出場経験者とはいえアマチュアだからな」
「そうですか……」
 鳴子川高校の空手部は全国大会に出場するほどの強豪だ。しかし宗太郎の言う通り、いくら強いといってもアマチュアの域を出ない。そんな相手をプロが叩きのめそうものならば問題になりかねない。
「それにクラスマッチって学校行事だろ? 教職員ならばともかく、完全な部外者が参加したらまずいだろ」
「一応それは大丈夫です。さすがに軽音楽側は素人だから外部から助っ人を呼んできてもいいという条件になったそうです。ただその時は空手部の顧問も出てくるそうですけど」
「顧問も出てくるのか」
「なんでもあの顧問に勝てる人間は宮崎県にはいない、と言っているそうで」
「ほう、それは一度会ってみたいものだ」
「会いたいもなにも、宗太郎さん、この前地面に押さえつけていたじゃないですか」
 音楽室が入っている三階から飛び降りて枕崎の口を塞ぎ、解放されたのちに反撃に移った彼を地面に組み伏せていた。
 会うどころか既に戦っているではないか。
 そして東郷は気づいてしまった。
 あの顧問に勝った人間が宮崎県にいるではないか。しかも目の前に。
「なんだ、あれが空手部の顧問だったのか」
「はい、こちらが助っ人を連れてくるとあの先生も参加するそうです。ただ助っ人を呼ばないと軽音楽側に勝ち目はありませんし、あの空手部顧問に勝てる人物というのが宗太郎さんしかいなんです」
「……そうか」
 宗太郎は腕を組んだまま唸る。
「現役ではないとはいえ格闘指導官まで出てくるとはな。どうやら向こうは本気で部活動昇格を阻止したいようだ」
「なんでも空手部の顧問が軽音楽を嫌っているみたいなんです。その後ろ盾があって空手部や吹奏楽部があらゆる手を使って軽音楽同好会の部活動昇格を阻止しようとしているんです」
「軽音楽同好会はうるさくて近所迷惑だから、か?」
 東郷は驚いた。
 その主張は生徒総会で大村が部活動昇格に反対するために言い放った主張だった。
 しかしその時に体育館に宗太郎はいなかったはずだ。それどころか東郷も吹奏楽部員も、彼とは面識がなかった。
「……なんでそれを知っているんですか?」
「おいおい、俺は指揮者だぞ。演奏者の事を知っていて当然だ」
「それじゃあそれを言った人も……」
 宗太郎はニヒルな笑みを浮かべて首肯した。
 彼はこれまでそれを知ったうえで大村と接していたのだろうか。
 そして大村は過去の発言を宗太郎に把握されていることに感づいているのだろうか。
「奴はこれまで部活で何をやっていたんだろうな」
 宗太郎は言っていた。
 学校の吹奏楽部は教育の一環として吹奏楽という手段を使っているに過ぎない。学校教育の延長線上にあるのだ。それならば部員の指導にあたる顧問は演奏技術を教えていればいいわけではない。演奏技術を通して音楽の域を超えたあらゆることを教えなければいけないのだろう。
 軽音楽はうるさくて近所迷惑。
 そう言い放った大村に対して東郷は失望した。
 他人が青春を捧げて取り組んでいることを否定するだなんて。彼女はそんなことは絶対にしないと心のどこかで信じていた。東郷が勝手に期待していただけに過ぎないが、それでも大村を信じていた。
 東郷は中学の吹奏楽部であらゆるジャンルの音楽を経験した。コンクールで使用される堅苦しい吹奏楽曲は当然のこと、吹奏楽に編曲された邦楽も洋楽も、ロックからジャズまであらゆる曲を演奏してきた。吹奏楽部でコントラバスを弾いたことがきっかけで今ではエレキベースを嗜んでいる。
 今の価値観はすべて吹奏楽がきっかけだったと東郷は考えている。それも全て彼をコントラバスに配置し、あらゆる楽曲に触れさせてくれた苅田のおかげだと思っている。
 そして東郷は大村を目標としていた。
 楽器は違っても、演奏技術から統率力まであらゆる面を尊敬していた。
 自分がこんなに他のジャンルの音楽を楽しんでいるのだ。きっと大村はそれ以上に他のジャンルに理解をしているのだろう。ずっとそう信じて疑わなかった。
 しかしそれは理想に過ぎなかった。
 軽音楽はうるさくて近所迷惑。
 そう言い放った大村からは優生思想的で差別的な何かを感じた。
 大村に対して抱いていたものは東郷が勝手に抱いていた感情だ。
 それは理解できているが、それでも東郷は他の音楽を受け入れることができない大村を受け入れることができなかった。
 口をつぐんだ東郷の心情を察したのだろう。
 宗太郎が口を開いた。
「優秀な兵士というのは全てのことを完璧にこなせる兵士のことじゃない」
「優秀、ですか」
「兵士だって人間だ。いくら優秀でもきっとどこかに本人すら気づかない欠点がある。その仲間の足りない部分を知っていて、そして補ってやることができる奴こそが優秀な兵士だと俺は考えている。」
「………………」
「仲間と共に強くなる。部隊というものはそういうものだ。指揮官しか物を教えたらいけないというわけじゃない。後輩の東郷が教えてやってもいいんだぞ」
「僕にはそんなことできませんよ」
 確かに軽音楽同好会の活動を否定する大村の考えには賛同できない。
 しかしそれを正面から彼女に自分の意見を言う自信を東郷は持っていなかった。彼はただひたすら先輩たちの背中を追ってきた。目標としていた先輩たちの一人が大村だ。
 目標であった先輩に意見するだなんて彼には到底できそうにない。
 楽器は違うけどもせめて彼女と肩を並べられる演奏技術を持っていれば何か物を言えたかもしれない。
 それに加え、大村の考えを否定するというのは東郷のこれまでの目標を否定することと同じだ。
 自分が目標とする人物を間違えていた。
 それを認める勇気を東郷は持っていなかった。
「……なぁ東郷。確認だがクラスマッチの特別試合というのは、あくまで『異種格闘技』なんだな?」
「そう聞いています」
 空手部側は空手のルールを適用して試合に臨むが、素人である軽音楽同好会側はそのルールには縛られない。金的や目潰しといった反則技は使えないが、それ以外の技であれば殴ろうが蹴ろうが投げようが問題ないとなっている。
 当然、両者が膝を突き合わせて細かいルールを事前に決めておく必要があるだろう。しかし少なくとも素人である軽音楽側にハンデが与えられるというのは確定している。
「そうか。筆記具を用意しろ」
「……え?」
「向こうが格闘指導官を出してくるんだったら俺が出るしかないな」
「いいんですか?」
「その顧問に勝てる奴は宮崎県にはいないんだろう?」
 含みのある笑みを浮かべる宗太郎は不気味だった。
 しかし東郷にとって彼は救世主か何かに見えた。
 これが終わったらすぐに鶴見たちに連絡しよう。きっと彼らも大喜びするはずだ。
「ありがとうございます」
「別にいいんだ。ただしこちらからも条件を出そう」
「もちろんです」
「よし。携帯でいいからメモを準備しろ」
「メモが必要って、そんなに多いんですか?」
「たった四つだけだ」
「十分多いですよ」
「プロが出るんだからこれくらい必要だろう」
 たしかに宗太郎の言う通りだった。
 空手部側は陸上自衛隊で格闘指導官を務めていた顧問を出してくるが、今は現役を引退している元隊員だ。それに対して宗太郎は現役隊員。元教官と戦うとはいえこちらが現役であるため手加減をする必要があるのだろう。
 東郷はポケットから携帯電話を取り出してメモ帳を起動する。
 準備ができたことを伝えると宗太郎は条件を話し始めた。
「まずひとつ。俺は自衛隊の広報活動の一環として参加する。勧誘用のパンフレットをバラ撒かせてもらうぞ。それと可能ならば簡単な進路説明会をさせてもらいたい」
「分かりました。これは校長先生に相談してみます」
 きっと参加するための建前なのだろう。
 しかも募集活動をするだなんて。宗太郎はちゃっかりしている。
「ふたつ。向こうの顧問は空手の技だけでなく徒手格闘も使えるものとする」
 初めて聞く単語に戸惑いながらも東郷は入力する。予測変換で出てきた。
「徒手格闘って何ですか?」
「自衛隊が使っている格闘術だ。それと例の顧問には全力でかかってこいって伝えておいてくれ。その代わり俺も遠慮はしない。まぁ徒手格闘で済めばいいけどな。あと骨折の一つや二つは覚悟しておけと付け足しておいてくれ」
「そこまでやるんですか?」
 関節を外してもいいけど、そんなことをすれば観客が卒倒するからなぁ。
 宗太郎はそう笑いながら冗談を飛ばしているけども、不思議と冗談には聞こえない。
「三つ。空手部顧問は小銃、ナイフを装備できるものとする。もちろん訓練用の模擬銃とゴムナイフだ。それと防弾ベストを必ず着用すること。これらは俺が準備する。相手は元自衛官とはいえ今は民間人だからこれくらいのハンデは必要だろう」
「あの先生ってたしか格闘技の教官をしていんたんですよね? 大丈夫ですか?」
「問題ない。むしろ異種格闘戦とはいえ現役が退職者をボコボコにしたらそれこそ問題になるぞ」
「肋骨の一、二本は覚悟しておくんじゃ……?」
「骨折は治るからいいんだよ」
 退職者をボコボコにしたら問題になると言いながら骨折は治るから大丈夫だなんて、いったい彼の思考回路はどのようになっているのだろうか。
「そして四つめ。空手部チームの勝利条件は試合開始から三十分以内に軽音楽チームを全員撃破した場合に限る」
「要するに全員倒したら勝ちってことですよね?」
「ああ、裏を返せば軽音楽チームは三十分が経過して一人でも残っていたら勝ちだ。それと俺が空手部の大将を倒したとしても三十分が経過するまで大将戦を継続する」
「三十分も、ですか?」
「問題ない。たった三十分だ」
 自衛官になると時間感覚が狂うのだろうか。
 少なくとも東郷には三十分も激しく動き回る自信はない。
「そもそも奴は俺を倒せない」
 宗太郎はそのように断言した。
 それは口先だけのものではない。
 彼が働いているところはおろか、迷彩服を着ているところすら東郷は見たことはない。
 しかしその発言は不思議と説得力があった。
 すべての条件を記録した東郷は宗太郎に確認を取ったのちにメモ帳のアプリを終了した。画面をロックしてポケットにスマホを突っ込む。
「そうそう。別にこれは条件じゃないが相手顧問に伝えておいてくれ」
 宗太郎は何かを思い出したかのようだった。伝言を依頼する彼の口調はまるで映画の主人公のようだった。
「俺がマトモだと思うなよ、ってな」

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