Breaker

いずみたかし

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5章 事件

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6章 事件
 
「すみません、この辺で怪しい男を見ませんでしたか?」
 ビシッとした紺のスーツを着こなしたサラリーマンと思われる中年男性に慧君が声を掛ける。
「いきなり何? 俺はこの辺の住人じゃないから知らねえよ」
 目が魚のようにギョロっとしていて浅黒い肌をしている男性は、慧君の質問にイラっとした態度を見せて足早に去っていった。
「はあ・・・また収穫なしか」
 慧君が溜息をつく。もう十回以上聞き込みをして、半分以上は邪険に扱われているのだから無理もない。
「慧君ばかりに聞き込みさせてごめんね。次は私が聞くから」
「いや、そんなことはない。無理するなよ、谷村」
「大丈夫。やってみるよ」
 さっきから佐倉さんはむすっとした表情で携帯電話をいじっている。佐倉さんがずっと不機嫌なのは神城君と一緒に行動できなかったからだろう。
 喫茶店で話した通り、神城君と加藤君は例の男の子の所へ向かってから三、四丁目の聞き込みへ、私達三人は一,二丁目の聞き込みを行っている。
   猫の・・・・・・・・・・・・死骸。猫にはナイフが刺さってた。
 加藤君のおそるおそる出した声が頭の中で再生される。喫茶店を出てからずっとそうだった。加藤君達は大丈夫だろうか。加藤君の沈んだ顔が頭から離れない。
「ねえ、そもそもこの聞き込みって意味あるの?」
 佐倉さんが棘のある口調で言い放つ。
「不審者なんてほっといても警察が何とかしてくれるんじゃないの? これって時間を浪費してるだけじゃないの? 私達受験生なんだよ」
 苛立ちを含んだ言葉と目が慧君に向けられる。
「意味があるかどうかはやってみなきゃ分からないだろ。やってみなきゃ分からないことをやるのを無駄って言うなよ」
 二人がぶつかり合っている。何とかしなければという思いが私を動かす。
「二人共落ち着いて」
「佐倉さんの気持ちも分かるよ。無駄に終わるかもしれないって気持ち。私だって不安がある。でも皆で決めたよね。私達五人で不審者を突き止める。佐倉さんだって最初は乗り気だったでしょ」
「それは・・・そうだったけど・・・」
 佐倉さんがばつが悪そうな顔で呟く。こんなにもしおらしい佐倉さんは初めて見る。生暖かい風が私達に吹き付け、緑の葉っぱがあっという間に私の視界から消えてゆく。
「何か・・・八つ当たりしてごめん・・・田中」
 気弱に謝る佐倉さんを慧君が物珍しそうな目をして見て拍子抜けしている様子だった。
「いや、俺も言い方がきつかったかも」
 その直後、二人が目を合わせて少し微笑んだのを私は見逃さなかった。二人の顔つきを見て私はすごくほっとした。
「じゃあ、三人で協力して聞き込みをしようね」
「うん」
「おう」
 犬の散歩をしている線の細いおじいさんを見かけ、私は声を上げる。
「あ、すみません。ちょっといいですか?」

 月曜日の朝。お互い傘を差しながら慧君と通学路を黙って歩く。大きな水溜まりが目に留まり、靴の中に水がしみ込まないように避けて歩く。ガードレールの外側には雨に濡れた草木が生い茂っている。雨の雫がポタリポタリと滴り落ちる大きな葉っぱの上にカタツムリを発見した。私は立ち止まり、ほんの少しずつ動いているカタツムリをじっと見る。
   でんでんむしむしかたつむり。お前の頭はどこにある。角出せ槍出せ頭出せ。
 心の中でカタツムリの歌を唱えながらカタツムリの触覚に手を伸ばす。ちょんと触ると角をひっこめた。
「カタツムリ、平気なんだな?」
 慧君が大きく目を見開いている。
「う、うん」
 私は少し気恥ずかしくなり、顔を伏せる。
   子供っぽかったかな。
「何か意外だな。谷村は虫とか苦手なタイプかと思ってた」
 慧君が口元を緩める。静かで穏やかで人気のない湖のような声だった。
 キリっとしている目が垂れ下がり、優しい目になる。ずっと見ていたいと思うような目。ずっとずっと。
 私達の間にはあまり会話はない。その後も学校に着くまでほとんど喋らずに歩を進めた。でも、慧君の隣は私にとってとても居心地のいい空間だった。
 学校の校門を通り過ぎ、校舎に入る手前で傘をバサバサと開き、できるだけ水分を飛ばしてから、傘を閉じてクルクルっと丸めて傘立てにそっと入れる。慧君も私から少し離れた場所で私と同じ動作を行ってから、傘立てに傘を入れた。
「遅刻じゃないとは珍しいな、田中」
 校舎の入口の下駄箱の奥から声がした。どこか他人を見下したような冷たい声だった。
「最近は遅刻してねえよ」
 冷たい声の相手の顔を見ずに慧君も冷たく返す。声の主は背が高くスラっとしており、細長く四角いフレームの薄い眼鏡が知的に見える。
「へえ、そうなの。まあどうでもいいけど、学校内の風紀を乱す行動だけは謹んでもらいたいね」
「・・・」
 二人が睨み合う。何だが険悪な雰囲気が漂っている。息が詰まりそうだ。
「冬子おはよう」
 佐倉さんがわざとらしく大きな声で挨拶をしてきた。佐倉さんの目は冷たい声の主に向けられている。
「・・・」
 冷たい声の主は気まずそうにその場を去っていった。
「今の誰?」
 佐倉さんの後ろから神城君が現れた。
「生徒会副会長の別所よ。家が金持ちで成績がいいことを鼻にかけるむかつく奴よ」
「あいつの悪い噂も聞いた事あるし・・・」
 佐倉さんは別所と呼んだ冷たい声の主のことをあからさまに嫌っている様子だ。
「どこかで見たことがあるような・・・」
 神城君が私達にわずかに聞こえる音量で独り言を呟く。
「まあ、同じ学校の同じ学年だからな。見たことがあっても不思議じゃないだろ」
「いや、学校じゃない場所で見たような気が・・・・・。気のせいかな」
 神城君は自分の頭に残っている靄が晴れていなさそうなどこか浮かない顔をしていた。
「あんな奴のことなんてどうでも良くない? 早く教室行こ」
 さっき佐倉さんは険悪の雰囲気の中、大声で私に話しかけることで別所君から慧君のことを庇ったようにも見えた。私は足が少し軽くなった気がした。

 一昨日の土曜日、聞き込みを終えた私達三人と神城君、加藤君の二人は町で一番大きい公園で落ち合った。
「加藤君が男の子の話を聞いて、児童相談所に通報してくれたよ」
 加藤君の隣室の男の子の所へ一緒に向かった二人だが、途中で神城君は両親からの急な呼び出しが入り、加藤君が一人で男の子の元へ駆けつけたそうだ。男の子は食べ物もろくに食べていなかったようで、加藤君の家に上げて様子を見ているとのことだった。普通に話の通じる素直で大人しい聞き分けの良い子だったそうだ。
「しょぼくれた見た目なのにやるじゃない。加藤」
「はは、そんなにしょぼくれてるかな」
「しょぼくれてなんかないぞ。佐倉の言うことは気にするな」
「でも、あの子、体中痣とか傷だらけだったんだよ」
「・・・・・」
 皆が沈黙した。私も家庭環境は良くない方だと思うがそこまでの仕打ちを受けたことはなかったので、男の子の痛みや苦しみを想像すると言葉が出なかった。
「猫の死骸についても聞いたんだけど、あの子がやったみたい・・・。時々自分をコントロールできなくなってそういうことをしてしまうんだって・・・」
「でも加藤君はするべきことをしっかりやってくれた。後は福祉の力を借りよう。きっと何とかしてくれるよ」
 加藤君を元気づけようとした神城君はどこか神妙な面持ちだった。
 神城君の用事が済んで、再び合流した神城君と加藤君は三,四丁目で聞き込みを開始した。私達と同様に怪しい男の目撃証言がちらほらと上がったそうだ。
「怪しそうな男を見たって情報ぐらいだけどね。後は男の外見や特徴なんかを知れれば・・・」
「こっちでは右頬に大きなほくろがついてる男だったって証言があったぞ」
「本当かい?」
「ああ、一人だけじゃなくて複数人がそう言ってた」
「うん、そうだったね」
 私は慧君に相槌を打った。
「進展があってよかった。必ず僕達で何とかしよう」
 神城君の中性的な心地良い声が夕日で橙色に照らされている公園に響き渡った。

「神城君、昨日三丁目の公園のベンチに座ってた男なんだけど・・・」
 昼休みに私達は神城君の席に集まって話をしていた所、加藤君が切り出した。
「あれって別所君だった気がするんだよね」
「そうか!」
 神城君が珍しく大きな声を出す。
「それで今朝の彼の事を何となくどこかで見た気がしてたのか。あの時は帽子を深く被ってあまり顔が見えなかったけど、良く分かったね。何かもやもやしてたのがすっきりしたよ。ありがとう、加藤君」
「別所君、ベンチで何か本を読んでいたね」
「そうだったね。ブックカバーをしてたから何の本か分からなかったけど」
「別所が土曜日に公園にいたことが分かったようだが、それと不審者は何か関係があるのか?」
「・・・」
「いや、なんでもないよ。ごめんね、話を脱線させて」
「気にするな。どんなささいな事でも何かにつながってるかもしれないからな」
 慧君が梅沢君の席の方へと目を向けた。
「そういえば、最近休み時間に梅沢の姿を見かけないな」
「それはあんたのせいでもあるでしょ」
 佐倉さんは慧君が梅沢君に行った事をチクチクと刺すような口調で責める。
「あんたにこっぴどくやられたから梅沢はこのクラスが居心地悪くなってるはずよ。でも、今は他のクラスの子をいじめてるって噂もあるわよ。あくまで噂だけど」
「・・・」
 慧君と加藤君が黙り込んだ。加藤君は過去に梅沢君にいじめられ続けていたから何か思う所があるのかもしれない。
「ねえ、梅沢君の席に置いてあるあの紙、何かな?」
 神城君が梅沢君の席を指さす。私達は教室の席と席との間の狭い空間を体を横にして通り、梅沢君の席へと近づいた。
「何だこれ?」

哀れな小悪人へ。
君のくだらない悪戯もここまで続くと見ていられない。
きっと君はこの世の中がつまらないと思っているからこんなことを繰り返すのだろう。
だから僕が飽きることのない刺激を用意してあげる。
楽しみに待っててね。

Breaker

「誰かの・・・イタズラ?」
 佐倉さんが首を捻りながら呟く。
「でも、何かちょっと怖いね。Breaker? 壊す人って意味かな?」
 加藤君が少し顔を引きつらせているのが分かった。私も加藤君と同様にこの文面に少し恐怖を覚えている。
「梅沢君は過去に色々な人達をいじめていたんだよね。その被害者が書いたイタズラかもしれないね」
 その時だった。
「きゃーーーーーーーーーーーーーーー!」
 廊下の方から叫び声が聞こえた。
 慧君と神城君が一目散に教室を飛び出し、声がする方へと向かっていった。私と加藤君と佐倉さんは叫び声の大きさに一瞬戸惑い、出足は遅れたが二人の後を追っていった。
 廊下に出ると、大きな男が廊下の窓際の壁に倒れ込んでいる梅沢君に対して刃物を向けていた。大分距離があったが、男の右頬にはほくろのようなものがついているようにも見えた。
「お前が・・・梅沢だな」
 男の声は機械のように無機質で何の感情もないように聞こえた。
「いやいやいや、何だよ」
 梅沢君は怯えていて動けない様子だ。
 慧君が全速力で梅沢君達のいる方へと駆けるが、距離が遠い。神城君も慧君へと続く。
 その時だった。
 隣のクラスから出てきた別所君が右手で眼鏡をクイッと持ち上げながら、薄ら笑いを浮かべているのが私の目に映った。
 そして、男の持っている刃物が梅沢君の胸に突き刺さるのが見えた。そこから私は気分が悪くなり、廊下がグラグラと揺れるように感じた。そして意識が遠のいていった。

      * * *

「俺達が中学三年生の時のあの事件で梅沢は意識不明の重体に陥り、その後死亡した。そして不審者は逮捕された」
 黒田が淡々と過去の話をするのを僕達は真剣に聞いていた。
「今思えばあの事件も別所の仕業だと思えなくないってことだね。慧君」
「ああ、別所幸一のな」
「どういうことですか?」
 僕は話が見えず、二人を問いただす。
「別所幸一が不審者をマインドコントロールして事件を起こしたと考えると色々なことの辻褄が合うんだ」
   マインドコントロール。
「別所にとっては地域の治安を悪くする不審者と学校の風紀を乱す梅沢を消し去ることができるからな」
「でも、物的証拠はないんですよね?」
「確かにそうだね」
 神城が頷く。
「でもあの時、梅沢が刺された時に別所幸一は笑みを浮かべていたらしい」
「冬子が・・・言ってた・・・」
 黒田の声は弱弱しかった。でもとても大切そうにその名前を口にしていた。
「それに加えて僕と加藤君はあの事件の前々日に別所幸一が公園にいたのを目撃している。本を読んでいたけどまるで誰かを待っているようだった」
「そして決定的なのは」
「僕はあの事件の前日の夜、別所幸一が大柄の男と会っているのを見かけたんだ。そして彼は男に何かを囁いていた」
「物的証拠はなくてもこれだけの目撃証言があれば、別所幸一が破壊者である可能性は高いと言えるわね」
「五年前の事件も・・・」
 黒田が悔しそうに歯を食いしばる。
 五年前の事件というのはあの人が起こした事件の事を言っているのだろう。加藤良樹(よしき)の。
 改めてカウンターの上に置いてある資料に目を通す。
 別所幸一。三十二歳。独身。現在は自由党の若手衆議院議員。事務所、自宅とは別に何かの活動拠点と思われるビルを持っている。
「ハルカさん、この別所幸一の所有しているビルって?」
「一年前に建設されたばかりの新築のマンションみたい。様々な怪しい人間が出入りしているっていう証言があるわ。暴力団や裏社会の人間の溜まり場にもなっている可能性が高いわね」
「つまりここが破壊者である別所のアジトってところか」
 黒田が目を伏せて資料を見ながら右手の中指でカウンターを忙しなく叩く。
「そうね」
 ハルカが頷く。
「でも破壊者を別所幸一だと仮定するとまだ分からないことも多いわ」
「確かにそうですね」
 神城がハルカに同調する。
「一つ目は別所幸一が白野君に不気味なメールを送り付けた理由ね。なぜ接点のない白野君にそんなメールを送るのか」
 言われて見ればその通りだ。僕は別所幸一という人間を知ら・・・な・・・い?
 本当に?
 知らないのだろうか?
 僕は自分の記憶が途切れ途切れになっている箇所がある。それは過去の嫌な出来事のせいだと思っていたが、それだけではないのか?
「そして一つ目の疑問から十七年前の不審者の事件と五年前の事件の破壊者と今回の破壊者は本当に同一人物なのかということよ」
「・・・」
 黒田が黙り込んで何かを考えている。長い沈黙を経て、口を開いた。
「被害者と加害者の特徴。それは一致している。今までのどの破壊者も」
「被害者の加害者の特徴っていうのはどういうことだい?」
 僕も神城と同じ疑問を持った。以前ハルカも破壊者が狙う人間には特徴があると言っていた。
「そうね」
「破壊者が作り出す被害者と加害者は・・・こんな言葉はあまり使いたくないのだけれど」
「社会的地位の低い人間だけなのよ」
「一つ目の十七年前の被害者は学校のいじめっ子である梅沢、加害者は無職で子供をストーキングする不審者」
「二つ目の五年前の事件の被害者は・・・」
「黒田の婚約者の谷村冬子、そして加害者は同級生の加藤良樹よ」
   黒田の婚約者が五年前の被害者? では黒田の左手薬指の結婚指輪は・・・。
   妻とは五年前に別れたんだよ。
 黒田が別れたと言った言葉の重み。僕はそれをちっとも分かっていなかった。死別という永遠の別れだったなんて。
「あの」
 衝動的に大きな声が出る。黒田の失ったものの大きさを知ったからなのか、僕は自分の言いたくない過去を曝け出そうとしている。
「僕、五年前の事件の加害者の加藤良樹さんを知っています」
「え?」
 三人とも目を丸くする。
「十七年前虐待を受けていた僕を助けてくれたんです。加藤さんは」
「それって・・・」
「じゃあ君が・・・」
 黒田と神城がフリーズしたように口の動きも体の動きも止めて僕の方を見ている。
 あの時加藤に助けられた僕は児童養護施設に預けられた。父親とは呼びたくもないあの男から加藤が僕を守ってくれたことは事実だ。でも児童養護施設での生活は決して幸福とは言えないものだった。
 僕はあの時助けてくれた加藤に抱いた感情を思い出す。
   自分より弱い人間を助けて優越感に浸りやがって。本当に助けたいのは自分自身なんだろ。

      * * *

「慧君。待ち合わせに遅れちゃうよ」
 東京で同棲を初めて三年が経った。慧君は昔からの夢であった警察官になるという夢を叶え非常に多忙な日々を送っている。職業柄家を空けることが多いため、寂しい思いをすることは多い。けれど、だからこそ慧君が家に帰って来た時の喜びもひとしおで、慧君と一緒に過ごす時間は至福の時間だ。
 私はというと相変わらず学習障害(LD)の影響で読み書きは極度に苦手なままだけれども、今の清掃の仕事は性に合っているらしく、もう五年以上続けられている。職場の人も私の障害に理解のある人がほとんどで、働きやすい環境にあることも長く続けられている一因かもしれない。それと私が清掃のような単純作業が苦にならない性格であることも。アルバイトではあるけれど、自分が少しでも何かの役に立てるということを実感でき、清掃の仕事は何とも言えない達成感を得られる。
「おはよう、冬子」
 パジャマ姿でひどい寝ぐせのついている慧君。今日は非番なので、かなり気が緩んでおりまだ目がとろんとしている。
「おはよう、もう十時だよ」
「おー」
 朝が弱いのは昔から変わらない慧君。でも私はそういう所も含めて慧君が愛おしい。今の頭ボサボサで目があまり開いていない姿もなんだかかわいい。
「朝ごはんできたから一緒に食べよ」
「いつも悪いな」
 朝ごはんは白ご飯と大根の味噌汁に鮭の塩焼き。いただきますと手を合わせて味噌汁を一口啜る。うん、今日の味付けは上手くいった気がする。
「聞いて、慧君」
「ん?」
「今日の朝の星座占い、私最下位だったんだよ」
 私がいつも楽しみに観ている朝のニュース番組の占いコーナー。そのコーナーで私の星座である獅子座が何と最下位だったのだ。占いを心の底から信じている訳ではないけれど、さすがに最下位と聞いた時には気分が少し沈んだ。
「そうなのか。でもラッキーアイテムとかで挽回できるんじゃないのか?」
「それがね」
「ラッキーアイテムは指輪だったんだよ」
 私は自分の左手薬指に付けている指輪を慧君に見せびらかす。慧君の左手薬指にもおそろいのシルバーの指輪がはめられている。二週間前に慧君からプロポーズを受けて私達は婚約者になった。結婚指輪は先週二人で見に行き、一緒に選んだとてもお気に入りのものだ。
「ならきっと、運気は大丈夫だな」
 慧君が取り繕っていない自然な笑顔を見せる。私はこの笑顔が大好きだ。二十七歳になった慧君だが、この笑顔を浮かべている時は純真無垢な少年の様だ。
 二人共朝ごはんを残さず食べ終え、食器類を台所へ下げる。慧君が台所の蛇口を捻ってスポンジを濡らし、洗剤をつける。
「今日の待ち合わせって東京駅に十二時だったよな?」
 食器をごしごしと擦りながら慧君が私の方へ目を向ける。
「うん、そうだよ。だから十一時には出ないとね」
「ほんと悪いな、いつも寝坊して」
「本当にそう思ってる?」
 私はからかうように言葉を発する。
「思ってる思ってる」
 私は自分の学習障害(LD)について悶々と悩んでいた日々を送っていたことがあった。その時慧君は「欠点のない人間なんていない。障害ってのは人が引いた線なんだから、冬子は何もおかしくなんかない。例えば足が遅いのを現代社会で障害と定義付けられたら、それだって障害になる。俺だって色々な欠点がある。だから、何という言うか・・・」と言葉を掛けてくれたことがあった。最後の方は上手く言えずにもにょもにょと言葉を濁していたが、慧君のその言葉で私は何だか救われたような気持ちになった。自分は普通という枠の外にいる人間だと思っていたのを払いのけてくれたその言葉は今も大切に心の奥にしまってある。
 慧君は自分が寝坊するのをあまり心から悪びれたりしないが、その代わり私が文字を上手く読めなかったりすることを咎めることは一切ない。「迷惑をかけないようにするんじゃなくて、自分は迷惑かける分他人を支えるようにしよう」ということを心掛けていると聞き、私はなるほどと思った。
「それにしても久しぶりだね。皆で集まるの」
 今日は神城君と加藤君と四人で集まる約束をしている。本当は佐倉さんも来るはずだったのだが、急な仕事の予定で来られなくなった。私達五人は中学校を卒業してから皆ばらばらの進路を辿ったが、その後も定期的に連絡を取り合い、今でも友人同士の関係が続いている。
「ああ。半年以上ぶりだな」
 慧君が食器を洗い終え、インスタントコーヒーを淹れてくれた。私は相変わらず砂糖を入れないと飲めないので、砂糖を一匙入れてスプーンでかき混ぜてからミルクを一杯入れる。ミルクを入れた後の波紋をじっと眺める。波紋は少しずつ変化し、母親のお腹の中に
いる赤ちゃんのような姿に見えてきた。子供。いつか将来慧君との間に子供を授かることができたらどんなにか幸せなことだろう。
「どうした? にやにやして」
「ううん、何でもないよ」
 私は幸せだ。
「そういえば加藤君は転職先を探してるんだよね」
「ああ、前の職場はかなりブラックだったみたいだからな。あいつ真面目すぎるから思い詰めてなきゃいいけど」
 加藤君は以前の職場での激務が続いた影響で体調を崩して退職した。退職してから五か月程が経過し、体調は大分回復してきたので、現在は転職先を探しているとの連絡が慧君にあったと聞いている。私も慧君と同じく加藤君が心配だ。とても優しく他人にいつも気を遣う性格だから気疲れしやすいだろうし、大丈夫だろうか。
「今日の集まりで少しでも加藤の気分転換になればいいけどな」
「うん、そうだね。加藤君の気晴らしになるように愚痴でも何でも話を聞いてみるしかないかな」
「ああ」
 
 コーヒーを飲み終えると私達は家を出て、電車に乗った。
   本当にあんたは邪魔なだけのお荷物でしかないわ。
 はっとして目が覚める。電車に揺られてつい眠ってしまったみたいだ。
 過去の嫌な夢を見た。母親から言われた言葉。母とはもうあれ以来会っていない。微塵も会いたいとも思わなかった。
 今頃どうしているんだろう。
 ふと母が今どうしているのか気になったが、すぐさまその思考を振り払う。私の中から消えて行ってくれ。
「冬子、着いたぞ」
「あ、うん」
 椅子から立ち上がると慧君に手を引かれ、電車を降りる。東京駅で降りる人の数は多い。今日は土曜日だけど、スーツ姿で仕事をバリバリこなしていそうな人をちらほら見かける。すごいなあと感心するのと共に大変そうだなと思ってしまう。スーツを着ている人達はどこかピリピリしているように見える。
 長い人の列に並んでエスカレーターに乗り、私達は待ち合わせ場所の八重洲中央口を目指す。東京駅の構内はたくさんの人でごった返しており、私には迷路のように思える。美味しそうな飲食店やパン屋さん等に多くの人が並んでいる。
「八重洲中央口は・・・・・・こっちだな」
 慧君が壁に設置されている構内地図を見て、私を目的地まで連れて行ってくれる。私は地図もまともに読めないので、慧君の存在は本当に頼りになる。
 改札まで辿り着くと改札の向こうには見知った顔がいて、こちらに手を振っている。
「二人共、久しぶり」
 神城君が満面の笑みで迎えてくれた。相変わらずスタイルも良く顔立ちも整っている。
「婚約おめでとう。これ、ささやかだけど僕から」
 神城君はラッピングされた箱をバックから取り出し、私に差し出す。
「これ、いいの? 神城君ありがとう」
「おお、ありがとな」
「加藤君はまだ来てないんだね」
 辺りを見渡し加藤君の姿を探す。
「うん、そうだね。さっき少し遅れそうってメールがあったよ」
「加藤が遅刻とは珍しいな」
 改札前には私達以外にも待ち合わせをしている人達が大勢いる。皆俯いてスマートフォンをいじっている。
「そういえば、神城」
「ん?」
「もう係長になったんだってな」
「うん、何を評価されてかなのか分からないけどね」
 神城君は誰もが名前を知っている大手電機メーカーに勤めている。その有名な会社でこの歳で係長に昇進したのだから神城君は相当優秀なのだろう。本人は謙遜するけれど、昔から何でもできる人だった。
「それよりも加藤君が元気かどうか心配だよ」
 神城君が言葉を発した瞬間だった。突然私の背中に痛みが走る。視界がぐらぐらして倒れ込む。顔を上げると加藤君の表情のない顔が映っている。
   どうして?
   加藤君?
 私を刺した加藤君は加藤君じゃないみたいだった。
「こ・・・わ・・・す・・・」
 加藤君が何かを呟いているのが聞こえた。
「冬子」
「谷村さん」
 慧君と神城君の叫ぶ声が聞こえる。少しずつ意識が遠のいていく。体が寒くなっていく。このまま消えてしまいそうな予感がした。
「救急車」
 視界が霞んでいく。私は残った力を振りしぼって声を出す。最愛の人へ届くように。
「慧君・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「変わら・・・・・・・・・・ないで・・・・・・・・・・・」

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