命の価値

いずみたかし

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命の価値

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 命は平等なんて一体誰が言ったのだろう。深大寺の参拝に並んでいる最中、有名な人気芸能人の訃報ニュースをスマートフォンでチェックする。コメント欄には亡くなったことを惜しむ声がずらりと並んでいた。
 元来人混みが好きな性分ではない。出来れば人がごった返している中に並びたくはなかった。それでも僕は今日ここに来なければならないと思った。彼女との大切な思い出が詰まっている深大寺に。
 元旦の午前12時過ぎの深大寺の境内。周囲の人達は初詣の雰囲気を噛みしめているような幸せそうな雰囲気を纏っているように見える。もしかしたら、ここに並んでいる中で今を楽しめていないのは僕だけかもしれないとふと思った。好物の深代寺そばを食べたいという気分にも全くならない。

「人身事故って」
 彼女と初めて会った日、ボソリと呟かれた言葉。声のボリュームは小さかったが、その言葉は彼女の視線と共にまっすぐ鋭く僕に飛んできた。
「人が死んでるってことだよね」
「なのに皆がそれを迷惑がるだけで悲しまないってことはさ、世の中には死んで困る人と死んでも困らない人がいるってことだよね」

 前方の参拝客がはけ、いよいよ僕の番が来た。ああ神様、いや神社じゃなくてお寺だから仏様か。信仰心が厚いとは言えない僕だが、どうか願いを聞いてくださいと思いを込めて祈る。
  どうか彼女との縁が切れませんように。

「タバコ、持ってる?」
 蝉の声がひしめく、とても暑い夏。彼女と一緒に閑散とした深大寺の境内を歩いていた時だった。
「持ってるけど、ここで吸う気?バチが当たるよ」
「別にいいよ、バチ当たっても。私の人生なんてどうでもいいし」
 投げやりな口調で乱雑に僕の胸ポケットからタバコを奪い取り、パチンコの景品と思われるライターでくわえたタバコに火をつけた。
「最近吸う量増えてない?」
「何か吸いたくなっちゃうんだよ。長生きする予定も、子供産む予定もないからどれだけ吸っても問題ないしね」
 彼女の自分を大切にしない所を目にする度、僕は自分が嫌になった。何も言えない、何もできない自分が。
 彼女が口から吐き出す煙と彼女の横顔を見つめる。それほど目立たないが、左頬に少しだけ残っている火傷の痕がある。思いっきり吐き出す煙には彼女がこれまで受けてきた痛みが内包されているような気がした。
 彼女がタバコを吸い終わり、ゆっくりと歩いて本堂まで辿り着いた。彼女は1円玉を、僕は5円玉を賽銭箱に入れ、参拝する。僕はとても長く、何度も繰り返して祈りを捧げた。
「ずいぶん長くお祈りしてたね。何お願いしたの?」
「バイト、今度こそ受かりますようにって」
 来た道を歩きながら返事をした。本当の事は告げなかった。
「面接、10連敗中だもんね」
 彼女はアルバイトの面接にすらなかなか受からない僕を憐れむでもなく、蔑むでもなく、ほんの少しの笑顔を作って言葉を返した。
「君は?何お願いしたの?」
 彼女に問いかけると、少しの沈黙があった。
「パチンコで大勝ちしますようにって」
 彼女の横顔はとてもつまらなそうで、何も期待していないような虚ろな目をしていた。
「まあでも、祈ったって叶わないだろうし、バイトも続かないし、また風俗に戻ろうかな」
 いつものように悲観的になる彼女に何と声を掛けるべきか迷ったとき、子供の泣き声が聞こえてきた。僕達の前方に見えるとても小さな女の子が周囲をきょろきょろ見回しながら、大きな声で泣いていた。
 僕はこんな時、行動を起こすべきなのだと思うのだが、おろおろするだけで足が動かない。そんな自分が嫌いだった。
「どうしたの?迷子になっちゃった?」
 さっきまで僕の横を並んで歩いていた彼女はすぐさま女の子に近づき、しゃがみこんで話しかけていた。僕も後を追い、彼女達の会話を聞く。彼女はとても優しげな声色で、お父さんとお母さんとはぐれてしまったこと、女の子の名前等を聞き出しながら女の子の頭を撫でていた。
「加代子(かよこ)ちゃんのお父さんかお母さんいらっしゃいませんかー?」
 彼女は加代子ちゃんの手を引き、大声で必死に呼び掛けながら山門の方へ向かった。僕も後を追った。
 しばらくすると、加代子ちゃんの両親が見つかり、彼女はとても感謝されていた。そして、加代子ちゃんによかったねと声を掛け、手を振って見送った。
  きっとこういう所なんだろうな。
「あ、あのさ」
 加代子ちゃん達が去った後の老舗のそば屋が並ぶ参道で、僕はおそるおそる彼女に声を掛けた。ズボンの右ポケットに入れた手は震えている。手を震わせながらポケットから箱を取り出し、パカッと開けた。
「これ、僕が買えるぐらいの安物だけど」
「い、一緒に生きよう」
 箱の中から現れた小さなダイヤの付いた指輪。それを見た彼女の表情は今でも鮮明に焼き付いている。

 初詣の参拝を済ませると、足早に目当てのお守りを買い、深大寺を後にした。自転車に跨り、思い切りペダルを踏みながら、数時間前のことを思い返す。ストレッチャーに乗って運ばれた彼女。微笑みながら手を振った彼女。
 最大限の力を振り絞り、調布の病院を目指して走る。僕は走りながら考えを巡らす。
 命は平等だなんて嘘だ。だって、人気芸能人や偉い政治家、社会的地位の高い人間が亡くなれば、社会に与えるダメージは大きいし、悲しみの声はきっと多い。だけど、僕や彼女が亡くなっても、社会は全く困らないし、悲しんでくれる人は誰もいない。
 でもそれは逆のことも言えて、僕にとって人気芸能人の命がどうでもよくて、彼女の命がとても大事で、かけがえのないものだということ。絶対に彼女を失いたくない。
 車に匹敵するスピードで自転車を漕ぎ続け、病院に着いた頃には汗だくになっていた。病院内を走り、彼女の病室を目指す。看護師さんにぶつかりそうになり、病院内は走らないで下さいと注意を受けたが、僕は無視して走り続けた。息が切れて足もパンパンだが、体にムチを打ち、病院の階段を駆け上がる。4階の彼女の病室の前まで辿り着き、扉を凄い勢いで開ける。
 扉の向こうにはベッドで横になりながら、こっちを見る彼女がいた。扉を開ける音が凄まじかったからか、とても驚いている様子だった。
「これ、健康お守り」
 ベッドまで駆け寄り、彼女に買ってきたお守りを見せる。
「無事でよかった」
 気づくと、僕の目からは涙があふれていた。どうしようもないくらいぼろぼろと。
「おおげさだなぁ」
 彼女は笑っていたが、目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
「盲腸の手術だってのに」
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