運命の番を殺した英雄

XCX

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1. 番を殺した日

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 その日は、雨が降っていた。
 交戦の最中に降り出した土砂降りのせいで弓やカタパルトなどの遠距離武器は一切使えず、やむを得ず白兵での戦いとなった。
 冷たい空気が肺を満たす。鼻は泥と血の匂いしか嗅ぎ取れず、全く使い物にならなかった。地面に打ち付ける雨は激しく、視界もわるい。遠くでうごめく影は敵か味方かも判別がつかない。敵だと視認できた兵士に反射神経が反応し、剣が肉を断つ。
 寒さで吐く息が白い。混沌と化した戦場を見回す俺の目が捉えたのは、味方に矢を放とうとする敵兵の姿だった。警告しようにも雨の音でかき消されてしまうと判断した俺は、足元に落ちていた槍を拾いあげ、投げた。
 体を貫くつもりで放った槍は、左の脇腹を掠めるだけに終わった。雨のせいで軌道がずれてしまったのだ。倒れてもなお、ボウガンを手に地を這う敵にとどめを刺そうと駆ける。ボウガンを蹴りあげ、剣を構えた状態で敵兵の体を仰向けにひっくり返した。
 瞬間、全ての感覚が機能を停止した。息が止まり、手から剣が滑り落ちて地面に転がる。
 敵兵も同じく驚きに目を見開いていた。向こうも気づいているのは間違いなかった。
 互いが互いの運命の番であることに。
 こうして対峙して初めて、気づいたのだ。泥と血と雨の不愉快な匂いの中にまぎれる、甘い豊潤な香り。今までにないほどに心臓は早鐘を打ち、全身を巡る血は沸騰したかのように熱い。
 本能が、魂が叫ぶ。俺が見下ろしているのは、自分のオメガ。運命の番に出会えて魂が喜んでいる。
 俺達の周囲だけ、時が止まってしまったかのようだった。ただ互いの存在から目を離すことができない。
 運命の番に出会えた喜び。そのオメガが戦場にいる疑問、敵国にいる戸惑い。衝撃のあまり身動きできないでいると、オメガは口から大量に血を吐いた。彼が咳き込むと同時に、陸に上がった魚のように体が跳ね、その度に血があふれる。一気に我に返る。
 腹部からの出血も酷い。手で圧迫止血を試みるも、傷は思いの外深かった。長く戦場に身を置く経験から、もうどうにもできないことを悟ってしまう。
 俺は、なんてことを。

「駄目だ…、逝くな…っ!待ってくれ……こんなこと、あっていいはずが…ッ!」

 俺は己のオメガに覆い被さり、彼の血にまみれた手で頬を撫でた。肌からはどんどん熱が失われ、瞳からは光が消えていく。間もなく運命の番は俺の腕の中で息絶えた。
 ────運命の番である俺に殺されて。


 ****


「……またあの夢か……」

 窓から差し込む朝日の眩しさに目を細める。太陽の位置は空高く、昇ってからかなりの時間がたっていることがわかる。二日酔いでズキズキ痛む頭を手でおさえながら体を起こす。
 いつものように深酒をしてソファで寝落ちしてしまったからか、身体中の筋肉が硬くなってしまっている。
 軽くストレッチをすると、関節がバキバキと鳴った。
 怠い体を動かして洗面所に向かい、冷水で顔を洗うと同時に水を飲む。少しだけ頭痛が和らいだ気がした。
 備え付けの鏡を覗き込むと、顔色の悪い男が見つめ返してくる。酷い顔だ。
 視線だけで人を射殺してしまいそうな程に鋭い真っ青な瞳。その目の下には深いクマ、くすんだ淡い赤色の髪は何年も整えられずに伸びて乱れっぱなし。同じ色の無精髭は輪郭を覆い隠し、もみあげと繋がってしまっている。かつて将軍の一人として前線で剣を振り回していた姿からは、全く想像できないほどの落ちぶれ具合だ。
 服の袖で雑に顔の水気を拭き取り、寝室に入った。ベッド脇のサイドチェストから一枚の紙を取り出し、そこに書かれてある内容を読み上げる。

「リュキテ・ラヌ。ラヌ村の孤児院出身。性別は男、第二の性はオメガ。身体的特徴、黒髪に黒目、右の口角に三連の黒子」

 リュキテ。俺が殺した番の名前。一度も呼んでやることができなかった名前。
 俺が眺めているのは、敵国ドーランの兵士名簿だ。自分のオメガを殺めた後、彼のことを知りたくて、兵舎に保管されていた帳簿から該当する項を引き千切って持ち帰ったのだ。
 無断の行動だが、項が一枚ないからといって誰一人として気に留めていないだろう。彼は一介の兵士で孤児だった。身寄りはない。
 それに、この紙切れ一枚だけが俺とリュキテを繋ぐものだ。他には何もない。
 運命の番を殺してしまった事実に耐えられず、俺は錯乱状態に陥った。天候のさらなる悪化により両陣営から撤退の笛が鳴り、俺は仲間の兵士によって拠点へと戻された。我に返って後から戦場に戻っても、遺体はどこにもなかった。リュキテが使っていたものがないか孤児院にも足を運んだが、既に閉院していて跡形もなかった。
 紙に記載された入隊時期は、俺に殺される半年前。わずか十八年、成年を迎えたばかりの生涯は、敵国の将軍で運命の番であるアルファの俺によって強制的に閉じられた。

「リュキテ……」

 紙に顔を寄せる。当然だが、ゆっくりと息を吸っても鼻腔を満たすのは紙の匂いだけ。あの時嗅いだ甘い蠱惑的な香りはしない。手に感じた体温も。
 あれから二十年近くが経とうとしているにも関わらず、記憶は薄れることなく、まるで昨日のことのように鮮明に思い出せる。恐怖と絶望と後悔と罪悪感も、決して薄れない。むしろ日に日に強くなるばかりだ。

「…俺が死ぬべきだったのに、何でまだ生きてんだろうな…」

 ベッドに背中から倒れこむ。呟きに対する返答は返ってくるはずもない。目を閉じ、手で目元を覆う。感傷に浸っても、涙は出てこない。もう散々泣いた今は、一滴も出なくなってしまった。

「シグルド!シグルド、いるんだろ。どこだ?」

 ドアが開く音とともに、聞き慣れた声。ずかずかと室内を歩く足音が聞こえる。思わずため息が漏れる。俺を探して家中歩き回る奴に名簿の存在を知られる前に、紙を引き出しの中に戻し、寝室を後にする。

「ああ、やっぱりいたな」
「この間来たばかりだろ、ザヤ。王国の元帥様はさぞ暇なんだなァ」
「部下が優秀だからね。それに親友に会うためなら、たとえ忙しくてもどうにか時間を捻出するさ」

 俺の存在を視認した男は、にこりと人好きのしそうな笑みを浮かべた。こっちの嫌味にも一切表情を変えない男を横目に、ソファにどかりと行儀悪く座る。
 近くの椅子に腰を落ち着ける男の名前はザヤ。かつてドーランとの戦争で肩を並べて戦った戦友だ。戦争が終わった今もイルイット王国の元帥として国軍の要職に就いている。
 緩くカールのかかった栗色の髪を後ろに流し、色素の薄い緑色の柔和な顔立ちをした優男だ。

「お前のとこ、最近子供生まれたらしいじゃねえか。俺にかまけてる暇あったら家族孝行しとけよ」

 良かったな、と声をかけるとザヤは眉尻を下げた情けない顔でありがとうと呟いた。返事にためらいが見えたのは、俺への気遣いからだろう。奴は、俺の運命の番がドーランの兵士だったこと、己の手で殺してしまったという事情を知る数少ないうちの一人だ。
 ザヤは優しい。毎日飲んだくれて自堕落な生活を送るどうしようもない俺の様子を定期的に見に来てくれる。たとえ俺が必要ないと何度伝えたとしてもだ。
 もう一人の戦友はいつまでもウジウジしている俺に呆れて見限ったって言うのに。

「だからだよ。家族がもう一人増えたから、今まで以上に来られなくなる。シグルドのことが心配なんだ。自傷的な生活を送ってる君が、のたれ死ぬんじゃないかって」

 ────死ねるなら、本望だよ。
 反射で口から出そうになった言葉を、口をつぐんでのみこむ。厭世的な発言は、目の前の親友を無駄に傷つけてしまうだけだ。
 本当に死にたいなら、自ら命を絶てばいい。簡単な話だ。己の首にナイフを向けたこともある。人体の急所なぞ知り尽くしている。痛みも苦しみも一瞬のことだ。少し我慢すれば楽になれる。
 だけど、どうしてもできなかった。何度試しても。
 戦場で数え切れない程たくさんの命を屠ってきた。もはや命を奪うことにためらいなどないはずなのに、一番殺したい人間は殺せないなんて、とんだお笑い草だ。

「…心配には及ばねえよ。自堕落な生活を送るのに、さすがに飽きてきたとこだ。俺も前に進まねえとな」
「本当に?本当にそう思ってる?」
「ザヤ、今回ばかりは本当だ。終戦から何年も経つんだ。考えくらい変わるさ」

 懐疑的な友人に、大げさな仕草で呆れて見せる。
 真っ赤な嘘だ。改めるつもりなんざこれっぽっちもない。
 だが嘘を言わないと、ザヤにこれからも心配をかけることになる。幸せな家庭を築こうとしてる奴の時間を家族から奪う訳にはいかない。俺のことは捨て置いて、幸せになって欲しい。

「良かった。その言葉を聞いて安心したよ」

 嬉しそうに微笑むザヤにつられて、僅かに口角が吊り上がる。良心が痛まないこともないが、友人を想っての優しい嘘だ。

「とは言え長年に渡る荒んだ生活から脱却するのに、一人では色々と困難なこともあると思う」
「心配すんな。自分の面倒くらい自分で──」
「そこで君のために使用人を雇ったんだ」

 は?使用人?俺のため?
 俺の発言を遮るように力強く言い放たれた内容をうまく咀嚼できず、思考が停止する。呆けた顔で目の前の友人を凝視する。
 膝の上で組んだ手に顎をのせ満面の笑みを浮かべていたザヤはやにわに立ち上がり、ドアを開いた。
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