運命の番を殺した英雄

XCX

文字の大きさ
7 / 35

7. 記憶に焼きついた匂い

しおりを挟む
 あれから自室に戻ってベッドに体を横たえても、睡魔は一度もやってこなかった。繰り返し頭の中によぎるのは、己の言動だ。激しい後悔の念に見舞われる。
 今更己の発言を取り消せないし、弁解もできない。それに弁解もなにも、語ったことは紛れもない事実だ。とは言え、あんな風に伝える必要はなかった。
 幻滅しただろうし、きっと傷つけた。ユテの怯えた表情が頭から離れない。
 さすがのユテも俺に愛想を尽かしただろう。彼との暮らしにも慣れてきて、他愛のないやり取りや美味しい手料理を楽しんでいる自分がいた。それなのに修復不可能にしてしまった。
 俺は本当にどうしようもないクズだ。
 窓から差し込む明るい光に、朝が来たことを知る。結局一睡もできなかった。
 いつもならユテが部屋を出て支度を始める頃だ。だが、いつまで待っても物音ひとつしなかった。
 まだ寝ている?それとも、家を出て行ったのか?…それはねえか。横になりながら、ユテが部屋に戻ってドアを閉めた音を聞いた。
 どうするべきか考えあぐねていると、大きな物音がした。重いものが床に落ちるような。
 いてもたってもいられず、俺はユテの部屋に向かった。ノックをして名を呼ぶ。だが、反応はなかった。室内に人がいる気配はする。再びノックするも結果は同じで、俺は意を決してドアを開けた。

「ユテ…ッ!?」

 ベッドにぐったりとした様子でよりかかるユテの姿があった。慌てて体を抱き起せば、ユテの顔は真っ赤に染まり、口からは乱れた荒い息が漏れている。額に手を当ててみれば、燃えるように熱かった。
 閉じられていた目蓋が上がり、鮮やかなレモン色の瞳が姿をのぞかせる。熱に浮かされたそれが、俺を捉える。

「…ぁ、シグ…ドさん…すぐ、ごは…じゅんび……」
「熱出てんのに、俺の飯の心配なんざしてる場合かっ。病人は寝ろ!」
「…れも、それ…ぼく…しご、と……」
「呂律も回ってねえくせに、何言ってんだ」

 自分よりも細い体を抱き上げ、ベッドに寝かせる。
 こんな時にまで俺の飯の心配をするユテに呆れてしまう。だが逆に言えば、昨晩あんなことがあったにも関わらずいつも通りな彼にどこか安堵する自分がいる。
 ……さらに言えば、昨晩ショックを受けてユテが体調を崩したのかもしれないが。

「…元気になったらまた作ってくれ。働きすぎて疲れが出たんだよ。今はゆっくり休め」

 でも、と駄々をこねるかのように起きようとするユテの肩を抑え、布団をかけてやる。できる限り優しく言い聞かせながら頭を撫でてやれば、ユテは小さく頷いた。

「いい子だ」

 観念した様子の彼に自然と口角が吊り上がる。
 水分補給ができるようサイドテーブルに水差しを用意し、額には水気を絞った布を置く。

「薬をもらってくるから、大人しく寝てろよ。何か食いたいもんあるか?」

 ユテの唇がはくはくと動くのを見て、耳を近づける。

「……ぼく、シグ…さんに…はなし、たぃ、…ことが…」
「……元気になったら聞いてやるから。今は治すことだけ考えろ、な?」

 優しく言って聞かせるが、今度は頭が縦に振れるのにやたらと時間がかかった。その反応に何か引っかかるものを感じながらも、俺は家を後にした。
 話したいこと?……やっぱり、仕事を辞めたいってことだろうな。
 真面目で頑張り屋のユテのことだ。黙って出て行くことなどできないんだろう。雇用主は俺でなくザヤだってのに、どこまでもまっすぐで律儀な奴だ。
 寂しく思うが、全ては自業自得だ。それにユテの将来を思えばこれで良かったとも思う。あれだけ手際が良くて有能なんだ。次の働き先はすぐにでも見つかるだろう。
 医者から解熱剤をもらい、果物や滋養のあるスープを買って家へと戻る。
 だが、いつもと様子が違っていた。扉を開けると、ある匂いが家中に充満していた。
 甘く芳醇な、嗅いだことのある香りが鼻をくすぐる。忘れもしないその匂いは、泥と血と雨の中の戦場で嗅いだものと全く同じ。
 その瞬間、心臓が大きく跳ね上がった。

「は……?うそ、…嘘だろ。この匂い……っ!?」

 荷物を全てテーブルの上に置き、香りの発生源に向かう。信じられないことに、それはユテの部屋から発せられていた。玄関以上の濃い匂いが立ち込めている。
 ──間違いなく、オメガのヒートフェロモンだった。
 なんで、…なんでユテからオメガのフェロモンが?ユテはベータだって、ザヤが説明していた。それに、俺はあの日以来、勃起不全になってオメガのフェロモンにも一切反応しなくなったはずだ。
 いや、そんなことは大した問題じゃねえ…ッ!一番の疑問は、今の一番の問題は……。

「…ぁ、…シグ、ル…さ…」

 なんで目の前のユテから、リュキテと同じ匂いがしてんだよ…ッ!
 部屋の入り口で立ち尽くす俺に、ユテがおぼつかない足取りで歩いてくる。あと一歩のところで足がもつれたのか、目の前の体が傾ぐ。それを条件反射で抱き止める。
 蠱惑的な芳香を至近距離で吸いこむと、全身がカッと熱くなるのが分かった。心臓が胸を飛び出してしまいそうなくらいに早鐘を打つ。呼吸が乱れ、頭がクラクラする。

「シグル、さん……シグルドさん…っ」

 甘い声音で名前を呼ばれる。涙をこぼすその目ははっきりと情欲を映している。アルファを欲しがるオメガの本能。
 思考力が鈍っていく中でも、ユテのフェロモンに誘発され、自分もラットになっていくのが分かる。抗いがたい強い衝動に理性が全く仕事をしない。
 目の前のユテを犯したくてたまらない。

「シグルド…さん、ぼく…のこと、抱いて、くださ…っ!」

 ユテの両腕が首元に巻きつく。俺たちの体がさらに密着して、匂いも一層強くなった。
 病人のくせに馬鹿なこと言うな、と諭して寝かせるべきなのに、何も言葉が出てこない。

「シグルドさ…ぼくで、勃ってくれ、て…うれし、ぃ…」
「……ッ!?」

 ユテの指摘に、俺は自分の体に起こった変化に驚愕した。
 あの日から今まで、かけらも反応を示すことなかった雄の象徴に熱が集中して硬く張り詰めている。

「…おねがい…っ。ぼく…、シグルドさん、じゃなきゃ…!」

 泣きながら懇願するユテの腕の力が強くなる。震える柔らかな唇が自分のそれに触れて、完全に理性の糸がプツリと切れた。
 体を抱き寄せ、荒々しく唇を重ねる。唇の合わせを舌でなぞれば、ユテは素直に口を開けた。

「ン…っ」

 舌を絡ませると、腕に抱いた体がぴくりと跳ねる。同時に甘い響きの声が漏れて、更に火が点く。口づけを更に濃厚なものにしつつ、抱き上げてベッドへと向かう。
 ベッドに優しく押し倒し、口付けを交わしたままみっともない性急さで服を脱ぎ、ユテもひん剥いた。キスを終えると互いの唾液が糸を引いた。

「……いいんだな」

 沸騰しそうにグラグラする脳で、なけなしの理性で呟く。その声は届いているのか、ユテは泣きながら両手を伸ばし、ただひたすらに俺の名前を呼んで続きを催促する。
 ぶわりと彼の体から放たれる甘い香りに、俺はとうとう思考を放棄したのだった。



 ********


 やっちまった……。
 ベッドの縁に腰かけ、両手で顔を覆う。何度目かわからない特大のため息を吐く。
 窓から見える空は赤みがかり、太陽が沈みかけている。昼をすっ飛ばして飯すら食べずに行為に耽っていたことになる。
 傍らで眠る青年に目を向ける。自分よりも小柄な、成年を迎えたばかりの体に散らばる情事の痕が生々しい。ユテとの間に起こったことが決して夢ではないと思い知らされる。
 ユテはオメガなのか…?
 俺の思考力を奪う、強烈なフェロモンからして、それは間違いないように思えた。
 ベータというのは嘘なのか?……もしかすると、本人も知らなかったのかもしれない。ベータだと誤診されていた可能性もある。
 いや、待てよ。ユテは俺に話したいことがあると言っていた。やっぱりオメガであることを伝えようとしてたんじゃねえのか?
 …ああくそ、考えれば考えるほど頭がこんがらがってきやがる!
 ただ一つ確実に言えるのは。

「うなじを噛まずに済んだのは、不幸中の幸いだったな…」

 眼前に無防備に晒された細いうなじに触れる。抗いがたい強烈な本能のままにユテを抱き潰しながらも、最後の一線は越えなかったようだ。
 ユテは俺を求める言葉を吐いていたが、それが本心ではなくオメガの本能が彼に言わせた言葉だったとしたら。取り返しのつかない傷を与えて、一人の青年の将来や人生を壊してしまうところだった。
 ……いたいけな青年を犯した張本人が、何言ってんだって感じだけどな。
 額に手をあてると、熱はすっかり下がったようだった。ほっと安堵の息を吐く。病人相手に無体を働いて結果的に悪化させていたら目もあてられない。
 滑らかな肌を指の背で撫でていると、ユテの睫毛が震えて目蓋が持ち上がるのを目にして、ぱっと手を離した。

「…シグルド、さん…おはよ、…ござ、ます…」
「ああ。…水、飲むか?咽喉乾いただろ」

 まだ半分眠りの中にいるユテに水を勧めれば、青年の頭が小さく縦に振れる。体を起こすのに手を貸してやり、水を飲ませるついでに服も着せた。散々好きにした体は、今の俺にはあまりにも目に毒だ。

「ユテ、謝罪のしようもねえが……本当にすまなかった。何とかうなじは噛まずにすんだとは言え、ヒートになったお前を襲ったことには変わりない。どんな罰も受ける」

 ユテの意識が完全に覚醒するのを待って、俺は頭を下げた。うなじを手で何度もさするユテは、眉を顰めた。

「…噛んでほしかったのにな…」
「は」
「と言うか、襲ったってなんですかっ!?あれは合意です!それに、襲ったのはむしろ僕の方です!」

 耳を疑うような内容の呟きが聞こえた気がしたが、食ってかかるユテの勢いにかき消されてしまう。

「いや、違うだろ。ユテはオメガの本能に抗えずに、仕方なく手近にいた俺を頼るしかなかっただけだろ」
「シグルドさんの方こそ違います!ぼく…僕は、シグルドさんだから抱いて欲しいって思ったんですっ!」

 俺の反論に、ユテは顔を真っ赤にして身を乗り出すと、更に反論した。いつになく憤る青年の様子に面食らってしまう。加えて発言内容に関してもうまく咀嚼できずに固まってしまう。
 俺だから抱いて欲しいと思った?意味が分からない。

「シグルドさん、昨日教えてくれましたよね。ドーランとの戦争中に運命の番を殺してしまったって…」
「…………ああ」

 他人の口から事実を告げられると、自分の罪深さを改めて突きつけられる。それも性根が真っ直ぐなユテからとなると尚更きつくて、顔を見ることができない。

「…それ、僕です」
「は…?」

 ユテの言葉の意味が分からず、思わず顔を上げる。
 一体何を言ってるんだ?タチの悪い冗談か?
 だが、ユテの顔は真剣そのものだった。呆然とする俺の手を自分の手を重ね、ユテは再び口を開いた。

「僕が、シグルドさんに殺された、オメガのドーラン兵です。僕、あの時の兵士の生まれ変わりなんです」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

運命の番は僕に振り向かない

ゆうに
BL
大好きだったアルファの恋人が旅先で運命の番と出会ってしまい、泣く泣く別れた経験があるオメガの千遥。 それ以来、ずっと自分の前にも運命の番があらわれることを切に願っていた。 オメガひとりの生活は苦しく、千遥は仕方なく身体を売って稼ぐことを決心する。 ネットで知り合った相手と待ち合わせ、雑踏の中を歩いている時、千遥は自分の運命の番を見つけた。 ところが視線が確かに合ったのに運命の番は千遥を避けるように去っていく。彼の隣には美しいオメガがいた。 ベータのような平凡な見た目のオメガが主人公です。 ふんわり現代、ふんわりオメガバース、設定がふんわりしてます。

身代わりにされた少年は、冷徹騎士に溺愛される

秋津むぎ
BL
第13回BL大賞奨励賞頂きました! 最終17位でした!応援ありがとうございます! あらすじ 魔力がなく、義母達に疎まれながらも必死に生きる少年アシェ。 ある日、義兄が騎士団長ヴァルドの徽章を盗んだ罪をアシェに押し付け、身代わりにされてしまう。 死を覚悟した彼の姿を見て、冷徹な騎士ヴァルドは――? 傷ついた少年と騎士の、温かい溺愛物語。

番に見つからない街で、子供を育てている

はちも
BL
目を覚ますと、腕の中には赤ん坊がいた。 異世界の青年ロアンとして目覚めた「俺」は、希少な男性オメガであり、子を産んだ母親だった。 現世の記憶は失われているが、 この子を守らなければならない、という想いだけははっきりと残っている。 街の人々に助けられ、魔石への魔力注入で生計を立てながら、 ロアンと息子カイルは、番のいない街で慎ましく暮らしていく。 だが、行方不明の番を探す噂が、静かに近づいていた。 再会は望まない。 今はただ、この子との生活を守りたい。 これは、番から逃げたオメガが、 選び直すまでの物語。 *本編完結しました

虚ろな檻と翡翠の魔石

篠雨
BL
「本来の寿命まで、悪役の身体に入ってやり過ごしてよ」 不慮の事故で死んだ僕は、いい加減な神様の身勝手な都合により、異世界の悪役・レリルの器へ転生させられてしまう。 待っていたのは、一生を塔で過ごし、魔力を搾取され続ける孤独な日々。だが、僕を管理する強面の辺境伯・ヨハンが運んでくる薪や食事、そして不器用な優しさが、凍てついた僕の心を次第に溶かしていく。 しかし、穏やかな時間は長くは続かない。魔力を捧げるたびに脳内に流れ込む本物のレリルの記憶と領地を襲う未曾有の魔物の群れ。 「僕が、この場所と彼を守る方法はこれしかない」 記憶に翻弄され頭は混乱する中、魔石化するという残酷な決断を下そうとするが――。

人族は一人で生きられないらしい――獣人公爵に拾われ、溺愛されて家族になりました

よっちゃん
BL
人族がほとんど存在しない世界に、 前世の記憶を持ったまま転生した少年・レオン。 獣人が支配する貴族社会。 魔力こそが価値とされ、 「弱い人族」は守られるべき存在として扱われる世界で、 レオンは常識の違いに戸惑いながらも必死に生きようとする。 そんな彼を拾ったのは、 辺境を治める獣人公爵アルト。 寡黙で冷静、しかし一度守ると決めたものは決して手放さない男だった。 溺愛され、守られ、育てられる日々。 だが、レオンはただ守られるだけの存在で終わることを選ばない。 学院での出会い。 貴族社会に潜む差別と陰謀。 そして「番」という、深く重い絆。 レオンは学び、考え、 自分にしかできない魔法理論を武器に、 少しずつ“並び立つ覚悟”を身につけていく。 獣人と人族。 価値観も、立場も、すべてが違う二人が、 それでも選び合い、家族になるまでの物語。 溺愛×成長×異世界BL。 読後に残るのは、 「ここに居場所があっていい」と思える、あたたかな幸福。

いい加減観念して結婚してください

彩根梨愛
BL
平凡なオメガが成り行きで決まった婚約解消予定のアルファに結婚を迫られる話 元々ショートショートでしたが、続編を書きましたので短編になりました。 2025/05/05時点でBL18位ありがとうございます。 作者自身驚いていますが、お楽しみ頂き光栄です。

巻き戻りした悪役令息は最愛の人から離れて生きていく

藍沢真啓/庚あき
BL
11月にアンダルシュノベルズ様から出版されます! 婚約者ユリウスから断罪をされたアリステルは、ボロボロになった状態で廃教会で命を終えた……はずだった。 目覚めた時はユリウスと婚約したばかりの頃で、それならばとアリステルは自らユリウスと距離を置くことに決める。だが、なぜかユリウスはアリステルに構うようになり…… 巻き戻りから人生をやり直す悪役令息の物語。 【感想のお返事について】 感想をくださりありがとうございます。 執筆を最優先させていただきますので、お返事についてはご容赦願います。 大切に読ませていただいてます。執筆の活力になっていますので、今後も感想いただければ幸いです。 他サイトでも公開中

処理中です...