運命の番を殺した英雄

XCX

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25. 馬車は走り出す

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 感情のままに、僕は泣いた。まるで子供みたいにわんわん大声を上げて。
 シグルドが迎えにきて彼の元に戻れたことで、今までずっと張り詰めていた緊張の糸が切れてしまった。自分でも訳が分からないくらいに激しい気持ちがあふれて止まらない。
 そんな僕を、シグルドは膝の上に抱き上げて強く抱きしめてくれた。太く逞しい腕で全身を包みこんで、大きな手で頭や背中を優しく撫でてくれる。
 首筋にかかる吐息も、落とされる口付けも、名前を呼ぶ甘く低い声も、心地いい体温も、爽やかな匂いも全てに満たされる。
 ひとしきり泣いて落ち着いてくると、少し気恥ずかしい気持ちに見舞われる。僕が泣いている間に馬車は既に走り出していた。

「シグ……ごめんなさい、服汚しちゃった……」

 近衛師団の団服は、酷いことになっていた。涙のせいでびしょびしょ、強く握りこんでいたせいでしわくちゃ。

「いい、いい。そんなこと気にすんな。こんなの汚れたうちに入んねえよ。服は元に戻せるけど、傷つけられた心はそう簡単に修復できねえ。……俺はそっちのが気がかりだ」

 大きな手が握り拳を包みこむ。強張った筋肉を解すかのように優しくさすられて気持ちがいい。心地の良い温もりが、張りつめていたものまで緩めてくれる。やっぱり僕は、シグルドの傍なら安らぎを得られる。
 心配をかけているのに気にかけてもらえるのが嬉しいなんて、僕って酷い人間かな……。
 犬みたいに頬ずりすると、頭を撫でられながら頬に幾度も口づけを落とされた。

「ユテ、もう少しだけ辛抱してくれ。着いたら、お前にハメられた忌々しいから、解放してやる」
「……でも、鍵はリースロークが……」

 僕の臀部──ズボンの上から貞操帯を触るシグルドの声には、嫌悪と憤怒が滲んでいた。
 シグルドが怒ってくれるのが嬉しい。なのに僕の口から出る声は馬車の走る音にかき消されてしまいそうなくらいに小さかった。
 彼は鍵を身につけたまま連行されてしまった。首から下げた鍵が貞操帯のものだなんて、誰一人として知る由もないし、夢にも思わないだろう。拘束されているとはいえ、抜け目のないあの男のことだ。タイミングを見計らって鍵を処分するだろう。
 僕を苦しめるためだけに。

「ユテ」
「んぅ…」

 名前を呼ばれながら、長い指が顎にかかる。顔を上げさせられるのと同時に、啄むようなキス。反射的に閉じた目を開くと、シグルドが何かを掲げているのに気づいた。
 穴に紐が通された小さな銀色のもの──見間違えのないそれは、リースロークが肌身離さず持っていた鍵に他ならなかった。

「え…っ!どうして……どうやって…!?」

 驚くあまり、声がひっくり返ってしまう。信じられなくて、鍵とシグルドの顔を交互に見る。何度見てもやっぱりシグルドの手に鍵がある。
 僕の驚きっぷりがよほど面白かったのか、少年のように悪戯っぽく笑った。

「リースロークの身体検査をしたの、俺。ああいう鼻持ちならない奴は大事なものを誰かに預けたり、どこかに厳重に隠したりなんかしねえって確信があった。自分の懐が一番安全だってな。だから身体検査役を勝手出たら、これが大当たり。首元にチェーンが見えて、腹に一発お見舞いする瞬間を見計らって引きちぎった。むしろそれが目的だとバレねえよう目くらましのために殴っちまったな」
「突然殴りつけるもんだから乱心したのかと思ってたのに、まさかわざとだったとはね…。あれだけ団長からうんざりするくらいしつこく釘を刺されてたって言うのに。全く……団長にどう言い訳するつもりだい?」
「……っ!?!?」

 第三者の声が突如聞こえて、僕は文字通り飛び上がった。今まで以上にシグルドに強くしがみついて、恐る恐る振り返る。馬車内の対面の座席に近衛兵が座っていた。
 しかも、シグルドと同じように近衛師団の軍服を身にまとって悠々と足を組むその人は、国軍の要職に就くザヤさん本人だった。
 てっきりシグルドと二人きりだと思い込んでいたから、他に同乗者がいたことも驚きだったのに、まさかその同乗者がザヤさん。それだけじゃなくてその前の、リースロークを殴ったのは自分だ、っていうシグルドの発言だって…!
 立て続けに大きな衝撃を受けて、頭の中が真っ白になってしまう。

「言い訳もなにも、ザヤがあの場で言ってくれた通りだろ。リースロークが抵抗してたのは事実なんだから、それで通しときゃいい」
「こっちが無理言って潜りこませてもらったのに、嘘を吐くのは気が引けるなあ」
「嘘じゃねえよ。知る必要のないことを言わないだけだ」
「全く、君って奴は」

 僕が呆けているのに構うことなく、二人の軽快な会話が続いている。
 そこではっとする。
 ずっと僕の傍にいた近衛兵の声、どこかで聞いたことがあると思ってたけど、ザヤさんだったんだ!なんで、シグだけじゃなくてザヤさんまで近衛兵団に!?
 一つ疑問が解消されても、派生する疑問がどんどん増えて脳の許容量を超えていきそうな勢い。何からどう考えればいいのか分からなかったけど、羞恥心だけは明確に存在感が大きくなっていた。
 だって、二人きりだと思っていたから気兼ねなく声を上げて泣いて、膝の上で甘えられたのに、一部始終を見られていたなんて恥ずかしすぎる…!

「ユテ?」
「あ、あの、隣に座る、ね…」
「なんで。このままでいいだろ。俺から離れるな」

 僕が膝から降りようとするのに気づいたのか、明らかに機嫌を損ねたらしいシグルドが見上げてくる。
 眉間にぐっとしわを寄せてむっとする顔が、大の大人なのにとても可愛く見えて庇護欲で胸がときめいてしまう。
 すごく可愛い…けど!ザヤさんからの目が居たたまれない…!

「ち、違うよ。離れるつもりなんてない。ただ、ちゃんと、座るだけだから…」

 番の長い髪に指を通しながら分かってもらおうと訴えかけるも、シグルドには全く伝わっていないようで、拗ねた様子で僕の胸に顔を埋めている。聞く耳持たないと言わんばかりに目まで閉じて。体に巻きつく腕の力も一層強くなった。
 困るけど嬉しい、嬉しいけど今この状況では困る。そんな葛藤に見舞われてしまう。
 そしてなぜか最終的には、後ろから抱きしめられるようにシグルドの足の間に座り、真正面からザヤさんの視線を受ける形に落ち着いてしまった。……本当に、なんでこうなったのか分からない。
 シグルドは第三者がいても全く気にならないのか、僕の首筋に顔を埋めて絶えず匂いを嗅いでいる。シグルドに触られるのは願ったりかなったりだけど、ザヤさんにどんな顔を向ければいいのか分からない。
 定まらずにうろうろとさまよっていた視線が、ザヤさんのとかち合う。途端に顔に熱が集中するのを感じた。
 水から上がった魚のように口をぱくぱく開閉させる僕に、ザヤさんはにこりと微笑んだ。

「私のことはお構いなく。そのままシグルドを大人しくさせてもらえると助かるよ。まるで暴れ馬でね、独断専行しないように留めておくのが難しかったんだ。それがユテくんの前だと、まるで借りてきた猫だ」

 ザヤさんは愉快そうに喉を鳴らして笑っている。彼の言葉に揶揄いが滲んでいることに気づくも、僕としては申し訳なさでいっぱいになった。

「あの…僕のことでザヤさんにもご迷惑をおかけしてしまって、本当に申し訳ありません。そもそもベータだって嘘ついて面接を受けたことも…」
「ユテくんが気に病む必要なんてないよ。親友に頼まれたから力を貸しただけさ。長らく生ける屍状態だったシグルドに、もう一度命を吹きこんでくれたユテくんには感謝してるくらいだ。親友が戻ってきてくれたことが何より嬉しい。さっきは暴れ馬、だなんて皮肉めいたことを言ってしまったけどね」
「そうだぜ、ユテ。俺のため、なんて気障ぶっちゃいるが、ザヤもザヤで個人的な目的があって動いてんだ。危険分子がこれ以上組織に根を張って勢力を拡大させる前に排除できる、ってな」
「人聞きの悪い言い草だけど、反論できないのが痛いところだね。彼の本質を見抜けずに少将に任用してしまったことへの贖罪も兼ねてるから、本当に気にしないで欲しいな」

 先程揶揄われたのをやり返すかのようなシグルドの応酬に、ザヤさんは苦笑を浮かべた。

「ユテくんが第二性を偽らざるを得なかったのは、私がベータ限定だって募集を出したからだろう?事情が事情だし、致し方ないんだから君が謝る必要なんてないよ」
「……ありがとう、ございます」

 ザヤさんの言うことは本音だ。でも何割かは僕が罪悪感を抱かないように気を遣ってくれた。僕はそのご厚意を素直に受け取ることにした。

「あの、父と母は大丈夫ですか…っ!?僕、閉じ込められてから全く会わせてもらえなくて、おじい様にたくさん痛めつけられて、無事でいるのか何も教えてもらえなくて……っ!」
「ユテ…」

 シグルドの腕に包まれている安心感と、ザヤさんの雰囲気が柔らかいのとで、胸の内でずっと燻っていた不安が口を突いて出た。
 腹部に回る手に自分のを重ねる。少しだけ答えを聞くのが怖かった。耳元でシグルドの声が聞こえて、大きな手が震える指を絡め取ってぎゅっと握ってくれた。それだけで、少し不安が和らぐ。

「ユテくんのご両親は無事だよ。今頃バスケス団長が保護しているはずさ。エルフィード陛下の沙汰が下るまでクライゼル家は近衛師団の監視下に置かれることになるけど、悪いようにはしないはずだよ」

 父様と母様が無事だと知って、少しだけ安心する。実際に二人に会って確かめない限り、心配は完全に払拭されないけれど。

「……監視、と言うことはやはり、おじい様──祖父のジゼアの拘束も本当に…?」
「うん、ユテくんには残念だけど。私益のために実子に手をあげて、本人の意思に沿わない婚姻を強いるために孫を監禁虐待するなんて、どんな理由があろうと許されることじゃないからね」

 嘘じゃなかったんだ。確かにおじい様の僕たちへの仕打ちはひどかったと思う。でも生まれ変わってからは家族の一員だった。十八年という期間は決して短くなくて、少しだけ複雑な胸中だ。

「…さて、まもなく到着するし、話は一旦ここまでにしておこうか。私とばかり話していたから、後ろの暴れ馬が不満そうだしね」
「え」

 少し振り返ると、僕の肩に顎を乗せたシグルドが確かに面白くないと言わんばかりの表情でザヤさんをにらみつけていた。僕の視線に気づいたのか、一瞥を向けるその顔はばつが悪そうに見えた。思わず笑いを吹き出してしまう。

「目まぐるしい一日だったから、ユテくんも疲れているだろう。シグルドと積もる話もあるだろうから、今夜はゆっくり休んで、明日また話をしよう」

 ザヤさんの視線の先を追って、僕も車窓の外に目を向けた。同時に、馬車も停車した。
 目的地は、夜会参加のために訪れた王城だった。
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