くしゃみの獣は夜明けを運ぶ

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閑話:エルトワ

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 ある日、食事を終えた後の食器を厨房へと返却した帰り、ローディルはエルトワに引き留められた。依頼していた木彫りの置物が完成したと知り、自室へと案内する。仰々しく袋に入れられたそれを受け取り、窓から差し込む陽光にかざして見た。

「うわ~すげ~」

 思わず感嘆の息が漏れる。芸術に全く造詣のないローディルでも息を呑むほどに、見事な仕上がりだった。形はもちろん、毛並みや顔のパーツまで精緻に彫られ、置物にも関わらず今にも動き出しそうに生き生きしている。鏡で見る自分の姿よりも、木彫りの方が凛々しく思えた。手触りも滑らかで、気持ちが良い。

「すげーかっこいい!俺、すごく気に入った!エルトワ、ありがとう!」

 満面の笑みを浮かべるローディルにつられるように、エルトワは照れくさそうにはにかんだ。

「また宝物が増えた~。うん、いい感じ」

 早速とばかりにローディルは備え付けの棚に置物を置いた。その横には、セヴィリスからもらった腕飾りやエミルとお揃いで買ったターバン、ギョルム老父の形見である本が並べられている。殺風景だった部屋が少しずつ自分の色に染まっていく感覚に、顔がにやけてしまう。

「あ、そうだ。代金!」
「いや、ローディル、前も言ったが金はいらな…」
「はい!」

 エルトワの言葉など全く意に介さず、ローディルは彼の声をかき消すような声量と共に袋に入った全財産を突きつけた。気圧されて受け取ろうとしない兵士に焦れて、手に無理矢理持たせる。

「なあなあ、もう一個お願いしてもいい?たまにバルコニーにでっかい鷲が来るんだけどさ、それがかっこいいんだ!ロティの隣に並べたいんだけど…」
「ああ、それは全然構わな……それはそうと、多すぎる!」

 突然大声を出したエルトワの発言の意味が分からず、ローディルは首を傾げた。

「木彫りの置物ひとつに対してこの金はいくら何でも多すぎる!これだけの大金、小さな露店の商品を全て買えてしまうぞ!」
「そうなのか?俺よくわかんないけど…。でも俺はそれぐらいの価値があると思ったよ。だって世界に二つしかないんだぜ?俺の分と、エルトワの息子の分!」

 青年の無邪気な表情に、エルトワは面食らった。彼の頭には、揶揄われているのではという思いがよぎっていた。もしくは境遇に対する同情。置物の製作を依頼される前に、給金全ての譲渡を提案されていたからだ。
 だが青年の真っ直ぐな態度と言葉に、ローディルが心の底からそう思っていることはすぐに理解できた。ただ純粋にエルトワの木工師としての腕を評価し、価値を見出してくれているのだと。

「…ありがとうローディル。その言葉だけでも十分に嬉しい。本当に。そのようなことを言われたのは初めてだ」

 エルトワは喉にこみ上げてくるものをぐっと堪えた。気持ちをまぎらわそうと、首の後ろを手で擦る。それから袋の口を開き、中から銀貨を数枚取り出すと、残りをローディルへと返した。

「これだけ、代金としてもらう」
「そんなのだめだ!俺がそれで払いたいって言ってるんだから、受け取ってもらわなきゃ困る」
「作ったのは俺だ。価格を決める権利は俺にある。それに、お得意様割引を適用させてもらった」

 腕を組んで、受け取らないぞという意志をはっきりと示す青年に、エルトワは苦い表情を浮かべる。だが彼も譲ろうとせず、行き場のない硬貨の袋を棚の上に置いた。ローディルはそれよりも耳慣れない言葉が気になった。

「おとくい…?」
「お得意様ってのは、頻繁に物を買ってくれる常連客のことだな。つい今しがた鷲の置物の注文も承ったし、今後も仲良くしてほしいから、その分割安にしてもらった。いいだろう?承諾してくれなきゃ、鷲の置物は作らない」

 両者は互いに頑とした態度を取っていたが、先に白旗を上げたのはローディルだった。もう作ってやらないと言われて、悲しくなってしまったのだ。素晴らしい仕上がりを目にして、欲が出てきてしまった。木彫りのロティだけでは寂しいから、もっとたくさんいろいろな動物の置物を集めて並べたくなったのだ。

「……分かった。エルトワの言う通りにする」
「ははは、まあそう肩を落とすな。次もいいの作るからさ」

 兵士は快活に笑いながら、納得がいってないとばかりに不満そうに唇を尖らせる青年の肩を軽く叩いたのだった。


 ***************

「なあなあ、これ見て!」

 その日の夜、ローディルは食事中に木彫りのロティをオルヴァルたちに見せた。四人は都合を合わせて、ローディルの部屋で共に食事を取っていた。

「これは猫…いや、ロティの彫り物か。見事な装飾品だが、一体どうしたんだ?」
「へへ、エルトワに作ってもらったんだ。似てる?」

 置物を手に取ったオルヴァルは驚いた様子で目を丸くし、感嘆の息を吐いた。あらゆる角度から、細微にまでこだわった細工を眺めている。
 その傍らで得意げな表情のローディルは、袖で鼻を擦ってくしゃみをすると獣の姿に変身した。オルヴァルの膝の上に乗り上げ、彫り物を持っている手にじゃれつく。

「ああ、実物の方が愛くるしいが、それにしても驚く程にそっくりだな」

 甘えん坊で無邪気な仕草に、主人はくつくつと笑いながら獣の顔を優しく撫でた。自分が作ったものではないにも関わらず、褒められて至極ご満悦のようだ。木彫りがアサドの手に渡ると、ローディルも移動し、似てるだろ?と言いたげにぎゃうと鳴いた。

「エミル、エルトワは確か警備兵の一人でしたよね?実に繊細で見事な職人技をお持ちのようで」
「そうっすそうっす。そういや、故郷では木工師をしてたって聞いたことあるっす。木彫りになっても可愛いっすけど、実物には本当に敵わないっすよ~!」

 木のロティをまじまじと眺めていたエミルは、やにわにローディルを抱きしめた。だらしなく緩んだ顔ですりすりと頬擦りをしている。獣は笑っているかのような鳴き声を上げながら、されるがままだ。
 三人から思う存分撫で繰り回されたローディルは絨毯に顔を押しつけ、くしゃみをして元に戻った。

「エルトワ、子供がいるんだけど体が弱いから治療費を稼ぎに来てるって言ってたんだ。息子が喜ぶといいなって作ってたんだけど、たくさんいる動物の中から俺のことを選んでくれたのがすっごく嬉しくてさ~。次は鷲のやつ作ってってお願いしてるんだ~」
「ローディル、服!」

 ローディルは嬉々として話をしているが、人間に戻った体は何も身に纏っていない。目を吊り上げるアサドに注意され、一転しょぼんと肩を落として服を着る青年。いつものやり取りに、他二人は苦笑いを浮かべた。

 ***************

 翌日、野外演習場では一定のリズムで鳴らされる笛の音に合わせて、警備兵たちが基礎訓練のメニューの一つである腕立て伏せを行っていた。木刀を持ったプリヤがその間を縫うようにゆっくりと歩き、彼らに目を光らせている。

「こらあ、腕!腕ちゃんと曲がってないぞ。顎は地面につけるんだよ!」
「ぐあっ!」

 木刀で己の肩を叩きながら、プリヤはとある兵士の背中に乗っかった。哀れな兵士の全身は震え、今にも地面に倒れ込みそうな勢いだ。

「ほらほら、腹に力入れて体持ち上げるんだよ!飲み屋の姉ちゃんたちに、何てたくましい胸板…、なんて言われたいだろ?」
「ぬうああァ…!」

 兵長の鼓舞に応えるかのように兵士は真っ赤な顔で歯を食いしばり、一回二回と気合いで体を上げ下げした。

「やればできるじゃないか!漢見せたな!」

 満足したらしいプリヤは次の獲物を品定めするかのように視線を走らせている。そして狙いを定めたのか、麗しい顔に悪戯な笑みを浮かべ、顔から汗を滴らせる男の背中に勢いよく飛び乗った。突然の衝撃に男の体はがくんと落ちるも、どうにか耐えた。腕の筋肉が膨張し、血管が浮かび上がる。

「おお、えらいえらい。よく耐えたな」
「ムリムリ、腕、上がんねえっす…!」
「根性見せな。それとも何だ?この可憐なおなごの私に向かって、重いとか言わないだろうな?」
「いやいやいや、じゃあ甲冑脱いでくださいよ…ッ!また重り増やしましたよねえ…っ!?」
「ああ、最近新調したから20キロはあるだろうな」
「ギエーーーッ」

 プリヤが身に着けている甲冑の重さを耳にした兵士は、奇声を発しながら地面に倒れこんだ。周囲の兵士もげっそりとして男に同情した。高重量の甲冑を身に着けながらも、その重さをものともせずに身軽な身のこなしで跳ねる兵長を心底恐ろしいと一同思っている。

「何だ情けない…それでもタマついて──っと、各自休憩!」

 美貌の兵長はあからさまに不満顔だったが、とある人物に気づくと兵士達にしばし休息の許可を与えた。息を切らせて地面に座り込む兵士の間をすり抜け、足早に入口へと向かう。

「邪魔をしてすまない」
「オルヴァル、珍しいな。お前が演習場に姿を見せるなど。ん、どうしたアサド、なんだか顔色が悪いぞ」
「……なかなかに大変な訓練を行っているのですね…。貴女を背に乗せてのトレーニングとは…」
「ああ、今のか?いつもって訳じゃない。ふふ、お望みとあらばアサドの上にも乗ってやるぞ?もちろん甲冑はなしでな」

 妖しい笑みを浮かべるプリヤはアサドの輪郭にゆっくりと指を這わせた。絡みつくようなねっとりとした触り方に、アサドは思わず上半身をのけぞらせた。彼が嫌そうに顔をしかめる一方、女兵長は愉しそうに声を立てて笑っている。

「すまない、つい脱線した。何か用か?」
「エルトワという兵士はいるか?」
「ああ、いるにはいるが」

 いつも通りのやりとりに苦笑するオルヴァル。プリヤはそんな彼が出した名前に怪訝そうな表情をするも、大きな声でエルトワを呼んだ。水分補給をしていた兵士が不思議そうに目を丸くし、周囲をきょろきょろと見回しながら近づいてくる。
 周囲にいる兵士達も何事かと視線を注ぐ。憐れむようなものがほとんどだった。屋敷の主人であるオルヴァルがわざわざ足を運んでくるなど、滅多にあることではない。何かとんでもないことをしでかしたのだろうなと心の中で合掌する。

「うちのエルトワが何か迷惑でもかけたか?」

 プリヤはエルトワの肩を抱いた。まるで、挙動不審ぎみの彼を安心させるかのような頼もしさを感じる。

「そんなに構えないでくれ。エルトワ、不躾に訪ねてしまって申し訳ない。重ねて突然の依頼にはなるが、俺にもロティの木彫りを作ってくれないだろうか。自室と執務室用に二つ」
「私とエミルも欲しいので、実質四つでお願いできればと存じます」

 予想だにしない申し出を受け、エルトワは呆然とし硬直した。

「木彫り?」
「ああ。ローディルに散々自慢されたんだが、実際に俺も目にして心奪われてしまった」
「そういやエルトワ、元は故郷で木工師をしていたんだったか」

 首を傾げるプリヤに、オルヴァルが微笑む。その後ろではアサドが主人の言葉に同意を示すように頷いている。今もなお、エルトワは固まっていた。彼らの会話は一応耳から入って来るのだが、衝撃のあまり思考が停止してしまっている。
 ローディルは王子の世話係のエミルと一緒に働いていると聞いていたが、何となしに作った木彫りの置物がまさかオルヴァルやアサドの目に入るとは思わなかったのだ。
 粗相をしたのではないと分かって安堵するも、別の問題で安心できない状況だ。

「いや、滅相もない!息抜きとして作ったもので、とてもオルヴァル様に献上するようなものでは…!」
「そう畏まらないでくれ。本当に素晴らしい出来だったんだ。もっと己の腕を誇っていい。勿論報酬は出す。期限も設けない。兵士の仕事は多忙だとは思うが、どうにか受けてもらえないだろうか」
「で、ですが…」
「王子がこうも熱望するってことはよっぽどの物とみた。よし、私の分も追加で頼む。生活に支障がないよう、見回り業務はしなくて構わん」

 なおもエルトワは気が進まず及び腰ではあったが、強引なプリヤによって強引に話をまとめられてしまう。自分とはおよそ関わる機会がないはずの王子とその臣下、そして圧の強い絶対女王である上司に逃げ道を塞がれ、エルトワは頷くことしかできなかった。

 ***************

 それからエルトワは目まぐるしい事態の連続に見舞われた。
 混乱の渦中にありながらも木工師のプライドにかけて注文を受けた木彫りを納得のいく出来になるまで作成した後、プリヤを通じて雇い主に納品をした。気に入ってもらえてほっとしたのも束の間、報酬として渡された代金はローディルの比ではなかった。

「聞けない注文だな。見事な仕事ぶりは正当に評価を下すことを信条としている。また頼むこともあるだろうから、遠慮せずに受け取ってくれ」

 受け取りを拒否したかったのだが、執務室に一人呼び出され、王子と彼の臣下と世話係からの圧に圧倒されてしまい否を言えなかった。喜ぶ彼らの表情は実ににこやかなものではあったのだが、言葉のところどころに有無を言わせぬ強制力を感じた。
 人の上に立つ者は、生まれ持った絶対的な威厳でもって人を従わせる雰囲気を纏っているのだなとエルトワは思った。
 納品を終えて平穏が戻って来るかと思いきや、ロティの木彫りの話を聞きつけた使用人たちから同様の依頼が殺到した。さらにアサドからは木製家具の修繕や製作を依頼されるようになってしまった。

「どっちが本業か分からなくなってきたな…」

 脚が一本折れてしまった椅子の修理を行いながら、エルトワは一人呟く。
 思わずそう独り言を言ってしまう程に、木工師として働く時間の方が圧倒的に長くなっていたのだ。兵士としての見回り業務や基礎訓練などもほぼやっていない。
 そんな中、正式に屋敷お抱えの木工師にならないかと打診があった。兵士の賃金は固定だったが、木工師は歩合だ。それでも一つの仕事につき報酬が割高で結果的に見れば収入額はほぼ変わらないか、少し多いくらいだ。元々好きで木工師をやっていたので、兵士の時と比べてそれほど苦にも感じない。

「まさか何気なくローディルに作った木彫りのロティで、まさか転職することになるとはな」
「木工師に戻るの、いやだった?」

 敷地の一角の木陰で息抜きとして新たな置物を小刀で彫るエルトワの手元を、隣に座るローディルがじっと眺めている。暇さえあれば見に来るので、つまらなくないのかと以前聞いたことがあるが、食い気味で否定された。ただの丸太や木板が変わる様がまるで命が吹きこまれるかのようで楽しいらしい。目をきらきらと輝かせ興奮気味で言う彼に、平静さを装ったものの内心は嬉しくてたまらなかった。

「いいや、好きで木工師をしていたから嫌ではないよ。今の方が充実している。誰かが喜ぶ顔を見るのは嬉しいしな」
「へへ、俺もロティの置物が人気で嬉しい。でも、本当はちょっと寂しい」
「寂しい?なぜだ?」

 両膝を腕で抱えこみ、丸くなるように座るローディルにエルトワは首を傾げる。

「だってさ、皆がエルトワの作ったやつが欲しいってなったら、気軽に注文できなくなりそうだもん。エルトワが遠くに行った気がして、なんか寂しい」

 ローディルは拗ねたように唇を尖らせた。その姿が己の息子に重なり、エルトワは笑いをこらえることが出来なかった。

「そんなことを言われたら俺の方が寂しくなってしまう。木工師になっても俺は前と変わらないさ。ローディルの依頼ならいつでも大歓迎だ。何てったってローディルは俺の良き友人であり、お得意様第一号だからな!」

 青年の髪を混ぜるようにわしゃわしゃと撫でる。ローディルは一瞬呆気に取られたものの、すぐに破顔した。嬉しそうに笑う彼に、エルトワもつられて笑うのだった。
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