くしゃみの獣は夜明けを運ぶ

62. 調査報告

　人目を避けるために裏口に回った二人は、厨房係のユンと遭遇した。食材が搬入されるタイミングだったらしく、青果や魚の加工品、狩られたばかりと思しき鳥獣が置かれている。

「ユン！」
「ん、二人でお出かけしてたのか？珍しい取り合わせじゃん」
「そう？俺たち、めちゃくちゃ仲良しだよ。な、アサド！」

　ユンの発言を不満に思ったのか、ローディルは少し頬を膨らませながらアサドに抱きついた。同意を求められた男は突然の抱擁に驚きながらも、はにかみながら頷いている。
　ユンは、ふうんと呟く。いつもはツンと澄ました印象のあるアサドが照れくさそうにしているのが物珍しかったのだ。

「これ、もしかして今日の晩ごはん！？」

　ユンは二人が中に入れるよう、端に身を寄せた。アサドはその気遣いにお礼を口にしながら、建物の中へと足を踏み入れる。だがローディルはその場に立ち止まり、興奮の声を上げた。大きく見開かれた目はキラキラと輝き、大量の食材に釘づけだ。

「うん。まだメニューは決まってないけどね。何かリクエストある？」
「えー…ユンたちが作るもの全部おいしいからなー。あ、そうだ、さっき食べたやつめちゃくちゃおいしいから、また食べたいって思ったのがあった」
「何てやつ？」
「えっと、チュ？チェ…？もちもちカリカリしてた！」

　ローディルは腕を組み、必死に料理の名前を思い出そうと頭を傾げる。だが潔く諦めた彼は、期待をこめた眼差しをユンに向けた。

「ローディル、いくら俺が厨房勤めだからって、それだけの情報じゃ料理名あてられないからね？」

　味の説明もなく食感だけを伝える青年に、厨房係は苦笑いを浮かべた。

「えっ。あ、そっか…？えーとえーと…アサド～…」
「モイチェですよ」

　情けない声で助けを求める青年にくすりと笑いをこぼしながら、アサドは答えた。彼の助けにより、ユンはすぐに合点がいったようだった。

「あーあれか。確かに出したことないかも。モルガンさん、あんまり大衆料理興味ないからなあ。けどリクエストあったことは伝えとく。気長に待ってな」
「やった！これ、厨房まで運ばなきゃいけないんだろ？俺も手伝うよ！」
「待った待った。気持ちはありがたいけど、せっかくのよそ行きの服が汚れちゃうって」

　ユンは、やる気満々で腕まくりをするローディルを制止した。彼の指摘にローディルは上等な布地で仕立てられた己の装束を見下ろし、本当だと呟いた。

「それにすぐに厨房から手伝いが」
「じゃ、俺着替えてくるっ」

　ユンの発言に一切耳を傾けることなく、ローディルはもの凄い速度で階段へと走っていく。あまりの猪突猛進さに厨房係は呆然と立ち尽くすほかなく、彼が我に返る頃には青年の姿はどこにもなかった。ローディルを引き留めようと出された手が空を漂っている。

「…手伝いが来るから、必要ないんだけど。相変わらず食べ物のこととなると全然聞く耳持たないな～」

　哀愁を漂わせながらどこか寂しく呟くユンに、アサドは笑いを堪えきれなかった。咄嗟に手で口元を覆うも、隙間から息が吹き出してしまう。
　彼からの視線を感じ、小さく謝罪を述べる。唇を噛んで笑いを堪えながら、アサドはその場を離れてローディルの後を追った。階段を上ると、楽し気な声が聞こえてくる。見ればローディルがオルヴァルとエミルによる出迎えを受けているところだった。
　体を絞めつける音が今にも聞こえてきそうな程に熱烈な抱擁をエミルから受けても、獣の青年はけろりとしていた。むしろ何かの遊びだと思っているのか、ケラケラと声を立てて喜んでいるようにすら思える。

「セヴィリスに変なことされなかったっすか！？」
「うん、三人でおいしいもの食べて話しただけ」
「もう、気が気じゃなくて全然仕事が手につかなかったっすよ…！」
「エミル、心配しすぎだ。アサドが一緒だったのだから、変なことなど起こるはずもない」
「それは分かってるっすけどお…。そう言うオルヴァル様こそ、インクを服にこぼしたり珍しくドジしてたじゃないっすか～」
「えっ、インク？服、大丈夫だった？」
「いや、すぐに対処してもらったが完全には落ちなかった。とは言え無駄にするわけにもいかないから、染めてもらうことにした」

　世話係の青年の失態を暴露された主人は、苦々しい笑みを浮かべた。
　セヴィリスとの逢瀬に明らかに動揺している二人に、ローディルがハグだけならまだしも同じカトラリーで料理を食べさせられたり、指に口づけられたりしたと話したらどうなるだろうかとアサドは思った。
　悪戯心が芽生えた側近だったがすぐに考えを変え、内密にすることに決めた。目の色を変えて騒ぎ出すエミルと、表情は変えないながらも服にインクをこぼす以上のドジをしかねないオルヴァルの姿が容易に想像できたからだ。特に主人にはこれから報告をするのに、使い物になられてしまっては困る。
　それに、己も叱責を受けるだろう。不埒な輩からしっかりとローディルを守ると豪語したにも関わらず、この体たらくだ。セヴィリスの流れるような所作に制止をかける暇すらなかった、というのは見苦しい言い訳でしかない。

「あ、そうだ。俺急いで着替えないと。下でユンが大量の食材に囲まれてて大変なんだ。手伝わなきゃ」
「あ、じゃあ俺も一緒に行くっすよ。一人で服、脱げないっすよね？」

　寝室に入るローディルの後を追って、エミルの姿もなくなった。主人の目が臣下を捉えると、労わりの微笑を浮かべた。

「アサド、ご苦労だったな」
「いえ。報告、よろしいでしょうか」

　勿論だと頷くオルヴァルと共に執務室に入室する。彼は執務机ではなく、応接用の長椅子にアサドを促した。

「どうだった。実際にセヴィリスに会った感想は」
「確かに、殿下が形容なさった通り、謎に満ちた人物でした。確かに派手で人目を惹きすぎるので密偵ではないように思います。ただ各地を興行している流浪の身と言うわりには身なりが整いすぎているかと。成り上がりの商人でさえ、もう少し慎みのある格好をしますよ。手荷物も少なく、かくも軽装で旅をしているとは到底信じられませんね。それに少し言葉を交わしただけでも、知見と教養のある人物であるとすぐに分かります。元は上級学術院の出身だったりしないでしょうか。…何と言うか、敵ではないのかもしれませんが、胡散臭さは払拭できませんね」

　感じた印象を整理しながら述べているつもりだが、言葉がまとまらない。あの男から受ける不可思議な雰囲気をどう伝えればいいのかわからない。

「殿下が言わんとしていることを身を以って知りました。とにかく一つ確かなのは、やはりローディルに近寄らせたくないということですね。私が傍にいるにも関わらず、隙あらば口説こうとするのですよ」
「…そんなに積極的なのか」
「それはもう」

　途端に表情をこわばらせる主人に、力強く頷いて見せる。アサドは内心、主君を揶揄うのを楽しんでいた。
　被差別民族の血が入っていると言えど、その恵まれた容姿と体躯で男女問わずお誘いは多い。無用な醜聞を避けるため、数多の人間のアプローチをのらりくらりと躱してきた彼が、ローディルを相手に余裕をなくす様子が物珍しく、面白いのだ。

「あの見目の良さと物腰の柔らかさで口説かれて断れる方はそうそういないでしょうね」

　オルヴァルはじっと押し黙っている。だが意識しているのは明らかで、前のめりな姿勢で組んだてを落ち着かなさそうに組み替えたりしている。焦燥が見て取れて、さすがに気が咎めた。

「ですが、心配ないでしょう。ローディル本人は全く気付いてないようですし、一切関心もないようですから」
「…そうか」

　オルヴァルは平静を取り繕っているものの、ようやくこぼれた声は明らかに弾んでいた。王子と言う立場故に自分を犠牲にすることの多い彼が、人並みに恋愛にやきもきしている様子がとても微笑ましい。
　無意識に微笑むアサドに、主君は誤魔化すように咳ばらいをした。

「話は変わりますが、セヴィリス殿より興味深い話を耳にしまして」

　声色で重要な話だと察したのか、男の顔つきが一瞬にして変わる。アサドは気障な奇術師から聞いた、王都の鋳造屋の繁盛ぶりと強奪の話を語ったのだった。