「piyo-piyo」~たまきさんとたまごのストーリー

卯月ゆう

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第1章 卵の番人

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(梨央side)

 今日も駅を降りてオフィスへと向かう。
 職場の高層ビルはすぐ近くに見えるのに、目の前にそびえ立つのは上り階段だ。5本もの道路がひとつに集合している交差点があるから、歩行者は歩道橋を渡らないといけない。
 ここはイヤホンから流れる音楽を遮る車の音をBGMにしている小さなダンジョンだといつも思っている。だから、ダンジョンに入る前にゲームデータをセーブをするように、階段の麓にあるカフェチェーンで一旦コーヒー飲んで休憩している人も良く見られるのだ。
 上り階段を攻略したところで少しばかりの風が吹いた。それに合わせて、ふと玉井マスターの顔が頭をよぎった。ランチにお待ちしていますよ、とささやいているみたいに。そしたら「piyo-piyo」のお店は教会だろうか、体力が回復するポイントだ。
 ランチはマスターに会いに行こう。

 ・・・

「あら、また来てくださいましたね」
 僕がお店の扉を開けるなり、玉井マスターは前と変わらず迎えてくれた。
「こんにちは! スタンプカードを貰ったばかりですから、食べにきました」
「それはどうも、ありがとうございます」
 彼女が少し微笑んでいるように見えたのは気のせいではないだろう。
 僕がカウンターに座るなり、OLのグループが会計を行っている。これで店内の客は自分だけになった。
 ちょっと気になることを聞いてみよう。グラスに水を注いでいるマスターに質問してみた。
「小さい頃から卵料理が好きだったのですか?」
「いいえ、私は小学生の頃から好き嫌いなく食べられました。特に好きだったメニューと言ったら魚のソテーですかねえ」
 なんだか意外な答えが返ってきた。ここは卵の専門店だから、卵に関する何かしらの由来があると思っていたのだが。
「ああ、そういうことでしたら......」
 彼女は顎に人差し指を置いてちょっと考え込む仕草を見せた。それから、指を離して語り始めた。
「私、ヒヨコになりたかったんです」
 はて? 僕は思わず自分の耳を疑った。
 マスターはたしかにヒヨコと言った。人間になりたがった猫じゃあるまいし、どういうことだろうか。
「人間って"卵を食べ過ぎるとヒヨコになっちゃう"って知りませんか?」
 ああ、大人がついた嘘ですね。
 もちろんそんなことはないのに、大概にして欲しいものだけど。
「私、あの言い伝えを信じていました。
お祭りで売っているヒヨコが可愛いからあんな風になりたかった......。
だって、ちやほやされるじゃないですか~」
 なんてことだ、そんな突拍子もない理由なのか。僕は椅子から滑り落ちそうになった。

 マスターは僕のテーブルに水を置いた。
 グラスに手が触れているまま、ずっとこちらを見ている。そのまま動こうとしない。まさか、ヒヨコが笑われると思って釘を刺そうと思っているのか......。
「まあ、極端にコレステロールが高い方以外は特に食べても問題ありません。
タンパク質や脂肪、様々なビタミンまで複数の栄養素が含まれています。
もちろん消化も優れていますので、栄養補給や毎日の体力づくりには欠かせませんよ」
 なるほど、卵の栄養価の説明をしてくれるとは思わなかった。そうなると、子供の頃に聞いた話を確かめてみたくなる。
「卵の殻に白と茶色の違いってありますね。
何かあるのですか?」
「特に変わりはありませんよ。
そうですねえ、色がある方が美味しそうに見えますよね。
さすがに烏骨鶏みたいな青白い卵は当店でも出せませんが」
 などと彼女はくすりと笑っている。
 色々説明されると、なんだか興味が湧いてきた。こうなれば卵そのものを食べたくなってくる、というものだ。
「じゃあ、お米って食べられたりしますか?」
「もちろんありますよ、それでは卵かけご飯をお出ししましょう」
 すると彼女はお茶碗に白米をよそって、小鉢にたまごを一つだけ乗せて出してきた。まるで朝食を思わせる、絵に描いたような卵かけご飯だった。
「一番シンプルに味わえる食べ方だと思います。どうぞご賞味ください」

 僕は思わず体の前で手を合わせて、"いただきます"の動作を取った。普段やらないのに、なんだか不思議だった。
 卵を割って見ると、ぷっくりとした黄身が小鉢の縁を流れてくる。太陽のように少しオレンジ色をしていて、はじめてみる美しいご飯に思えた。
 これは、テレビで見たアレをやってみたくなるものだ。
 僕は箸で丁寧に黄身だけをつまんで上げてみた。でも、すぐに滑って落ちてしまう。しまいには差して割ってしまった。
 キッチンの方からくすりと微笑む視線を感じた。マスターが僕と玉子の戦いを見届けていたのだ。楽しいものをご覧になったと言わんばかりの雰囲気だ。
「あのですね。
色んなお客様が黄身を持ち上げようとするのですが、当店の卵はそうそう上手くいかないのです」
 そういうものなのだろうか。テレビで見るものとなにが違うのか正直言ってよくわからない。マスターはキッチンの洗い物を止めて少し説明してくれた。
「黄身を持ち上げられるのはもちろん新鮮な証拠です。
テレビで見たことがあるでしょう、私も昔食べたことがありますよ。
味の濃い卵で......、卵の味だけでお米が進むような、そんな味でした。
でもですよ、当店には合わないかなって」
 なるほど、彼女の言わんとしていることが分かった気がする。僕の考えを汲んでくれたマスターが説明を続けてくれる。
「当店は卵かけご飯屋さんではございませんので、万能に扱える卵を扱っています。
この卵じゃなきゃだめなのです、そう養鶏場の方に告げるととても喜んで頂けて......」
 そう言うと、彼女は手を振って答えた。
「最近のテレビ広告など、宣伝の仕方が面白くありませんね。お料理というのは、手間と食材の組み合わせでございます。
卵かけご飯に合うもの、トーストに合うものを色々用意しないといけなくなっちゃう。
様々な組み合わせに扱えるものがあれば、それに手間をかけて試してみる。
それを楽しむのがシェフであり、マスターの義務なのです」
 なんだか興味深い話だった。
 "持ち上げられる黄身"など、ある一点がアピールポイントになっているが、逆説的にとれば、そうでないと美味しくないと思わせる。ある意味、誇大広告な世界のように感じた。
「それでは、コーヒーの代わりにほうじ茶を入れて差し上げますね」
 そう言って彼女はヤカンを火にかけた。

 ・・・

 躍り出る湯気は安堵の気持ちを連れてくる気がした。
 まるで、お米と卵、さらにお茶までが深く組み合わさって見事な調和を保っているような。この間のトーストでも感じた、綺麗なハーモニーが奏でられているみたいだ。
 特別美味しいわけではないけれど、どこか安心する雰囲気がある。これが家庭の味というものだろう。
 食器をキッチンに下げているマスターは僕に声をかけた。
「久しぶりに美味しいご飯を食べました」
「ほんと、綺麗に食べて頂いてありがとうございます。
<カラザ>まで食べる方は滅多にいませんよ」
 聞きなれない言葉を聞いた、カラザとはなんだろうか。
「先ほど卵を割ったでしょう?
そこで目にしたと思います、黄身と白身をつないでいる紐みたいなやつ」
 卵が割れてしまったから、すぐに溶いてしまった気がする。紐と言われて、うっすらその姿を思い出した。
「ああ。気にしないから、食べちゃいましたね。害はないんですか?」
「もちろんありません。
カラザは卵黄と卵白をつなぐ線のことで、卵黄を殻の中心に固定させて衝撃から身を守る働きがあります。
また、卵白には抗菌作用があるため、中心にある卵黄が微生物から汚染されることも防げるのです」
 なるほど、ひとつ勉強になった。彼女は説明を続けてくれる。
「見た目は正直よくありませんね。
それ故に取ってしまう人が多いのですが、卵白にはない<シアル酸>が含まれています。
これは抗がん物質の一つです。
ですので、当店では取り除かずに調理しています」
 先ほどから卵の栄養価について話を進めてくれている、まるで栄養士の先生のような姿で素晴らしいとは思っていなかった。
「その分、卵自体には生で安心した状態で食べられる期間はそんなに長くありません。
せいぜい二週間というところでしょうか。
過去にも、時間が経った卵をお出ししてしまった飲食店が注意されたとか」
 一人暮らしでも、それくらいだったら、なんとか食べきれているだろう。
「今度、卵を割る時に見てみてください。
割った卵を横から見てみると、こんもりしたような卵黄があって濃厚な卵白が包んでいるもの。
さらに卵白が白濁していれば新鮮そのものですよ。
これは中に炭酸ガスが含まれているためです。
殻が厚ければ若い鶏さんが産んだ卵です」
 ふむふむ。さすが専門店だ、詳しい。家庭科の授業でここまで話を聞いただろうか、楽しいランチタイムだった。
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