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第3章 変わってゆくものばかり
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(梨央side)
僕のランチはほとんど毎日「piyo-piyo」で過ごしている。そう言って過言ではないだろう。
今日もとても美味しかった。シンプルで奥の深いたまご料理の数々、そして深い味わいのするホットコーヒーをマスターが持ってきてくれた。これらが見事なバランスを保っている......。
ここまで考えて、ふと首をかしげた。
何かが違うような気がする、気になったら仕方がないので、恐る恐る聞いてみることにした。
「あの、マスター......」
彼女はキッチンのなかで何かの作業をしているようだった。手を動かしたまま、こちらに顔を向けずに返事した。
こりこりという音が聞こえてくる。
「はい、何でしょうか?」
「なんだか、今日の料理は"何か"が違うような気がして......。
でも、その正体が掴めないのです」
そこまで言うと、彼女は手を止めてこちらを見てきた。
「何か、とおっしゃいますと......。
はて?」
マスターも首を傾げてしまう。お互いに話のつかみどころがないまま、少々の沈黙が流れていく。
「仕入れている卵の味が変わるとは思えません。
それ以外の食材もコーヒー豆も、いつものお店で買いますよ。
駅前のショッピングモールですが、産地の違いがここまで変わるとは思えませんが......」
彼女はそのまま腕を組んで考えだしてしまった。
「もしかして私、スクランブルエッグに使うバターの分量間違えましたか」
「いや、そんなしょっぱい感じはしなかったです。
それに、分量を間違えるなんて一般人の料理番組じゃあるまいし」
僕は道行く通行人にレポーターが即席で料理を作ってもらうようお願いする、あの番組を思い出していた。目分量で作業しようとして塩や砂糖を入れすぎてしまう失敗が多かった気がする。
「お菓子を作るのとは訳がちがいます。すりきり何グラムっていうのは当店では行っていません、すべて私の経験です」
だから私の責任です、そう言いながら彼女はうなだれてしまった。
・・・
僕とたまきさんは、お互いにホットコーヒーを飲んでいる。
彼女はすでに作業をを終えているのか、休憩しているようだ。手にしている昭和レトロな柄をしたマグカップは私物だろうか。
彼女ははある可能性について説明してくれた。
「最近試しているんですけど、卵の殻とコーヒー豆を一緒に挽いていまして。
酸味が減る効果があるって、友人に教えて頂いたのです」
ここまで違うんですね、と彼女はさも感心した風に納得していた。疑問が氷解した僕は改めてコーヒーを一口飲んだ。
「それにしても、繊細な味が分かるなんて素敵ですね」
彼女はちらっとこちらを見ながら褒めてくる。
褒められると困るからやめてほしいのだけど、大したことじゃないと思う。コーヒーの味利きなんてやっても分からない自信はあるんだ。ここの味のコーヒーをほぼ毎日飲んでいるから気になっただけだ。
照れ隠しのように、率直な感想を口にした。
「卵の殻って使えるんですね、本当に素晴らしい」
「ええ、卵様様ですよ。
鶏にも卵の殻にも無駄なところはありません」
なんだか興味の湧く話だった。
昼休みが終わるまで時間があるから、少し話を聞いてみたくなった。彼女はキッチンから出てきて、カウンター席に横座りみたいな姿勢で腰かけて語ってくれる。
「鶏も年を取ってくると良質な卵を産めなくなります。
それでも、トサカは美容品として、羽は羽毛に、肉や骨は食料として利用されます」
僕は鶏の骨でだし汁を作っている調理場の姿を想像してみた。昨日のランチが近くのラーメン屋だったからだ。
「対して、卵の殻は食料とはなりませんが、干して細かく砕けば生活を影から支える子になります」
そう言って、先ほど作業をしていたすり鉢を見せてくれた。中には卵の殻の半分くらいが白い粉状になっていた。
「決してあやしい薬ではございません。
こうやって卵の殻を砕くことで漂白剤あるいは研磨剤として使うことができます。
水筒や花瓶などを洗いたいときに、水と一緒に粉末を入れて振るんです。
当店でもカップの茶渋取りに使っています、おうちでもお試しあれ」
またひとつ勉強になった。毎日オフィスに水筒を持ってきているから、今度やってみようか。
「当店でもやっている、と言えば殻とふきんを一緒に煮て汚れを落としています。
洗濯物を洗う前に、シャツを煮て汚れを落とすという家庭もあるとか。
では、なぜ汚れが落ちるかわかりますか?
殻に含まれている炭酸カルシウムは加熱されると酸化カルシウムに変わりますね。
それが二酸化炭素と反応してお湯がアルカリ性になるからですよ」
ふむふむ。
まるで化学の教師と生徒のような関係だ。なんだかメモを取りたくなってきた。炭酸カルシウム......、何かの原料だと授業で聞いたような気がする。
「では、梨央さんにお子さんが生まれたら作ってみてほしいのが、チョークです。
主成分は炭酸カルシウムですね。
だから、小麦粉と熱湯を混ぜて、こねこねすれば作れちゃうのですよ」
まあ、あなたがどんなお父さんになるのかな、とマスターは手を口に置いて笑っている。
今日もスタンプを押してもらった。
「あ、このスタンプカードとお店の名刺も殻の再利用品です。
特殊なメーカーにお願いして作ってもらっています」
と、彼女は思い出したように教えてくれた。
「ほんと、様様ですね」
僕はこう告げて、お店を出た。
午前中に出ていた雲は晴れていて、まさしく青空が広がっている。
たまきさんが青空の下で子どもの洗濯物を干している、そんなシーンを想像してみた。僕たちが家庭に入るのはお似合いだろうか、どういう訳かそんなことを考えてみた。
・・・
......「piyo-piyo」の店内。
レポーターがたまきさんにマイクを向けている。キッチンの中で数台のビデオカメラが彼女の方に向いていた。
「それでは、大学の学部とお名前をどうぞ」
「はあ、大学ですか......」
彼女は面倒くさいと言わんばかりに小声で答えていた。
これは放送できるのか? みんなの心配をよそに、彼女の表情がみるみる明るくなっていく。
そして、胸を張るなり言った言葉は、
「何を隠そう、この玉井たまき、卵料理専門店のマスターでございます!
この私に訊いたこと、後悔でするでしょう」
なんと!
たまきさん以外の誰もが開いた口をふさげなかった。
彼女は瞬時に放送しているカメラを判断して、そちらを指さしながら宣言したのだ。
「腕によりをかけて、王道の料理を作って差し上げましょう!」
そう言ってあっという間に作られたのは、バターがふんわり香る、黄金に輝くスクランブルエッグだった。
たまきさんは颯爽とエプロンを外して去っていく......。
僕はここで目を覚ました。たまきさんが即席で料理を作る番組に出演する夢を見るとは思わなかった。
僕のランチはほとんど毎日「piyo-piyo」で過ごしている。そう言って過言ではないだろう。
今日もとても美味しかった。シンプルで奥の深いたまご料理の数々、そして深い味わいのするホットコーヒーをマスターが持ってきてくれた。これらが見事なバランスを保っている......。
ここまで考えて、ふと首をかしげた。
何かが違うような気がする、気になったら仕方がないので、恐る恐る聞いてみることにした。
「あの、マスター......」
彼女はキッチンのなかで何かの作業をしているようだった。手を動かしたまま、こちらに顔を向けずに返事した。
こりこりという音が聞こえてくる。
「はい、何でしょうか?」
「なんだか、今日の料理は"何か"が違うような気がして......。
でも、その正体が掴めないのです」
そこまで言うと、彼女は手を止めてこちらを見てきた。
「何か、とおっしゃいますと......。
はて?」
マスターも首を傾げてしまう。お互いに話のつかみどころがないまま、少々の沈黙が流れていく。
「仕入れている卵の味が変わるとは思えません。
それ以外の食材もコーヒー豆も、いつものお店で買いますよ。
駅前のショッピングモールですが、産地の違いがここまで変わるとは思えませんが......」
彼女はそのまま腕を組んで考えだしてしまった。
「もしかして私、スクランブルエッグに使うバターの分量間違えましたか」
「いや、そんなしょっぱい感じはしなかったです。
それに、分量を間違えるなんて一般人の料理番組じゃあるまいし」
僕は道行く通行人にレポーターが即席で料理を作ってもらうようお願いする、あの番組を思い出していた。目分量で作業しようとして塩や砂糖を入れすぎてしまう失敗が多かった気がする。
「お菓子を作るのとは訳がちがいます。すりきり何グラムっていうのは当店では行っていません、すべて私の経験です」
だから私の責任です、そう言いながら彼女はうなだれてしまった。
・・・
僕とたまきさんは、お互いにホットコーヒーを飲んでいる。
彼女はすでに作業をを終えているのか、休憩しているようだ。手にしている昭和レトロな柄をしたマグカップは私物だろうか。
彼女ははある可能性について説明してくれた。
「最近試しているんですけど、卵の殻とコーヒー豆を一緒に挽いていまして。
酸味が減る効果があるって、友人に教えて頂いたのです」
ここまで違うんですね、と彼女はさも感心した風に納得していた。疑問が氷解した僕は改めてコーヒーを一口飲んだ。
「それにしても、繊細な味が分かるなんて素敵ですね」
彼女はちらっとこちらを見ながら褒めてくる。
褒められると困るからやめてほしいのだけど、大したことじゃないと思う。コーヒーの味利きなんてやっても分からない自信はあるんだ。ここの味のコーヒーをほぼ毎日飲んでいるから気になっただけだ。
照れ隠しのように、率直な感想を口にした。
「卵の殻って使えるんですね、本当に素晴らしい」
「ええ、卵様様ですよ。
鶏にも卵の殻にも無駄なところはありません」
なんだか興味の湧く話だった。
昼休みが終わるまで時間があるから、少し話を聞いてみたくなった。彼女はキッチンから出てきて、カウンター席に横座りみたいな姿勢で腰かけて語ってくれる。
「鶏も年を取ってくると良質な卵を産めなくなります。
それでも、トサカは美容品として、羽は羽毛に、肉や骨は食料として利用されます」
僕は鶏の骨でだし汁を作っている調理場の姿を想像してみた。昨日のランチが近くのラーメン屋だったからだ。
「対して、卵の殻は食料とはなりませんが、干して細かく砕けば生活を影から支える子になります」
そう言って、先ほど作業をしていたすり鉢を見せてくれた。中には卵の殻の半分くらいが白い粉状になっていた。
「決してあやしい薬ではございません。
こうやって卵の殻を砕くことで漂白剤あるいは研磨剤として使うことができます。
水筒や花瓶などを洗いたいときに、水と一緒に粉末を入れて振るんです。
当店でもカップの茶渋取りに使っています、おうちでもお試しあれ」
またひとつ勉強になった。毎日オフィスに水筒を持ってきているから、今度やってみようか。
「当店でもやっている、と言えば殻とふきんを一緒に煮て汚れを落としています。
洗濯物を洗う前に、シャツを煮て汚れを落とすという家庭もあるとか。
では、なぜ汚れが落ちるかわかりますか?
殻に含まれている炭酸カルシウムは加熱されると酸化カルシウムに変わりますね。
それが二酸化炭素と反応してお湯がアルカリ性になるからですよ」
ふむふむ。
まるで化学の教師と生徒のような関係だ。なんだかメモを取りたくなってきた。炭酸カルシウム......、何かの原料だと授業で聞いたような気がする。
「では、梨央さんにお子さんが生まれたら作ってみてほしいのが、チョークです。
主成分は炭酸カルシウムですね。
だから、小麦粉と熱湯を混ぜて、こねこねすれば作れちゃうのですよ」
まあ、あなたがどんなお父さんになるのかな、とマスターは手を口に置いて笑っている。
今日もスタンプを押してもらった。
「あ、このスタンプカードとお店の名刺も殻の再利用品です。
特殊なメーカーにお願いして作ってもらっています」
と、彼女は思い出したように教えてくれた。
「ほんと、様様ですね」
僕はこう告げて、お店を出た。
午前中に出ていた雲は晴れていて、まさしく青空が広がっている。
たまきさんが青空の下で子どもの洗濯物を干している、そんなシーンを想像してみた。僕たちが家庭に入るのはお似合いだろうか、どういう訳かそんなことを考えてみた。
・・・
......「piyo-piyo」の店内。
レポーターがたまきさんにマイクを向けている。キッチンの中で数台のビデオカメラが彼女の方に向いていた。
「それでは、大学の学部とお名前をどうぞ」
「はあ、大学ですか......」
彼女は面倒くさいと言わんばかりに小声で答えていた。
これは放送できるのか? みんなの心配をよそに、彼女の表情がみるみる明るくなっていく。
そして、胸を張るなり言った言葉は、
「何を隠そう、この玉井たまき、卵料理専門店のマスターでございます!
この私に訊いたこと、後悔でするでしょう」
なんと!
たまきさん以外の誰もが開いた口をふさげなかった。
彼女は瞬時に放送しているカメラを判断して、そちらを指さしながら宣言したのだ。
「腕によりをかけて、王道の料理を作って差し上げましょう!」
そう言ってあっという間に作られたのは、バターがふんわり香る、黄金に輝くスクランブルエッグだった。
たまきさんは颯爽とエプロンを外して去っていく......。
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