50 / 52
第6章 その瞳は、悲し気ながらも強く輝いていた
31
しおりを挟む
(梨央side)
十一月は最後の週、僕は今日も「piyo-piyo」に入っていった。
今日は木枯らしが吹いている。店内に入ると、凍える身体が温まっていく。
「いらっしゃいませ。
今日も寒いですね」
マスターはいつも微笑んで出迎えてくれる。相変わらずの癒しの空間だ。
本当に、この場所がいつまでもあれば良いなって思うんだ。
今日は豪華にオムライスを頼むことに朝から決めていた。
そういえば、来店してから全く食べていないことには苦笑するが、なんて言ったって最後の晩餐だと思っているから。
最初に来た様に、部屋の一番角の席からキッチンを見ることにした。
マスターは特大の中華鍋を振ってチキンライスを作っている。
微かに聞こえてくる掛け声、どことなく喜んでいるような表情、いつの間にか馴染みのあるこの光景が今の僕を作っているんだな。
・・・
テーブルの上に運ばれてきたのは、オーソドックスなオムライスだった。
「オムライスは何を隠そう、わたくし玉井たまきが一番好きな卵料理でございます。
各家庭や洋食店など、様々なバリエーションがありますね。
中でも一番好きなのは、やはりチキンライスとトマトケチャップの組み合わせでしょうか」
うんうん。共感して思わず頷いてしまった。
「ふふふ。
同じですか、私もとても嬉しいのです。
オムライス発祥のお店を自負している店舗はいくつかありますが、実のところは多すぎて不明です。
大正時代の文献に"トマトソースで調理したチャーハンを薄焼き卵で包んだ"というレシピが紹介されています」
へえ、そんな昔から存在するんだ。
「また、東京の日本橋にある老舗の洋食店ではチキンライスの上に半熟のプレーンオムレツを載せて、切れ目を入れて全体を包み込むスタイルがありますね。
確か"タンポポオムライス"という名称だったと思います」
これが「piyo-piyo」の、たまきさんのオムライス......。
神々しく輝いているように、恍惚なものに見えてしまった。
半熟の卵焼きであってもふんわりとチキンライスが包まれていた。この繊細な仕上がりはどうやって作られているのだろうか。
スプーンで一口すくってみる。
とろとろの卵とトマトケチャップの酸味が効いたご飯の味は、まるでハーモニーのような美しい音楽を聴いているような気分にさせてくれた。
本当に美味しい......。
"ああ、オムライス" まるで、松島の風景を題材にした俳句が出てくるようだった。本当にそれ以外の言葉が出てこなかったんだ。
「本当に美味しい、っていう凄い笑みを浮かべてますねえ。
私としても嬉しいのですよ」
たまきさんは微笑みながらホットコーヒーを運んできてくれた。その味も、少し深みがあって本当に美味しかった。
ついに、最後の時間が迫ってきていた......。
僕は座っているまま身体をたまきさんの方へ向けて話しはじめた。
「あの、マスター。
すみません、ちょっとお話が......」
「はい、なんでしょうか」
彼女はコーヒーを置いたままその場に立ってくれた。
真剣な顔つきで、僕の瞳をしっかりと覗き込んだ。僕の言おうとしていることが重要だろうと感じ取ったようだ。
「今、他のお客様はいらっしゃいません。
どうぞお話しください」
僕はコーヒーを一口飲んで語りだす。
「うちの会社、オンライン事業を進めていて。
実は、来月からテレワークを始めます......」
家で仕事するんです、と言うと彼女は困ったように眉を曲げてしまった。
「そう、ですか......」
そのままうつむいてしまう。
「最初にお店に来てくださった日、ちょっとした嬉しい違和感を覚えました。
ずっと後になって気づいたのですが、私は"おおきに"って言ってましたね。
私、東京に出るときに言い方を直したから、自然に関西弁が出ることって滅多になくて......」
僕は彼女の次の言葉を待った。
「やっと分かったんです......。
あの日から、梨央さんに惹かれていたんだなって思いました。
お店に来て頂けること、私にとっての癒しなんです」
もう来れないんですね、上目遣いの彼女の瞳はそう訴えかけていた。僕は声に出さずに頷くしかなかった。
「私の仕事は、マスターとしてお料理を届けること。
ずっと続けられると思っていたのに、こんな日が訪れるとは思っていなかった。
梨央さんに作るのは特別だって思っていたから。
私、あなたのことが......」
彼女の言葉を僕はしっかりと受け止めた。でも、その返答は決まっているのに僕の口から出てくることはなかった。
......なんだかごめんなさい。
・・・
お店のドアをくぐった。
命への感謝、そのつながり。
いただきますの大切さ。
食べる楽しみ。
たくさんのことを、彼女は教えてくれた。
ヒヨコのプレートも自慢が書かれた黒板も今日で見ることは最後だ。ふあふあの卵料理を食べれないこと。たまきマスターに会えなくなること。
もう残念で仕方なかった......。
あとひとつ溜められなかったスタンプカードは、いつまでもそのままだろう。
僕の脳裏に、ドアチャイムの鐘の音が永遠と響いていた......。
さあ、午後の仕事に戻ろう。
十一月は最後の週、僕は今日も「piyo-piyo」に入っていった。
今日は木枯らしが吹いている。店内に入ると、凍える身体が温まっていく。
「いらっしゃいませ。
今日も寒いですね」
マスターはいつも微笑んで出迎えてくれる。相変わらずの癒しの空間だ。
本当に、この場所がいつまでもあれば良いなって思うんだ。
今日は豪華にオムライスを頼むことに朝から決めていた。
そういえば、来店してから全く食べていないことには苦笑するが、なんて言ったって最後の晩餐だと思っているから。
最初に来た様に、部屋の一番角の席からキッチンを見ることにした。
マスターは特大の中華鍋を振ってチキンライスを作っている。
微かに聞こえてくる掛け声、どことなく喜んでいるような表情、いつの間にか馴染みのあるこの光景が今の僕を作っているんだな。
・・・
テーブルの上に運ばれてきたのは、オーソドックスなオムライスだった。
「オムライスは何を隠そう、わたくし玉井たまきが一番好きな卵料理でございます。
各家庭や洋食店など、様々なバリエーションがありますね。
中でも一番好きなのは、やはりチキンライスとトマトケチャップの組み合わせでしょうか」
うんうん。共感して思わず頷いてしまった。
「ふふふ。
同じですか、私もとても嬉しいのです。
オムライス発祥のお店を自負している店舗はいくつかありますが、実のところは多すぎて不明です。
大正時代の文献に"トマトソースで調理したチャーハンを薄焼き卵で包んだ"というレシピが紹介されています」
へえ、そんな昔から存在するんだ。
「また、東京の日本橋にある老舗の洋食店ではチキンライスの上に半熟のプレーンオムレツを載せて、切れ目を入れて全体を包み込むスタイルがありますね。
確か"タンポポオムライス"という名称だったと思います」
これが「piyo-piyo」の、たまきさんのオムライス......。
神々しく輝いているように、恍惚なものに見えてしまった。
半熟の卵焼きであってもふんわりとチキンライスが包まれていた。この繊細な仕上がりはどうやって作られているのだろうか。
スプーンで一口すくってみる。
とろとろの卵とトマトケチャップの酸味が効いたご飯の味は、まるでハーモニーのような美しい音楽を聴いているような気分にさせてくれた。
本当に美味しい......。
"ああ、オムライス" まるで、松島の風景を題材にした俳句が出てくるようだった。本当にそれ以外の言葉が出てこなかったんだ。
「本当に美味しい、っていう凄い笑みを浮かべてますねえ。
私としても嬉しいのですよ」
たまきさんは微笑みながらホットコーヒーを運んできてくれた。その味も、少し深みがあって本当に美味しかった。
ついに、最後の時間が迫ってきていた......。
僕は座っているまま身体をたまきさんの方へ向けて話しはじめた。
「あの、マスター。
すみません、ちょっとお話が......」
「はい、なんでしょうか」
彼女はコーヒーを置いたままその場に立ってくれた。
真剣な顔つきで、僕の瞳をしっかりと覗き込んだ。僕の言おうとしていることが重要だろうと感じ取ったようだ。
「今、他のお客様はいらっしゃいません。
どうぞお話しください」
僕はコーヒーを一口飲んで語りだす。
「うちの会社、オンライン事業を進めていて。
実は、来月からテレワークを始めます......」
家で仕事するんです、と言うと彼女は困ったように眉を曲げてしまった。
「そう、ですか......」
そのままうつむいてしまう。
「最初にお店に来てくださった日、ちょっとした嬉しい違和感を覚えました。
ずっと後になって気づいたのですが、私は"おおきに"って言ってましたね。
私、東京に出るときに言い方を直したから、自然に関西弁が出ることって滅多になくて......」
僕は彼女の次の言葉を待った。
「やっと分かったんです......。
あの日から、梨央さんに惹かれていたんだなって思いました。
お店に来て頂けること、私にとっての癒しなんです」
もう来れないんですね、上目遣いの彼女の瞳はそう訴えかけていた。僕は声に出さずに頷くしかなかった。
「私の仕事は、マスターとしてお料理を届けること。
ずっと続けられると思っていたのに、こんな日が訪れるとは思っていなかった。
梨央さんに作るのは特別だって思っていたから。
私、あなたのことが......」
彼女の言葉を僕はしっかりと受け止めた。でも、その返答は決まっているのに僕の口から出てくることはなかった。
......なんだかごめんなさい。
・・・
お店のドアをくぐった。
命への感謝、そのつながり。
いただきますの大切さ。
食べる楽しみ。
たくさんのことを、彼女は教えてくれた。
ヒヨコのプレートも自慢が書かれた黒板も今日で見ることは最後だ。ふあふあの卵料理を食べれないこと。たまきマスターに会えなくなること。
もう残念で仕方なかった......。
あとひとつ溜められなかったスタンプカードは、いつまでもそのままだろう。
僕の脳裏に、ドアチャイムの鐘の音が永遠と響いていた......。
さあ、午後の仕事に戻ろう。
0
あなたにおすすめの小説
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
むっつり金持ち高校生、巨乳美少女たちに囲まれて学園ハーレム
ピコサイクス
青春
顔は普通、性格も地味。
けれど実は金持ちな高校一年生――俺、朝倉健斗。
学校では埋もれキャラのはずなのに、なぜか周りは巨乳美女ばかり!?
大学生の家庭教師、年上メイド、同級生ギャルに清楚系美少女……。
真面目な御曹司を演じつつ、内心はむっつりスケベ。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる