追放された料理人。〜元婚約者を見返してやる~

なの

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第5話 少し近づいた距離

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アレクが食堂を去ってから三日が経った。

リオンは毎日、扉の音に心を躍らせていた。

カランと鈴が鳴るたびに、もしかしたらアレクが来たのではないかと期待していた。

でも、現れるのはいつもの常連客ばかりだった。

「リオン、今日も、そわそわしているわね」

マリアが心配そうに声をかけてくる。

「そうでしょうか?」

「ええ。朝から何度も窓の外を見ているじゃない」

確かにその通りだった。

無意識のうちに、道を歩く人影を探している自分がいる。

黒い髪の、背の高い男性を。

「あの旅の人が気になるの?」

マリアの問いに、リオンの頬が赤くなった。

「そんな──ただ、また美味しい料理を食べてもらいたいと思って」

「ふふ、そうね」

マリアが意味深に微笑む。

昼下がり、客足が落ち着いた頃。

食堂の扉が静かに開いた。

カランと鈴の音と共に現れたのは──アレクだった。

リオンの心臓が跳ね上がる。

「いらっしゃいませ」

今度は声が少し震えてしまった。

アレクが席に着くと、前回よりも表情が柔らかいことに気がつく。

まだ無愛想だが、警戒心が薄れているようだった。

「お待ちしていました」

リオンの素直な言葉に、アレクの目がわずかに見開かれる。

「待っていた?」

「はい。また美味しい料理を召し上がっていただきたくて」

「今日は何がおすすめだ?」

「今朝、近くの森でキノコを採ってきました。それを使ったリゾットはいかがでしょうか?」

「リゾット?」

アレクが首をかしげる。

「お米を使った料理です。宮廷で覚えたのですが、この町の皆さんにも喜んでいただけて」

「面白い。じゃあ、それを頼もう」

リオンは厨房に向かい、心を込めてリゾットを作り始めた。

採れたてのキノコの香りが厨房に広がる。

バターで米を炒め、少しずつスープを加えていく。

丁寧にかき混ぜながら、アレクのことを思う。

あの人に喜んでもらいたい。

その一心で、いつも以上に集中して料理に向き合った。

出来上がったリゾットを運んでいくと、アレクが興味深そうに見つめた。

「初めて見る料理だ」

「お口に合うかどうか分かりませんが──」

アレクが一口食べた瞬間、その表情が劇的に変わった。

驚きから、そして深い満足へ。

「これは──素晴らしい」

前回よりもはっきりとした感嘆の声だった。

「キノコの香りと米の食感が絶妙に調和している。それに、この深いコクは何だ?」

「チーズを少し加えました。それと──」

リオンが説明しようとすると、アレクが手を上げて止めた。

「企業秘密というやつか?」

その茶目っ気のある表情に、リオンは思わず笑ってしまう。

「そんな大げさなものではありませんが」

食事が進むにつれて、アレクの表情がさらに和らいでいった。

「君は本当に宮廷で料理人をしていたのか?」

「はい。三年ほど」

「三年──随分と若いのに、宮廷料理人になるとは大したものだ」

アレクの言葉に、リオンは複雑な気持ちになった。

確かに若くして宮廷料理人になったのは誇らしいことだった。

でも、それも今は過去のこと。

「でも、今はこの小さな食堂の方が好きです」

「なぜだ?」

「お客様の顔が見えるから。喜んでくださる様子が直接分かるから」

リオンの言葉に、アレクが深く頷く。

「それは──素晴らしい考えだ」

その声音に、何か深い共感が込められているようだった。

「ところで、アレクさんはどちらへ旅を?」

「特に決まった目的地はない。気の向くままに」

「自由でいいですね」

「自由──」

アレクが苦笑いを浮かべる。

「必ずしも良いことばかりではないがな」

その時、アレクがナプキンを使う仕草を見て、リオンははっとした。

洗練された動作。

明らかに上流階級の教育を受けた人間の所作だった。

スプーンの持ち方、食事の進め方、すべてが貴族のそれだ。

ただの冒険者ではない。

「アレクさんは──」

「何だ?」

「いえ、何でもありません」

リオンは言いかけた言葉を飲み込んだ。

詮索するのは失礼だろう。
でも、胸の奥でざわめきが起こる。

またしても、身分の違う人を好きになってしまったのだろうか。

食事を終えたアレクが、代金を置こうとした時だった。

リオンの手がお皿に触れ、バランスを崩して、皿が落ちそうになった瞬間、アレクの手が素早く支えた。

「大丈夫か?」

間近で見るアレクの顔。

心配そうに眉を寄せる表情に、リオンの胸が締め付けられる。

「あ、ありがとうございます」

「慌てなくていい。怪我はないか?」

大きな手が、リオンの手を優しく包む。

その温かさに、リオンの頬が熱くなった。

「はい、大丈夫です」

アレクの瞳を見つめ返すと、その奥に優しさが宿っているのが分かった。

普段は隠している、本当の心を垣間見たような気がした。

「ありがとう、美味しかった」

アレクが立ち上がる。

「また──来てもいいか?」

その問いに、リオンの心が躍った。

「もちろんです。いつでもお待ちしています」

「今度は何を作ってくれるんだ?」

「アレクさんは、好きな料理はありますか?」

少し考えて、アレクが答える。

「子供の頃、母が作ってくれた──」

言いかけて、急に口を閉ざす。

「いや、何でもない。君の作りたいものを作ってくれ」

扉に向かいながら、振り返って言った。

「君の料理には、人を温かい気持ちにする力がある」

アレクが去った後、リオンは胸に手を当てた。

まだドキドキしている。
あの優しい瞳、温かい手の感触。

すべてが鮮明に記憶に残っていた。

「今度こそ、いい感じになってきたわね」

マリアが茶目っ気たっぷりに言う。

「マリアさん!」

「あの人、ただの旅人じゃないわよ。立ち振る舞いから、おそらく貴族の出身ね」

リオンの胸が曇った。やはり、そうなのだろうか。

「でも、身分なんて関係ないわ。大切なのは心よ」

マリアの言葉に、リオンは少し救われた気持ちになった。

確かに、身分よりも大切なものがある。

アレクの優しさ、自分の料理を理解してくれる気持ち。それが何より貴重なのかもしれない。

その夜、リオンは明日の料理を考えていた。

アレクが「母が作ってくれた」と言いかけたあの料理。

きっと家庭的な、温かい料理なのだろう。

自分にも、そんな料理が作れるだろうか。心を込めて、愛情を込めて。アレクの心に響くような料理を。
もう少しだけ、彼の心に近づけるかもしれないから。

リオンは希望を胸に、眠りについた。

遠くで教会の鐘が、夜更けを告げていた。


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