追放された料理人。〜元婚約者を見返してやる~

なの

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第7話 すれ違いの日々

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辺境領主フィリップの屋敷は、フィルタス町から馬でおよそ一時間の距離にあった。

石造りの重厚な建物が、夕日に照らされて威厳を放っている。

その書斎で、アレクサンドルは父と対峙していた。向かい合う父の表情は厳しく、沈黙のなかに重たい空気が流れている。

「一体、どこで何をしていたのだ、アレクサンドル」

低く響く声に、アレクの肩が僅かに揺れた。

「町の食堂に、少し立ち寄っていただけです」

「少し?入り浸っていたと聞いているが。屋敷の料理では物足りないとでも言うのか」

言葉を返そうとしたが、言い淀む。

確かに屋敷の料理は一流だ。だが、リオンの料理には、それとは違う何かがあった。

温かく、心がほぐれる味。

「……そういうことではありません」

「ではなぜ、あのような下町の食堂に通う必要がある」

父の言葉に、アレクの胸がちくりと痛んだ。

下町の食堂。そう表現されるのが、なぜか耐え難い。

「あそこの料理人は、特別な技術を持っています。元・宮廷料理人で実力も、確かです」

懸命に言葉を選びながらも、リオンを否定されたくない一心で声が強くなる。

「元?宮廷料理人が、なぜそんな者が辺境の町に?」

「事情があって――」

「まさか、問題を起こして追われたのではあるまいな?」

「そんなことはありません!」

声が思わず大きくなる。

「彼は心優しく、料理に対して真摯な情熱を持っている。人の心に届く料理を作るんです」

父の眼差しが鋭さを増す。

「アレクサンドル、お前はその料理人に――特別な感情を抱いているのか?」

その問いに、アレクの頬が赤らんだ。図星だった。

あの穏やかな微笑み、料理に込められた優しさ、時折見せる儚げな表情。すべてが心に残って離れない。

「……身分を忘れるな。お前には、ふさわしい縁談がある」

父の声は、感情を抑えている分、余計に重く響いた。

「すでにエリザベス伯爵令嬢との話も進んでいる。お前は次男とはいえ、領主家の名を背負っているのだ」

アレクの心臓が冷たく締め付けられる。

政略結婚。愛のない結びつき。

リオンが味わった痛みを、自分も感じ始めていた。

***

その頃、マリアの食堂ではリオンが一人、夕食後の片付けをしていた。

アレクが去ってから、もう三日が過ぎていた。

扉の鈴が鳴るたびに心が跳ねる。でも、現れるのはいつもの顔ぶれだけ。

「リオン、最近元気がないわよ」

マリアが厨房を覗きながら、優しく声をかけてくる。

「……そんなこと、ありません」

「ふふ、嘘がお上手じゃないわね。あの人のこと、ずっと気にしてるでしょう?」

リオンの手が止まる。

たしかに――ずっと、彼のことばかり考えている。

「でも……僕とあの方とでは、身分が違いすぎます」

「関係ないわよ、そんなの」

マリアが奥から出てきて、手を拭きながらそっと言う。

「あの人の君を見る目、本物だった。貴族だろうと、平民だろうと、大切なのは心よ」

その言葉は温かかったけれど、リオンの中には消せない影が残っていた。

***

その夜、リオンは二階の小さな窓から外を眺めていた。

丘の向こう、遠くにうっすらと見える灯りの中に、アレクサンドル様のお屋敷がある。

今もあそこで、上等な料理を囲んで、貴族らしい夜を過ごしているのだろう。

――僕の作った料理なんて、もう忘れてしまったかもしれない。

胸の奥に、じわりと暗い想いが浮かぶ。

しかも――僕は男だ。

エドワード様のときと同じ。最初は優しかった。でも最後は「家のため」に、女性と政略結婚をした。

アレクサンドル様だって、きっと――

どれだけ思っても、届かない。望んではいけない相手。

「でも……仕方がないよね。これが、現実なんだから」

机に向かい、リオンは明日のメニューを書き出しはじめた。

料理だけが、今の自分を支えてくれる。

***

同じ頃、アレクもまた眠れずにいた。

ベッドに横たわりながら、天井を見つめる。

――今頃、リオンは何をしているだろう。

あの人の気持ちを思うと、胸が苦しくなる。

きっと、失望させた。

また身分の違う相手に傷つけられたと思っているかもしれない。

でも――

「……違うんだ、リオン。俺の気持ちは、本物なんだ」

身分も、性別も、そんなものは関係ない。

リオンの料理、リオンの優しさ。すべてが、かけがえのないものだった。

アレクは立ち上がり、窓から町を見下ろす。

丘の下に、小さな灯りがいくつも瞬いている。

その中の一つが、きっとリオンのいる食堂だ。

「明日こそ――話をしに行こう」

たとえ父に何を言われても、想いを伝えなければならない。

***

翌朝、アレクは支度を整え、馬に跨がって屋敷を出ようとした。

だが、門の前で執事のガルシアが立ちふさがった。

「アレクサンドル様。お父様がお呼びです」

「今は急ぎの用がある」

「申し訳ありません。エリザベス伯爵令嬢がお見えです。お早く応接室へ」

その名を聞いた瞬間、アレクの足が止まった。

政略結婚の相手――エリザベス。

「……わかった」

アレクは唇を噛み、馬から降りた。町へ行くのは、また後日にしよう。

けれど、「その日」が、いつ来るかは分からない。

***

その昼、食堂ではリオンが何度も扉の方を振り返っていた。

今日こそ、アレクが来てくれるかもしれない。

でも、昼時が過ぎても、彼の姿はなかった。

「……やっぱり、来ないよね」

リオンがぽつりと呟いた。

貴族が、こんな場所に通うわけがない。あの優しさも、貴族としての礼儀だったのかもしれない。

そう思いながらも、心の奥では小さな希望がまだ消えていなかった。

「明日こそは」

そう願ってしまう自分が、少しだけ情けなくもあった。

***

営業が終わった夕暮れ時、リオンは一人、厨房に立っていた。

アレクが好きだと言ってくれた、鶏肉のクリーム煮を作ってみた。

誰かに食べさせるわけじゃなく、ただ、彼のことを思い出したくて……。

スプーンで一口味見すると、目頭が熱くなった。

美味しくできている。でも、もう食べてもらうことはできないのかもしれない。

窓の外は星が瞬いていた。
また一日が終わっていく。そして、また明日がやってくる。

彼のいない日々が、これからも続くのだろう。

リオンは静かに、一人分の夕食をとった。

せめて料理だけは、心を込めて作り続けよう。それが、自分にできる唯一のことだから。


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