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しおりを挟む窓辺から差し込む爽やかな風、時折響いてくる小鳥たちの囀り。
教会の一角にある小さな礼拝堂には、静けさに包まれた穏やかな時間が流れていた。
祈りを捧げる人々の先頭で、ノエリアは目を瞑って両手を胸の前で組み、祈りの言葉を紡ぐ。
しばらくして目を開くと、穏やかな顔でこちらを見下ろしている始祖の女神像と目が合った。
ノエリアはくるりと後ろを振り返り、柔らかな笑みを浮かべ、口を開く。
「皆様に聖女様のご加護が与えられました」
ノエリアの言葉を聞いて、人々は組んでいた手を解く。
さっと席を立ち出ていく者、ぼーっと始祖の聖女像を見上げる者、それぞれが自分の心のままに祈り、礼拝堂を後にする。
最後の一人が出ていくのを見届けて、ノエリアは礼拝堂の扉を閉めた。
片隅に置かれた時計を確認すると、すでに時刻は午前9時を回っていた。
「もうこんな時間!今日は聖女様がお出かけになる日だから、急がないと…」
慌てて荷物を持ち、裏口から出て本堂へと繋がる廊下を小走りに進んでいく。
聖職者しか通れない道を進んでいき、なんとか予定時刻の少し前には聖女の部屋にたどり着いた。
息を整えて、扉をノックする。
「聖女様、ノエリアです」
声をかけて扉を開けると、聖女ティエルはネグリジェ姿のままドレッサーに向かい、香水を選んでいた。
「やっと来たの?今日は伯爵のお屋敷に行くのだから、早く準備してよね」
「申し訳ございません。すぐに湯浴みの準備をいたします」
「あぁ、あとあのドレス着ていくから。出しておいて」
「…かしこまりました」
あのドレスとは、先日新たに購入したもののことだろう。
純白に美しいレースの刺繡が施された正に聖女を表すような一品。
その細部には宝石が散りばめられており、まるでティエル自身が光を放っているかのように、その輝きが遠くからもよく見えるように作られていた。
そのような高級なドレスを、ティエルはいくつも所有していた。
この服一つで、多くの貧しい民が救えるのに。
ティエルが聖女に選ばれたのは、二年ほど前になる。
前聖女は役目を終えて、本部から遠く離れた僻地の支部へと異動になり、そこを治めている領主の息子とよろしくやっていると噂で聞いた。
ノエリアは大きなクローゼットの扉を開け、ドレスを取り出す。
結婚式でもあげるのかと思う程のボリュームあるドレスを両手に抱え、ノエリアは小さく溜め息をついた。
―――――
「お気をつけていってらっしゃいませ」
豪奢な馬車に乗り込んだ聖女一行の出発を、頭を下げて見送る。
姿が見えなくなると、隣にいた後輩のリネッタが、怒り心頭といった様子で声をかけてきた。
「なんなんです!あんなに宝石をギラギラさせて!パーティーにでも行くんですか!」
「…お祈りに行かれたのよ」
「わかってますよぉ!でも、聖女様はもっと清らかで、献身的で…」
不満げな顔で、リネッタが俯き加減にぼそっと呟く。
「ノエリア先輩が聖女様に選ばれれば良かったのに」
「リネッタ、そんなこと言ってはだめよ」
でも、と顔をあげて、リネッタはぐっと堪えるように俯いた。
「…ごめんなさい」
「でも、そう言ってくれるのは嬉しいわ。ありがとう」
ノエリアが優しく微笑むと、リネッタも安心したように笑みを返した。
残念ながら、私が聖女に選ばれることはこの先もない。
そんなことはとうの昔に分かっている。
聖女に選ばれるためには、長年にわたりシスターの務めを全うしていることは勿論、読み書きの能力や国中の文化、歴史に関する知識など、高い教養が求められる。
その点において、幼い頃より教会で過ごし、真面目にシスターとしての役割をこなしてきたノエリアは、高い評価を得ていた。
それでも、今まで聖女に選ばれることはなかった。
その理由はただ一つ―――容姿。
癖のある赤茶色の髪、そばかすのついた肌。
その庶民的な見た目は、人々の想像する美しい聖女の姿とはかけ離れていた。
その一方で、ティエルは正にイメージの中の聖女そのものだった。
華やかで明るいベージュ色の長い髪は光に反射してキラキラと輝き、丸い大きな瞳は大空のように青く透き通っていた。
白い肌に浮かぶピンク色の唇と頬が愛らしく、彼女は聖女としても女性としても完璧な容姿をしていた。
見た目が良ければ、人が集まる。
人が集まれば、献金が増える。
特に聖女信仰の強いこの国では、美しい聖女はそれだけで有力貴族の支持を得られた。
すべては教会が潤うための仕組みであり、聖女もその一部に過ぎない。
そんなことは、シスターの誰しもが気付いていることだ。
本来の聖女とは、そんなものではなかったはずなのに。
「はぁー、お腹すいちゃいました」
「そうね。午後のお祈りまで時間もあるし、一緒に昼食を取りましょうか」
「はい!早く行きましょう!」
先程の様子とは打って変わって、楽しそうにリネッタが駆け出す。
私にとって、聖女になることが目標じゃない。
人々のために祈りを捧げ、誰かの心の支えになれるのならば、私が何と呼ばれようと関係ない。
「せんぱーい!」
いつの間にか遠くまで行ってしまったリネッタが、こちらを見て大きく手を振っていた。
そのシスターらしからぬ子供のような姿に、ノエリアは思わずくすっと笑い、彼女を追いかけた。
―――――
礼拝堂に佇む小さな始祖の聖女像の前で、男は膝を付き、静かに祈りを捧げていた。
彼はここ数ヶ月、毎日のように礼拝堂に通っていた。
妻が病に倒れ、寝たきりの日々が続いていると話してくれたことを、ノエリアは覚えていた。
ノエリアは男の後ろで静かに膝を付き、始祖の聖女像を見上げる。
始祖の聖女とは、この国の聖女信仰の起源となる人物である。
聖なる力を持ち、その力で人々の傷や病を癒す旅をしていたという。
彼女の亡き後、聖なる力が誰かに発現したという伝承はない。
もはや神話とも言える程の伝説だが、それでも彼女は今に至るまで人々の希望の象徴となり続けた。
現代の聖女は、そんな彼女を模した、唯一始祖の聖女と繋がれる存在だと信仰されている。
ああ、始祖の聖女様…どうか、彼と彼の妻の心をお救いください
ノエリアは目を閉じ、祈りを捧げる。
シスターは医者ではないし、聖なる力も持っていない。
私が祈ったところで、彼の妻の病が治るわけではない。
けれど、何かに縋らないと立ち続けられない人の隣で、共に祈ることはできる―――
ノエリアが目を開けると、祈りを終えた男がこちらを向いて悲し気に微笑んでいた。
わざわざ自分の祈りが終わるのを待っていてくれたのだと分かり、ノエリアは慌てて男を見送ろうとすると、男が静かに口を開いた。
「昨夜、妻は旅立ったんだ」
ノエリアは驚きで目を丸くした後、再び手を組み、彼に向かって小さく頭を下げた。
「そうでしたか…奥様の安らかな眠りをお祈りいたします」
「最期は苦しまず、穏やかに逝けたよ。だから今日は、聖女様にお礼をお伝えしに来たんだ」
「必ずや、聖女様が奥様を導いてくださります」
男は頷き、目を細め優しげな表情でじっとノエリアを見つめた。
彼が何を考えているのかわからず、ノエリアは少しだけ首傾げる。
「…妻は元々体が弱くてね、周りの人間はおろか、妻でさえも自分が治ることを諦めていたんだ。妻が元気になる日を信じて過ごしていたのは、俺だけだった」
「…奥様にとっては、それが一番心強かったことでしょう」
「あぁ、そうだね。妻の前ではいつも明るく振舞っていた。でも、一人で信じ続ける日々は、苦しかったよ」
病に苦しむ妻をたった一人で支える彼の生活を想像すると、ノエリアは胸が締め付けられるようだった。
「でも、ここに来ると、貴女が一緒に祈ってくれた。その時間だけは、俺は一人じゃなかった。…ありがとう、シスター。貴女のおかげで俺の心が救われていた」
予期せぬ言葉に、ノエリアは何も言えずに男を見上げて瞬きだけを繰り返していた。
シスターであるノエリアにとって、人々のために祈ることは、当たり前のことだった。
それに、人々が感謝するのは聖女であって、一介のシスターである自分にそれが向けられるとは思ってもいなかった。
「シスター、貴女にも聖女様のご加護がありますように」
男はそう言い残して、穏やかな笑みを浮かべたまま、礼拝堂を後にした。
去り行く彼の背を見つめながら、ノエリアは自身の胸が温かくなるのを感じていた。
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