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しおりを挟む枢機卿の呼び出しから帰って来たティエルは、誰が見てもわかるほどに大層機嫌が悪かった。
「お帰りなさいませ」というノエリアの挨拶も無視し、ストールや髪飾りを投げ捨てるよう外していく。
それらを一つずつ拾いながら、ノエリアはティエルの様子を伺い見る。
機嫌が悪い理由は見当がついていた。
王都近くの町、ランシェルで発生した、原因不明の病。
感染力が非常に強く、未だ治療方法が確立しておらず、重篤化する者が後を絶たないらしい。
そこに祈りを捧げに行くよう言われたのだろう。
ティエルはドレッサーに座り、怒りを露にして口を開いた。
「なんで私がランシェルまで行かなきゃいけないわけ!?」
ノエリアはティエルの髪を梳かしながら、なるべく彼女の機嫌をこれ以上損ねないよう言葉を選ぶ。
「ランシェルの民は皆、貴女様を求めているのでしょう」
「聖女が行ったところで、別に治るわけでもないじゃない」
治る治らないの話ではない。
皆、縋るものが欲しいのだ。
「ですが…聖女様のお姿を見ただけでも、民の心は救われます」
「そんなもののために聖女を呼びつけて、私が病気にかかったらどうしてくれるのよ」
ティエルの気持ちもわからないわけではない。
病気が蔓延している地域に聖女が呼ばれることは過去にもあったし、遥か昔には戦場に赴いたこともあったらしい。
歴代の聖女はそういった危険な任務にも真摯に取り組んできた。
だからこそ、今でも聖女信仰が強く受け継がれている―――近年では、そういった任務はなかったようだが。
「…いつこちらをお発ちになるのですか?」
「行かないわよ」
「…え?」
「行くわけないじゃない。たかだか一つの町の民と、聖女である私の体のどちらが大事だと思うの?」
ティエルの発言に、ノエリアは思わず手を止めた。
命に優劣をつけるような言葉。
それを民を救うために存在する聖女が、口にして良いわけがない。
ノエリアの心境に気付いたのか、ティエルは顔を顰めて頬杖をついた。
「なによ。何か言いたいことでもあるの」
「…いえ」
「祈りに行けと言いたいんでしょう」
ティエルの怒りの矛先が自身に向かい、ノエリアはぐっと口を噤む。
「だったら貴女が行けば?」
そう言った後、ティエルは意地悪そうにクスクスと笑う。
「まぁ、貴女が行っても誰も喜ばないでしょうね。聖女は私で、貴女はただのシスターなんだから」
ノエリアの櫛を握る手に力がこもる。
情けなさで、熱に侵されるように体が熱くなっていく。
ノエリアとティエルは年も近く、ティエルが聖女に選ばれる前は同期のようなものだった。
もしも年齢と能力だけで聖女が選ばれるのだとしたら、間違いなくノエリアかティエルのどちらかと言われていただろう。
現実には、ティエルの美しさの前に、ノエリアが選ばれる可能性など微塵もなかった。
ティエルもそれをわかっていたから、まるで聖女に選ばれたことを見せつけるかのように、ノエリアを側付きとして置いていた。
ぼんやりと、ノエリアの脳裏に過去の思い出が蘇る。
幼い頃、教会のシスターに教えてもらった始祖の聖女様のお話。
それに憧れて、私はシスターとなり、彼女のように人々を救える存在になりたいと思った。
それなのに、現実はあまりにも汚く、息苦しくて―――私のやっていることは、本当に正しいことなのかしら…
「行きます」
「…は?」
「私が、ランシェルに行きます!」
気付いた時には、そう言っていた。
鏡越しに睨み付けるティエルとは裏腹に、ノエリアの瞳は熱い決意に満ちていた。
―――――
「静かね…」
久しぶりに訪れたランシェルの町は、静寂に満ちていた。
飲食店や小売店が並ぶ通りも、普段の賑わいとは打って変わって人の姿が見えない。
「とりあえず、教会に行ってみましょう」
聖女はここへは来ない。
その伝令役を買って出ることで、遠出する許可が下りた。
「ランシェルに行く」と思わず言ってしまったことを、ノエリアは少し後悔していた。
自分が来ることでできることが何もないのはわかっていたし、そもそもあれは売り言葉に買い言葉というやつだった。
浅はかな感情で動いてしまった自分自身を恥じたものの、来たこと自体に後悔はない。
とはいえ、聖女様が来ないと知ったら、さぞガッカリするでしょうね…
ノエリアは修道服の上に羽織った上着の襟元をぐっと引き寄せて、教会への道を急いだ。
―――――
「おかしいわね…」
教会の敷地へ立ち入るための正門は閉じられ、鍵がかけられていた。
教会は、誰もが等しく祈りを捧げられる場所でなくてはならない。
その教えの下、例え教会の建物自体が閉められていても、その手前の礼拝堂までは本来開けられているべきだ。
中に入ることができずノエリアが困っていると、正門の柵越しにローブを身に纏った男が礼拝堂の前を歩いている姿が見えた。
「すみません!」
ノエリアが声をかけると、男は驚いたようにこちらを見た後、逃げるようにノエリアに背を向けた。
「あの、私、教会本部から来たシスターノエリアと申します!」
その声を聞くと、男はぴたりと足を止めて振り返り、再度ノエリアを伺い見る。
ノエリアの修道服を見て納得したのか、小走りで正門の方へと近付いてくる。
「ご伝言があり訪問を―――」
「聖女は来ているのか!?」
ノエリアが言い終わる前に、男は語気を強めてそうノエリアに言い放った。
その勢いにノエリアは一瞬たじろいだ後、小さく首を横に振る。
「聖女様は現在ご多忙により、しばらくはご訪問が難しいと…」
ノエリアの返事を聞いて、男は苛立ちを露にして頭を掻きむしった。
「どうせ行かないと駄々こねているのだろう!だからあんな我儘娘を聖女に選ぶのは反対だったんだ!」
「い、いえ…そんなことは…」
否定したくとも男の言う通りで、ノエリアはうまく答えられず言葉を濁す。
「貴族たちが聖女を待ってるのに、あぁもう!」
男の漏らした言葉に、ノエリアは僅かに顔を顰める。
貴族が待っている…?
町民たちへの祈りのために呼んだのではないの?
ノエリアは少し躊躇った後、男に向けて口を開いた。
「ところで、なぜこの正門は閉ざされているのですか?」
男はノエリアの疑問が馬鹿らしいとでも言うかのように、首を傾けてノエリアを見下ろす。
「ここを開けると祈りを捧げに民が押し寄せる。得体の知れない病原菌を持ってこられちゃ困るだろ?」
「そんな…!」
ノエリアは唇をぐっと噛み、言い返したくなる気持ちを堪える。
言い方は悪いが、彼の言うことには一理ある
教会に民が集まることで、より状況が悪化してしまうかもしれない
「…では、教会の者が町を回って祈りを捧げているのですか?聖女様にもそのようなご依頼を?」
「はぁ?あんたも本部にいるならわかるだろう!聖女が行くのは貴族の屋敷だ。病を恐れた貴族たちは皆、聖女の祈りを欲している!民への祈りなど一銭の価値にもならん!」
「価値など、祈りとはそのようなものではないはずです!」
「ただのシスターが私に口答えをするな!あんたの役目は本部に戻って聖女を連れてくることだ!わかったな?」
男はそう言って、ノエリアに背を向けた。
「お待ちください!」
ノエリアが呼び止める声を無視して、男はそのまま教会の建物へと入っていく。
―――聖女が呼ばれたのは、民の為ではなかった。
「それなら、私たちの祈りは、一体何のためにあるの…?」
ノエリアは掠れた声でそう呟き、悔しさに顔を歪め、決して開かれることのない正門の鉄柵を握り締めた。
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