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しおりを挟む教会本部に着いたノエリアは、一息つく間もなく、枢機卿の部屋へと連れていかれた。
そこで待っていたのは、ノエリアの想像とは裏腹に、えらく上機嫌な枢機卿と聖女の姿だった。
「長い間の不在をお許しいただき、ありがとうございました」
「そんなことはいい。それで、聖なる力が出現したのは真なんだな?」
ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべてそう言った枢機卿に、ノエリアは僅かに顔を顰める。
「…はい」
「よくやった!」
「ふふ、これでますます聖女を信仰する者が増えるわ」
枢機卿はともかく、今回のことを現聖女であるティエルが喜ぶのは不可解であった。
ティエルは枢機卿の豪奢な椅子の背もたれにもたれかかりながら、誘惑するかのように首を傾け、真っ赤な紅に染まった口を開く。
「その力、私にくれるわよね?」
「な、何をおっしゃっているのですか…?」
さも当然のごとくそう言ったティエルに、ノエリアは目を丸くする。
枢機卿をちらりと見るが、彼もまたノエリアが断わるわけがないと言わんばかりに頬杖をついてこちらを見ていた。
「…申し訳ありませんが、力の譲渡の方法は私にもわかりません」
「そうだろうとは思っていた。まぁ、それは追々調べていけば良いだろう」
「しかたないわね」
一旦二人が諦めた様子を見て、ノエリアは小さく安堵の息をついた。
「それなら、しばらくは二人で組んで動いてもらうことになるな」
「組んで動く…とは?」
「聖なる力を使う場面がきたら、貴女が私のフリをして使うのよ」
「聖女様のフリ、ですか?」
「そうねぇ、ヴェールでも被っていればいいんじゃないかしら」
突拍子もない提案に、ノエリアは困惑の眼差しを二人に向ける。
「聖女ティエルが聖なる力に目覚めたとなれば、教会の支持は一層高まるだろう」
教会にとってみれば、聖なる力を宿したのがノエリアだということは隠したいのだろう。
そうでなければ、教会の選んだ”聖女”が意味のないものになってしまう。
そうだとしても、聖なる力自体が正しい使われ方をするのであれば、ノエリアにとってそれは大きな問題にはならなかった。
ただし、それをやるには一つだけ問題があった。
「…ランシェルの民は、私が聖なる力を使っている姿を見ております。私が本部へ戻った途端、ティエル様が聖なる力を使ったとあれば、疑問を抱くかと」
「あぁ、そんなのは問題ない」
枢機卿は簡単にそう言ってのけた。
「どうせその者たちが聖女を見ることは二度とないのだからな」
「…え?」
「これからは祈りの対価を必須にして、有力貴族だけを相手にする」
「そもそも、聖女が一般市民のためにわざわざ足を運ぶ方がおかしいのよ。そんなのはそのへんのシスターが行けばいいじゃない」
「い、祈りの前では誰もが平等にあるべきではないのですか!?」
「お飾りの教えに何の意味があるというのだ。我々は聖なる力を保有しているのだぞ?これは王家も欲しがる力だ」
「平等であるからこそ、国家と教会は分離されているべきだと…!」
「今まではな。これからは、我々を味方につけた者が玉座に座る時代が来るだろう。もはやそれは、我々が国家の軸であるといっても過言ではない」
「なんてことを…!」
ノエリアは震える体を抑えるように、右手で自身の左腕をぐっと掴む。
今まで感じたことのない、激しい憤り。
シスターとして生きてきたノエリアにとって、始祖の聖女の想いを踏みにじるような発言は、到底許せるものではなかった。
「…わかりました」
ノエリアの返事に、ティエルが嬉しそうに飛び跳ねる。
「早速先日の伯爵様のお宅に行きましょう?ほら、格好いい跡取り息子がいたじゃない―――」
「今限りで、教会を離れさせていただきます」
「…は?」
ノエリアは手に持った鞄を肩にかけ直し、二人に頭を下げる。
「今までお世話になりました」
踵を返して出ていこうとするノエリアを、慌てて枢機卿が立ち上がり呼び止める。
「本気で言っているのか!?」
「はい。もうここへは戻りません」
「お前、自分が何をしているかわかっているのか?」
「えぇ、わかっております」
枢機卿の鋭い眼光を、まっすぐに見返す。
「何よ!聖女は私なのよ!」
「…そうです。”教会に選ばれた聖女”はティエル様です」
「貴女が何をしたって、聖女は私一人なんだから!」
「ティエル様はこれからも聖女を全うすれば良いのです。私はただ、始祖の聖女様の教えに従い、聖なる力を使うだけです」
悔しそうに歯ぎしりするティエルの横で、枢機卿が声を低くして呟いた。
「…これから先、無事でいられると思うなよ」
それには何も返さず、ノエリアは部屋を出ていく。
自室に立ち寄り、少ない私物を鞄に詰め込むと、振り返ることなく教会の正門へと足早に向かった。
シスターたちの訝し気な視線を気にも留めず、正門を出たところで聞き慣れた声に呼び止められた。
「先輩!」
ノエリアが足を止めて振り返ると、そこには上着を着て大きなカバンを背負ったリネッタがいた。
走り寄ってきたリネッタが、ぜえぜえと息を切らして肩を上下させる。
「リネッタ、貴女、その姿…」
「先輩、私も連れて行ってください!」
そう言ったリネッタの朝焼けのようなオレンジ色の瞳は、キラキラと輝いていた。
「…教会は、私を許さないわ」
「はい」
「きっと、危険な旅になる」
「承知の上です」
リネッタはその場に膝をつき、ノエリアに頭を下げる。
「どうか、私を貴女と共に行かせてください。…聖女ノエリア様」
”聖女”
私がずっと憧れ、信じてきた、呼び名。
例え私が否定しても、聖なる力を授かった今、人々は私をそう呼ぶのだろう。
それならば、私は聖女と呼ばれるに相応しい存在にならなければいけない。
「…リネッタ、顔を上げて」
ノエリアは腰をかがめてリネッタの頭に手を置き、優しく頬をなぞる。
「私と一緒に来てくれる?」
「…はい!」
リネッタは喜びを全身で表すかのように、ノエリアに飛びついて抱きしめる。
「私がずっと一緒にいますからね!先輩!」
「ふふ、頼りにしてるわ」
穏やかな笑い声に包まれながら、二人は並んで歩いていく。
今までの苦悩も、これから待ち受ける困難も、今だけは忘れられた。
木々に囲まれた石畳の道は、二人の行く末を表すかのように、温かな日差しに照らされていた。
―――――
―――声が、聞こえる…
ゆっくりと重たい瞼を持ち上げると、そこは自室の窓辺だった。
どうやら本を読んでいる間に眠ってしまったらしい。
窓の外では、幼い子供たちが無邪気な笑い声をあげて走り回っている。
いつもの風景。
温かく、穏やかな日常。
それを打ち破るかのように、部屋の外から慌ただしい足音が聞こえてくる。
足音の主は扉の前で止まり、一呼吸置いた後、コンコンとノックする。
「どうぞ」
そう答えると、キィと音を立てて扉が開き、少女が顔を覗かせる。
部屋に入ってきたものの、今にも泣きそうな顔で両手を胸にぎゅっと握ったまま、立ち尽くしていた。
ノエリアは傍らにあった杖に手を伸ばし、すっかり言うことを聞かなくなった体に鞭を打ってゆっくりと少女に近付く。
少女の前に自身の手を差し出すと、少女は恐る恐るその手をとった。
ぼんやりと、少女の体が光に包まれる。
少女の腕を、手を伝い、ノエリアの体に何かが注ぎ込まれていく。
静かで、温かくて、まるで母親の腹の中にいるような感覚。
長い旅で負った体の傷が、癒えていくようだった。
幾度となく触れてきたはずなのに、与えられる側がこんなにも心地の良いものだとは。
あぁ、これが、始祖の聖女様から受け継がれた”聖なる力”なのだ―――
光が収まり、ノエリアは震える少女の手を優しく包む。
「―――貴女に、”聖女”を託します」
その言葉を聞いて、少女の目から大粒の涙が零れ落ちる。
「わたしっ、聖女ノエリア様の教えを守り、始祖の聖女様の想いを、必ずっ、受け継いでいきますっ!」
祖母譲りの太陽のような瞳は、確かな決意に満ちていた。
その顔を見て、ノエリアは安心したように頷く。
新たな聖女の誕生を祝福するかのように、始祖の聖女像が優しい笑みを浮かべていた。
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