婚約破棄後、優雅な引退ライフを目指すも、なぜか溺愛されまして!?~

夏乃みのり

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商談成立の握手を交わした私とアレクセイに向け、会場中から視線が突き刺さる。

驚愕、困惑、そして畏怖。

無理もない。

隣国の皇帝が、婚約破棄されたばかりの公爵令嬢を「買う」と言い出したのだから。

しかも、その令嬢は嬉々として電卓を叩いている。

もはや恋愛小説のワンシーンというより、人身売買の現場に近いかもしれない。

「待て! 待ちたまえ!」

その空気を読まずに声を上げたのは、やはりこの男だった。

ロランドがおぼつかない足取りで立ち上がり、私たちの方へよろよろと歩み寄ってくる。

「ア、アレクセイ……! いくら貴殿が皇帝でも、勝手な真似は許さんぞ!」

「勝手? これは正当な商行為だが?」

アレクセイが冷ややかな視線を向けるだけで、ロランドはひっ、と喉を鳴らして足を止めた。

さすがは『氷の皇帝』。

眼力だけで小動物を気絶させそうな迫力だ。

しかし、ロランドは震える膝を必死に支えながら、なぜか悲壮な顔で叫んだ。

「エミリエを……僕のエミリエをいじめるな!」

「……は?」

私とアレクセイの声が重なった。

ロランドは涙目になりながら、リリーナを背にかばいつつ訴える。

「わかっているぞ! 貴殿は冷酷無慈悲な『氷の皇帝』だ! エミリエのような悪女を国に連れ帰り、拷問にかけるつもりだろう!?」

「拷問?」

「そうだ! 彼女は性格が歪んでいるが、これでも元婚約者だ! 僕が捨てたとはいえ、他国の皇帝になぶり殺しにされるのは寝覚めが悪い!」

ロランドの想像力は、相変わらず斜め上に突っ走っているらしい。

私が呆れていると、アレクセイが不思議そうに首を傾げた。

「なぶり殺し? いや、私は彼女をヘッドハンティングしただけだが」

「嘘だ! その目が笑っていない! 絶対に残虐な刑に処すつもりだ! 可哀想なエミリエ……僕に愛されなかったばかりに、そんな末路を……!」

ロランドは自分に酔い始めたようで、ハンカチで目頭を押さえ出した。

「ああ、なんて罪深い僕なんだ。二人の女性の運命を狂わせてしまうなんて……」

(……面倒くさい)

私は心の底からそう思った。

この男は、どこまで自分を悲劇のヒーロー(主役)にすれば気が済むのか。

私はアレクセイの手を放し、ロランドの前に進み出た。

「殿下。妄想はそこまでにしていただけますか?」

「エ、エミリエ? 無理をするな、震えなくていいんだぞ……?」

「震えてなどいません。武者震いならしていますが」

「えっ」

「いいですか、よくお聞きください。私は連れ去られるのではありません。『再就職』するのです」

私はビシッと指を立てて説明した。

「こちらの皇帝陛下は、殿下が支払えなかった慰謝料を即金で肩代わりしてくださいました。その対価として、私は彼の国で働く。これは非常に合理的なWin-Winの関係です」

「は、働く? 公爵令嬢がか? 嘘だ、そんなの聞いたことがない!」

「常識にとらわれていては、これからの時代生き残れませんよ。それに」

私はあえて、ロランドにも聞こえるように声を潜めた。

「殿下と違って、こちらの陛下は『お支払い』が良いのです」

「なっ……!?」

「愛だの恋だのという不確定な通貨ではなく、現金という世界共通の価値で私を評価してくださる。これ以上の雇用主がいるでしょうか? いえ、いません」

私は反語を使って強調した。

ロランドは口をパクパクさせている。

「ぼ、僕だって……!」

「殿下は? 私の誕生日に何をくださいました? 『君への愛の歌』でしたよね? あれ、質屋でも買い取ってもらえませんでしたよ」

「うぐっ!」

「対して、陛下は国家予算レベルの金額をポンと出された。どちらが私を『大切』にしているか、一目瞭然ではありませんか」

私の言葉に、ロランドはぐうの音も出ないようだった。

愛の重さを金額で測るな、と反論したいのだろうが、現実に借金を肩代わりしてもらっている以上、何も言えないのだ。

その様子を見ていたアレクセイが、またしても肩を震わせ始めた。

「くっ……くく……」

最初は忍び笑いだったが、やがて我慢できなくなったように声を上げて笑い出した。

「はははは! 傑作だ! 元婚約者を『給料が未払いの元上司』のように扱うとは!」

アレクセイは涙まで浮かべて笑っている。

周囲の貴族たちは、あの恐ろしい『氷の皇帝』が腹を抱えて笑う姿を見て、天変地異でも起きるのではないかと怯えていた。

「いやあ、愉快だ。エミリエ嬢、君は本当に面白い。私の国に来れば、毎日退屈しなさそうだ」

「お褒めにあずかり光栄です。では陛下、早速ですが」

私は懐から一枚の羊皮紙を取り出した。

「雇用契約書の草案です。移動の馬車の中で詳細を詰めたいと思いますが、まずはサインを」

「準備が良すぎるだろう!」

アレクセイは呆れつつも、楽しそうにペンを受け取った。

さらさらとサインをするその姿は絵になるが、書いているのは労働契約書だ。

「よし、これでいいか?」

「確認いたします。……はい、結構です。では、これにて契約成立」

私は契約書を丁寧に折りたたみ、懐にしまった。

そして、ロランドとリリーナに向き直る。

「そういうわけですので、殿下。リリーナ様。どうぞお幸せに。二度と私の視界に入らないよう、慎ましく生きてくださいませ」

私はドレスの裾をつまみ、優雅に最期のカーテシー(挨拶)をした。

「それでは、ごきげんよう」

背を向けて歩き出す。

「ま、待って! エミリエ様!」

リリーナが慌てて声をかけてきたが、私は振り返らない。

彼女が何を言いたいのか、興味もないし聞く価値もない。

「行くぞ、エミリエ」

アレクセイが私の腰に手を回し、エスコートする。

その手つきは驚くほど紳士的で、ロランドのへっぴり腰とは雲泥の差だった。

大広間の扉が開かれる。

夜風が吹き込んできた。

それは、自由の匂いがした。

背後でロランドが何か喚いていた気がするが、オーケストラが空気を読んで演奏を再開したため、その声は音楽にかき消された。

「さて、エミリエ」

馬車寄せに向かう回廊で、アレクセイが私に話しかけてきた。

「君の荷物はどうする? 屋敷に取りに帰るか?」

「いえ、必要ありません」

私は即答した。

「実家に戻れば、父や母が『王家に弓引く気か』と騒ぎ立てるでしょう。説得する時間が無駄です」

「ほう? では着の身着のままで行くと?」

「まさか。最低限の必需品と、隠し資産の通帳、それから換金性の高い宝石類は、すでに『緊急避難用バッグ』にまとめて従者に持たせてあります」

「……いつの間に?」

「パーティーの前です。婚約破棄される確率は90%と予測していましたので」

「ははは! 君、本当に可愛げがないな!」

アレクセイは楽しそうに私の背中をバンと叩いた。

痛い。

けど、悪くない響きだ。

「可愛げなど、一円にもなりませんから」

「違いない。だが、私はその可愛げのなさが気に入った」

アレクセイは私の手を取り、待ち構えていた漆黒の馬車へと誘う。

「さあ、乗れ。我が国バルバロッサへ。……君の才能を、骨の髄まで搾り取らせてもらうぞ?」

「望むところです。残業代さえいただければ、骨でも魂でも切り売りいたしますわ」

こうして私は、ドレス姿のまま、身一つ(と莫大な契約金)で隣国への馬車に乗り込んだ。

さらば、祖国。

さらば、バカ王子。

私の新しい人生は、電卓とともに始まるのだ。
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