「悪役令嬢」の烙印? どうでもいいので、財政赤字です!

夏乃みのり

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一方その頃、王都の王宮では。

どんよりとした空気が漂っていた。

「……はぁ」

王太子アルベールは、執務室の豪奢な椅子に深く沈み込み、重いため息をついた。

目の前にあるのは、書類の山ではない。

一通の請求書だ。

『ガニエール公爵家代理 ミュナ・ガニエール』という署名が入ったその紙には、今月の返済額と、遅延した場合の延滞金利(トイチ)が、美しい飾り文字で記されている。

「鬼だ……あいつは本当に鬼だ……」

アルベールは頭を抱えた。

ミュナが去ってから、王都は平和になるはずだった。

口うるさい婚約者がいなくなり、愛するクララと甘い日々を過ごす。

それが彼の描いていた未来予想図だった。

しかし現実は、毎月届く請求書と、減り続ける王室予算との戦いだった。

「アルベール様ぁ……」

甘ったるい声と共に、執務室の扉が開いた。

入ってきたのは、桃色の髪を揺らす男爵令嬢、クララだ。

彼女は今日も可愛らしい……はずなのだが、その表情はどこか不満げだ。

「どうしたんだい、クララ? そんなに頬を膨らませて」

「だってぇ、今度の夜会に着ていくドレスがないんですもの」

クララはアルベールの膝にまとわりついた。

「この間のドレスはもう二回も着ちゃいました。新しいのが欲しいですぅ。流行の最先端の、レースがいっぱいついたやつ!」

「う……」

アルベールは言葉に詰まった。

以前なら、二つ返事で「好きなだけ買いなさい」と言えた。

だが今は、財布の紐をミュナという名の亡霊に握られているも同然だ。

「ごめんよクララ。今月はちょっと厳しくて……。ミュナへの返済があるし、父上からも『無駄遣いをするな』と釘を刺されていて」

「またミュナ様ですか!?」

クララが柳眉を逆立てた。

「いなくなってもまだ私たちの邪魔をするなんて、本当に執念深い人! 私たちが愛し合っているのがそんなに悔しいのかしら!」

「全くだよ。金、金、金と……。愛はお金じゃ買えないのにね」

「そうですわ! ……でも、ドレスがないと、私が可哀想です」

「うーん、困ったな……」

二人が唸っていると、クララがポンと手を打った。

「そうだ! いいことを思いつきましたわ!」

「いいこと?」

「お金がないなら、集めればいいんです!」

クララは目を輝かせて提案した。

「『愛と平和のチャリティーパーティー』を開きましょう!」

「チャリティー?」

「はい! 私たちのような高貴な人間が、恵まれない人々のために立ち上がるんです。入場料を取って、寄付金も募る。そうすれば、お金がたくさん集まりますわ!」

アルベールは目を見開いた。

「な、なるほど! その手があったか!」

「でしょ? 集まったお金の一部を恵まれない子たちにあげて、残りは……その、運営費として私たちが使えばいいんです。これならお父様(国王)も文句は言いませんわ!」

「天才か! クララ、君は天才だ!」

アルベールはクララを抱きしめた。

「君のような慈愛に満ちた女性こそ、未来の王妃にふさわしい! よし、すぐに準備だ!」

二人は盛り上がっているが、部屋の隅に控えていた初老の財務官が、青ざめた顔でおずおずと口を挟んだ。

「あ、あの……殿下。申し上げにくいのですが」

「なんだ、水を差すな。素晴らしいアイデアじゃないか」

「いえ、その……パーティーを開催するにも『元手』が必要です。会場の設営費、飲食代、招待状の発送費……現在の予算では、それらを捻出するのは困難かと」

財務官の正論に、アルベールは鼻を鳴らした。

「頭が固いな! これは『投資』だ! パーティーで寄付金が集まれば、元手なんてすぐに回収できる!」

「そ、そうですが……しかし、リスクが……」

「うるさい! 僕とクララの人望があれば、貴族たちはこぞって寄付をするはずだ! ミュナがいなくなって清々しているのは、僕たちだけじゃないんだからな!」

「そうですわ! 私のドレス代も『必要経費』です。主催者がみすぼらしい格好では、寄付も集まりませんもの!」

クララが胸を張る。

財務官は天を仰いだ。

(……終わった)

彼は心の中で、既に辞表を書く準備を始めていた。

数日後。

王宮の大広間で、『愛と平和のチャリティーパーティー』が華々しく開催された。

会場は色とりどりの花で飾られ、最高級のシャンパンが振る舞われ、楽団が生演奏を奏でている。

その中心には、最新のドレス(金貨三百枚相当)に身を包んだクララと、新しいタキシードを着たアルベールの姿があった。

「皆様! 本日はお集まりいただきありがとうございます!」

アルベールがグラスを掲げる。

「我々の愛の力で、世界を救いましょう! さあ、飲んで食べて、そして惜しみない寄付をお願いします!」

「お願いしますぅ~! 皆様の愛が、世界を救うんですぅ!」

クララも上目遣いで愛想を振りまく。

しかし。

会場の反応は、彼らの予想とは少し違っていた。

「……ねえ、これってチャリティーよね?」

「なんでこんなに豪華なの? この食事代だけで、平民が一年暮らせるんじゃない?」

「『恵まれない子供のため』って言ってるけど、クララ嬢のあのネックレス、新作よね?」

「寄付金、本当に子供たちに届くのかしら……」

貴族たちは馬鹿ではない。

ミュナがいなくなり、王宮の財政が傾いていることは噂で聞いている。

そこにきて、この見え透いた集金パーティーだ。

彼らの目は冷ややかだった。

「さあさあ、寄付はこちらへ! 一口金貨十枚からです!」

募金箱を持ったクララが回るが、皆、苦笑いをして小銭を入れる程度だ。

「あ、あれ……?」

クララの笑顔が引きつる。

「おかしいですわね。皆様、お財布を忘れてきたのかしら?」

「恥ずかしがっているだけだよ。もっと盛り上げよう!」

アルベールは楽団に指示を出し、さらに高いヴィンテージワインを開けさせた。

「さあ、どんどん飲んでくれ! すべては愛のためだ!」

宴は深夜まで続いた。

アルベールとクララは、「大成功だ」と信じて疑わなかった。

翌朝。

執務室にて。

「……で、どうだった? 収支報告は」

二日酔いの頭を押さえながら、アルベールは財務官に尋ねた。

財務官は、死人のような顔で一枚の紙を差し出した。

「……こちらになります」

「ふんふん。寄付金総額……金貨八十枚? ……は?」

アルベールは目をこすった。

桁が二つほど足りない気がする。

「な、なんだこれは! あんなに人が来ていたのに!」

「大半の方々は、『料理と酒だけ楽しんで帰られた』ようです。……それに対し、今回のパーティーにかかった経費ですが」

財務官が指差した下の行を見て、アルベールは絶句した。

『経費総額:金貨二千五百枚』

「……に、二千……?」

「はい。会場装飾、最高級食材、楽団へのギャラ、そしてクララ様のドレスや宝石代……。しめて、二千四百二十枚の赤字です」

「あ、赤字……!?」

「大赤字です。寄付金など、焼け石に水です」

アルベールは椅子から転げ落ちそうになった。

そこに、クララが入ってきた。

「アルベール様! 昨日は楽しかったですわね! で、いくら集まりましたの? 私の取り分は?」

「と、取り分どころか……!」

アルベールは震える手で報告書を見せた。

クララはそれを見て、ポカンと口を開けた。

「……嘘ですわ。計算間違いです」

「間違いじゃない! 財務官が三回も計算したんだ!」

「じゃあ、参加した貴族たちがケチなんです! なんて心の狭い人たち! 愛がないんですわ!」

クララは地団駄を踏んだ。

「どうするんですの!? ドレス代の支払いは来週ですのよ!?」

「ぼ、僕だって困る! 王室費はもう空っぽだ!」

「なんとかしてください! 王子様なんでしょう!?」

「そう言われても……父上にバレたら殺される……」

二人は顔を見合わせた。

追い詰められた人間の思考回路は、往々にして責任転嫁に向かう。

「……そもそも」

アルベールが低い声で言った。

「こうなったのも、全部ミュナのせいだ」

「えっ?」

「あいつが! あいつが僕から搾取したせいで、元手がなかったんだ! あいつが慰謝料なんて請求しなければ、もっと盛大に宣伝できて、寄付も集まったはずだ!」

「そうですわ! 悪いのは全部ミュナ様です! あの方が王室のお金を持ち逃げしたようなものですもの!」

論理の飛躍も甚だしいが、二人の脳内ではそれが「真実」として定着した。

自分たちの無能さを認めるより、不在の悪役令嬢を責める方が楽だからだ。

「……そうだ。あいつ、辺境で儲けているらしいじゃないか」

アルベールの目に、卑しい光が宿った。

「風の噂で聞いたぞ。辺境の財政がV字回復したとか、特産品が売れ始めたとか」

「まあ! ずるいですわ! 王都がこんなに苦しいのに、自分だけぬくぬくと贅沢をして!」

「許せん……。元はと言えば、僕の婚約者だった女だ。辺境の利益は、王家のものであるべきだ」

アルベールは机を叩いた。

「そうだ! 税金だ! 辺境から『特別復興税』を徴収しよう!」

「名案ですわアルベール様! あの方からむしり取ってやりましょう!」

「すぐに徴税命令書を作成しろ! 理由は……なんでもいい! 『王都の平和維持のため』とかなんとか書いておけ!」

財務官は、今度こそ本当に辞表を出そうと決意しながら、力なく「……はっ」と答えた。

この愚かな企みが、眠れる獅子(カエル公爵)と、計算高い魔女(ミュナ)を本気で怒らせることになるとも知らずに。

一方、北の辺境。

私は執務室で、突然のくしゃみに襲われていた。

「……くしゅっ」

「風邪か?」

隣で書類を確認していたカエル公爵が、心配そうに顔を上げた。

「いえ、誰かが噂をしているようです。……ろくでもない噂を」

私は鼻をすすり、背筋に走る悪寒を感じた。

寒さのせいではない。

何か、とても非効率で、愚かで、面倒くさいものが近づいてくる予感がする。

「……嫌な予感がします」

「珍しいな、お前が勘に頼るとは」

「女の勘と、商人の勘です。両方が警報を鳴らしています」

私はペンを置き、窓の外の吹雪を見つめた。

「カエル様。念のため、法務担当官を呼んでおいていただけますか?」

「法務? 何をする気だ」

「迎撃準備です」

私はニッコリと、しかし目は笑わずに言った。

「降りかかる火の粉は払わねばなりません。……それがたとえ、王家からの理不尽な要求であっても、完膚なきまでに叩き潰せるように」

公爵は、私のその表情を見て、少しだけ嬉しそうに笑った。

「……頼もしい限りだ。俺は剣を研いでおけばいいか?」

「ええ。切れ味鋭くしておいてくださいね」

遠く離れた二つの場所で、それぞれの思惑が交錯する。

片や、破滅へ向かう愚者たちのダンス。

片や、着々と牙を研ぐ合理主義者の要塞。

両者が激突する日は、そう遠くはない。
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