ざまぁ不要の悪役令嬢!婚約破棄は想定内、むしろご褒美ですわ!

夏乃みのり

文字の大きさ
9 / 28

9

「カフェ・アルケミスタ」がオープンして、数週間が経った。

マリアンの淹れるコーヒーと手作りの焼き菓子は、じんわりと、しかし確実に、この路地裏に住まう人々の心と胃袋を掴み始めていた。

常連客も少しずつ増えてきた。毎朝コーヒー豆を買いに来るパン屋の主人。昼下がりに、仕事の合間の息抜きにやってくる仕立て屋の女将。そして、屯所での厳しい訓練を終えた若い騎士たちが、甘いものを求めてやってくることも多くなった。

店は、マリアンが夢見た通りの、ささやかで温かい賑わいに満ちていた。

そして、その常連客リストの筆頭に、いつの間にか名を連ねている人物がいた。

カラン。

夕暮れの光が店内に長く影を落とし始める、決まった時刻。今日もまた、店のベルがあの男の訪れを告げた。

「……」

騎士団長、アレクシス・フォン・ヴァイス。

彼はもはや何も言わず、まっすぐにいつもの席――カウンターの一番隅の、店全体を見渡せる席へと向かい、どかりと腰を下ろす。

「いらっしゃいませ、騎士団長様。本日も、お疲れ様です」

マリアンが笑顔で声をかけると、アレクシスはこくりと頷くだけ。

「ご注文は、いつものでよろしいですか?」

「……ああ」

それが、彼らの間の決まり文句だった。

「いつもの」とは、その日のマリアンのおすすめのコーヒーと、カウンターに置かれた「本日の試作品」と称するスイーツのセットのことである。

マリアンがコーヒーを淹れる間、アレクシスは分厚い報告書に目を通しているが、その意識の一部は、カウンターの中で動くマリアンの手元と、厨房から漂ってくる甘い香りに向けられていることを、マリアンは知っていた。

「お待たせいたしました。本日のコーヒーと、『木の実とはちみつのタルト』ですわ」

ことり、と彼の前に置かれた皿の上には、こんがりと焼き上げられたタルトが乗っている。アレクシスは報告書から目を上げると、無言でフォークを手に取った。

一口食べ、そしてコーヒーを一口すする。その繰り返し。

その間、彼は一切の感想を口にしない。ただ黙々と、しかしどこか真剣な面持ちで、マリアンの「錬金術」を吟味している。

そして、すべてを食べ終え、代金を置くと、彼は決まって帰り際に、ぼそりと一言だけ感想を告げていくのだ。

「……今日のタルトは、はちみつが強すぎる」

あるいは、別の日のこと。

「……昨日のクッキーに入っていた香辛料は、悪くない」

また、ある日は。

「……あの酸っぱい果物の菓子は、もう作るな」

それは、およそ客が店主に向ける言葉とは思えないほど、ぶっきらぼうで、上から目線の批評だった。

しかしマリアンは、それが彼の不器用なコミュニケーションの形であり、的確な味覚に基づいた正直な感想であることを理解していた。

「カイ、聞いた? はちみつが強すぎるですって。やっぱり、もう少しナッツの香ばしさを立てるべきだったのね」

「マリアン様、あんたもすっかり猛獣使いが板についてきましたな。あの団長様を手懐けるなんて」

「人聞きの悪いこと言わないの。お客様からの貴重なご意見よ」

カイの茶化しを柳に受け流しながら、マリアンは彼の言葉を元に、次の日のレシピに改良を加えていく。その言葉少ないやり取りは、いつしか二人にとって、心地よい日課となっていた。

そんなある日の昼下がりのこと。

マリアンは、業者から届いたばかりのコーヒー豆の麻袋を、店の倉庫に運ぼうと奮闘していた。

「うっ……お、重たい……!」

見た目以上にずっしりと重い袋を、床から持ち上げようとした瞬間、ぐらりと体勢を崩してしまう。

「きゃっ!」

袋が床に落ちる、と覚悟したその時。

目の前にすっと大きな影が差し、マリアンが抱えていた麻袋が、ふわりと宙に浮いた。

「……え?」

見上げると、そこにいたのは、いつの間にか立ち上がっていたアレクシスだった。彼は、マリアンが両手でやっとだった麻袋を、まるで小脇に小枝でも抱えるように、片手で軽々と持ち上げていた。

「き、騎士団長様!? いつからそこに……」

「……邪魔だ。どこに置く」

アレクシスは、マリアンの驚きを意にも介さず、低い声で尋ねる。

「あ、あの、奥の倉庫にお願いします……」

彼は言われた通りに倉庫へ麻袋を運ぶと、また何事もなかったかのように自分の席に戻り、読みかけの新聞を広げた。

「あ、あの……! ありがとうございました、助かりましたわ」

マリアンがお礼を言うと、アレクシスは新聞から顔も上げずに、ぼそりと言った。

「……手が滑っただけだ」

その意味不明な言い訳と、新聞で隠された彼の耳が、ほんのりと赤く染まっていることに気づいて、マリアンの口から、思わずくすり、と笑みがこぼれた。

(本当に、面白い方)

ただの無愛想で怖いだけの人ではない。その無口と仏頂面の裏に隠された、不器用な優しさ。

その日の閉店後、マリアンは一人厨房に立ち、明日の「試作品」の準備をしていた。

「あの人は、甘すぎるのは好きじゃない。でも、苦いだけじゃ満足しないのよね……」

彼女が作っていたのは、カカオをふんだんに使った、甘さ控えめのビターチョコレートケーキだった。

「きっと、こういうのがお好きなはずだわ」

無愛D想な常連客の顔を思い浮かべながら、マリアンは楽しそうに泡だて器を動かす。彼との静かな交流が、彼女の日常に新しい彩りを添え始めていることに、彼女自身、まだ気づいていなかった。
感想 1

あなたにおすすめの小説

すみっこ婚約破棄同盟〜王子様による婚約破棄のすみっこで〜

まりー
恋愛
   ある夜会で王子とその側近達の婚約破棄が行われた。腕に恋人をぶら下げて。所謂、王道断罪劇である。  でもこのお話の主役は麗しのヒロインでも、キラキラ王子でも、学園一の秀才や騎士団期待のホープでもない。これは王道のすみっこで行われた、弱小貴族と商人の子息たちの婚約破棄のお話である。 _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ 「もう俺ら、恋なんてしない!」と言う小学生の息子の話を参考に書きました。登場人物の男子たちの頭は小学生レベルだと思って読んでください。    

異世界に逃げたシングルマザー経理は、定時退勤だけは譲れない

木風
恋愛
DV夫から一歳の娘を抱えて逃げた鈴木優子は、光に飲まれて異世界の王宮へ転移してしまう。 生きるために差し出した武器は簿記と経理経験――崩壊寸前の王宮会計を『複式簿記』で立て直すことに。 ただし譲れない条件はひとつ、「午後五時の定時退勤」。娘の迎えが最優先だからだ。 その姿勢に、なぜか若き国王ヴィクトルが毎日経理室へ通い始めて――仕事と子育ての先に、家族の形が芽吹いていく。

【完結】婚約破棄される前に察して距離を置いていたら、幼なじみの第三王子が本気になっていました〜義妹と元婚約者? もう過去の人です〜

井上 佳
恋愛
婚約者に裏切られた侯爵令嬢は、 嘆くことも、復讐に走ることもなかった。 彼女が選んだのは、沈黙と誇り。 だがその姿は、 密かに彼女を想い続けていた第三王子の心を動かす。 「私は、国よりも君を選ぶ」 婚約破棄、王位継承、外交圧力―― すべてを越えて選び取る、正統な幸福。 これは、 強く、静かな恋の物語。 2026/02/23 完結

白い結婚のまま、旦那様は薔薇のような美人に夢中になりました

柴田はつみ
恋愛
伯爵令嬢リディアは、美貌で有名な侯爵レオンハルトに嫁いだ。 けれど結婚して二年、夫婦は一度も結ばれないまま――白い結婚だった。 それでも旦那様は優しかった。 冷たいわけではない。気づかいの言葉も、穏やかな笑顔もくれる。 だからリディアは、愛されてはいなくても、いつか少しは夫婦になれるのではないかと信じていた。 そんなある日、彼女は知ってしまう。 旦那様が薔薇の君と呼ばれる絶世の美女に心を奪われていることを。 彼が触れなかったのは私にだけだったのだと。 都合のいい奥方として、役に立っていたと悟る 静かに離縁を決意したリディアは、実家へ戻ったあと、女子学院で働き始める。 すると侯爵夫人時代には当たり前だった実務のすべてが、外では驚くほど必要とされていた。 感謝され、認められ、自分の足で立ち始めた彼女は、少しずつ見違えるほど美しくなっていく

婚約破棄された伯爵令嬢ですが、辺境で有能すぎて若き領主に求婚されました

おりあ
恋愛
 アーデルベルト伯爵家の令嬢セリナは、王太子レオニスの婚約者として静かに、慎ましく、その務めを果たそうとしていた。 だが、感情を上手に伝えられない性格は誤解を生み、社交界で人気の令嬢リーナに心を奪われた王太子は、ある日一方的に婚約を破棄する。  失意のなかでも感情をあらわにすることなく、セリナは婚約を受け入れ、王都を離れ故郷へ戻る。そこで彼女は、自身の分析力や実務能力を買われ、辺境の行政視察に加わる機会を得る。  赴任先の北方の地で、若き領主アレイスターと出会ったセリナ。言葉で丁寧に思いを伝え、誠実に接する彼に少しずつ心を開いていく。 そして静かに、しかし確かに才能を発揮するセリナの姿は、やがて辺境を支える柱となっていく。  一方、王太子レオニスとリーナの婚約生活には次第に綻びが生じ、セリナの名は再び王都でも囁かれるようになる。  静かで無表情だと思われた令嬢は、実は誰よりも他者に寄り添う力を持っていた。 これは、「声なき優しさ」が、真に理解され、尊ばれていく物語。

死ぬまでに叶えたい十の願い

木風
恋愛
「あなたを妻として、愛することはない。おそらく、生涯抱くこともないだろう」 三年間の白い結婚——捨て置かれた王太子妃エリアーナに、側妃が『死の呪い』をかけ余命一年を宣告する。 離縁を願うも拒否され、代わりに「死ぬまでに十の願いを叶えて」と契約する—— 二人きりの外出、星空、海…ささやかな願いが王太子の心をほどいていく。

何もしなかっただけです

希臘楽園
ファンタジー
公爵令嬢であり王太子の婚約者であった私は、「地味だ」という理由で婚約を破棄され、王宮を去った。 それまで私が担っていた役目を、誰も知らないまま。 ――ただ何もしなくなっただけで、すべては静かに崩れていく。 AIに書かせてみた第14弾は、「追放ざまぁ」系の短編。

報われなかった姫君に、弔いの白い薔薇の花束を

さくたろう
恋愛
 その国の王妃を決める舞踏会に招かれたロザリー・ベルトレードは、自分が当時の王子、そうして現王アルフォンスの婚約者であり、不遇の死を遂げた姫オフィーリアであったという前世を思い出す。  少しずつ蘇るオフィーリアの記憶に翻弄されながらも、17年前から今世まで続く因縁に、ロザリーは絡め取られていく。一方でアルフォンスもロザリーの存在から目が離せなくなり、やがて二人は再び惹かれ合うようになるが――。 20話です。小説家になろう様でも公開中です。