ざまぁ不要の悪役令嬢!婚約破棄は想定内、むしろご褒美ですわ!

夏乃みのり

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アレクシスの、不器用で、けれど真っ直ぐな言葉。

あの日以来、マリアンの心臓は、嬉しい悲鳴を上げっぱなしだった。

彼の顔をまともに見ることができない。目が合えば、あの時の言葉と、自分の胸の高鳴りが蘇ってきて、顔から火が出そうになる。

「い、いらっしゃいませ……」

「……ああ」

いつもと同じ時間にやってくる彼に、いつもと同じ挨拶を返すことすら、今のマリアンにとっては至難の業だった。

そんなマリアンの変化を、アレクシスも感じているのだろう。彼もまた、どこかぎこちなく、カウンターに座っても報告書に目を落とすばかりで、決してマリアンと視線を合わせようとはしなかった。

「……マスターと団長様、なんだか最近、よそよそしいですなぁ」

「そ、そんなことないわよ!」

カイの的確な指摘に、マリアンは慌てて否定する。そんな二人の甘酸っぱい空気を、常連客たちは生温かく見守っていた。

嫌がらせの嵐は過ぎ去り、店はかつてないほどの平穏と繁盛を謳歌していた。この幸せな毎日が、ずっと続けばいい。マリアンは、心の底からそう願っていた。

その願いが、脆くも崩れ去ることになるとも知らずに。



カラン。

その日、店のベルを鳴らして入ってきたのは、見慣れた常連客ではなかった。

上質な仕立ての、しかし飾り気のない文官服を身につけた、細身の男。その冷たい目と、感情の読めない無表情な顔つきは、彼が王宮に仕える人間であることを雄弁に物語っていた。

そして、彼がその手に恭しく捧げ持っている一通の書状。そこに押された、国王の紋章である獅子の封蝋を見た瞬間、店内の賑やかだった空気が、ぴたりと凍りついた。

カウンターで談笑していた騎士たちは、弾かれたように立ち上がり、姿勢を正す。

文官は、店内を一瞥すると、まっすぐにカウンターの中に立つマリアンの元へと進み出た。

「あなたが、この店の主、マリアン嬢で相違ないかな?」

「……はい、さようでございますが」

マリアンは、胸騒ぎを覚えながらも、平静を装って答えた。文官は、無言でその書状をマリアンに差し出す。

「国王陛下より、あなたへの親書である。謹んで拝受するように」

国王陛下、という言葉に、マリアンの心臓が冷たく跳ねた。彼女は、震える手でその書状を受け取ると、ゆっくりと封を切った。

上質な羊皮紙に、流れるような美しい文字で書かれていたのは、あまりにも理不尽で、そして残酷な命令だった。

『近頃、王都にて評判のカフェ・アルケミスタの店主、マリアンを、近く催される王宮の園遊会に召喚する。その場で、自慢のコーヒーと菓子を朕、及び招待客一同に振る舞うことを、国王の名において命ずる』

「……っ!」

マリアンは、息をのんだ。目の前が、真っ暗になるような感覚。

王宮。

エドワードがいる。リリアナがいる。自分を悪役令嬢と断罪し、蔑んだ者たちがいる。ようやく逃げ出すことができた、あの金色の鳥かご。

今さら、どうして。

「マスター? どうしたんです、顔が真っ青ですよ」

心配したカイが、後ろから書状を覗き込み、そして同じように絶句した。

「そ、そんな……! 王宮で、出張カフェですって!?」

マリアンは、かろうじて声を絞り出した。

「……このご命令、辞退させていただくことは……できませんでしょうか」

その問いに、文官は表情一つ変えず、冷たく言い放った。

「国王陛下直々のご命令である。辞退なされば、それはすなわち、王命に背くということ。国家への反逆と見なされても、文句は言えまい」

反逆。その一言が、マリアンに突きつけられた現実の重さを、容赦なく叩きつけた。

断れない。これは、拒否権のない、絶対の命令なのだ。

せっかく手に入れた、このささやかで幸せな日常が、音を立てて崩れていく。マリアンは、唇を噛みしめ、ただ俯くことしかできなかった。

その時だった。

「……」

店の隅で、ずっと黙って成り行きを見守っていたアレクシスが、静かに席を立った。

彼は、ゆっくりとした、しかし威圧感のある足取りで文官の前に立つ。その大きな背中に、マリアンは思わず目を向けた。

「国王陛下の御意思、承知した」

アレクシスの低い声が、静かな店内に響いた。

「して、園遊会の日時はいつだ。騎士団として、警備の都合というものがある」

その有無を言わせぬ迫力に、冷徹だったはずの文官は、明らかにたじろいでいた。

「は、はい! 日時は、一週間後の午後でございます!」

「わかった。下がってよろしい」

「は、はっ!」

文官は、アレクシスに一礼すると、逃げるように店から出ていった。

後に残されたのは、重い沈黙だけだった。

アレクシスは、俯いたままのマリアンに向き直ると、静かな、しかしどこまでも力強い声で、ただ一言だけ、告げた。

「……心配するな」

その大きな背中と、多くを語らない、けれど確かな温もりのある声に、凍りついていたマリアンの心が、少しだけ溶けていくのを感じた。

「どうするんですか、マスター……。王宮だなんて、絶対、あの女の差し金ですよ!」

カイが、悔しそうに言う。

マリアンは、しばらく俯いていたが、やがてゆっくりと顔を上げた。その翠色の瞳の奥に、先ほどまでの絶望の色はもうなかった。代わりに宿っていたのは、覚悟を決めた、強く、澄んだ光。

「……ええ、そうかもしれないわね。でも」

彼女は、自分の城であるこのカフェを、そして心配そうに自分を見つめるカイと、静かに佇むアレクシスを見回した。

「やるしかないわ。これは、国王陛下からの命令であると同時に、わたくしの『錬金術』が、この国の頂点に立つ人々にまで通用するのかを試す、絶好の機会でもあるのだから」

恐怖を振り払い、彼女は一人のプロのカフェ店主として、この最大の挑戦に立ち向かうことを決意した。

そんな彼女の横顔を、アレクシスは、静かに、そして確かな信頼を宿した眼差しで、ただじっと、見つめていた。
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