ざまぁ不要の悪役令嬢!婚約破棄は想定内、むしろご褒美ですわ!

夏乃みのり

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夕闇に包まれた王都の片隅に佇む、老舗カフェ『銀の匙』。

閉店後の薄暗い店内に、客ではない男の声が、静かに、しかし重く響いていた。

「……言い分は、あるか」

店の主であるゲイルは、目の前の男――アレクシス・フォン・ヴァイスの前に、ただひれ伏していた。

「も、申し訳ございません! 騎士団長様! すべて、私がやりました! どうか、どうかご勘弁を!」

つい先ほどまで、「何の御用でしょうか」などと白を切っていた男の顔は、恐怖で真っ青になっている。

無理もなかった。アレクシスは、暴力も脅迫も一切用いなかった。ただ、第三部隊が夜を徹して集めた、動かぬ証拠の数々を、淡々と、一つずつ彼の前に突きつけただけだ。

深夜にゴミを捨てる姿を捉えた複数の目撃証言。
壁に落書きした塗料を購入した店の記録。
そして、彼がコーヒー豆の納入業者たちに圧力をかけていたという、決定的な証言。

逃げ場は、どこにもなかった。

「出来心だったんです! あの新しい店ができてから、長年通ってくれた客がどんどん離れていって……。経営が苦しく、それでつい、魔が差したと申しますか……」

見苦しい言い訳を並べるゲイルを、アレクシスは冷たい一瞥で黙らせた。

「貴様の事情など、知ったことではない」

その声には、一切の感情が乗っていなかった。だからこそ、恐ろしかった。

「本来であれば、威力業務妨害、器物損壊、脅迫。これらの罪で、貴様を牢に送ることもできる。だが……」

アレクシスは、少し間を置いた。

「事を荒立てるのは、あの店の主も望むまい。よって、俺から提案がある。一つ、被害者に直接謝罪し、これまでの損害をすべて賠償すること。二つ、今後一切、カフェ・アルケミスタとその関係者には関わらないと、神に誓うこと」

ゲイルは、その温情ともとれる提案に、一瞬だけ安堵の表情を浮かべた。しかし、アレクシスの言葉は、そこで終わらなかった。

「そして三つ。貴様の店は、今月中にたたんで、王都から出ていけ。二度と、俺の目の届く範囲に現れるな」

「そ、そんな……! お慈悲を! この店は、祖父の代から……!」

「交渉の余地はない。受け入れるか、牢に行くか。選べ」

絶対零度の宣告。ゲイルは、その場に崩れ落ち、ただわなわなと震えることしかできなかった。



翌日のカフェ・アルケミスタは、久しぶりに明るい空気に満ちていた。

アレクシスの手配通り、朝一番でヴァイス辺境伯領の農園の者が訪れ、マリアンは、これまで使っていたものよりもさらに高品質なコーヒー豆を、驚くほど良心的な価格で安定して仕入れられることになったのだ。

「やりましたね、マスター! これで豆の心配はなくなりました!」

「ええ、本当に……。アレクシス様には、感謝してもしきれないわ」

安堵する二人の前に、青白い顔をした一人の男が現れたのは、昼前のことだった。

「……っ! あんたは、『銀の匙』の!」

カイが警戒して身構える。店の主、ゲイルだった。

彼は、マリアンの前に進み出ると、突然、その場に土下座した。

「も、申し訳ありませんでした!店の前にゴミを撒いたのも、壁に落書きをしたのも、業者に圧力をかけたのも、すべて私がやったことです!」

彼は、これまでの嫌がらせのすべてを告白し、何度も、何度も頭を床にこすりつけた。そして、震える手で、損害賠償金として金貨の入った袋を差し出した。

マリアンは、驚きながらも、彼の謝罪を静かに受け止めた。

「……顔を上げてください、ゲイルさん。あなたのしたことは、決して許されることではありません。ですが」

彼女は、賠償金の袋は受け取ったが、彼にゆっくりと語りかけた。

「王都から出ていく必要はありませんわ。これからは、小細工ではなく、正々堂々と、その腕で淹れるコーヒーの味で、勝負してください。わたくしも、負けませんから」

その凛とした、しかし温かい言葉に、ゲイルはただ、嗚咽を漏らすばかりだった。



その日の夕方。すべての嵐が過ぎ去ったカフェに、アレクシスは、いつもと同じように現れた。

マリアンは、彼の前に最高の豆で淹れた、極上の一杯を置いた。

「……騎士団長様。今日、『銀の匙』の店主さんが、謝罪にいらっしゃいました」

「……そうか」

アレクシスは、コーヒーを一口飲むと、短くそう答えただけだった。

「豆の件も、本当にありがとうございました。あの……なぜ、ここまでしてくださるのですか? わたくし、騎士団長様に、何かお返しできるようなものは……」

マリアンがそう言いかけた時、アレクシスは、ふとカップを置き、初めてまっすぐに彼女の顔を見た。

「礼など、いらん」

「でも、それではわたくしの気が済みません!」

真剣なマリアンの瞳を、アレクシスは静かに受け止めていた。長い沈黙の後、彼は、ぽつり、ぽつりと、言葉を紡ぎ始めた。

「……俺は、ただ……守りたかっただけだ」

「え……?」

「……この場所を。君の淹れる、コーヒーの味を」

そこまで言うと、彼は一度言葉を切り、ほんの少しだけ、躊躇うように視線を揺らした。

「そして……ここで笑っている、君の顔を。……それが失われるのは、俺が困る」

いつもの、「俺が困る」という、ぶっきらぼうな言い訳。

けれど、今日はその前に、彼の、不器用で、けれどあまりにもまっすぐな本心が、はっきりと添えられていた。

守りたかった。君の笑顔を。

その言葉は、マリアンの心の、一番柔らかい場所を、優しく、そして強く、射抜いた。

「……っ」

顔が、カッと熱くなる。心臓が、早鐘のように鳴り響く。何も、言い返せない。

アレクシスも、自分で言った言葉に照れたのだろう。ばつが悪そうに、ふいと顔を背けて、残りのコーヒーを飲み干してしまった。

甘く、ぎこちない沈黙が、二人を優しく包み込む。

マリアンは、この胸の高鳴りの正体に、もう気づかないふりはできなかった。

これは、憧れでも、感謝でもない。

ただの無愛想で不器用な騎士団長。その人の優しさと、強さと、そして弱さも、すべてを、自分は心から愛おしいと思っている。

その事実を、マリアンは、はっきりと自覚したのだった。
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