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グレイの号令一下、領地では『悪の組織』による農業改革が着々と進められていた。
初めこそ戸惑っていた領民たちだったが、グレイが王都から取り寄せた最新の農具の使いやすさと、彼女が語る土壌改良や輪作の知識が驚くほど的確であることに気づき始め、徐々にその指示に従うようになっていた。
畑仕事用のラフな服に身を包み、泥だらけになりながらも的確に指示を飛ばすグレイの姿は、もはや「悪役令嬢」というより「鬼教官」のようだったが、そのことに気づいている者はいなかった。
そして、農業改革が軌道に乗り始めたある日の午後。
「支配のためには、力と同時に富も必要よ! つまり、金ですわ、金!」
グレイはそう宣言すると、今度は領地の女性たちを館の厨房に集めた。
子供たちも、母親の後ろに隠れるようにして、興味津々で様子をうかがっている。
「さて、わたくしの可愛い下僕たち。あなたたちには今日から、わたくしが設立する『悪徳商会』の重要な構成員となってもらうわ!」
「あ、悪徳商会!?」
「ひどいわ、私たちを悪事に加担させる気だわ…!」
女性たちが青ざめ、ざわめきが広がる。
広間の隅で控えていたゲルハルトが、すかさず駆け寄り、グレイに耳打ちした。
「お、お嬢様! ですから、それは『特産品工房』とおっしゃった方が……!」
「どちらでも同じことよ、ゲルハルト。目的は、この地の産物で王都の愚かな貴族どもから大金を巻き上げ、わたくしの懐を潤すことなのだから!」
そう言ってのけるグレイの姿は、実に清々しいほど悪役令嬢そのものだった。
グレイは、厨房のテーブルに置かれた、一かごの赤い果実を指さした。
野生のベリーだ。この辺りではどこにでも自生しているが、酸味が強く、すぐに傷んでしまうため、ほとんど鳥の餌にしかなっていなかった。
「このベリーについて、何か知っていることはあるかしら?」
グレイが尋ねると、一人の女性がおずおずと手を挙げた。
「あの…それは、酸っぱくて、日持ちもしないので、ほとんど捨ててしまっています。たまに子供たちがおやつ代わりに少し口にするくらいで…」
その言葉を聞いた瞬間、グレイの表情が一変した。
「なんですって……?」
地を這うような低い声。厨房の温度が、数度下がったように感じられた。
「この、神様がお与えになった宝石を……捨てているですって!? あなたたち、なんて愚かなことを!」
雷のような一喝に、女性たちの肩がびくりと跳ねる。
「いいこと! この鋭い酸味こそが、加工した時に極上の旨味へと変わる宝なのよ! あなたたちは、足元に転がっている黄金を、ただの石ころだと思って蹴飛ばしていたのと同じことなのよ!」
グレイはベリーを一粒つまみ上げ、うっとりと眺めた。
「これを使って、王都の連中を骨抜きにする、最高の『甘い罠』を仕掛けるわ!」
グレイの指揮のもと、前代未聞の特産品開発が始まった。
「いいこと、ジャムの基本は果実と砂糖の比率よ! これは悪の錬金術における黄金比率だから、絶対に間違えないように!」
「火加減を制する者は、世界を制するの! 弱火でじっくり煮詰めることで、魂を揺さぶる深い味わいが生まれるのよ!」
悪役令嬢らしい言い回しとは裏腹に、彼女が教える技術は驚くほど科学的で、理に適っていた。
最初は怯え、戸惑っていた女性たちも、厨房に満ちていく甘酸っぱい魅惑的な香りと、自分たちの手で、あの酸っぱいだけのベリーが美しいルビー色のジャムへと変わっていく魔法のような光景に、次第に目を輝かせ始めた。
子供たちも、ベリーのヘタを取ったり、煮沸消毒した瓶を運んだりと、楽しそうに作業を手伝っている。
いつしか厨房は、恐怖の『悪徳商会』のアジトではなく、活気と笑顔に満ちた工房へと姿を変えていた。
もちろん、味見役として、氷の騎士様も強制参加である。
「さあ、カイン! 試作品AとB、どちらがより人の心を堕落させる禁断の味に近いか、あなたの舌で見極めなさい!」
「……」
カインは無言で、二種類のジャムを塗ったパンを交互に食べ比べる。
そして、しばらくの沈黙の後、こう言った。
「……Aは酸味が際立ち、Bは甘味に深みがある。どちらも甲乙つけがたいが、長期的な依存性を考慮するなら、Bの複雑な味わいがより効果的かと」
「なるほど……参考にするわ!」
真顔でとんでもない分析をするカインに、グレイは真剣に頷く。
周りの女性たちは、「団長様、また耳が赤くなってますよ…」「誰よりもたくさん味見してますもんね…」と、ひそひそ噂し合っているのだった。
数時間にわたる試行錯誤の末、ついにいくつかの完璧な試作品が完成した。
美しい瓶に詰められたルビー色のジャム。宝石のように輝くドライフルーツ。そして、甘酸っぱい香りがたまらないベリーのクッキー。
「すごい……! あのベリーから、こんなに美味しいものが作れるなんて!」
女性たちが、感動の声を上げる。
グレイは、完成したジャムの瓶を満足げに掲げると、高らかに商品名を発表した。
「このジャムの名前は、『悪女の口づけ』よ!」
「……え?」
「一度味わえば、もう逃れることのできない、甘く危険な罠……。うふふ、素晴らしいネーミングだわ!」
さらに、クッキーには『堕天使のささやき』、ドライフルーツには『妖精の涙』と、その独特なセンスを遺憾なく発揮していく。
領民たちは、そのネーミングセンスに若干引きながらも、自分たちの手で作り上げた素晴らしい商品の誕生に、希望で胸を膨らませていた。
その日の夜。工房には珍しく、夜遅くまで明かりが灯り、女性たちの楽しそうな笑い声が響いていた。
グレイはその光景を窓から眺めながら、満足げに微笑んだ。
「ふふん。わたくしの『支配』も、着実に進んでいるわね」
彼女がもたらした『甘い罠』は、王都の貴族たちより先に、この寂れた領地の人々の心を、温かく溶かし始めていた。
初めこそ戸惑っていた領民たちだったが、グレイが王都から取り寄せた最新の農具の使いやすさと、彼女が語る土壌改良や輪作の知識が驚くほど的確であることに気づき始め、徐々にその指示に従うようになっていた。
畑仕事用のラフな服に身を包み、泥だらけになりながらも的確に指示を飛ばすグレイの姿は、もはや「悪役令嬢」というより「鬼教官」のようだったが、そのことに気づいている者はいなかった。
そして、農業改革が軌道に乗り始めたある日の午後。
「支配のためには、力と同時に富も必要よ! つまり、金ですわ、金!」
グレイはそう宣言すると、今度は領地の女性たちを館の厨房に集めた。
子供たちも、母親の後ろに隠れるようにして、興味津々で様子をうかがっている。
「さて、わたくしの可愛い下僕たち。あなたたちには今日から、わたくしが設立する『悪徳商会』の重要な構成員となってもらうわ!」
「あ、悪徳商会!?」
「ひどいわ、私たちを悪事に加担させる気だわ…!」
女性たちが青ざめ、ざわめきが広がる。
広間の隅で控えていたゲルハルトが、すかさず駆け寄り、グレイに耳打ちした。
「お、お嬢様! ですから、それは『特産品工房』とおっしゃった方が……!」
「どちらでも同じことよ、ゲルハルト。目的は、この地の産物で王都の愚かな貴族どもから大金を巻き上げ、わたくしの懐を潤すことなのだから!」
そう言ってのけるグレイの姿は、実に清々しいほど悪役令嬢そのものだった。
グレイは、厨房のテーブルに置かれた、一かごの赤い果実を指さした。
野生のベリーだ。この辺りではどこにでも自生しているが、酸味が強く、すぐに傷んでしまうため、ほとんど鳥の餌にしかなっていなかった。
「このベリーについて、何か知っていることはあるかしら?」
グレイが尋ねると、一人の女性がおずおずと手を挙げた。
「あの…それは、酸っぱくて、日持ちもしないので、ほとんど捨ててしまっています。たまに子供たちがおやつ代わりに少し口にするくらいで…」
その言葉を聞いた瞬間、グレイの表情が一変した。
「なんですって……?」
地を這うような低い声。厨房の温度が、数度下がったように感じられた。
「この、神様がお与えになった宝石を……捨てているですって!? あなたたち、なんて愚かなことを!」
雷のような一喝に、女性たちの肩がびくりと跳ねる。
「いいこと! この鋭い酸味こそが、加工した時に極上の旨味へと変わる宝なのよ! あなたたちは、足元に転がっている黄金を、ただの石ころだと思って蹴飛ばしていたのと同じことなのよ!」
グレイはベリーを一粒つまみ上げ、うっとりと眺めた。
「これを使って、王都の連中を骨抜きにする、最高の『甘い罠』を仕掛けるわ!」
グレイの指揮のもと、前代未聞の特産品開発が始まった。
「いいこと、ジャムの基本は果実と砂糖の比率よ! これは悪の錬金術における黄金比率だから、絶対に間違えないように!」
「火加減を制する者は、世界を制するの! 弱火でじっくり煮詰めることで、魂を揺さぶる深い味わいが生まれるのよ!」
悪役令嬢らしい言い回しとは裏腹に、彼女が教える技術は驚くほど科学的で、理に適っていた。
最初は怯え、戸惑っていた女性たちも、厨房に満ちていく甘酸っぱい魅惑的な香りと、自分たちの手で、あの酸っぱいだけのベリーが美しいルビー色のジャムへと変わっていく魔法のような光景に、次第に目を輝かせ始めた。
子供たちも、ベリーのヘタを取ったり、煮沸消毒した瓶を運んだりと、楽しそうに作業を手伝っている。
いつしか厨房は、恐怖の『悪徳商会』のアジトではなく、活気と笑顔に満ちた工房へと姿を変えていた。
もちろん、味見役として、氷の騎士様も強制参加である。
「さあ、カイン! 試作品AとB、どちらがより人の心を堕落させる禁断の味に近いか、あなたの舌で見極めなさい!」
「……」
カインは無言で、二種類のジャムを塗ったパンを交互に食べ比べる。
そして、しばらくの沈黙の後、こう言った。
「……Aは酸味が際立ち、Bは甘味に深みがある。どちらも甲乙つけがたいが、長期的な依存性を考慮するなら、Bの複雑な味わいがより効果的かと」
「なるほど……参考にするわ!」
真顔でとんでもない分析をするカインに、グレイは真剣に頷く。
周りの女性たちは、「団長様、また耳が赤くなってますよ…」「誰よりもたくさん味見してますもんね…」と、ひそひそ噂し合っているのだった。
数時間にわたる試行錯誤の末、ついにいくつかの完璧な試作品が完成した。
美しい瓶に詰められたルビー色のジャム。宝石のように輝くドライフルーツ。そして、甘酸っぱい香りがたまらないベリーのクッキー。
「すごい……! あのベリーから、こんなに美味しいものが作れるなんて!」
女性たちが、感動の声を上げる。
グレイは、完成したジャムの瓶を満足げに掲げると、高らかに商品名を発表した。
「このジャムの名前は、『悪女の口づけ』よ!」
「……え?」
「一度味わえば、もう逃れることのできない、甘く危険な罠……。うふふ、素晴らしいネーミングだわ!」
さらに、クッキーには『堕天使のささやき』、ドライフルーツには『妖精の涙』と、その独特なセンスを遺憾なく発揮していく。
領民たちは、そのネーミングセンスに若干引きながらも、自分たちの手で作り上げた素晴らしい商品の誕生に、希望で胸を膨らませていた。
その日の夜。工房には珍しく、夜遅くまで明かりが灯り、女性たちの楽しそうな笑い声が響いていた。
グレイはその光景を窓から眺めながら、満足げに微笑んだ。
「ふふん。わたくしの『支配』も、着実に進んでいるわね」
彼女がもたらした『甘い罠』は、王都の貴族たちより先に、この寂れた領地の人々の心を、温かく溶かし始めていた。
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