婚約破棄された悪役令嬢、堅物騎士団長に胃袋と心を掴まれる

夏乃みのり

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路地裏の空気は、伸びた三人の男たちが発するうめき声とアリアが放つ悲哀のオーラと、そして香ばしいから揚げの匂いとが混じり合い非常にカオスなことになっていた。

「ああ……わたくしの、祝賀会が……」

アリアは、少し油が染みてしまった紙袋を胸に抱きしめ本気でうなだれていた。
一番美味しい「揚げたて」の瞬間を逃してしまった。その事実は、婚約破棄よりもずっとアリアの心を深く抉っていたのだ。

(もはや、これは祝賀会ではありませんわ。残念会ですわ…!)

彼女が己の不運を嘆いていると、いつの間にか路地裏の入り口に人だかりができていることに気づいた。
野次馬たちが、遠巻きにこちらを指さし何かを囁き合っている。

(まずいですわ! 公爵令嬢がチンピラを投げ飛ばした、なんて噂が広まったら……)

いや、むしろ面白いかもしれない、と一瞬思ったがさすがに父親にどんな顔で報告すればいいか分からない。
アリアはマントのフードを深くかぶり直し、そそくさとこの場を立ち去ろうとした。

その時だった。

「そこをどけ」

低く、よく通る声が響き、野次馬たちがモーセの海割りのように左右に分かれた。
人垣の向こうから現れたのは一人の長身の男だった。

夕陽を背にしているせいで表情はよく見えないが、隙のない立ち姿と鍛え上げられた体躯は、ただ者ではないことを示している。
アリアは、面倒なことになりそうな予感をひしひしと感じていた。

男は地面に転がるチンピラたちを一瞥し、それからゆっくりと視線をアリアへと移した。

「む……。これは、一体どういう状況だ?」

男の声には、感情というものがほとんど感じられなかった。
まるで、目の前の異常な光景を、ただの事象として分析しているかのようだ。

アリアは、これ以上ないほどに警戒心を高める。
この男、もしかしたら残りのチンピラの仲間かもしれない。そして、わたくしのから揚げを狙っている可能性も否定できない。

「な、なんですのあなたは!」

アリアは自分の体を盾にするように、大事な食べ物の袋を背中へと隠す。

「これ以上わたくしのから揚げに近づくと、この方たちのようにしてしまいますわよ!」

半ばパニック状態で放った渾身の威嚇。
しかし、男は眉一つ動かさなかった。それどころか、その鉄のような瞳が、すっと細められる。

「……ほう。この者たちをやったのは、君だと?」

男はアリアの威嚇を意にも介さず、一歩、また一歩と距離を詰めてくる。
その圧倒的な威圧感に、アリアの背筋を冷たい汗が伝った。

(強い……! この方、そこらのチンピラとはレベルが違いますわ!)

アリアは後ずさるが、すぐに壁に背中がぶつかってしまう。
男はアリアの目の前で足を止めると、詰問するように口を開いた。

「君は一体何者だ。答えろ」

「ひっ……!」

その鋭い眼光に射抜かれ、アリアが小さく悲鳴を上げた瞬間。
驚いた拍子に、深くかぶっていたマントのフードが、はらりと滑り落ちた。

夕陽の赤い光が、アリアの絹のような髪と、整いすぎた顔立ちをドラマチックに照らし出す。
同時に、ドレスの胸元で輝いていた、クライネルト公爵家の紋章が刻まれたブローチが、男の目に留まった。

ぴしり、と。
それまで鉄壁の無表情を貫いていた男の顔が、初めて固まった。

「…………クライネルト、公爵令嬢……?」

絞り出すような声で呟かれた言葉に、アリアは「しまった!」と顔を青くする。
目の前の男は、驚愕に見開かれた瞳で、アリアの顔と、地面に伸びるチンピラたちを、何度も交互に見比べている。

――ゼノン・ヴァーミリオン。
『鉄壁のゼノン』の異名を持つ、王国騎士団の若き団長。
冷静沈着、常にポーカーフェイスで彼が動揺した姿を見た者はいないとまで言われている。

そのゼノンが、今、人生で最大の混乱に見舞われていた。

(クライネルト公爵令嬢……あの、エリオット殿下の元婚約者……傲慢で、嫉妬深いと評判の……)

彼の知るアリア・フォン・クライネルトの人物像と、目の前の光景が、全く結びつかない。

(なぜ、公爵令嬢が下町の路地裏に? なぜ、チンピラを三人も伸している? そして何より、なぜ、先ほどからずっと『から揚げ』を庇っているんだ……?)

理解不能。
解析不能。
彼の優秀な頭脳が、完全に思考を停止させる。

表情こそ辛うじて無表情を保っているものの、その瞳の奥には、明らかなドン引きの色が浮かんでいた。
それは、未知の生命体に遭遇してしまった科学者のような、畏怖と困惑が入り混じった色だった。

「あ、あの、これはその、事故というか、不可抗力というか……」

アリアがしどろもどろに言い訳を始めるが、もはやゼノンの耳には入っていない。

ゼノンは、これから始まるであろう面倒事の数々を予見し、誰にも聞こえないほどの小さなため息をつくと頭痛をこらえるようにそっと自身のこめかみを押さえた。

「……とりあえず、騎士団にて詳しく事情を聞かせてもらおうか」

二人の奇妙で、最悪な出会いはこうして果たされたのだった。
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