婚約破棄された悪役令嬢、堅物騎士団長に胃袋と心を掴まれる

夏乃みのり

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「自由、自由、自由!」

クライネルト公爵家の自室に戻ったアリアは、ベッドにダイブしながら喜びを噛み締めていた。
面倒な婚約は破棄され、アカデミーでの挨拶も済ませた。もはや彼女を縛るものは何もない。

「さて、この輝かしい門出に、何をすべきか……」

アリアは腕を組んで、真剣に考え込む。
貴族令嬢ならば、仲の良い友人と祝賀会でも開くところだろうか。
しかし、悪役令嬢を完璧に演じてきたアリアにそんな友人がいるはずもなかった。

「……そうだわ!」

ポン、とアリアは手を打った。

「こういう時は、『祝杯』をあげるに限りますわ!」

ただし、彼女の言う祝杯とは高級な葡萄酒やシャンパンのことではない。

「祝杯には、やはり揚げたてのお肉と、甘くて香ばしい焼き菓子がなくっては!」

そう、アリアが求めているのは、貴族の食卓には決して並ぶことのない、庶民の味がする屋台のグルメだったのだ。
王妃教育の一環で経済視察に赴いた際、遠目で見たあの活気あふれる市場。そこで売られていた数々の美味しそうな食べ物たち。
いつか絶対に食べてやると、心に固く誓っていたのである。

「計画を実行に移す時が来ましたわね…!」

アリアはクローゼットの奥から、埃をかぶっていたフード付きの簡素なマントを取り出すと、侍女の目を盗んでこっそりと屋敷を抜け出した。



王都の下町は、人々の熱気と、様々な食べ物の匂いが混じり合った、生命力にあふれる場所だった。

「まあ……! なんて素晴らしい香りなのかしら!」

アリアはマントのフードを目深にかぶり、正体を隠しながらキョロキョロと辺りを見回す。
右を見れば、甘い蜜をたっぷりかけたお菓子。左を見れば、ジューシーな肉汁を滴らせる串焼き。

(天国……! ここは天国ですわ!)

アリアは瞳をキラキラと輝かせ、父親からもらったお小遣いを握りしめ、次から次へと屋台の食べ物を買い漁った。
あっという間に、両手は紙袋でいっぱいになる。

「ふふ、ふふふ……! これで心置きなく祝賀会ができますわ!」

アリアは人通りの少ない路地裏へと入ると、さっそく戦利品の一つを広げた。
袋から立ち上る、香ばしい醤油と油の香り。

「これですわ! この『から揚げ』という食べ物! なんて罪深い見た目と香りなのでしょう!」

アリアがこんがりと揚がった黄金色の肉塊を、まさにその口へと運ぼうとした、その時だった。

「よう、お嬢ちゃん。一人かい?」

げびた笑い声と共に、ぬっと三人の男がアリアの前に姿を現した。
服装は汚れ、その目つきからは知性のかけらも感じられない。いわゆるチンピラというやつだ。

「こんな場所で一人とは、不用心だなあ」

「いいモン持ってんじゃねえか。その金、全部置いていきな」

アリアは、から揚げを口にする寸前で止められたことに少しだけ眉をひそめた。

「……申し訳ありませんが、今取り込み中ですの。ご用件は後にしていただけるかしら」

「ああん? 聞こえなかったのか?」

男の一人が、アリアの持つから揚げの袋に汚れた手を伸ばす。

「その金と、その美味そうな食い物も全部よこせって言ってんだよ!」

その瞬間、アリアの中で何かがぷつりと切れた。

「…………今」

アリアの表情から、笑みが消える。

「何と、仰いました?」

氷のように冷たい声に、男たちは一瞬だけたじろいだ。
しかし、相手はか弱そうな少女が一人。すぐに強気な態度を取り戻す。

「だーかーらー! そのから揚げを……ぐはっ!?」

男が言葉を言い終わる前に、アリアの体が動いていた。
別に武術の心得があるわけではない。ただ、愛するから揚げを守りたい一心で、伸びてきた男の腕を咄嗟に掴んだだけだ。

そして、その腕をえいっとばかりに振り払おうとした。
王妃教育の馬術や、趣味の薬草栽培で鍛えられた彼女の腕力は本人が思うよりもずっと強靭だった。

ぐるん、と男の体が綺麗な弧を描いて宙を舞い、背中から地面に叩きつけられる。

「きゃっ!?」

見事な一本背負いを決めた張本人であるアリアが、一番驚いていた。

(な、なんですの今の!? わたくし、何も……!)

「て、てめえ! このアマ!」

仲間がやられたのを見て、残りの二人が逆上して襲いかかってくる。
アリアはパニックになりながらも、両手に持った食べ物の袋だけは決して離さなかった。

「わたくしの祝賀会を邪魔する不届き者!」

アリアは、串焼きの入った袋をぶんぶんと振り回す。

「うおっ!?」

それが面白いように、男の顔面にクリーンヒットした。
もう一人がアリアを捕まえようと背後から腕を伸ばす。

「いやっ!」

それを避けようと身をかがめた瞬間、男は勢い余って前につんのめり先ほど投げ飛ばされた仲間と頭をぶつけて気を失った。

しん、と静まり返る路地裏。
そこには、地面に伸びる三人の男たちとその中心で呆然と立ち尽くす一人の少女の姿があった。

「あ……」

アリアの視線は、自分の手の中にある紙袋へと注がれる。
先ほどの攻防で袋の底に小さな穴が開き、少しだけ油が染み出していた。

「わ、わたくしの……」

震える声で、アリアは呟く。

「わたくしのから揚げが……っ!」

自分が三人の男を戦闘不能にしたことなど完全に忘れ、神聖なるから揚げが危険に晒されたことへの悲しみと怒りにアリアは打ち震えるのだった。

そして、そんな異様すぎる光景の全てを、路地裏の物陰から一対の冷静な目が、じっと見つめていることに、彼女はまだ気づいていなかった。
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