婚約破棄された悪役令嬢、堅物騎士団長に胃袋と心を掴まれる

夏乃みのり

文字の大きさ
16 / 28

16

しおりを挟む
エリオットの差し出す手を、アリアは小さなため息と共にとった。
(ああ、わたくしのチョコレートムースとベリーのムースが……。誰かに食べられてしまう前に、早く終わらせなくては)
そんな食い意地だけを胸に、彼女はエリオットに導かれてダンスフロアの中央へと進み出た。

遠くのテーブルでは、リリアナが取り巻きの令嬢たちに囲まれ、勝ち誇った笑みを浮かべている。
「皆様、よくご覧になっていて。今夜、最も美しい悲劇の舞台が、幕を開けますわ」
その声は、これから始まるショーへの期待に満ちていた。

ワルツの優雅な調べに合わせ、アリアとエリオットはゆっくりと踊り始める。
エリオットは、どこかぎこちない。

「アリア、その……先日の舞踏会では、すまなかった」

「何のことですかしら?」

アリアの意識は、すでにフロアの向こう側、デザートが並ぶテーブルへと飛んでいる。
エリオットの言葉など、ほとんど耳に入っていなかった。

音楽が徐々に盛り上がり、クライマックスへと近づいていく。
振り付けには、体を大きく回転させる、華麗なターンが含まれていた。
リリアナが、息を飲む。来た、と。

エリオットが、アリアの腰をぐっと引き寄せ、リードする。
アリアの体が、夜空色のドレスの裾を翻しながら、くるりと宙を舞った。
それは、誰もが見惚れるほど美しい光景だった。

その、瞬間。

ビリリリリッ!

音楽にかき消されることなく、布が裂ける生々しい音が、フロアに響き渡った。
ぴたり、と音楽が止まる。
踊っていた他の貴族たちも、何事かと動きを止め、視線を一点に集中させた。

視線の先では、アリアが背中を向けたまま、固まっている。
彼女のドレスの、肩から背中にかけての縫い目が、無残にもパックリと裂けていた。
滑らかな肩甲骨と、純白の下着の一部が、あられもなく晒されている。

「きゃあっ!」

どこからか、令嬢の甲高い悲鳴が上がった。
エリオットは、目の前の惨状に顔面蒼白になっている。

「ア、アリア……! すまない、私のリードが強すぎたせいで……!」

リリアナは、扇で口元を隠しながら、内心で歓喜の叫びを上げていた。
(やったわ! 完璧よ! これで、アリア・フォン・クライネルトも終わりね!)

誰もが、アリアが泣き崩れるか、あるいは恥じらいのあまりその場にうずくまるものだと信じて疑わなかった。

しかし。

「あらまあ」

当のアリアは、実に他人事のような、のんびりとした声を漏らしただけだった。
彼女は、裂けた自分のドレスの背中を、冷静に振り返って確認する。

「殿下、どうぞお気になさらないで。わたくしの肌は、これしきのことで傷つくほど、やわではございませんもの」

「いや、そういう問題では……!」

謎の励ましに、エリオットはますます混乱する。
周囲が呆気に取られている間に、アリアは素早く思考を巡らせていた。
(このままでは、父に余計な心配をかけてしまう。何より、このまま退場させられては、わたくしのムースが!)

その時だった。
騒ぎに気づいたゼノンが、壁際に控えていた場所から、静かに、しかし素早く現れた。
彼は、何も言わずに自分が羽織っていた騎士団の漆黒のマントを外すと、バサリ、とアリアの肩にかけた。

「……これを使え」

そのあまりにもスマートで、騎士道精神にあふれた行動に、会場の令嬢たちが「まあ!」「なんてロマンチックなの!」と、ため息を漏らす。

アリアは、肩にかけられたマントの温かさに一瞬驚いた後、ゼノンを見上げてにっこりと微笑んだ。

「ありがとうございます、団長様。ちょうど良い布がなくて、どうしたものかと困っておりましたの」

「布……?」

ゼノンが訝しげに呟く。
次の瞬間、アリアは誰もが予想しない行動に出た。
彼女は、ゼノンから借りたばかりのマントを、まるで自分のドレスの一部であるかのように、巧みに扱い始めたのだ。

まず、マントを肩に羽織り直し、破れた背中を完全に覆い隠す。
そして、自分のドレスに付けていた銀細工のブローチを器用に取り外すと、それを留め具にして、マントの前を合わせた。
さらに、腰に巻かれていたリボンを一度解き、マントの上から結び直すことで、武骨なマントに美しいドレープを生み出してみせた。

その手つきは驚くほど滑らかで、よどみがない。
あっという間に、騎士団の制服であるはずの漆黒のマントは、夜空色のドレスに絶妙なアクセントを加える、斬新でスタイリッシュなボレロ風の羽織り物へと生まれ変わっていた。

静まり返っていた会場が、今度は感嘆の声でどよめき始める。

「なんてこと……! あのマントの使い方は、素晴らしいわ!」

「破れたドレスを、逆にお洒落に見せてしまうなんて!」

「新しい流行になるかもしれないわね!」

リリアナの計画は、またしても、アリアの規格外の発想力と行動力によって、粉々に打ち砕かれた。
アリアは恥をかくどころか、その機転の良さとファッションセンスで、逆に会場中の賞賛を独り占めしてしまったのだ。

「ふう。これでよし、と」

アリアは、生まれ変わった自分のドレス姿に満足げに頷くと、呆然と立ち尽くすエリオットとゼノンを一瞥し、こう言った。

「さて、気を取り直して、ムースの続きをいただかなくてはなりませんわね!」

そして彼女は、漆黒のマントを優雅に翻し、再びデザートテーブルへと向かって、悠然と歩き去っていくのだった。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

王太子妃クラリスと王子たちの絆【完】

mako
恋愛
以前の投稿をブラッシュアップしました。 ランズ王国フリードリヒ王太子に嫁ぐはリントン王国王女クラリス。 クラリスはかつてランズ王国に留学中に品行不良の王太子を毛嫌いしていた節は 否めないが己の定めを受け、王女として変貌を遂げたクラリスにグリードリヒは 困惑しながらも再会を果たしその後王国として栄光を辿る物語です。

婚約破棄で異世界転生を100倍楽しむ方法 ‐漫画喫茶は教育機関ではありません‐

ふわふわ
恋愛
王太子エランから、 「君は優秀すぎて可愛げがない」 ――そう告げられ、あっさり婚約破棄された公爵令嬢アルフェッタ。 だが彼女は動揺しなかった。 なぜなら、その瞬間に前世の記憶を取り戻したからだ。 (これが噂の異世界転生・婚約破棄イベント……!) (体験できる人は少ないんだし、全力で楽しんだほうが得ですわよね?) 復讐? ざまぁ? そんなテンプレは後回し。 自由になったアルフェッタが始めたのは、 公爵邸ライフを百倍楽しむこと―― そして、なぜか異世界マンガ喫茶。 文字が読めなくても楽しめる本。 売らない、複製しない、教えない。 料金は「気兼ねなく使ってもらうため」だけ。 それは教育でも改革でもなく、 ただの趣味の延長だったはずなのに―― 気づけば、世界の空気が少しずつ変わっていく。 ざまぁを忘れた公爵令嬢が、 幸運も不幸もひっくるめて味わい尽くす、 “楽しむこと”がすべての異世界転生スローライフ譚。 ※漫画喫茶は教育機関ではありません。

婚約破棄されたので隣国で働きます ~追放侯爵令嬢、才覚だけで王妃候補に成り上がる~

鷹 綾
恋愛
内容紹介 王宮改革は、英雄の一声では成し遂げられない。 王太子に招かれ、王宮顧問として改革に携わることになった ルビー・エルヴェール。 彼女が選んだ道は、力で押し切る改革でも、敵を断罪する粛清でもなかった。 評価制度の刷新、情報公開、説明責任、緊急時の判断、責任の分配―― 一つひとつの制度は正しくても、人の恐れや保身が、改革を歪めていく。 噂に揺れ、信頼が試され、 「正しさ」と「速さ」、 「個人の覚悟」と「組織の持続性」が、幾度も衝突する。 それでもルビーは、問い続ける。 ――制度は、誰のためにあるのか。 ――信頼とは、守るものか、耐えるものか。 ――改革者は、いつ去るべきなのか。 やがて彼女は、自らが築いた制度が 自分なしでも動き始めたことを確かめ、静かに王宮を去る。 残されたのは、名前の残らない改革。 英雄のいない成功。 だが確かに「生き続ける仕組み」。 これは、 誰かが称えられるための物語ではない。 考えることを許し、責任を分かち合う―― その文化を残すための、40話の改革譚。 静かで、重く、そして誠実な “大人のための王宮改革ファンタジー”。

処刑台の皇妃、回帰して復讐を誓う ~冷酷公爵と偽りの婚約者~ おまえたちは許さない!

秦江湖
ファンタジー
皇妃エリアーナは、夫である皇帝アランと、たった一人の親友イザベラの策略により、無実の罪で処刑される。 民衆に罵られ、アランの冷酷な目とイザベラの嘲笑を「始まりの景色」として目に焼き付けながら絶命した彼女は、しかし、処刑の記憶を持ったまま三年前の過去に回帰する。 「おまえたちは許さない」 二度目の人生。 エリアーナの目的はただ一つ、自分を陥れた二人への完璧な復讐。 彼女はまず、アラン(皇太子)からの婚約内示を拒絶。そして、アラン最大の政敵である「北の冷血公爵」ルシアン・ヴァレリウスに接触する。 1周目で得た「未来の知識」を対価に、エリアーナはルシアンに持ちかける。 「貴方様には帝国の覇権を。わたくしには復讐の舞台を。そのための『契約婚約』を――」 憎悪を糧に生きる皇妃と、氷の瞳を持つ公爵。 二人の偽りの婚約の行く末は……

白い結婚のはずが、旦那様の溺愛が止まりません!――冷徹領主と政略令嬢の甘すぎる夫婦生活

しおしお
恋愛
政略結婚の末、侯爵家から「価値がない」と切り捨てられた令嬢リオラ。 新しい夫となったのは、噂で“冷徹”と囁かれる辺境領主ラディス。 二人は互いの自由のため――**干渉しない“白い結婚”**を結ぶことに。 ところが。 ◆市場に行けばついてくる ◆荷物は全部持ちたがる ◆雨の日は仕事を早退して帰ってくる ◆ちょっと笑うだけで顔が真っ赤になる ……どう見ても、干渉しまくり。 「旦那様、これは白い結婚のはずでは……?」 「……君のことを、放っておけない」 距離はゆっくり縮まり、 優しすぎる態度にリオラの心も揺れ始める。 そんな時、彼女を利用しようと実家が再び手を伸ばす。 “冷徹”と呼ばれた旦那様の怒りが静かに燃え―― 「二度と妻を侮辱するな」 守られ、支え合い、やがて惹かれ合う二人の想いは、 いつしか“形だけの夫婦”を超えていく。

望まぬ結婚をさせられた私のもとに、死んだはずの護衛騎士が帰ってきました~不遇令嬢が世界一幸せな花嫁になるまで

越智屋ノマ
恋愛
「君を愛することはない」で始まった不遇な結婚――。 国王の命令でクラーヴァル公爵家へと嫁いだ伯爵令嬢ヴィオラ。しかし夫のルシウスに愛されることはなく、毎日つらい仕打ちを受けていた。 孤独に耐えるヴィオラにとって唯一の救いは、護衛騎士エデン・アーヴィスと過ごした日々の思い出だった。エデンは強くて誠実で、いつもヴィオラを守ってくれた……でも、彼はもういない。この国を襲った『災禍の竜』と相打ちになって、3年前に戦死してしまったのだから。 ある日、参加した夜会の席でヴィオラは窮地に立たされる。その夜会は夫の愛人が主催するもので、夫と結託してヴィオラを陥れようとしていたのだ。誰に救いを求めることもできず、絶体絶命の彼女を救ったのは――? (……私の体が、勝手に動いている!?) 「地獄で悔いろ、下郎が。このエデン・アーヴィスの目の黒いうちは、ヴィオラ様に指一本触れさせはしない!」 死んだはずのエデンの魂が、ヴィオラの体に乗り移っていた!?  ――これは、望まぬ結婚をさせられた伯爵令嬢ヴィオラと、死んだはずの護衛騎士エデンのふしぎな恋の物語。理不尽な夫になんて、もう絶対に負けません!!

女王は若き美貌の夫に離婚を申し出る

小西あまね
恋愛
「喜べ!やっと離婚できそうだぞ!」「……は?」 政略結婚して9年目、32歳の女王陛下は22歳の王配陛下に笑顔で告げた。 9年前の約束を叶えるために……。 豪胆果断だがどこか天然な女王と、彼女を敬愛してやまない美貌の若き王配のすれ違い離婚騒動。 「月と雪と温泉と ~幼馴染みの天然王子と最強魔術師~」の王子の姉の話ですが、独立した話で、作風も違います。 本作は小説家になろうにも投稿しています。

断罪される前に市井で暮らそうとした悪役令嬢は幸せに酔いしれる

葉柚
恋愛
侯爵令嬢であるアマリアは、男爵家の養女であるアンナライラに婚約者のユースフェリア王子を盗られそうになる。 アンナライラに呪いをかけたのはアマリアだと言いアマリアを追い詰める。 アマリアは断罪される前に市井に溶け込み侯爵令嬢ではなく一市民として生きようとする。 市井ではどこかの王子が呪いにより猫になってしまったという噂がまことしやかに流れており……。

処理中です...